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26甘い決着

 徐々に、徐々に二人の拮抗は崩れ始めていた。そもそも地力が違う。今までレンの手足を縛っていた精神の鎖を解き放てば、自ずと勝負の天秤はレンに傾く。それは自明の理だった。

 本気を出したレンの動きはどんどん速く、攻撃はより辛辣になっていく。

 それにヤマメはついて行けない。重量のある大剣を盾代わりにするなどして、耐えるのが精一杯だった。序盤の攻勢は何だったのか、と言わんばかりにヤマメは押され捲くっていた。

 逆袈裟の斬撃を上半身を反らして回避したと思えば、スリングの弾丸が投擲される。どの種類の弾丸か不明なので、回避は危険かもしれない。となれば、出来る行動は自ずと限られてしまう。

 大剣で弾丸を跳ね返す。炸裂弾だったようだ。分厚い鉄塊越しに衝撃と爆音が腕に伝わる。凌いだのはいいが、視界が失われてしまった。飛び退きながら、なんとか立て直しを図ろうとしたヤマメだったが、既に凶刃はどうしようもないところまで迫っていた。


「これで、お終いだ」


 レンの短剣が一閃し、ヤマメの右腕は肩から両断された。積み重なる攻防で、絶対に反応できないところまで追い詰められてからの一撃だった。避けられるはずがない。

 ヤマメは、傷口から滝のように溢れ出る自らの血を目の当たりにした。

 灼けるような激痛。

 けれど、その熱からは心地よささえ感じる。今生きている。生きているからこそ、痛みも感じるし、辛く思う。死んでしまったら、もう何も感じ取れない。痛みさえ消えてしまうのだ。

 痛みは生の証だと思えば、なんてことはない。


「強すぎますよ、レンさん。これでも”トゥッティ”のエースだったのに……」


 昔日所属していた中規模ギルド。病院暮らしで、コミュニケーション能力のない自分を暖かく迎え入れてくれた、ヤマメのふるさと。


 生まれてから病室だけがヤマメの世界の全てだった。


 ――毎週親が持ってきてくれる小説だけが、ヤマメの楽しみだった。

 それは俗にいう教育のためになる、というような、今思えば退屈な話ばかりだったけど、それでもその時は楽しく読んでいた。

 本当の世界を知らなかったから、どれもめでたしめでたしで終わる本の世界に憧れていた。

 本の中なら、鬼を倒せば、龍を倒せば、姫を助ければ、何もかもがうまくいく。病気なんて些細なものだ、と思っていられた。

 一度だけ、外出許可がもらえたことがあった。その日は珍しく体調が良くて、はしゃぎながら街を見て回った。テレビで見た景色をいくつも見ることができて、本当に浮かれていた。それで最後に本屋に寄った。なんでも好きな本を買ってやる、と親に言われて。多分、タイミングが悪かった。

 その時ベストセラーの棚に置かれていた、なんとか賞を受賞した作品が偶々「難病を患った少女の悲劇の物語」だったのは誰が悪いわけでもない。外出許可を出した医者が悪いはず無いし、長年のヤマメの看病で、世間の流行に疎くなっていた親のせいだとは絶対に思わない。そのベストセラー作家だって悪くない。ただめぐり合わせが悪かっただけ、だ。

