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3:気遣い

 またいつか、近い内に遭う機会があるかもしれないな――族長はそう言い残して他の連中の侵入を許すと、瞬く間に俺たちを担ぎあげて運びだした。

 無抵抗だから運び易かったのだろう。十数分も歩いた森を僅か数分で抜けた男たちは、ゴミでも捨てるように俺たちを投げて、そのまま去っていった。

 地面に叩きつけられ呆然とする俺たちは、どちらからともなく立ち上がる。だけれど、暫く動くこともままならなくて、今の状況をなんとか理解するので精一杯で。

 結局家についたのは、それから西日が陰り始めてのことだった。


     ◇◇◇


 横になって数時間、夜も更け始めてようやく眠るウィズを確かめて、俺は寝台から立ち上がる。

 手首から先はようやく肌の色を取り戻し始めた。針金で固く拘束しすぎてうっ血し、痛みすらも麻痺し始めていたのだが――まあ感覚は依然としていまいちだが、指先はなんとか動かせるのだから文句はない。

「……彼女が寝付けなかったのは、そんな辛気臭い顔をしてるからよ」

 馴染みの席になりつつある椅子に腰掛けた彼女は、頬杖を突いたまま俺にそう告げる。

 言われて始めて、口角が下がって顔中の筋肉が張り詰めていることに気がつく。

 ああ、そうか。俺は今にも泣きだしてしまいそうな顔をしていたのか。

 誰よりも泣きたいのはウィズだろうに、身勝手なことをして、勝手に悲しんで……。

「久々にやっちまったよ。こんなこと、もう二度としないはずだったのにな」

「久々に気付かされた、に言い換えたほうがいいんじゃないの? あなたは何も変わってないわよ」

「……あんたは、どこかで俺を見てたのか? 今まで、ずっと」

「ねえクライト。あなたは――喉、乾かない? ずっと何も口にしてないもの、用意してあげるわ」

 はっ、と口をつぐむライアは慌てた様子もなく、ごく自然に立ち上がる。俺に背を向け、台所に向かう中で何かを呟いたが、しかしそれが言葉となって俺に届くことはなかった。

 俺は彼女が座っていた対面に腰を落とし、深く息を吐く。

 酷い嫌悪感だ。頭の奥底から湧いてくる痛みがじわじわと脳みそを破壊しているような気分で――そう思うことにすら、嫌になってくる。

 まるで被害者面だ。

 一番傷ついているのはウィズなのに。

「あなたは慣れてないのよ。いつもは理不尽な無茶に、ささやかな仕返しでやってきたのに。無条件の好意に対して、あなたは何をどう返せばいいのかわからない。あなたは、戦いの中でしか生きて来なかったから」

 ことり、とカップを置く。

 窓から差し込む月光が、暗い室内を程よい明るさにしてくれる。窓から離れたテーブルでは互いの表情を読み取ることが難しい程度だから、俺にはそれが丁度よかった。

 カップを手に取れば、湯気に乗って香りのいい紅茶が鼻腔をくすぐった。ライアの言葉とともに慰められて、少し胸が痛くなる。

「今回は、一生懸命でちょっとだけ周りが見えなかっただけよ。ねえ、クライト。あなたは別に、彼女を不幸にするために動いたわけじゃないんでしょ? 彼女だって、それはしっかりとわかってるわよ」

「悪気が無かったのと、客観的に見ての悪とはわけが違う。悪意のない行動が誰かの不幸につながるなら、そこに本人の心情なんて関係ないんだ」

 口につけるだけで、カップをテーブルに置く。どうせぬるめの紅茶を含んでも、舌の上で転がされ続けるだけだ。

「偽善的、だけどそこがあなたの誠実さでしょ?」

「偽善ですらねえんだよ、俺は……ただ、自分の好きに暴れまわるガキだ――何も、変わってねえ」

 最後に落としてしまった呟きは消え入る程の小ささだったが、対面してそう距離が開くわけでもない彼女に聞こえぬはずがない。

 ライアは顔を上げて俺を見る。だが俯く俺を見て、聞こえていいものではないと判断した彼女は、そのまま、またカップに手を付けた。

「なんであなたは、いつでもどんな状況でも自分を責め続けるの? あなたが本当に本心から優位に立つ時って、マスウェアみたいに、絶対的に相手が悪だとわかってる時だけじゃない」

「……誰だって好きで困ってるわけじゃないんだ。もし無償で困ってる誰かを救済できれば、仮に俺がバカを見る目になっても……」

「あなた、馬鹿なの?」

 俺ですら言い切ろうとすらできない愚考を、だけど見逃さずに彼女は踏みにじる。

 そう言ってからがたり、と音がして、目の前からライアの姿が消えた。呆れてものも言えなくなって、ついに出ていったのか――思った直後に、柔らかな感触が背後から襲いかかる。

