06闇森の住人
「闇森はダークエルフが支配しているんだろ?カーズドワールドの設定上、エルフと仲が良かったはずだ。頼み込んで通してもらえないのか?」
「はは。エルフといってもアバターでそう設定しただけの似非エルフだからね。難しいんじゃないかな」
闇森の外周部に突入したレンたちはモンスターを警戒しつつ先を急いでいた。とはいえその苦労もレンの気配察知のおかげで半分以下に減っている。レンジャー様様だ。
その余裕があるからこそ、こうして雑談に興じることも出来る。
「アバターの種族設定って、見た目以外のゲーム的な変化ってあるのか?」
「うん。教えたと思うけど、エルフが魔力に優れるように、若干のステータス補正があるね。まあ職業補正に比べれば微々たる差だけど。現に前衛に一番向いているのはドラゴニュートだけど、戦士系ギルドの上位ランカーの種族はバラバラだったよ」
「ふむふむ。なあナナコ、マーマンの種族補正はどうなっているんだ?」
「水棲活性といって水中戦闘や海上戦闘に補正がかかります。その分陸地では全体的にステータスが微減します」
「もともと戦闘向きやないアルケミストなら、あんまデメリットが気にならんからなぁ」
からからとアルマが笑う。アルマとレンはアバターの種族にヒューマンを選択している。特に秀でたところはないが劣ったところもない扱いやすい種族だ。
「ベータ版でマーマンを選んだ人は少なかったですね。逆にヒューマンとエルフはかなり多かったはずです」
解説の迅雷もそのエルフを選んだ一人だ。誠実な性格と一度見たら忘れられない痛いアバターネームのギャップのせいで、中小ギルドの”赤毛連盟”に所属していたにも拘らず顔が売れていたらしい。大手ギルドにも知り合いが多いんだとか。具体的な統計がないにも関わらず、プレイヤー全体の職業の分布なんて曖昧な物を曲がりなりにも把握できているのはこの為だ。
「この世界でもその傾向はおおむね変わらないと思いますよ。前衛はともかく後衛は魔力特化型の方が好まれる為、最初から育成方針を固めてエルフを選択する人が増えているくらいでしょうか」
限られた情報を整理把握して、帰納的に推論することには慣れているようで、迅雷の言葉には楽しげな成分が微量に含まれていた。
更に問おうとした時、無粋な闖入者の気配を感じ取る。
「っと!敵襲だ。こっちに気づいてる。数は2」
気配察知の網に生命反応が引っかかる。こちらを目指して移動中で敵対の意思がありそうだ。迅雷の種族講座が終了し、全員で陣形を立て直す。
レンの知らせに素早く反応を示し、最前方に位置するのは頼れるナイト、アルマ。ギルドマスターとして指揮経験は豊富で、状況把握の困難な最前線にありながらパーティーの管制を務める才女だ。ここから見える後姿には、兜の隙間から肩まで垂らしたポニーテールが風に揺れている。
彼女の後ろにはレンジャーのレンが居る。普段は索敵のため最前線が定位置だが戦闘の際は、一方後ろに下がっている。
そしてアルケミストとウィザードが最後方に構える。二人のうち特に熟練した腕前の迅雷は後方の警戒も兼ねている。ベータ版時代の付き合いが長いレン以外のメンバーは、アルマの指示に迅速に従い、ひとつの大きな生物であるかのように自然に連携している。
「ゴブリンメイジです。魔法を使うので気をつけて!」
姿を現したのは、見慣れた緑の肌を持つ小人族のモンスターだった。よく見ると二体とも節くれ立った樫の杖を両手で握っている。
事前に定めた布陣の取り決め通り、レンはアルマを飛び越して前に飛び出す。後衛系のモンスターが出てきた場合、魔法攻撃を使われる前に相性のいい中衛のレンが先制攻撃で仕留めるのが基本方針とされていた。その後は状況を見つつ臨機応変に。
二体のゴブリンメイジは、突然近づいてきたレンを迎撃しようと、魔法の詠唱を始める。
「”ライトニングアロー”!」
しかし先に発動した魔法は味方の物。迅雷の援護射撃だ。
敵が姿を現す前から詠唱をしていたのだろう。直線状に飛ぶ雷の矢に、頭部を破砕された一体が悲鳴を上げる間もなく絶命する。