 その本を読んで、小説には悲しい結末もあることを知った。

 今まで親が持ってきてくれた本は、全て検閲というか、ハッピーエンドで終わる話ばかりが選ばれていた。

 それを恨んではいない。それは親として当たり前の感情だとヤマメは思うし、自分がこんな奇病を患った子供の親でもそうしていたと思う。

 だけど、知ってしまった。海の広さとその濁りを。井戸は狭かったけれど、直接飲めるくらいに綺麗な水しか無かった。

 願わくば、もう少し、井戸の底を泳いでいたかった、とヤマメは思った。


 小説の物語に絶対性を感じられなくなって、あまり好きでなくなっても、ヤマメはやっぱり本を読んでいた。

 病室にはそれしかやることがない。チカチカ光るテレビをじっと見ているのは、ヤマメには耐えられなかったのだ。

 何かしていないと、落ち着かない。

 だから13歳の誕生日はヤマメにとって大きな転機だった。仮想世界へのダイブ機器の使用制限。

 寝たきりでベッドから動けないヤマメにとって、仮想世界は別世界などではなく、たったひとつの現実だった。

 ヤマメがゲームの世界にのめり込んでいくのは、ある意味必然だった。


 銀閃は連続した。

 瞬く間に両椀を切り飛ばされたヤマメに、武器を握ることはもう出来ない。首に突き付けられた、短剣の冷たさを肌で感じることしか出来なかった。


「ヤマメ。お前の人生を踏み越えさせてもらう」


「そうだね、レンならきっとデス・ゲームをクリアできると思うよ。今まで見た中でレンは一番眩しい人だから」


「そう……か」


 血を失いすぎたのだろうか。ヤマメの意識はふっと遠くなった。痛みすら消えて行く。これで死ぬのか。まだ生きていたかったなぁ。せめて、彼の栄光を。世界の終焉を見届けたかった。

 意識は暗い水底(みなそこ)に沈んでいった。







 ヤマメは気を失ったようだ。

 レンは、刃に付いた血糊を振り払う。一人の無力化は成功した。後は元凶だけだ。

 ゾディアックと遊ぶように交戦しているメフィストフェレスを見やる。表情には余裕が浮かんでいるが、戦いは行き先の見えない膠着状態に陥っている。レンが乱入し、二対一になれば、必ず倒せるはずだ。


 本当に彼女は告白した通り、GM(ゲームマスター)なのだろうか。もしそうだったとして、素直に暴露してしまったことが解せない。

 ヴァイゼンは捕縛したアスラトールというGMから情報を吐き出させるために、痛めつけたと言っていた。それがどの程度のものなのかはわからない。戦いの末の当然の負傷の事を表していたのかもしれないし、レンの想像のつかないような恐ろしい拷問にかけていたのかもしれない。全ては想像だが、メフィストフェレスのように、こうもあっさりと情報を漏らしたわけではないだろう。と、するなら彼女の明かした真相は虚偽なのか。

 根拠もなく、レンは彼女の言を信じたいと思っていた。短くない時間を共に過ごした仲間だ。嘘を吐かれたとは思いたくない。今まで彼女は嘘をついていた訳ではない。ただGMである、という情報を明かさなかっただけだ。黙って隠すことと、嘘をつく事。二つの間には天と地ほどの差があるとレンは思う。


 戦闘中に益体もない事を考えすぎた、とレンは自戒する。まだ戦いは終わっていない。ゾディアックの加勢に入らなければ。


「あらぁ、レンクン勝負は終わったのね。でも、ヤマメはまだ生きてる……と」


 仲間の無事を喜ぶでもなく、パーティーメンバーの生存に気づいたメフィストフェレスは残念そうに呟いた。とても仲間に向ける声ではない。

 レンの心に怒りがふつふつと込み上げる。これがGMなのか、一般プレイヤーの生死など、ペットの死よりも些細であるというのか。


「そこで処断しない甘ちゃんってことは、まだ童貞なのぉ~?レンクンは素晴らしい逸材だけど画龍点睛を欠くわねぇ」


 挑発するような口調に呼応して、レンは突進した。ただの感情的な行動ではない。その証に、交戦するゾディアックを自然と庇うような位置取りを行なっている。


「怒りじゃあ、世界は救えないわよ」


 嘲るような声が矢の雨と一緒に降ってくる。

 トラップメイカーのメフィストフェレスのプレイヤースキルは高い。選択するスキルのチョイスも的確で、文句の付け所がない。ただ彼女にとって不幸だったのは、彼女よりも熟達したトラップメイカーが魔王軍に在籍していて、しかもレンはそのトラップメイカーと共闘し、スキルやパターンを熟知していたという事だった。


(このスキルは知っている)