 服越しにも分かる熱を帯びた腕が、俺の胸を掴み締め付ける。

 柔らかいにも程がある双丘は、だが弾力を押し殺して俺の背中に押し付けられた。

 火傷しそうな程に熱い吐息が、耳にかかる。

 ライアの、その石鹸の香り、熱、感触――全てを感じて、頭の芯が赤くトロける程に熱し始めた。

「な……なに、を、ライア?」

「辛いことからは逃げてもいいのよ。でも一人じゃないわ、どこに行ってもあたしがついてく」

 あまりにも甘美な誘い。

 それは今回に限らず、これまで抱えてきた多くを、そしてこれからも拾い上げていくだろう全てのものに対する甘言。

 ――俺を、ヒィ・クライトと言う愚かな人間を殺すための言葉。もっと別な生き方を選ばせるための、俺のための台詞。

「あなたは決断しすぎてる。前を見過ぎてる。逸らしてもいいものを睨み続けて、届かないものに手を伸ばして、常に全速力で走り抜けてる」

「そんな、格好いいもんじゃ……」

「格好良くなんてないわよ、そんなの、世界の英雄なんてのに恋焦がれて憧れた子供のすることよ」

「はは、全くだ」

 乾いた笑いを漏らした時、彼女は俺の全てを肯定し逃げ道を促す抱擁を終える。背後でライアが姿勢を正した時。

 ちょうど、来訪者を知らせるノックが二度続き、

「人間、話がある」

 その来訪者の正体を知って、俺は迷う事無く外に出た。


 族長はその身を漆黒の外套で包んで現れた。

 ウィズ宅から少し離れた平原。もう少し先に進めば、ウィズが俺を拾ってくれた海原の見える高原へと至る。

 わざわざ危険も顧みずに出てきてくれた族長は、頭上の半月を一瞥してから振り返った。

「ウィズの事で、色々と奔走してくれたようだな。たかが住まいと食事の感謝のために、種族の問題解決に走ろうとするとは、さすがに思わなかったが」

 俺の両腕は自由になっている。再び、最低限の誠意を見せるために拘束しようとしたところを、族長に咎められたからだ。

「その点に関しては驚いているし、感謝している。生涯、両親と私以外の寵愛は決して受けることのなかった少女だ。それにしたって、今の私からも表面上は拒絶されている。彼女の近くには、もう何年も誰も居ない」

 彼女のその言葉から、全ての合点がいった。

 なぜウィズの前であんな拒絶をしたのか。彼女だけは味方だと思っていたからこそ、理解できなかった言動が。

「私は同胞を何に代えても守らなくてはならない。たとえどれほど大切な一人を切り捨てることになってもな。その決断をしたのは十年前、お前らにとっては大きな時間かも知れないが、長寿たる我々にとっては些細な時間だった。だが、幼子だったウィズは違う。人間の血のせいで、その肉体の成長を人間寄りに引っ張られてしまう彼女は違う。彼女の――ウィズの十年間は、やはり大きかった」

