25種明かし
予想以上に尺を取られてしまい、二部で終わりそうにありません……。
13話と区切りがいいので、三部構成に変更させていただきたいと思います。
見るに耐えない駄文ですが、これからもお付き合いいただけると幸いです。
「はい」
観念したようなヤマメの声。諦観と、少しばかりの開放感の篭った一言だった。
「それよりも先にまず、謝らせてください。レンさん。あの時は申し訳ありませんでした。許してもらえるとは思いませんが、謝ることだけが、僕の精一杯の誠意です。斬られても文句は言えません」
「いい。別にそんな事怒ってないからな。事情があるのは察せられた。今はただ、それが知りたい。それだけがオレの気持ちだ」
「ありがとうございます。……と、言っても話すようなこともそれほどないんですが。
――井戸の蛙に大海を教えた海の魚は、善意で教えてあげたのかもしれません。あるいは、馬鹿にしようと思って教えたのかも……。それはどうでもいいんです。ただ、カエルが外の世界を知ってしまった。その不幸がどうしようもなく苦しくて」
一言一言、血を吐くようにヤマメは言葉をつないでいく。苦悶の表情。ああ、彼こそがカエルだったのだ、とレンは気づいた。
「大魚が、大海を知らない田舎者のだ、と蛙を馬鹿にするのはいい。オレはもっと広い海を知っていると、優越感に浸るのもいい。だけど、せめて。この井戸は狭すぎると言って、カエルの住んでいる世界を壊そうとするのだけはやめてくれ。そう願うのは贅沢なのかな?カエルは淡水でしか生きられない。大海に放り投げられたら、彼は生きていけないんだよ。絶対に住むことのできない世界の素晴らしさ、広さを教えるなんて……残酷に過ぎると思いませんか?」
それはそうだろう。カエルは淡水でしか生きられない。
大海、塩水にそもそも彼の居場所は存在しない。浸透圧で体内の水分を残らず吸いだされ、塩を撒かれたナメクジのように萎びてしまうだろう。
それなのに、大海を知らず?ああ、確かにそれは残酷だ。
そもそも、カエルが大海を知るはずがなかった。そのカエルに大海の広さを教えること。それは、陽の光を忌む吸血鬼に、日の当たる世界の素晴らしさを説くことに等しい。地球上にしか生息圏を持たない人間に、宇宙人が絶対零度の宇宙空間の広漠さを自慢することに等しい。
「ヤマメ。だったら……お前がカエルだったとすれば――」
「だから、レンさんにあそこで魔王を倒してもらったら困るんですよ!!」
レンの言葉を最早聞いていないのか。唾液を吐き飛ばしながら、ヤマメはレンを無視して叫んだ。
「魔王を倒せば、この世界はクリアされる。ねえ、頼むから蛙の世界を壊すのはやめてくれませんか?」
「……魔王はただのプレイヤーだ。斃してもゲームクリアの保証は――」
レンの言葉はまたしても遮られた。今度はヤマメではない。その後ろで舌戦を見物していたメフィストフェレスが言葉の主であった。
「保証なら有るわよ。『今の魔王――亜貴というプレイヤーを殺してしまえば、このゲームは終了する』どう?これで満足かしらぁ?」
事も無げにメフィストフェレスは言い切ってみせた。
なんだ、一体こいつは何を喋っているんだ。クリアの条件など、誰にも分かるはずがない。当然だ。クリアしたプレイヤーが存在しないのだから。例えるなら、死んだ者がいないのに死後の世界を保証する行為である。そんな保証は空約束であり、なんの力も持たない。持たないはずだ。
けれど、何故。
何故、彼女の言葉にはこれほど説得力があるのだ。自信満々で断言できるのだ。
レンと同様の疑問はゾディアックも感じたらしい。今ままでやり取りを静観していた彼が、喧嘩腰で切り込んできた。
「クリアの保証って……。てめえ何様のつもりだよ!」