 一撃の被弾もなく、弾幕を抜けたレンは、二の矢を番える暇もないほど至近に接近した。

 光る弓矢を両断し、破壊。

 メフィストフェレスの反撃手段を()ってから、彼女の喉笛に短剣を突きつけた。


「聞きたいことはまだまだ有る。答えてもらおうか」


「さ、さすが兄貴……」


 後方でゾディアックが呟くのが小さく聞こえる。自分の命をネタに脅迫されているメフィストフェレスは、しかし、にやにや顔に笑みを貼りつけたままだった。

 とても命が危機に瀕しているようには見えない。仕掛けがあるのか、とレンは勘ぐった。


「聞きたいことは何かしらね?」


「GMはどうやってこの世界を脱出するつもりなんだ。その手段を使えば、普通のプレイヤーも……」


「言いたいことはわかるけど、そのプランはダメねぇ。そもそも私達GMにログアウトする気なんて皆無だもの。全員科学の発展のための尊い犠牲になることを覚悟している連中よ。他のGMはどうやって折り合いつけてるかは知らないけどね。屑みたいな私の人生だったけれど、人類の未来のために使い潰してくれるなら満足よ。巻き込まれて、無理やり心中させられる人たちは、たまったものじゃ無いと思うから同情はするけれど」


「な……!」


 本当に。

 自殺をしたいなら一人でやってくれればいい。何故自分たちまで巻き込まれなければいけないのか。そう怒鳴りたいのは山々だったが、自制心を総動員して、なんとか猛る心を静める。彼女に当たり散らす意味は無い。責めるべきは、もっと上の人間。それこそ魔王が言っていた。

 ――99人のプレイヤーを鏖殺すること。勝者になること……そしてその先を悉く焼き尽くす事。

 まさにその先、が研究者や運営なのだ。魔王がこのことを知れば、間違いなく彼女は有言実行するに違いない。


 レンは思いつく限りのログアウト方法を並べ立てて、質問した。

 けれどそのどれもが否定される。


「だからね、根本の前提が違うのよ。今あなたの魂と肉体は物理的断絶を受けている。あなたの体とサーバーの間に通信は行われていないの」


「……馬鹿な、それならいったい今考えている主体、オレはなんなんだ」


「それが21g。まあオカルトだと思っていたけど、ある程度実在していたみたい。幽体離脱、なんて現象を知っているかしら。今の私達の状態はあれに酷似しているわねぇ」


 ただのゲーム好きであるレンにとって、高度に発達した脳科学や神秘学は未知の領域であり、詳しい原理は全く理解できない。上の人間に説明を受けただけの、雇われバイトのメフィストフェレスをしてもそこは同じだった。


「ねぇ、レンクン……脱出手段が無い事はこれで理解してもらえたぁ~?最初の条件、つまり魔王(ラスボス)を殺すか、自分以外を殺し尽くすかしないと、元の世界には帰れないのよ」


「……」


「レンクンは最っ高の逸材だと私は思ってるわぁ。えぇ、きっとこの世界を浄化(クリア)するのは貴方しか居ないと思うの。でも、まだ足りない。最後の欠片が足りていない。貴方はまだ未完成よ」


「……別に自分が完成しているなど思ったことはない。毎回未熟を恥じるばかりだ」


「違う違う。そんな抽象的な説教じゃないのよぉ。もっと具体的に、ね。童貞、卒業したほうがいいわよ」


 瞬間、レンの腕が別人のもののように動いた。

 短剣を握る右手は強い力で引っ張られ、何かを刺した。


「は……?」


 喉から空気が抜け、間抜けな声が出る。


「何を……」


 熱い雫が刀身を伝って、手の甲を滑っていく。赤い、赤い、トマトの色。

 レンの腕は二本の細い腕に絡み取られていた。それに引っ張られてしまったのか。

 遅れて思考が到達する。

 レンの短剣はメフィストフェレスの喉に突き刺ささっている。どくどくと鮮血が溢れ出し、手の甲はもう真っ赤に濡れている。


「ふ、ふふ。レンク、ンの……初め、て。貰っ、ちゃったぁ」


 パクパクと彼女の口が開閉する。掠れるような小さいな声が、やけに耳に響く。喉から空気が漏れているのか、ヒューヒューと不気味な音が聞こえている。


「ね、ねぇ……。覚悟、決まったかなぁ」


 今自分は、人を刺しているのか。そしてその人は今にも息絶えようとしている。死んでしまったらどうなるのだろう。ああ、もちろん、自分が殺したことになるのだろう。

 レンは今までプレイヤーを殺したことがなかった。それは偶然と幸運の産物であり、不殺を自らに課していたわけではない。殺すつもりで、真剣勝負に挑んだことは何度もあるし、NPCの魔王軍兵士なら数えきれないほど殺傷している。

