18襲撃
開催がリーダーによって宣言されたとはいえ、即座に総会が始まるわけではなかった。仕事中の関係者が、続々と個室から出てきて、ドームに集まり始める。その中には、いろはに無理やり連れて行かれたプレシャスの姿もあった。
「あ、レン。こっち来てよー」
レンは隣のヤマメとメフィストフェレスに断りを入れて、手招きする猫耳女の元に走った。
「総会の最初の方は、ただ聞いているだけでいいから。私が名前を呼んだら、証言お願いね」
「そんな適当な段取りで大丈夫なのか」
「まー、なんとかなるっしょー、うん」
緊張感の欠片もないプレシャスに呆れながら、レンは用意された席に腰を下ろした。それほど目立つ席ではないが、理事のプレシャスのすぐ脇の席ということで、議場全体を見渡すことが出来た。円卓は三つの派閥の対立を表すように、大きく三つに席がわかれていた。とすれば、レンはプレシャス率いる穏健派の隠し玉、と見られているのかもしれない。
時たま、見慣れぬ奴だ、という視線が飛んでくるのは気のせいではあるまい。中にはフリーの頃、レンの事をしつこく勧誘していた組合員の顔も散見できた。
総勢20名に迫ろうかというプレイヤーが、各々円卓に腰を下ろした後、再び大柄な代表理事マラークの野太い声が響いた。
「これより第三回”勇者互助組合”総会をはじめる」
「それでは、司会進行は私、いろはが務めさせて頂きます」
ずいと進み出た女性にレンは見覚えがあった。プレシャスを引っ張っていった緑衣の女性である。種族はエルフらしく、尖った耳が自己主張していた。
「第一の議題、神獣保護案、通称ヘル捕獲計画の成果についてですが、プロジェクトリーダーのマサムネさん、報告をお願いします」
「神獣保護案プロジェクトリーダーのマサムネだ」
過激派の集まる一角から、あご骨の尖った細身の男が立ち上がった。生粋のウォリアーのようで、腰に提げた二本の刀剣が、勢い良く動いた衝動で揺れていた。
「端的に結果だけを述べると、計画は失敗した。八人パーティーで神獣ヘルに挑んだが、HPゲージを残り五割まで減らしたところで、攻撃の激化について行けず、止む無く撤退を指示した。成果はゼロだが、犠牲者もゼロ。結果を出せなかったのは申し訳なく思うが、仲間の命を優先するならば、この選択しかなかった。それだけは言って置く」
言うだけ言ったというふうに、マサムネは席に座った。彼が話している間から、円卓はざわついていたが、司会のいろはが話し始めた途端、その私語はピタリと止んだ。
「結果報告終了しました。プロジェクトリーダーのマサムネさんの問責は後日行われるとして、計画の失敗についてですが――」
「ちょっと待てや!マサムネさんに責任なんか有るわけあらへんやろ!」
冷静な司会進行を妨げたのは、過激派の一人だった。立ち上がり、興奮のあまり、口から唾を飛ばしながら喚き散らしている。
「マサムネさんはわいら不甲斐ないわいら後衛組を守るために、苦渋の決断で撤退したんや!それのどこに責任があるっちゅうねん!!責められるとすれば、わいや!マサムネさんは関係あらへん」
「ですから、それらの判断はまた後日行うと……」
「後日!?後日っていつや?わいら雑兵が意見言えるのは、この総会だけとちゃうんかい!密室でお偉方が勝手に決めた処分なんて納得できるか」
「あちゃー、完全血が昇ってますねー」
レンの近くに座っていたプレシャスが、呆れたように呟いた。けれど、過激派の熱のこもった激論は、場の空気を暖めていた。少しづつだが、賛同の声が上がり始める。満足気な表情を見せる過激派だが――
「確かに。総会は誰もが平等に意見を言える場である。だが、他者を煽動する場では断じて無い」
威厳ある大音声が轟く。言うまでもなく、代表理事のマラークの鶴の一声だった。ざわつきかけていた場内は、水を打ったように静まり返った。