まだ詠唱中の隣のゴブリンメイジがあっけにとられている間に、距離を稼いで接敵。
その意外と細い首筋を勢いよく切りつけた。
「”クリーパースラッシュ”」
スキルによって軌道を修正され、正しく相手ののど笛を切り裂く光の刃は、実際の三倍ほどまで刀身を伸ばし、ゴブリンメイジの首を真っ二つにしていた。
ここまで致命的な一撃だと、ダメージ判定が発生する間もなく死亡認定されるようで、レンたちはゴブリンメイジの苦痛の声を聞くことなく、戦闘を終了。
ゴブリンらは光の粒子に還っていった。
「うち、なんもする暇なかったわぁ」
レンジャーのパッシブスキルで生命反応が消滅したことを告げると、アルマが構えを解く。一同もそれに習って通常行軍の並びへと戻る。特に被害も見受けられず、隊列の移行はスムーズに行われた。
再び歩き出しながら、先ほどの戦いを振り返る。後衛系のモンスターとは始めて遭遇したが、かなりペラい。火力不足に悩んでいたレンでも容易く倒すことが出来た。
王都までの道のりに補給地点はない。そのせいで装備の買い替えが出来ず、仲間内で唯一攻撃手段を武器に頼るレンの火力不足が目立っていたのだ。
ナナコ作のロックブレードは今までの街道にいた雑魚モンスターには効果的だったが、すでに五度遭遇している闇森の高レベルモンスターには効き目が薄かった。
そのせいでレベル20を越えた三人の協力を持ってしても、三体以上のモンスターに遭遇するとかなりきつい戦いになる。
レンの攻撃は通らず、撹乱に徹するしかない上、アルマの大盾は本来攻撃用ではない。大盾はスタンを誘発させるため引付役としては優秀だったが、なにぶん火力がない。必然的にダメージディーラーを担ったのがウィザードの迅雷だ。回復役はナナコに任せて、高火力魔法を連発してなんとか殲滅力を維持させている。
森に入り込んで三時間は経ったころだろうか、何度も襲撃してくるモンスターの多さに辟易して、口数の少なくなっていた一行だが、アルマの発した一言を切っ掛けに方針を変更することになる。
「せんちゃん、魔力残量は」
「四割を切りました。このペースで交戦すれば、夜まで持ちません」
「そか……。うちとレン君も結構消耗しとる。森の中の野営覚悟するべきかもしれん」
リーダーとして、全体を管轄するアルマは厳しい表情で唸る。予定では、早朝に闇森に侵入。そのまま最速で抜けて日のあるうちに森を抜け出す予定だったのだ。
しかし予定とは狂うもので、街道とは段違いのモンスター遭遇頻度に悩まされる。しかも出てくるモンスターはこちらのレベルと同格のものばかり。今のことろは危なげなく処理できているが、最大火力の迅雷を失った状態で戦えば、全滅すらありえる。
野営地を見逃さないため、そしてモンスターとの遭遇を抑えるために、移動速度を遅くする。
闇森といっても、もともとは王都へ向かう街道だ。システムに保障された安全地帯、”野営地”はいくつか設置されている。生い茂る木々によって発見は難しくなっているが、消えたわけではない。
程なくして、隊列の後方で街道の右側に集中的に注意を払っていたナナコが野営地を発見する。
先頭を歩くレンはそれを見逃していたことになるので軽く落ち込む。
「まぁまぁ。うちも見つけられんかったし、レン君は最重要任務の索敵があるんやからしゃあないよ」
アルマはレンの真後ろを歩いていたのだから、彼女も見逃していたことになる。お互いに慰めあいつつ、テントを張る準備を始める。まだ日は高いが、しばらく休憩だ。
野営地のそばに備えられていることの多い川を探し出して、水を汲む。本来であれば野宿などしたことのないレンたちがまともにキャンプなど出来るわけがないが、ゲームの中途半端な恩恵でなんとかなっている。不幸中の幸いだ。
「ん、そういえば……」
川の清水をバケツに汲んでいるとき、ふと思いついた事がある。野営地を見逃していた言い訳になるので、あまり深く考えていなかったが、何故体力もレベルも少なく疲労困憊していたナナコだけが、野営地を見つけることが出来たのだろうか?