「あらぁ?見慣れない子ねぇ。レンクンの小姓かしら」
「こ、胡椒?訳の分からん言葉で煙に巻こうったって、そうは問屋が卸さねえぞ」
「アホの子なのね、お猿さん」
「こ、このアマ……」
「漫才は要らん。紹介が遅れたがこいつはゾディアック。まあそちらの認識で誤りはない」
見かねたレンは二人のやり取りに割って入った。話が通じず、冷静さを失っているヤマメよりは、まだこの魔女のような女のほうが与し易いと考えたからだ。
「そうなの。まぁよろしくねぇ~。……で、私が何様か?という話だったわね。まぁ、あなた達よりも多くを知る人間、という答えでいいかしら?」
「抽象に過ぎる」
「そ?あんまり端的な物言いは好みじゃないんだけどなぁ~。レンクンに嫌われるのもヤだし、教えちゃおうかなぁ。私は上の命令でこの世界に送り込まれたGMですっ。なぁ~んちゃってぇ」
「……本気か?」
「と、言ってもGM権限なんて皆無。予め、この実験場に送られる際に、説明を受けているかどうかの違いしか無いんだけどね。レンクンのような一般プレイヤーたちとの違いは」
信じていいのだろうか。メフィストフェレスがGMだと言うのならば、ヤマメもGMなのか。いや、それよりも聞き逃せない言葉があったような……。
レンの思考は千切れそうなほど、彼方此方を飛び回っていた。うまく考えがまとまらない。これでは状態異常の混乱ではないか。
脳内ではふらふらになりながら、レンは言葉を絞り出した。一番大切だと思われることを、最優先で聞かなければならない。
「実験場とはなんだ」
「実験は実験。科学者の実験よぉ。科学の手の及ばない最終最後の領域――21gを解明するための実験装置。それが、この舞台装置、カーズドワールド。なぁんて触れ込みだったわね。確か」
ゾディアックが言っていた。この世界の殺し合いが見世物になっている可能性があると。賭け事の対象にされている可能性さえ有ると。その予想はあながち見当違いではなかったようだ。
――実験?だと。何のために、何の法的根拠で以って、終了条件は?
いつまでも思考は纏まらない。聞きたいことが多すぎて、パンクしそうだ。そのすべてをメフィストフェレスにぶつける時間は無いのだと、何故か本能でレンは感じていた。
「……実験の終わらせ方は?」
「もう言ったじゃないのぉ。最後の一人になるか、魔王を倒すか。システム的にも今の魔王は魔王に相応しいと判断されているわよぉ。魔王を倒せば実験は終了。それに偽りはないわ」
「誰がこんな事を」
「それも言ったわよ。やだぁー。レンクン痴呆?科学者たちよ。大分マッドな連中だけど、その情熱は本物よ。私達GMも絆されちゃったくらいだから。命懸けてるからね、私達も」
「国は?警察は?一体どうしてこんな暴挙が認められたんだ!」
「さあ?」
本当に分からない、とでも言うようにメフィストフェレスは首をすくめた。
「私達みたいなGMバイトには知る由もないわね。私達が知らされたことは少ないわ。この実験の意義と目的。それと終了条件について。仕事の内容は、プレイヤー間の争いが発生しなかった場合に、人為的にその流れを操作すること。日和られたらたまったものじゃないからね」
聞けば聞くほど、新たな疑問がわき出し、聞きたいことも増える。ループしている。なんとか考えを整理する。悠長に彼女が質疑応答に応じているのは、彼女の気まぐれか好意からだ。それを、こちらに与えられた当然の権利だと勘違いしていては、足元を掬われる。質問の優先度を忘れてはならないのだ。
「大事な質問を忘れていた……。この世界で死ねば、現実世界でも……?」