「意見を述べる場合は、自分の責任で、自分の力だけで述べよ。それが礼儀だ」
萎縮した過激派は、うなだれるように席に戻った。
「それでは計画の失敗についてですが、現状ヘルの報復のような行動は確認されておりません。マサムネさんの的確な判断で、人的損害もありませんでした。現時点の組合の戦力で太刀打ち出来ないことが分かった以上、神獣保護案は無期限の凍結と致しますが、賛成の方は拍手をお願いします」
万雷の拍手、とは行かないが、少なくない人数がこれに賛同した。直前のマラークの一喝が効いているのは間違いない。
「賛成多数。それでは神獣保護案は凍結とさせて頂きます。続いて、組合情報統括部のプレシャス理事からの報告です」
振り返ったプレシャスが、レンにウィンクして合図した。頷きを返すと、微笑んだプレシャスは前を向き、立ち上がった。
「情報統括部のプレシャスです。今回、組合の外部の協力者から、無視できない重大な情報がもたらされたため、その是非について話し合いたいと考え、今回の席を設けさせていただきました」
「外部の協力者だと」「組合に入っていないプレイヤーが未だ居たのか」
聴衆がざわつく。意に介した風もなく、プレシャスはレンの名前を呼んだ。
こんな注目にさらされるとは、レンも想像しておらず、固まりそうになったが、意を決して立ち上がった。
「どの組織にも所属していないフリープレイヤーのレンだ。プレイヤー全体で共有し、対処すべきだと考える重要な情報を公開するため、ここに呼ばれている」
乾いた喉を潤す飲み物は用意されていなかった。仕方なく、つばを飲み込み、気を紛らわせる。
「このゲームに参加しているプレイヤー、その中に運営側の人間が紛れ込んでいる可能性がある」
爆弾が落ちた。シンと静まり返る会場。先ほどのマラークの一喝によるものとは違い、時が止まったような静寂だった。
「既に一名のGMは脱落している。彼から聞き出した所によると、彼以外にも何人か、このゲームの行く末を見守るための運営側の人員が、ゲームに参加しているらしい。既に彼らは脱落しているかもしれないが、注意しておくに越したことはないと思う。彼らへの対策は十分話し合われるべきだし、考えられるべきだと思う」
爆弾ははじけた。騒然となる場内。この混沌の責任を負えというのか。恨みがましくプレシャスを見ると、舌を出して笑っていた。脱力しそうになったレンだが、次々に質問が飛んでくる。
「何故そんなことを知っているんだ!見慣れないやつだがお前がGMじゃないのか!?」
「言っただろう。GMが一人脱落したと。彼からの伝聞だ」
「この中に裏切り者が居るというのか」「適当なこと言うな。これは我らを分断させようとする詭計だ!」
有象無象が騒ぎ、議論する中で、レンは二人の人間の動向に意識を集中させていた。組合のリーダーであるマラークは瞑目し、何か考えにふけっている。もう一人、過激派筆頭のはんぺんは、といえばマサムネの後ろのほうで何者かと会話していた。柔和な表情には笑いが浮かんでいるようにも見えた。
「そもそも貴様は何者なのだ!外部の協力者など聞いたことがないぞ」
過激派の一人が激昂してレンを指さした。レンは言い返そうとしたが、彼の怒気を納めてくれたのは、意外な人物だった。
「いや、僕達の知り合いですよ。王都が陥落するまでは、パーティーを組んでいたのですが、あの騒ぎで生き別れてしまった連れです」
突き出された指を優しく掴みとり、豊満な胸に抱き寄せたのはメフィストフェレス。そして、レンの身の証を立ててくれたのは、過激派の中に混ざっていたヤマメだった。自分の仲間からの情報に、冷静さを取り戻す過激派の面々。トドメには、彼らの頭目であるはんぺんがその情報を肯定したことから、騒ぎは一気に沈静化した。