ある仮説をたてたレンは、みんなの待つ野営地に戻った。
「ナナコ、質問があるんだがいいか?」
「な、なんでしょうかレンさん」
旅の間に少しずつ打ち解けてはきているのだが、第一印象が悪かったようで、今のように不意打ち気味に話しかけると警戒されてしまう。
「マーマンの水棲活性ってもしかして、水場の場所が分かったりするのか?」
もしそうならば、レンとアルマが見逃した巧妙に隠された野営地を発見したことにも説明が付く。彼女は野営地そのものではなく、併設された水場を感知していたのだ。
「え、どうでしょう。ゲームではそんな能力なかったと思いますけど、言われてみればなんとなくそんな気もしてきます……」
考え込むナナコ。もしこの仮説が事実ならば、それはスキルにはシステムメッセージに明示されていない使い方が隠されているということだ。
前例はレンの気配察知だ。本来は敵の場所を示すだけのものだったはずだが、暴れイノシシとの戦いでレーダーに映るマーカーを見て、相手の移動速度を計算していた。もちろん戦闘中にそんな計算が出来たはずがない。あれは、俯瞰図で見ているのだから速度も分かるはずだ、というレンのイメージがスキルの力によって補強され、無意識のうちに相手の速度を計算していたのかもしれない。
なんだかオカルトじみた話に聞こえるが、当たらずといえども遠からずの筈だ。短剣スキルも単純な動作をビデオのように再生するのではなく、自分と相手のの姿勢や位置関係、武器の刃の向きまで柔軟に組み込んで、調整しながら的確に発動している。
それは普段人間が歩くときに、足の筋肉の繊細な連動運動を意識しないのと同じことだろう。定式化された一連の動作が、スキルとしてインプリンティングされているといえば分かりやすいだろうか。
そのスキルを意識して細分化することで、無意識に発揮していた能力も意識的に使えるようになるかもしれない。それは、相対速度を意識することでモンスターの敵意の有無やこちらに気づいているか、といった周辺情報を集めることが出来るようになったレンジャーの気配察知の存在が証明している。
誰もが同じようにスキルの潜在能力を発揮できるとは限らないが、逆に誰もレンのまねを出来ないと決め付けるのも早計だ。だからこれは試金石だ。マーマンの種族スキルは職業のスキルとは原理が違う可能性もあるが、物は試しだ。
ナナコが能力に開花すれば、得にこそなれ損にはならない。失敗してもリスクはない。
わけのわからないゲームの世界に閉じ込められている現状、ひとつでも明るい話題、ゴールのような目標に向かって進んでいる自覚が欲しかった。明確に与えられたクリア方法――魔王の討伐はいまだその所在どころか、存在の不確定な噂さえも掴めない。半ば諦めているといってもいいかもしれない。勿論、魔王について進展があれば率先して取り組む気持ちは持っているのだが。
そういう意味では、成果がすぐに確認できてしかも戦力増強にも繋がるスキルの原理の解明、応用は手ごろな課題だったのだ。
「うーん、水がいっぱいあればなんとなく波紋のようなものが心に響いている気がします。本当になんとなくですけど」
「そうか。もしかしたらそれを普段から意識的に行うことで、本来スキルの効果に規定されていない、いわば裏ボーナスのような効果を使えるようになるかもしれない。良ければこれからもそういうことを続けていってくれ」
「は、はい。わかりました」
ボーナス、という響きの耳ざわりが良かったのだろう。レンへの態度を少し軟化させたナナコは鼻歌を歌いそうな勢いで、ルンルンと歩き去っていった。
レン自身も心の中でもやもやとしていた思い付きやアイデアの種がまとまって、体系付けられて来た気がする。意識的に脳内の考えをアウトプットしたおかげだろう。