 それでも、レンはまだ誰も人間(・・)を殺したことはなかった。殺す覚悟はあった。そうしなければ、生き残れなかったから、度胸を据えた。

 けれど、これは。こんな結末があっていいのか。


「ま、待て。直ぐに回復薬を……」


 アイテムストレージから回復薬を取り出そうと、身動ぎした瞬間、喉に刺さった短剣が動き、圧力が変化でもしたのか血が跳ね飛んだ。

 パシャリと顔に血が降りかかり、レンの動きは止まった。返り血を浴びた経験など、枚挙にいとまがない。なのにどうして、これほど衝撃を受けているのか。レンは自分で自分のことがわからなくなった。


「この世っ、界……レンクンが、終わらせて、ね」


 間に合わなかった。彼女の体は手足の末端から光に変わっていっている。

 死の光。

 この時ほどこの場違いに綺麗な光粒子を憎んだときはなかった。


「ヤマメに、伝えて、おいて……。私の誘ぅ、惑で、光は……見えなかったかもしれないけど、あなたは、あなたの光を見つけなさい、って……」


 メフィストフェレス。光を愛さない者。

 何を思い彼女がこのアバターネームを付けたかは、分からない。けれどこれは皮肉なのか。彼女の最後は光に包まれたものだった。


「ああ、楽しかった」


 光量が頂点に達し、収束。

 そして消える。

 後には何も残らない。完全なる消滅。支えを失った短剣が、力の抜けた右手から滑り落ちた。血塗れの短剣だが、柄の部分だけは綺麗すぎるくらいにいつも通り。握っていた掌もいつも通り。けれど、数センチ視線を動かせば、そこには惨状の後がある。

 その光景を肯定するかのように、


 ――貴方は”一人”のPKを達成しました。”三人”のPKを達成することでセカンドジョブが開放されます。セカンドジョブ解放まで、残り”二人”


 脳内に現れたシステムメッセージ。愉快なポップの字体が踊るように流れていく。

 ただ、虚しかった。


「GMを倒しましたね、兄貴」


 駆け寄ってくるゾディアックの足音。なんでもないはずの、絨毯の上を歩く鈍い振動が、今は酷く忌々しく感じる。


「もう一人の方はどうしましょう?まだ息がありますが」


「……回復薬を使ってやれ。死なすなよ、絶対に生かせろ」


 声は震えていなかった。掠れてすらいなかった。それが自分が変わってしまった証のような気がして、腹ただしい。一人殺した。それをなんでもないように処理する男。

 良い悪いと、一言で結論できる次元ではないのは分かっていた。それでも、積み重ねた来た年月が形成した倫理観が、無意識のうちに自身を糾弾する。自己嫌悪の種火が生まれ、チロチロと火勢を強めていく。


 レンの命令通りに、ゾディアックは血の海に倒れていたヤマメを介抱していた。気絶しただけで、命に別条はない。もちろん、何の処置も行わなければ、出血多量でHPを全損していたであろうことは間違いない。

 腕を再生させるには、やはりヒーラーの助けが必要だ。薬だけでは止血がせいぜいだった。浴びるように飲ませた回復薬のお陰で、ヤマメの意識が戻る。

 ピクピク動いた瞼が、薄っすらと開き、覚醒した。


「い、痛い……。まだ、生きてる?」


「おう、兄貴に感謝しな」


「あ、にき?」


 ゾディアックが指示を貰いたい、という風にこちらを窺った。

 強くなる自己嫌悪の炎を今だけは封じ込める。心を麻痺させる。何も感じなくなればいい。

 二人のもとに歩み寄ったレンは、屈み込み、ゾディアックに抱き起こされているヤマメの耳に口を近づける。噛んで含めるように、意識の朦朧としたヤマメにレンはゆっくりと話しかけた。