「その男の言っていることは真実だ。GMは確かにこのカーズドワールドに存在する。そして我々一般プレイヤーを嘲笑っているのだ」
レンは助け舟を出してくれた人間を観察した。ヤマメとメフィはいい。仲間だったのだから、援助してくれるのは不思議なことではない。問題は、やつだ。はんぺん。過激派の筆頭である組合の個人最強戦力。彼が何故、レンの話を肯定する必要があるのか。過激派の面々に語り聞かせるはんぺんは、なぜだかその話の内容を確信しているような口ぶりだった。
何か確証でもあるのか。自慢ではないが、自分の話に信用できるような証拠が殆ど無かったのは、レンも自覚していた。それなのにどうして。膨れ上がる疑念を抑えていると、今度は過激派の感情的反撥ではなく、穏健派の冷静な質問が飛んできた。
「それでは、その亡くなったGMとやらは誰なのですか?」
「闇森のコントロールをしていたアスラトールってアークロードだ」
「GM特権のような、何か特別な能力を持っているのでしょうか」
「分からない……が、その可能性は低いと思う」
「何のためにGMがこのデスゲームに参加しているのかは、分かりますか?」
「それは……」
レンが言葉に詰まった時、思いもよらない人がその質問に答えていた。
「GMの目的は、プレイヤー同士を争わせる事ではないか?普通、一般人を集めて、さあ殺し合いを始めろ、と言ってもその通りになるとは思えない。GMとはそこに紛れ込んで、感情の方向をコントロールする役目を、運営に与えられているのではないか」
過激派筆頭はんぺん。痩せ型ではあるが、背中に背負う大盾は重厚そうで、相応の筋力は持っているのだと推測できる。理知的そうな外見で、丸メガネの向こうの青い瞳を見ていると吸い込まれそうになる。
はんぺんは突然穏健派とレンの会話に割り込み、朗々たる声を響かせて、聴衆を魅了していた。
「で、あるのならばプレイヤー同士の争いを最も助長している存在とは何だ。そう、あの鏖殺を目標に掲げる魔王こそがGMに他ならない!」
「そ、そうか」「なるほど、そう言われてみれば」「あのデタラメな戦闘力は、GMのチートかよ!」
バラバラだった議論、意見が一つに統一されていく。レンが驚いている間に、その場の雰囲気は、魔王憎し、に固まっていた。プレシャスもこの流れに驚き、悔しそうな顔をしていた。言ってみれば、過激派の意見に組合が染まりかけていることになる。
「待て……魔王はGMじゃない!」
既に主導権はレンの手から奪われてしまった。最も効果的なタイミングで介入したはんぺんは、最小限の労力で、自らの意を通すことに成功していた。マラークやプレシャスの周りの一部は、この雰囲気にも呑まれずに、冷静さを保っているように見えるが、大勢は決していた。
誰もレンの話に耳を傾けるものはいなかった。理事たちも総会の総意に逆らうほど強権を保持しているわけではない。
「はんぺん……。あんたとは分かり合えてると思ったのに……」
プレシャスが唇を噛み締める。もはや全ては手遅れだった。
場の熱狂が最高潮に達しようとした時、突如事態は急転直下する。
「て、敵襲です!!!」
地上に立っていた見張りが、転げ落ちるような勢いで、地下に駆け下りてくる。同時に、大地を揺るがすような重々しい振動が響き、ドームには絹を裂くような悲鳴が響く。
「静まれ!歩哨、報告は正確に端的に」
「は、はい。数百の魔王軍と、数十の魔獣が大挙して、ここに押し寄せています。地上の防衛隊が交戦していますが、一分も持たないかと」
「どうして魔王軍がここを……!」「何故このアジトの場所がバレたんだ!!」
群衆が慌てふためく中、堂々としたマラークの声が騒動を落ち着かせるように、すべてを包み込む。