悩みを相談する、という行為は実は相談相手に答えを聞く前に、その目的の大半を終えている。人に問題となる悩みを説明する過程で、問題に対する理解が深まり絡まった糸が解きほぐされるように、自然と問題解決の道のりが見えてくることが多いのだ。
「他に何かレンジャーのアクティブスキルで応用できそうなものあったかな……」
最早ルーチンワークと化した野営地での野宿のためのテント設営などの準備の数々を、無意識にこなしながら自由な妄想、いや発想を膨らませるレンだった。
「思ったより早く、暗くなってきたな」
「木々が生い茂ってるせいか、日の光が届きにくいですからね。それが闇森の由来なのでしょうか?」
闇森に飲み込まれた状態でも、安全地帯は機能しているらしく、野営地に近づくモンスターの気配はない。お陰で十分な休息をとることが出来、全員のHPMPは既に最大値まで回復している。しかしそうなるまでに数時間使ってしまっため、いまから野営地を出発すれば森を抜けるまでに太陽が沈んでしまうのは間違いない。
夜の森は普通の森でも危険だ。増してやここは、魑魅魍魎の跋扈する闇森。予定通り、森の中で一泊するしかないのである。
彼らが今歩いているのは野営地から少し離れた森の中。日が暮れるまで無為に過ごすのもなんだから、というアルマの提案で特にレベルの低いナナコのレベル上げを行っていた。闇森の敵は強敵ぞろいで、わずかでも気の抜ける相手ではなかったが、その全ての戦闘をこちらから奇襲をかけることで優位に進めている。
ルールの街で迅雷と一緒の宿に止まったときに聞いた話。この世界で鍵を握る中衛職というのは、限られた情報からの個人の推測にもかかわらず、かなり正確な予想だったということだ。自画自賛になるが、レンジャーであるレンがパーティーから抜ければ、これほどやすやすとは戦えなくなろうだろう。
それはもレンだけの推測ではなく、事実へと変化しつつある。ナナコが数日前寝込んでいた間、ローテーションを組んで二人制パーティーを変則的に使っていたときからその兆候はあった。レンとアルマ、レンと迅雷の組み合わせのときと違って、アルマと迅雷の組み合わせは阿吽の呼吸で息のあった巧みな連携を見せるが、効率だけで見ると決して優れているとはいえなかったのだ。
この世界での一般的な狩効率は不明だが、レンジャーのレンが戦闘に参加するだけで効率はおよそ1.5倍に跳ね上がる。奇襲というのはそれだけ効果的なのだ。
だから、奇襲というのは本当に有効なのだ。…特に相手が警戒していないときを狙えば。
「動くな。振り返らずそのままゆっくり武器を捨てろ」
底冷えするような声が背後から届く。低い男の声だったが、迅雷の声ではない。反射的に首が動き、後ろを振り向こうとしたレンの動作は、驚きで停止する。
目の前を走り抜けた一条の閃光。それが、金属の矢尻をもった殺意ある弓矢の威嚇射撃だと気づいたのは、脅迫者の苛立った声が再度聞こえてからだった。
「動くなと言っただろ。二度目はないと思え」
ざわざわと森が揺らめき、木々の葉がこすれる音が聞こえる。気づいたときには気配察知のレーダーに複数の光点が表示されていた。
囲まれていた。
アルマと迅雷はともかく、ナナコはヒト語を解する敵から向けられた害意に対して、かわいそうな位震えていた。なぜ敵の接近に気づけなかったのか。疑問が頭を駆け巡るが、意識してそれを封じ込める。
今大切なのは囲まれた理由ではなく、囲まれているという事実だった。後方から矢を放ったのは何者か不明だが、前方の木の陰にうごめく複数人の姿があった。ヒト語を話しているときからなんとなく予想はついていたが、彼らはモンスターではない。
夜が近づき、もうほとんど光のなくなった夕闇の中、闇に溶け込むような肌の色の種族――ダークエルフがめいめい武器を構えてこちらの動きを窺っていた。