「あ、その説明をしていなかったわねぇ。あのね、実験というくらいだから、これは従来のダイブシステムと根本からして異なるのよ。理論とかは面倒だから省くとして。ここで死んだからといって、現実の肉体が死んでいるのかどうかは不明だわ。だってそれを調べる実験でもあるからね。けれど、ここで死ねば、少なくとも今ここにいるあなたは消滅するわ。それだけは保証する。嫌な保証だとは思うけどね。――この実験は魂の存在を実証するための実験。魂と肉体が不可分な物なのかどうか、それを知るためのもの。ココらへんの話は、ヤマメに話してあげたんだけどね」
そうだヤマメ。メフィストフェレスの暴露に混乱していたレンは、ヤマメの事を思い出し、振り返った。先ほどまで気炎を上げていた彼は、メフィストフェレスの話が始まった途端、借りてきた猫のようにおとなしくなってしまっていた。
「ヤマメの現実世界の肉体は、既に死んでいるわ。病床で、享年13歳。短くて可哀想な人生だと思わない?」
衝撃が走った。混乱に次ぐ混乱で、靄のような薄膜を被せられ、満足に働かなかった思考が、一瞬にしてクリアになる。死んでいるのに、仮想世界にダイブしているという点は不可解だが、少なくとも分かったことがある。
彼に現実世界の居場所は既に存在しない。塩水でカエルは生きられない。淡水のみが、弱い彼を生かしてくれる、命の水なのだ。ならば、このカーズドワールドは彼にとって井戸であり、世界でもある。幾ら海の大魚から見て、窮屈なせせこましい世界に見えたとしても、そもそも彼はここ以外では生きられないのだ。
このゲームがクリアされれば、当然、彼の居場所はどこにもない。海水に溺れ、奇跡で拾った命さえも捨てることになる。だから、彼は魔王に死んでもらっては困るのだ。レンの妨害をした理由が判明する。彼にとって、魔王の死は自らの死へ直結しているのだ。
「ごめんなさい。本当にすいません、レンさん。死にたくなくて、ただ、死にたくないんです……」
「彼に教えてあげたのよ。長生きする方法は、たった一つ。いつまでもこのゲームをクリアさせないように、妨害し続けること。魔王を殺そうとするものを跳ね返し、魔王の虐殺すら阻む。全ての殺人、死の否定。それがあなたの仕事だ、ってね」
メフィストフェレスの口角がつり上がった。浮かんだ笑みは、絶対に結んではいけない契約を囁く悪魔のようだった。
「死を持って死を制す。最初の方は、それで済んでいたのよ。暴走するPKを被害者の出る前に始末する。けれども、魔王が登場してからは、事情が変わってくるのよねぇ」
「……魔王の鏖殺の目的を達成させる訳にはいかない。とは言え、魔王が殺されても、僕は積みだ」
ヤマメの告白をレンは聞いていなかった。思考の行き止まりに、たどり着いてしまっていたからだ。板挟み、二律背反、ジレンマ。言い方は何でもいい。とにかくレンは行き詰まっていた。
もうレンは取りこぼしたくないと誓った。仲間を失わないよう、それだけは守り通したいと願った。けれど、このゲームをクリアすれば、どう足掻いてもヤマメは死ぬ。
故に二者択一。大切な人を守りたければ、この世界で永劫暮らして行かなければならない。この世界を壊してしまえば、現実に放り出された彼は消滅してしまう。
そうすればいい。どうすれば、救いたいもの全てを救う大団円を迎えられるのだ。
レンがジレンマに陥っている間にも、事態は進行する。
「レンさん、僕たちとパーティーを組んでくれた時。本当に嬉しかったです。騙しているようで、後ろめたい気分は常に付き纏いましたが、それでもあの頃が、この世界の生活で一番楽しかった。輝きに満ちていた。それは本心です」
背中の大剣を抜刀するヤマメ。あまりに自然な動作に反応が遅れるが、ゾディアックとメフィストフェレスは既に武器を構えていた。