「戦闘部隊!出るぞ。半数はプレシャスが率いる非戦闘部隊の護衛に回れ。残りは俺に付いて来い。いくぞ、はんぺん、副官は任せるぞ」
「了解しました、マラーク」
「「「了解」」」
慌てるばかりだった組合員は、マラークの号令に従って、組織的に動き始めた。今までの右往左往が嘘のように統率された動きをしている。
「非戦闘員!集まって!」
プレシャスは声の限りに叫んでいる。その集団を囲むようにマサムネたちの戦闘部隊が護衛についていた。
束の間そちらに行くべきか迷ったが、このまま組合を見捨てるのも義理に欠ける気がした。レンは、迎撃部隊に参加しようと、戦闘員が集まっている一角に足を向けた。
けれど、そこに到着することは出来なかった。
杞憂。
轟音が天井から降ってきた。
地下と地上を隔てる膨大な量の土砂が破壊され、津波のように地下に押し寄せてきた。それはもはや、天が降ってきたというに等しい。昔、天が降ることを恐れた民の危惧は今現実に変わった。
圧倒的な質量に、多くのプレイヤーが飲み込まれていく。その光景はヨルムンガンドに殺されたアルマを彷彿とさせるものだった。
赫、とレンの視界が赤くなった。
体の自由が効かなくなる。
レンの足は、その押し寄せる土石流に向かって突っ込んでいった。
「”ウォール”ッ!」
天井が打ち抜かれたのは、ドーム北側部分。その周囲に居た少数のプレイヤーは逃げる暇もなく、土砂に埋まってしまったが、それ以外のプレイヤーは即死を免れている。生き残りの中にいる魔法職が次々に防壁を張り巡らし、被害の拡大を食い止める。その隙に、他のプレイヤーは逃げられるだけ、距離を稼いでいく。
レンはそれをよそにして、土砂の流れに逆らうように、土石の奔流に飛び込んでいた。
一瞬で揉みくちゃにされ、身体の殆どを破壊される。例えるなら、高速道路で車窓から生身で飛び降りるような蛮業だった。それでも、このアバターの肉体は生きている。簡単には死なない。
偶然目に入った土砂に巻き込まれていた男の腕を引っ張り上げる。彼も生きている。思い切り後方に向かって、その救い上げた男を放り投げた。ここまでやったのだ、このあと生き残るかどうかは自己責任だ。
土砂が顔に巻き付く。もはや視界はゼロ。何も見えない。ものすごい勢いで瓦礫や砂が、全身を打ち据える。耐えられないほどの急流に身を晒し、進む。
レンの気配察知にはまだ反応が残っている。逃げ遅れた反応がまだ三つ。これを全て救えるとは思わないが、全て取りこぼすつもりもない。
泳ぐように、土石を掻き分ける。死なない。まだ、死ねない。
居た。天地がひっくり返ったように、土砂から一本の細い足が突き出していた。木の棒のように頼りないそれを掴み、股関節を破壊する勢いで、引きぬく。脱臼するような、嫌な感覚が腕に伝わったが、そのまま引っ張った。多少乱暴に扱っても、回復魔法さえ間に合えば、後遺症も残らないはずだ。
一番危険なのは、土砂に埋まったまま救助できなくなり、窒息してしまうことだった。
残された人を目指し、泳ぎ、泳ぎ。体力は早くも限界に達しようとしていた。更には呼吸が出来ずに、肺が悲鳴を上げている。それでも、レンは死力を振り絞った。もう、死なせるものか。
次の生命反応に肉薄した、と思った時、レンの腹部に巨岩が衝突した。
意識が遠のく。
耐えろ。
しかし無情にもレンのアバターの肉体は限界を訴えており、それはまったくの事実だった。
レンは意識を失った。
レンが失神していたのは、意外に短い時間だった。体の半分近くが土砂に埋まっていた。土砂の流れはもう止まっている。レンは疲れた体に鞭打ち、地上部に突き出した腕の力で全身を土の中から引きぬいた。
「いったい何が」