「……ここは、おとなしく従おう」
固いアルマの声は、初めて聞く響きだった。レンが彼らの接近を許してしまい仲間を危険にさらしてしまったことを責任に感じているように、彼女もパーティーリーダーとして仲間にそんな指示を出すことを責任に感じているのかも知れなかった。
レンはゆっくりと屈み込んで、足元にロックブレードを置く。アルマは背負った大盾を近くの木に立てかけ、護身用の片手剣も腰からはずしている。魔法職の二人はそもそも武器を持っていない。
レンたちが全員武装解除してから、急激に彼らは包囲の輪を縮めてくる。木立ちから次々と姿を現すダークエルフたち。数は18人。伏兵なのか、後詰なのか、半数はまだ距離をとったままだと、気配察知の力で知る。
目の前に出てきたダークエルフたちは全て同じ服装をしていた。パリっとした格式のあるデザイン。襟元はゆったりとした通気性のよさそうな服で、動きやすそうだ。機能美と形式美の融合ともいえる、芸術的なセンスだった。軍服なのかもしれないと思ったのは、胸に付いた星の数が階級を表していることに、彼らのやり取りを通して気が付いたからだ。
一際目立つ、多くの星を持つ指揮官らしき者を観察する。すらりとした長身だが、要所要所にはしっかり筋肉が付いていて、いわゆる均整の取れた体をしている。顔立ちも整ったハンサムだったが、その瞳だけは感情が感じられず、ただ冷たい印象しか与えない。
それが軍人特有のものではないのは、他のダークエルフたちを見ればすぐわかる。ダークエルフの特徴として、一様に浅黒い肌に西洋人的な顔立ちの彼らだが、隊長と同じ死んでいる目をしている者は一人もいない。それだけに隊長の目は際立っていた。
武器を捨てたレンたちに近づいたダークエルフ数名が、手足に拘束具を付けていく。拒否すればどうなるかわからないということで、嫌々ながらそれを受け入れる。全員に拘束具が付けられた後、無理やり猿轡を噛まされた。そのせいでアルマや迅雷を相談することも出来なくなった。
男二人は猿轡を付けられ、「次はお前だ」とばかりにナナコに迫るダークエルフ。怯えすぎたナナコは、歯の根が合わずにガチガチと音を出していた。そのままでは自分の舌をかんでしまいそうだったため、逆に猿轡はありがたいかもしれない。
そう思ったのだが、ナナコの精神状態は想像以上に悪かった。ダークエルフの兵士が乱暴にナナコの口に触れたとき、動揺して反射的にその指を噛んでしまったのだ。
「ぐ、ぅぁぁぁあ!!!」
ぼたぼたと親指から血を流しながら、痛みをかみ殺す一人のダークエルフ。
「貴様!!」
その同僚が報復として身動きの取れないナナコを殴りつける。体の軽いナナコはその衝撃で宙に浮かんで勢いのまま地面に倒れこむ。唇から血が流れ出している。
レンと迅雷もそれを見て怒りをあらわにする。両手足は動かず、猿轡をかまされたままだが、緊張した空気が両者の間に流れる。
まだ猿轡を付けられていなかったアルマが抗議の声を上げた。それは論理的なものではなく、感情的な反論であり、この理不尽に抗うには些か以上に力が足りなかった。
ヒュン、と再び空を裂く音が聞こえた。遠巻きに見ていたダークエルフの一人が放った矢がアルマの片腕に突き立つ。両手足の拘束のせいで避ける事もできず、激痛を耐えるアルマ。暴れまわりたいほどだろうに、気力でそれを食いしばっている。もしアルマが暴れれば、そのまま第二射を射つつもりだっただろうダークエルフは静かに弓を構えたままだ。
はあはあ、と荒い息遣いで蹲るアルマを見て地面に顔をつけ倒れたままのナナコの目から涙があふれている。
この状況をなんとか打開せねば、と考えるが怒りに我を失いそうだ。迅雷も同じようで声は出せないが、ダークエルフたちを呪い殺さんばかりの目で睨んでいる。