 それは言い訳だったが。

 俺みたいに、無責任になんでも拾い上げる愚者の選択ではないのは、誰よりも理解できた。

「彼女の両親は居ない。失踪した――と、今でも説明しているから、未だ希望をもっているかもしれないが」

 告げる。ウィズだけに隠していて、恐らく里の者ですら彼女に偽っているだろう事実。

 口にする前に、俺の胸が高鳴った。

 なぜそんな事を俺に話すのか、なんて疑問は、また図に乗った一つの推測を促した。

 まるでそれは、俺が知らなければならないことのようで。

 だからそれは、俺が彼女についてなぜそれを知らなければならないのか、という根本的な発想を、だけどまた無責任に思って、頭の中でさえ言葉にできずに居た。

「生まれて五年後に処刑されたよ。里の端っこ、墓場ですらないところに墓を立てた。本来ならそれすら許されぬほど、この里では人間の男と交わるのは禁忌なのだけどな」

「……なら、ウィズは五歳からあそこに?」

「ああ。まだ長ではなかった私と共に」

「椅子が三脚あったのは……彼女を」

「誤魔化すために。いつ戻ってきてもいいように、食器も、寝床も、三人が暮らす程度の道具は全て揃わせた」

 なんて残酷で。

 誤魔化す側さえも傷ついてしまうほどの、優しい配慮なのだろうか。

「十年前から、彼女は一人で?」

「そして同時に、私が離れて一人だからと言う理由で里にすら入れなくなった」

「今日は、どうして」

「夜だとどうしても落ち着いて話ができないから呼んだのだよ。もっとも、どこかの阿呆がそれも台無しにしてくれたがな」

 もっとも、と。

「お陰で手間が省けたが」

 ぼそり、と零す言葉は、誰に放たれたわけではないらしい。

 俺が気にする事無く拾わずに捨てておけば、彼女は聞こえていないものとして言葉を続ける。

「お前がウィズに対して、そこまで身を呈して動いたことに、理由はあるか?」

 鋭い眼差しが俺を貫く。琥珀の瞳が、捕らえて離さない。

 嘘など許さぬその視線に応えるように、無論嘘などつく理由もなかったけれど、俺は精一杯の誠実性をもって答えた。

「正直、助けてくれた恩以外の気持ちはない。ただそれよりも、あんた――あなた方の仕打ちに、納得がいかなかっただけです」

「お前は他国でもそんな事をしているのか?」

「他国でそんなことをするほど、人と接する機会はないですから」

 だから、縁とでも言うのだろうか。

 彼女が唯一、心の奥底では繋がっているのが一人でも居るのも。

 そんな彼女を、勝手に”悲しい人”と判断して俺が動いて、ある一線を容易く超えた先に突っ走ってしまったのも。

「なら、素質があると見て良いんだな」

「……わかりませんよ。こんな無鉄砲な男だ、ここを離れて直ぐに野垂れ死ぬかもしれない。ただでさえ、餓死しかけていたところを助けてもらったんですよ」

「ならば誓え」

「どうして、俺なんです?」

 主語がない言葉。意図的に隠されたそれを、気付けないはずもなく、そんなフリができるような状況じゃなくて。

「死なないとわかっていても、だが死ぬ気で里に突っ込んでくるのは、恐らくお前が最初で最後だから。あれほど誰かのために本気になれるのは、ある種の才能かもしれない」

「それでも、見知らぬ俺なんかに」

「一人は更に辛いぞ。荒野に一人ならまだいい、だが近くに大勢いるのに、自分だけ一人というのはあまりにも酷だ」

「真っすぐ走って、彼女が転んだことに気づけずに走り抜けてしまうかも、しれません」

「それを言い出せば、彼女の平穏を誓った私でさえこの有り様だ! 誰よりも、酷い裏切りを行ったと私自身理解している……っ」

 最後に口にしようとした何かは、だが始めの一文字すら口にされる事無く飲み込まれる。

 彼女の性格からすれば、それは言い訳だったのだろう。

「だから」

 そう言って。

 やはり見上げなければ俺の胸板を凝視することになる族長は、眉尻を下げて、表情を強ばらせて、必死になって俺に訴えた。

「もしウィズが起きて、お前に付いて行きたいと言ったら――」


 言葉が掻き消されるのはその瞬間。

 突如として宵闇を引き裂く鮮烈な一閃は、俺たちから少し離れた平原に突っ込んで爆発を巻き起こす。

 だがその火焔が目に映るよりも早く、地表を舐めるように波紋となって広がる衝撃波が、敵意の牙を剥いて襲いかかってきた。

「くっ」

 族長を胸に抱いて、術を展開――などという暇も無く。

 抱きしめたはずの少女は俺の胸板に背を預けたまま、眼前の虚空に陣を描き、展開した。

「安心しろ」

 複雑な紋様、読解の困難な精霊文字。円の中に刻まれたそれらは、蒼白い輝きを放って人一人を包むには大きすぎる陣となって俺たちの盾になる。

「私は強いぞ」

「そいつは良かった……んですけど」

 本来ならば。

 少なくとも相手が、モンスターや盗賊の類ならば。

『クライト、悪い知らせが二つあるわ』

 気を遣ってウィズ宅で待機していたライアが、余裕無さそうにそう告げる。本来ならば問うような報告だが、彼女は一方的に口にした。

『前回は契約者が厄介なパターンだったけど、今回は悪魔自体がかなり強い』

「いや、悪魔スミスの方もかなり厄介だったぞ」

『それで――解放されてる戦闘能力も厄介ね』

「まあ……それは、見れば分かる」

 遠目に上がる超大な火柱。恐らく俺たちが居た高原だろう位置なのにもかかわらず、その天を焦がすほどの熱は風を伴って俺たちの全身を舐めまわす。

 衝撃波が止んで、族長が術を消して俺から離れた。

 腰を落として、構えてみて。

 傍らに並んだ俺を、横目に睨んで舌打ちをした。

「ったく。これだから悪魔っていうのは無作法で……」

「愚痴は後で聞きますし、答えはこれが終わってから返しますから」

「ああ、さすがの私でも逃げ切れる気がしないしな」

「ええ。だから手伝って貰えれば、光栄なんですがね」

 否定するつもりも、出来るわけもないのを知って、俺はちょっとだけ場違いな意地悪を言って見せる。

 だが彼女は、さすが族長と言うべきか。

 苦笑一つと共に、表情に余裕と笑みを取り戻してみせた。

「だったら、ウィズに相応しい男という腕っ節を見せてみろ。まさか、回復能力だけなわけではないのだろう?」

「どうでしょうねえ」

 まだ悪魔の姿は見えない。

 だがこれ以上里に近づかせるわけにも行かず。

 恐らく、勝ち目の薄そうな戦火の中へと、どちらからともなく走りだす。

 俺たちの戦いは――これから始まるところだ。

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