「死にたくない。それだけのために、僕は障害を排除します。浅ましくて、浅ましくて自己嫌悪半端ないですよ……。しかも、こんな病弱の体にしたのは誰だ、って心の奥底では責任転嫁しているから救えない。でも、生きたいんです。こんな偽りの世界だって構わない。僕にとっては、この世界だけがたった一つの世界ですから」
上段にヤマメは構える。重量で叩き斬る大剣のような武器は、下から斬り上げるより、上から切り落とすほうが、圧倒的に容易である。すなわちこれは、戦闘の構え。ヤマメとレンの決別を示す、彼のメッセージだった。
「分からない。ヤマメを助けながら、ゲームをクリアする方法は、本当に無いのか?」
「ええ。有りません。だって、僕はもう死んでいるんですから。今の僕は亡霊みたいなものです。自覚はこれっぽっちもありませんけどね」
ヤマメは苦笑した。その笑いにレンは、在りし日の日常を見出した。けれど、彼の表情はすぐに引き締まり、
「亡霊だって構わない。僕はただ、生きるため。その為だけに剣を振るいます」
飛びかかってきた。この期に及んで剣を抜かないというのは、彼に対する侮辱にしかならないだろう。一瞬で決断したレンは、抜いた短剣で振り下ろされる超重量に斬りかかった。鍔迫り合いなど狙っていない。そもそも質量が桁外れ、刃渡りは段違いであり、まともに受けきれるとは考えていない。弾いて、力のベクトルを変える。出来る事はそれくらいだった。
「はあぁァァァ!!」
裂帛の気合と共に打ち込まれる大剣。その刀身を横から弾く。刃先を合わせた瞬間、まるでトラックと正面衝突したかのような衝撃が、腕から伝わってくる。それでも無茶を通す。ぐいぐいと押し込んでいくと、徐々に大剣の断絶の方向がズレていく。
ここまでが一瞬の間に起こったことだった。
ゆっくり流れていた時間が、唐突に元の速さに戻る。
爆裂。
音が圧力を持って、爆発し、空気が塊になってぶつかってきた。
――斬撃自体は回避したのに、なんて衝撃だ。
その爆風に無理に逆らわず、後ろに飛ばされる。
「兄貴!!」
爆発に遅れて、ゾディアックの悲鳴が届く。心配するな、と言いたいが、声を出す暇はなかった。
レンを仕留められなかったことにすぐ気づいたヤマメが、追撃のため突進してきたのだ。爆煙から唐突に姿を現した大剣使いは、流水のようになめらかな動作で、逆袈裟に斬り上げてくる。
不味い。躱せない。
後退のため、宙に浮いているレンに回避手段はなかった。けれど多少のダメージ覚悟でなら、捌けないこともない。
炸裂弾を密接状態、零距離で発動させる。
投擲、爆発。
至近距離で閃光を直視した、ヤマメの目が驚愕に見開かれた。
「くゥゥゥ!」
「ぐぅうワァァァ!!」
痛みを覚悟していたレンと、全くの奇襲を浴びたヤマメでは衝撃の度合いが異なる。前者は風に乗って更に後ろに吹き飛ぶだけ、後者は視界を灼かれ、仰け反り、大きな隙が生まれた。
爆風に乗って距離をとった。仕切り直し。とはいえ、ヤマメは近距離で無双を誇る前衛職。レンは機動力で掻き回す中衛職。この仕切り直しはレンに有利に働いたはずだ。
レンたちが戦いの火蓋を切っている間、それぞれの連れ――ゾディアックとメフィストフェレスも無為に時間を使っていたわけでもない。ヤマメとレンのぶつかり合いに介入しようとするゾディアックを牽制するように、メフィストフェレスの光の矢が何本も戦場を飛び交っていた。
「猿回しになったつもりはないのだけれどねぇ」
「やかましい。兄貴を助ける俺のジャマをする奴は潰す!」
ゾディアックは焦っていた。兄貴がタイマンで負けるなどとは万に一つもないと信じている。何しろ、この世界で最強と目されるはんぺんや魔王と対等な力を見せていたのだ。神獣を単独で撃破した奇跡。あの感動は自分の胸の奥底で今も輝き続けている。