土砂の流れこんだ地上と地下をぶち抜いた大穴からは、モンスターが何体も落ちてきていた。組合の生き残りが、それと交戦している。モンスターの数は八。カエルとクマの合いの子のような不気味な巨獣、ギガントアンフィビアンだ。怪力を用いた力任せの攻撃と、毒攻撃を併せ持つ厄介な強敵だ。タイプは前衛型。中衛のレンの苦手な部類だった。
あちこちで戦闘の音が聞こえる。金属と金属が打ち合わされる高音。
周囲の様子を、気配察知を併用して確認する。ドーム北部には大量の反応がある。見たところそこまでの数は見えないことから、この反応は地上部のものだと推測できる。更にこれだけの数である。組合員ではなく、これは攻め込んできた勢力――魔王軍のものだろう。ドームの出口では少数ながら、集団と集団の戦闘が行われている様子だった。そしてドーム内部のあちこちで散発的な戦闘が行われている。
立ち上がる。HPゲージは幸いまだ無くなっていなかった。ストレージから回復薬を取り出し、コンディションを回復する。
自分があの土砂の中から助け出した人は、まだ生きているだろうか。
首を振って無駄な思考を追い払い、目の前の脅威に目を向ける。さしあたっては、ギガントアンフィビアン。都合八体のモンスターに向かって、レンは開戦の号砲を上げた。
爆発。爆発。
ギガントアンフィビアン相手に立ち回っていた三人パーティーは、思わぬ助けに安堵の表情を浮かべる。
レンがスリングで投擲した炸裂弾は、確実にモンスターたちの意識を引くことに成功していた。
駆け込んで、一気呵成に攻め立てようとしたレンは、駆け出そうとしたその足が地面に吸い込まれるのを感じた。この大地は先程の土砂が積もった即席の足場であり、まだ固まりきっていない、柔らかい足場だった。当然、高レベルプレイヤーのレンの強烈な踏み込みに耐えられるはずがない。踏み出した右足はズッポリと地面に埋まってしまっていた。
「くそっ」
悪態をついても仕方ない。ギガントアンフィビアンをそれを好機と見たのか、レンの元に三体が走ってくる。彼らは四足で体重を分散させ、足が沈み込んでしまうのを最小限に抑えている。
レンは冷静にそれを観察していた。今レンは動けない。走ってきた一体が、宙に飛び上がりレンに向かって、その鋭い毒爪を切り下ろした。
「こっちは動けないというのに、ご苦労なことだ。そちらから距離を詰めてくれるとは」
爪の一撃を難なく見切ったレンは、カウンター気味に突き出した短剣で相手の顔面を切り裂いていた。切り味は鋭い。これはアルケミストのプレシャスに特注で作ってもらった新しい武器である。この程度の雑魚モンスターならば、相手にもならない。
次々と飛びかかるギガントアンフィビアンをあっけなく一撃で処理していくレンに恐れをなしたのか、じりじりと後ずさりをはじめる残りのカエルグマたち。そんな明らかな隙を見逃すほど、組合の戦闘部隊は甘いものではない。三人パーティーのことがすっかり頭から抜け落ちていたギガントアンフィビアンたちは、背後から三人に強襲され、重傷を負う。情ない悲鳴を上げた彼らは、撤退を始めた。
「助かりました!助力感謝します」
三人組の代表格が、レンに向かって声を張り上げた。レンは片手でそれに応じた後、次なる戦場へと移動を始めていた。
ドーム内に入り込んだモンスターは追い払った。しかし、地上部に居座る軍勢は未だ手付かずである。斥候の報告を信じるなら、数百の敵が上に残っていることになる。確かに気配察知の光点数はそれぐらいありそうに見える。その軍勢を追い散らすために、レンは地上と地下を繋ぐドームの出口へと移動した。
そこではマラーク率いる少数部隊が、敵の侵入を食い止めていた。
地上部から次々と魔王軍のNPC兵士が突撃してくる。それを切り払い、魔法で屠り。