一触即発の空気を破ったのは、ダークエルフの隊長だった。
「殺せ」
レンたちはもちろんのこと、命令を受けた兵士たちも呆然として理解が追いつかない。面倒くさそうに、レンたちを睥睨した隊長は、少しだけ声を大きくする。
「聞こえなかったのか?さっさと殺れ」
慌てたように、隊長の次に星の数が多い兵士――副官が、具申する。
「ま、待ってくださいヴァイゼン殿!ヒューマンはともかく、エルフの旅人が混じっています。口封じは難しいかと……」
「何を言っている。口封じとはそのような容赦を以って行うものなのか」
唖然とした表情の副官。その顔が徐々に納得の形にゆがんでいくのをレンはただ見ていることしか出来なかった。
「さすがヴァイゼン殿。そこまでお考えでしたか」
「世辞はいい。殺れ」
「はっ!!」
隊長の意を受けた殺意持つ兵たちが殺到する。こちらにあわせるようにその数は四。その右手には刃渡り60センチはあろうかという刃物が握られている。
絶体絶命。それ以外の表現が浮かばない。手足は縛られ、スキルは使えない。頼りになりそうな迅雷の魔法も口がふさがれている為、詠唱に入ることが出来ない。
だから――この状況で動けたのはただ一人、まだ戦いの牙を抜かれていない者だけだった。
「”コルージョンコラプス”ッ!!」
口の自由なナナコが魔法を唱える。殴られた衝撃で口の中を切ったのか、血を吐くようなというのが比喩ではなく、事実血を吐きながら魔法を詠唱したのだ。
腐食の魔法が四人のの手かせ足かせを溶かしていく。硬度が大幅に低下し、粘土細工のようにやわらかくなった枷を破壊することなど、アバターの身体能力を持つ、レンたちプレイヤーには容易いことだった。
自由になった手足。迅雷はすぐさま猿轡をはずして、魔法詠唱を行う。事此処に至っては、もう逃げ出すより手はない。
「”ライトスパーク”!」
閃光弾を模した雷球が弾け、焼き尽くすような光を放った。
幻惑用の補助魔法。ウィザードの特徴である多彩な引き出しには、こんなものまで詰まっていた。
「うわっ!何だこの光はっ!?」
「慌てるな、ただの魔法だ。とにかくやつらを逃がすな!」
「んなこと言っても、何も見えねえぞ!!」
状況を把握しようと、右往左往するダークエルフの兵士たち。同士討ちを恐れて、無闇に動き回ることも出来ない。光が消え去るころに、彼らが見たのは捕らえた四人の冒険者を拘束していたはずの、捻じ曲げられた手かせ足かせと、唾液で汚れた猿轡だけだった。
「も、申し訳ありません!捜索隊を直ぐに組織しますッ!」
思わぬ失態に顔を青くする副官。しかし彼の上官たる冷たい美丈夫は副官の狼狽振りを諌めたばかりか、驚くべき命令を下す。
「要らん。逃げられたのならば、それはそれでよい。本来の任務を忘れたか」
「え、いえ、その、はい。了解しました。元の任務に戻ります!」
彼らの任務は本来別の任務。隠密性を重視される秘密任務だった。だから先ほど冒険者のような些事にかかずらっている暇は、本来ない。副官は逃げられた、ということで反射的にそれを追うことに意識がいったが、任務達成を優先するなら放っておいても構わないのだ。
これだけ見ると、副官の能力が至らないように思えるが、それも無理はない。そもそもヒューマンのように都市国家を束ね巨大な国、社会、それらを支える軍隊を持つ種族は類を見ない。
モンスターまで範囲を広げれば、同様の形態をとる種族も見受けられるだろうが、少なくともダークエルフやエルフに国家という概念はなじみがない。
部族ごとに集落を作って生活する彼らに軍隊など必要ない。事実今ここにいるヴァイゼン配下の部隊の前身も集落を守る自警団だ。せいぜい獣やモンスターから同族を守ってきた経験しかない。