自分はちっぽけな小悪党かも知れない。けれど、兄貴は。レンの兄貴はそんな器ではない。この小さな仮想世界では収まり切らない大きな器の持ち主なのだ。相性の悪い前衛相手でも、負けるはずはない。そう信じたかった。
しかし、今は懸念があった。レンと戦っているヤマメとやらは、レンの知り合いらしい。いや、知り合いどころか、パーティーを組んでいたような親密な仲のようだ。
兄貴は仲間を斬ることを躊躇している。今戦っているのだって、正当防衛のようなもので、反射的な行動だろう。しかし、そんな甘い覚悟で命がけの戦いを生き残ることが出来るのか。何か些細な物に足を掬われたりしないだろうか。本来なら、大きすぎる兄貴では見過ごしてしまうような些細な障害を、排除するために自分がいるのだ。
今直ぐにでも兄貴のもとに駆けつけ、援護したい。躓いてしまわないように、万難を排したい。
しかし、その望みは叶わない。
飛来する幾本もの矢。
戦闘に加わろうとするゾディアックを執拗に妨害してくるのは、いやらしい笑みを浮かべるヒューマンの女だった。名はメフィストフェレスと言ったか。平凡な風貌だが、その内心を見通すことは出来ない。まるで悪鬼か怨霊かが、醜悪な外見を隠すために、平凡な顔、という仮面をかぶっているかのような違和感。アバターの外見と内面が一致しないことなど、日常茶飯事だし、現に自分もそうなのだが、彼女はそれを差っ引いても異質に見える。
「うっとしい!!」
彼女は撃ち過ぎた。無数に飛来する矢。サンプルが多ければ多いだけ、分析は正確になっていく。攻撃パターンをある程度把握したと確信したゾディアックは、次の一矢の狙いを予測し、吸血のナイフで攻撃を弾き落とした。
一瞬の隙を突いて、戦うレンとヤマメの様子を窺う。
あの二人の戦いは拮抗していた。地力はレンが上。けれど、精神に重しをかけられているせいで、本来の実力を発揮できないハンデがある。故に全てを考慮すれば、互角。皮膚を浅く切り飛ばし、武器を弾き合う、血で血を洗う激闘が繰り広げられていた。
自分には手出しできそうもない。そう判断した。最早ゾディアックは、レンの戦況を気にしていなかった。自分の仕事は、このメフィストフェレスというトラップメイカーの妨害をすることだろう。フィールドに罠でも仕掛けてあれば、目も当てられない。決定的な場面で、レンの勝負に水をさされないために、今のうちに彼女を排除するか、罠を除去しておく。
決意を胸に、ゾディアックは全職業中最速のアサシンの足で、所狭しとダンスホールを駆けまわった。
戦いに理由を見いだせない。それがレンの武器を振るう腕を鈍らせていた。何のために戦うのか。何を求めて争うのか。
「僕は、僕自身が生きるために、剣を握ります」
開き直ったようなヤマメの大剣は重く、到底受け止めきれるものではなかった。
せいぜいが最初の時のように、弾くのが精一杯。けれども、そうそう同じ手は通用しない。
斬り下ろしに刃を合わせると、触れるか触れないかというところで、大剣が反転し、軌道を大きく変じる。無茶な挙動の攻撃に重さは宿っていなかったが、それでも肉を切り裂くぐらいの威力はあった。
短剣を握る腕を斬られる。舌打ちしたくなるような失態。レンは両利きとして通用するほど、両の手を使う鍛錬をしていたが、右手を怪我したのは大きな痛手だ。
武器を左に持ち替え、飛び退る。
追撃は……無かった。
最初のぶつかりで、騙し討ちをしたのが効いているのだろう。炸裂弾を警戒し、迂闊に攻めこんでこない。レンも爆発の被害を受けているのだが、心理的に相手の行動を制約できたのなら、安い買い物だったと思う。
「オレたちが戦う理由はないはずだ!そうだろ!?ヤマメ!」