時に切り込み、押し込み、その隙に防衛線を構築し、引きこもる。相手が攻めるのに倦んできた頃に反転攻勢し、更に押しこむ。
圧倒的多数を相手にして、マラークたちは健闘していた。
「お前たち、一歩も引くな!我らの後ろには仲間たちが残っている。全員の避難が完了するまで持ちこたえるぞ!」
「応!」
気勢を上げる戦闘部隊。士気も高く、犠牲者も出ていない。この戦線に援軍は必要無さそうだ。レンが引き返そうとした時、非常口から抜け出す一団の中に見知った顔を見つけた。プレシャスだ。彼女の率いる非戦闘部隊は非常口から移動を始めていたが、それを護衛している戦闘部隊はかなり数が少なくなっていた。丁度いい、とレンはその集団を守ろうと後に続いた。
地上には血の花が咲いていた。数百の軍勢というのは、レンも見たことがないほどの人数だった。その人数相手に、数人の組合員が大立ち回りを演じていた。その中でも特に目立っているのが、はんぺんだった。群がる兵士を寄せ付けない圧倒的な剣技だった。いや、盾技とでも言うべきか。盾の尖った部分を振り回し、まるで普通の剣のように敵を切り倒し、吹き飛ばしている。彼の行くところには、斬られる兵士の断末魔と、血風。そして死を意味する光の粒子が舞っていた。
はんぺんら数名の決死隊が敵の目を引き付けている間に、非戦闘部隊は戦場の離脱を図る。けれど、その目論見は魔王軍を率いる将に看破されていた。
「船に住み着いた鼠は、船が沈む直前にそれを察知して、大挙して逃げ出すそうですよ。まあだから何だという話ですが。鼠さん方」
魔王に従う四人のプレイヤーの一人。紅一点。トラップメイカーバルサ。
両側にドラム缶のような巨大な矢筒を従えた女傑が、雲霞のように群れる軍勢から姿を見せた。その面貌は確かに美人といって差し支えないが、整いすぎた顔立ちは、冷酷な印象を与えてくる。ピョコンと突き出した猫耳は、その印象にそぐわないはずだが、何故かぴったり似合っているような気がしてくる。その上空には何匹もの飛行型モンスターが旋回していた。
彼女自身はあまり表舞台には立っていなかったが、アイバルクの戦いで出現したヨルムンガンドは、彼女がテイミングしたと考えられている。ある意味組合で、魔王に次ぐ知名度を誇っているとも言える。そのずば抜けた美貌も、評判に一役買っているのは、間違いない。
彼女が両手で構えたボウガンの矢先は、戦場から離れようとするプレシャスたちを向いていた。
「害獣駆除です。恨まないでください」
発射される無数の矢。連射機能でも備えられているのか、一瞬の内、飛来した矢の数は十本を越えていた。
「ぐぉぉぉ!」
非戦闘員の壁になるために飛び出た戦闘部隊の前衛ナイトが、その雨のような攻撃を受けめる。けれど、数が数である。鎧の隙間、関節、顔面、防具で覆われていないあらゆる部分に突き立った矢が、彼に大ダメージを与えていた。
「援護する!」
飛び出した双剣使いは、ナイトの男を囮に、一気にバルサとの距離を詰めていた。
「喰らえ!」
双剣がバルサを捉えたか、と思った時には間に入ったモンスターが、バルサへの攻撃を身を挺して、庇っていた。
そして生まれた致命的な隙。至近で固まった双剣の男に向かって、バルサは銃口を突きつけた。
「前衛とタイマンでも一番分のある戦いができる中衛職はなんだか知っていますか?罠を張り、モンスターを壁として運用できる罠師ですよ」
双剣使いの顔面に無数の矢が突き立った。ショッキングな光景に、非戦闘員からは大きな悲鳴が上がった。追い打ちのように、バルサは掌底を腹部に叩きこむ。絶命した双剣使いは、光の粒子に変わり、姿を薄れさせていく。
「一人も逃がしませんよ」
無表情に言い放ったバルサは、完全にこの場の空気を支配していた。
「なかなかの演技だな。バルサ」