このダークエルフの集団は、彼らの住処である森を食らった闇森の主を殺す為に、臨時に結成された”軍隊もどき”なのだ。ヴァイゼンはその為に外部から招き入れられた軍事顧問とでも言うべき存在だったが、組織的な指揮の出来るダークエルフの若者はおらず、なし崩しに部隊隊長に納まってしまったのだ。
だから副官も、もともとはただの狩人。捕らえた獲物が逃げたら、脊髄反射で追撃を考えたのは無理のないことだった。
本来の任務。闇森の主の討伐に戻るため、忙しく立ち動くダークエルフの若者たち。森の深部へと進む行軍の準備を指示しながら、冒険者を見逃すことを指示した筈のヴァイゼンは彼らの消えていった森の中を、何故か未練がましく見つめていた――
闇森を駆け抜けるレンたち。解除したはずの武装もあのどさくさに紛れて回収済みだ。荷物を置いてある野営地に戻ってから、追手を退けるための迎撃体制を整える。
NPCのダークエルフの軍勢。そんなものの存在ははじめて知ったと、驚いているアルマや迅雷のベータ組。レンの予想ではなんらかのクエストに巻き込まれたのかと考えていただけに、いきなりその意見は否定されたことになる。
「レン君のパッシブスキルをどうやって誤魔化したんか分からん以上、長居は無用やけど……」
アルマの意見も分かるが、既に日は沈み森は闇に包まれている。この暗さでは満足に歩くことさえままならないだろう。”ライト”の魔法を使えば進むことは出来るかもしれないが。暗闇の中での光源は信じられないほど目立つものだ。”ライト”を使うならばダークエルフに発見されることを覚悟せねばならないだろう。
「野営地の安全機能がどこまで働いているか、不明ですが今は信じるしかないでしょう」
夜の森を進むことは諦めるしかない。その上で取れる手段は限られている。結局モンスターの入り込めないとされている野営地で一晩明かすしかないのだ。
既に腕の矢傷を”ヒール”で回復させたアルマや、冷静沈着でこの状況でも方針を定めようと頭を回転させている迅雷と違って、うつむいたまま一言も言葉を発さないのがナナコだ。
アルマはまだ彼女の異変に気づいていないようだ。いくら面倒見が良く可愛がっているといっても、自分自身が圧倒的な暴力に晒された直後なのだから、普段どおりの心遣いを期待するのは少し無理がある。レンはアルマの助けになれば、とナナコの様子を自分で確かめることにした。
「ナナコ。大丈夫か?口数が少ないけど」
「あ……レンさん……。あの、どうして私たちこんなところに居るんでしょうか?」
「……」
厄介事の気配を感じる。アルマの大きな瞳は不安そうに揺れ、冗談を言っているようではなさそうだ。カウンセラーなんてやったことないんだけどな、と見当違いのことを思いつつ、うつむいた顔に目線を合わせる。
「オレのことは分かるんだな?じゃあアルマと迅雷のことも分かるよな」
「え、ええ。大丈夫です」
「なら、ルールの街で出会ったことも覚えているか?」
「はい。あの時はありがとうございました?本当に助かりました?」
ナナコの顔に疑問が浮かぶ。自分で自分の言ったことが理解できていないような表情だ。想像以上にナナコの記憶が錯乱している可能性に身震いしそうになるのをこらえた。
「ああ、どういたしましてだな。それから王都に四人で向かう事になったことは?」
「はい。途中で私が寝込んでしまって……。ご迷惑をおかけしました」
この部分の記憶は正しい。熱を出していた間の記憶はあいまいなようだが、それは今回の以上とは無関係だ。
「それから闇森に入ったことは?」
「あ、そうでした!闇森ですね!ここは!何で忘れてたんでしょうか……?」
素直にびっくりしたという様子のナナコ。レンは意を決して彼女がおかしくなった原因と思われる核心に触れる。
「じゃあその後ダークエルフの集団に襲撃されたことは覚えているか?」