レンの心からの呼びかけは、しかし彼の心には届かない。
「このゲームをクリアするというのなら、レンさん!貴方も敵だ!」
罠を警戒して、ヤマメはジリジリと間合いを詰めてくる。レンが炸裂弾を使えば、何時でも後退、回避できる足捌き。
「話しあえば、何かうまい方法が見付かるかもしれない!それすら拒否していては、視界が狭くなるばかりだぞ!」
「そんな甘い話はない!僕はもう死んでいるんです。亡霊なんです。みっともなく生きて……自分のためだけに、仲間をも手に掛けるような、そんな汚い人間なんです」
距離が十分だと判断したのか、大剣が動いた。一瞬にして、視界が鈍色の鉄塊で覆われた。
必死で上半身を反らす。完全な回避は望めない。固いな頭蓋骨にまで切り込んだ刃は、そこを突破できず、骨の表面を滑るように、別方向へ飛んでいった。
偶然ではない。頭蓋骨の表面は曲面を描いていて、それが斬撃の方向を逸らし、致命的な一撃を避けるのは、よくある事だ。
額が割れて、どくどくと血が流れ出す。派手な裂傷だが、死に至る重傷ではない。
返す刃で、レンを両断しようと迫る大剣の刀身を足で踏みつける。どんな速度で迫る斬撃であれ、起こりの瞬間の速度は零であり、運動エネルギーを持たない。ならば、徒手空拳だろうが抑えこむことは容易。中衛職らしい、高い敏捷がその離れ業を可能にした。
相手の武器を封じられるのは、一秒にも満たない短時間。
パンッ!
張り手がヤマメに炸裂した。何が起こったのか、分からないのか、打たれた頬を抑えているヤマメ。
「いい加減目ェ覚ませ。悲劇に酔ってんな」
「酔ってなど……」
「最後通牒だ。これだけ言っても分からないなら、これからは、お前の人生を壊しに行く」
レンは精一杯の眼力を込めて凄んでみせた。ヤマメが正気に返ってくれるとすれば、ここが分水嶺だ。これ以上殺し合いを続ければ、もう彼はこちら側には帰ってこれない。
祈るような気持ちで、レンは睨みつける。目と目が視線を交わす。ヤマメの目が一瞬揺らいだ。
いける。
そう思った時だった。
「ヤマメ、死んだ後には何もないわよ。真っ暗闇の無。感じることも考えることも、ありとあらゆることが許されない」
煽動するようなメフィストフェレスの声が、弱っていたヤマメの心の隙間に滑りこむように流し込まれた。揺れていたヤマメの瞳が、決意を帯びる。それは間違ってもレンにとって都合のいい決断などではないだろう。
彼女は、ゾディアックと対峙していたはずだ。これほど決定的な場面で横槍を入れられると言う事は、圧倒的実力差で、悠々彼をあしらっていたということか。
「メフィ……。レンさん、申し訳ありません。斬らせてもらいます」
武器を踏みつけていたレンの足は、力任せに跳ね除けられる。説得は通じなかった。これまでなのか。
「仕方ない。お前の命ごとこの世界を切り飛ばす。踏み越える。クリアされないゲームに価値など無い」
心中の揺れを見破られないように、虚勢を張る。レンはこの期に及んで、まだヤマメとの和解方法を模索している。けれど、事態はどうしようもないほどに決裂してしまっている。
「分かりました。全力で御相手しますッ!」
「悪魔の囁きに惑わされるなッ!!」
叫びながら、武器を振るう。殺したくない。けれど、ここで逃げることに意味は無い。ゲームをクリアすれば、彼は死ぬ。つまりクリアすることは、彼を殺してしまうことに等しい。そこを見ないふりをして、偽善を貼り付け、先に進むことはプライドが許さない。それではレンの嫌う組合と大差ない。
せめて、悪を為すなら、自覚を持ち、誤魔化すことだけは絶対にやりたくない。
ゲームをクリアするというのならば、ここでヤマメを斬らなくてはならない。それが、せめてもの意地だった。