誰もが黙りこくった中で、レンの明るい声はよく通った。
「レンさん。立ちふさがるというのなら、容赦しませんが」
すぐさまレンのことに気づいたのか、バルサがこちらに目を向けてきた。目線と一緒にボウガンの矢先もこちらを向いているのが、少し怖い。
「いくらなんでも、あんた一人でまともにこの人数と戦えば、負けるんじゃないか?それでも、機先を制し、こちらの思考を、どうやって逃げ切るか、という方向に操り制御することで、一方的な虐殺が可能になる、そんなところか」
無表情のバルサの顔が歪んだ。レンの言葉に勇気づけられるように、プレシャスたちは戦意を取り戻した。
「レンー!助けてくれてありがとー!私たちは自分の面倒は自分で見るから!レンは好きにしてくれていいよー」
プレシャスの声が届くか届かないか、という瞬間にレンは彼女に作って貰った短剣を握りしめ、バルサに向かって突撃していた。迎撃に飛んでくる矢の雨は激しい。けれど、あの土砂の奔流に比べればどうということもなかった。捻り、捻り、全身の可動部を躍動させて、その雨を掻い潜る。何本か肌を掠め、鮮血が滲んだが、もとから満身創痍のレンには関係のない事だった。
短剣を一閃させ、ボウガンの射出口を切り落とす。バルサは後ずさりながら、予備の弓で連射するが、ボウガンの連射よりも、早く撃てるはずがない。易易回避し、そのまま押していく。
接近戦になると、バルサは徒手空拳で向かってくる。意外に速い。
拳が迫り、肩を打たれる。痛みを堪え、反対の腕を振りぬく。躱された。けれどそれは避けられることを前提としたフェイント。バルサが回避した先には、レンの膝が待っていた。迎撃。顎をしたたかに打ち据えられたバルサは、うめき声を上げながら、派手に吹き飛んだ。
追いかけ、短剣を突きつける。
「退け。ここは手打ちだ」
この戦場では、指揮官であるバルサを圧倒した組合側だが、戦線は広がってしまっている。大別して三箇所。ここ以外では、はんぺん他数名が多数相手に奮戦している地上部と、地上と地下の結節点で魔王軍の侵入を食い止めているマラークの戦地がある。それ以外にも地下に侵入してしまったモンスターと残された組合員との戦いなどを数えていればキリがない。レンは総大将を討ち取ることで、それらの全ての戦闘を収めようと考えたのだが、
「レンさん、甘すぎますよ。それでは意味がありません。あなたが今出来る事は、ここで私の首を落として少しでも我々の戦力を削ることだったのに……」
「なにを――」
風を感じた。次の瞬間、横っ面を張り飛ばされたような衝撃で、レンの体は枯れ木のように吹き飛んでいた。痛みは遅れてやってくる。顔が燃えているのではないか、と錯覚しそうな痛みにふらつきながら立ち上がる。
「魔王……」
プレシャスは絶句している。さっきまでレンが脅迫していたバルサは、現れた主の前に跪いている。黒鎧、龍翼、両手にはめられた小手は刺々しい装飾が付いている。アレで殴られたのだと、レンは戦慄を覚えた。
「撃滅しなさい」
レンの方には目もくれずに、魔王が命じる。遅れて響く鬨の声。最初に総会を襲撃したバルサの率いる軍勢はただの先駆けだったのだ。本隊は別にあった。
動員された膨大な戦力が大地を揺るがし、迫ってくる。その存在にマラークやはんぺんも気づいたららしく、戦線を縮小し、撤退を始めていた。緊張と恐怖に耐えられなくなったのか、恐慌にかられて奇声を上げて走りだしたプレシャス麾下の一人の前に、魔王が立ち塞がった。
無言で首を刎ねる。あまりにも無造作で自然な動作だった。武器さえ使っていない。ただの手刀の一撃で、プレイヤーを一人絶命させ、光転させていた。
乱戦だった。魔王の絶対的な戦闘力に、組合員は逃げ惑うばかりだった。マラークとはんぺん、プレシャスなど理事とその麾下はなんとか集団の規律を保ちながら後退していたが、包囲が厚すぎて突破に苦労していた。