「え?え?ダークエルフ?それは、闇森を支配するという……。あれ?」
目に見えて錯乱の兆候が見られたことから、落ち着かせようと優しく髪をなでる。マーマンの髪はしっとりと潤っていて、触っているだけでも心地よい。女性の髪を許可なく触れるということに、若干の罪悪感を感じていたレンもその気持ちよさに思わずうっとりしてしまうほどだった。撫でられているナナコも初めはびっくりとして体を固くさせていたが、手のひらから害意の無さが伝わりでもしたのか、徐々に緊張を解いていく。
「あのぅ、レンさん。大丈夫です落ち着きました」
レンが心地よさに浸って髪を触り続けていると、赤面したナナコが恥ずかしそうにそう言った。
「あ、悪いな」
名残惜しそうにレンの手はナナコから離れる。「いえ」とナナコが意味の無い呟きを返す。なんとなく気まずい空気が流れる中、口火を切ったのはナナコのほうだった。
「……自分でもなんとなく分かるんです。記憶に靄がかかって思い出せない空白があることは。大きな空白は二箇所あるんですけど、思い出そうとすると、手の隙間からするりと逃げてしまって……。すいません、こんな話訳分からないですよね……」
「いや、大丈夫。続けて」
安心させるように微笑む。話を聞きだすときに大切なのは相手を否定しないこと。それくらいは、あの暴虐だが、人心の掌握に長けた友人との付き合いで学んでいる。
自分の言葉が戯言だと一刀両断されるかもしれない、と恐れていたナナコだが、レンの肯定の言葉を聞いて少しは落ち着いたらしい。先ほどよりも少しだけ順序だてて話す。
「その空白が何か恐ろしいものだという事は何となく分かるんです。だから思い出そうとすると無意識に頭がブロックしてしまっているのかもしれません」
ナナコの自己分析はほぼ当たっているだろう。ナナコが失った記憶は、彼女がアルマを坑道で見捨てた記憶と、それに付随してゴーレムと戦った記憶。更にダークエルフの兵士に囚われ、暴行された記憶。あるいはアルマが射たれて、怪我をした記憶。いずれも彼女にとってつらい記憶だ。
もともとこの世界に閉じ込められ、不安定になっていたナナコは熱を出して寝込んでしまったし、今回の記憶欠損も精神の自衛行動なのだろう。そうレンは結論する。
「なるほど、オレは専門家じゃないから分からないが、思い出せないということは、思い出さないほうがいいと、脳が判断しているということだ。オレやアルマが何があったかを語って聞かせることも出来るだろうが、ナナコが自然に思い出すのを待ったほうがいい」
レンは柄にも無いことを言ったと、少し照れていた。ナナコのことはあまり好いていなかったのだが、ダークエルフの拘束から逃れるきっかけとなったのはナナコの魔法だった。肝心のナナコはそれを覚えてはいないが、褒美というか、感謝の気持ちを込めてナナコを仲間の一員として扱ったのだ。
それはなんだか傲慢な考えに思えたが、レンにはパーティーになんら貢献しない者を仲間と認める考えは無かった。そういう意味では今まで迷惑ばかりかけてきて、戦力としても今ひとつだったナナコは仲間として失格だったとも言える。
強者が一方的に保護する関係など健全な関係ではなく、ただの依存だと考えるレンには、ナナコが助けられ助けあえる仲間として、同列の存在になれたことを祝う気持ちがあった。それが今回の気遣いという名の打算の内訳だ。
「さて、このことを二人も話さなくてはな」
ダークエルフが直ぐに迫ってこないことを認識して、焚き火の使用の有無や夜間警備体制について議論しているアルマと迅雷を見やる。ナナコの変調は頭の痛い問題のひとつだが、きっと彼らは迷惑などとは思わず、慈愛の目を向けるであろうことは想像に難くない。そんなレンから見てお人よしともいえる姿を想像しながら、レンは彼らのもとへ歩を進めた。