「オレはメフィストフェレスを殺した。宣言通り、お前の世界を踏み壊した」


「ぁ……」


「彼女の遺言だ。お前はお前の光を見つけるように、とのことだ」


「ぇぅ……光……?」


 朦朧とした瞳に光が戻る。焦点が結ばれたのか、しっかりとレンの顔を見つめている。


「そうだ、光を厭う自分(メフィストフェレス)のせいで見えなくなっていた、光、だ」


「ひかり……」


「どう解釈するかは、自由だ。確かに伝えたぞ」


 泣き出しそうだった。体の芯が細かく震えている。今はまだ心の奥に押し込めて、封じているから表には出てこない。けれど、限界は近い。

 立ち上がり、ヤマメを見下ろした。レンの動きに追従して、抱いていたヤマメをカーペットの床に横たえたゾディアックも立ち上がった。


「この世界は終わらせる」


 床に寝かせたヤマメに、レンが目を向けることはもうなかった。

 視線を上げれば、映るのは星空を切り取ったような美しい夜景。爆発さえ含んだ激戦の余波で、窓ガラスの多くは破損し、出来た隙間から夜風が流れこんできている。

 広いバルコニーに出る。顔に吹き付ける風。目にゴミが入ったように、じくじくと痛みが走り、思わず涙がこぼれた。


 彼女――メフィストフェレスのもたらした情報の価値は計り知れない。GMというこの世界で最も真実に近い存在。レン一人の胸のうちに収めておいていいレベルの話では無くなってしまった。

 けれど、レンは同時に誰にもこの事を話したくない、という矛盾した思いも抱えていた。

 このゲームが実験だ、と皆が知ったところで、何か効果的な対処ができるわけでもない。知らない方がいい真相だ。

 魔王亜貴を倒せば、世界はクリアされる。こんな事、特に組合のプレイヤーには絶対に話したくない。そもそもが人身御供として、レンの大切な友人である亜貴を魔王と蔑み、敵視している連中である。善悪を問うならば仕掛けたのは魔王が先なのだが、魔王という大層な呼び名を付けて、問題の本質を歪め、人を殺すへの罪悪感を誤魔化すやり方は、欺瞞的であり、卑怯だとレンは思っている。

 ならば、真実を明かせる相手は一人しか居ない。レンの小手先の情報で揺るがない強い芯を持つ人間。加え、レンよりも頭が回り、その場その場で適切な対処をとれる人間。


 今後の展望を描いているうち、いつの間にか涙は止まっていた。拭うのも億劫で、風が吹き散らすに任せた。


「とんだハプニングが有りましたが、そろそろ魔王軍もやり過ごせましたかね?」


 後ろから届いたゾディアックの声が、すぅっと眼前の星空に吸い込まれていった。


「夜間行軍までしているのかどうか……。五分五分というところだろう。やり過ごせたかは分からないが、今は無性に動きたい気分だ」


 心身は連動している。気分が沈んでいるときは、怠く感じるものだし、体を活発に動かせば、浮かない気持ちも晴れていく。

 カーミラ城は全五階層のダンジョンであり、今レンとゾディアックが居るバルコニーは最上階、つまり五階から張り出したものである。地上まで高さは20メートル以上有るだろう。それでも、城の外壁には銃眼や覗き穴が多数設けられていて、取っ掛かりは多すぎるくらいだ。それらをクライミングウォールの要領で足場にしていけば、容易にダンジョンを出ることが出来るだろう。傾斜は30度程度。垂直な壁というわけでもない。


「行くぞ、ゾディアック。目標は変わらん。魔都へ行く」


 強い芯を持つ彼女に会うため、この城から出発する。何の躊躇いもなく、レンはバルコニーから身を投じた。張り出した出窓を蹴り、次の足場へと移動を繰り返す。

 レンは知る由もないが、大渓谷の断崖絶壁を降下する際、魔王の見せた軽業に、レンの移動方法はよく似ていた。


「うぇええ。あ、兄貴、流石に星明かりだけを頼り……ってのは、無茶ですよ」


 慌てるようなゾディアックの声が耳に心地よい。八つ当たりは格好悪い。でも、此れ位ならいいだろう?

 誰に問うたかもわからない心の声は外には漏れず。

 闇夜に蠢く二人の影を飲み込むように、カーズドワールドの夜は更けていった。

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