その激戦のさなか、レンは戦っていた。先の一撃でHPは限界まで減らされていたが、まだ戦うことは出来た。魔王に我武者羅に向かっていったところを、バルサが迎え撃ってくる。
「亜貴様には指一本触れさせません」
バルサの目には静かに炎が燃えている気がした。
レンはただ、本能で動き、武器を振るった。躱して、躱して、斬って、切って。バルサの弓矢は当たらない。こちらの投擲も当たらない。だったら、直接攻撃しか無いだろう。肉弾戦で、激しく両者はぶつかる。
生死すら超越したような、レンの暴走ぶりは、直接向かい合っているバルサを尻込みさせるほどの鬼気迫ったものだった。レンの優勢で戦闘は推移する。それでも、時間は魔王軍の味方だった。時間を掛ければ掛ける程に、増援が到着し包囲の輪は縮まっていく。やがて、魔王軍兵士も戦闘に参加して、このタイマンが終わってしまうだろうことは目に見えていた。
そのことを生存本能で悟ったレンは、やむなく退却を選んだ。土産とばかりに、バルサの胸部の布を短剣で切り裂き、そのまま蹴り飛ばす。バルサが素早く跳ね起きた時には、戦場にレンの姿はなかった。
バルサをやり過ごしたレンは、兵士の包囲網を切り裂きながら、退却していた。NPCの兵士たちは数こそ多いが、戦闘力はそれほどない。投擲を牽制に使って、誘導し潜り込めるルートを人為的に作り出し、そこに白兵戦を仕掛ける。とっさの思いつきは、案外うまくいき、徐々にではあるが、レンは包囲網を脱しつつあった。
周囲を見渡しても組合員の姿は皆無。目に映るのは、全て敵だった。切りかかってくる兵士をいなし、肩からぶつかり、仰け反らせる。そのままその兵士を盾代わりに、敵陣を突き抜ける。流石にそのまま進み続けることは出来ないが、距離を稼ぐことは出来た。包囲を抜けるもの時間の問題だ。
荒い息を吐きながら、レンは進み続けた。実際は退却なのだが、何も知らない第三者がこの光景を見れば、そうは見えないだろう。
ふと気づくと、周囲の兵が疎らになっていた。斬り過ぎたのか、殺しすぎたのか。気配察知の俯瞰で調べてみると、自分が包囲の輪の外側に立っていることが分かった。レンの周囲にわずかに残る兵士たちは、怯えた目を向けるだけで、切りかかってこようとしない。レンを遠巻きにして、様子をうかがうばかりだった。
構えた自分の両腕は、返り血で真っ赤に染まっている。着ている服や装備など、元からそうであったかのように、一寸の余地なく全体が赤黒い色に変わってしまっていた。
一歩踏み出す。それだけで、気圧されたように、取り巻く魔王軍兵士が後退る。短剣をピクリと動かしただけで、抑え切れない悲鳴が飛び交う。
レンがこのまま一気に戦線を離脱しようと、考えていた時、突然海が割れたように人垣が別れ隔てられた。その開いた空間を我が物顔でのし歩き、モーゼのように現れたのは、魔王軍総帥――魔王だった。
「レン……」
「あ、ああ。亜貴か」
カラカラに乾いた喉からは、張り付いたような奇妙な音しか出ない。どうやったら、こんな音が出せるのか、自分でもわからないような声だった。
「敵対、という事になったのね。組合に入ったのかしら?」
「いいや、違う。今回は偶々居合わせただけだ。敵対の方は、その通りかもしれないが」
「すべてを殺す覚悟は出来たの?」
「いや、まだだ」
「優柔不断?」
「かもな」
弾けたような笑い声が、場違いに響く。亜貴の笑い声は、この仮想世界に、現実世界が移植されたのかと錯覚せんばかりに、懐かしさを感じるものだった。
「私は殺せるの?」
「……」
「お互い立場は大きく変わってしまったけれど……あの時の言葉は変わらないわよ。レン、私の計画に協力するの?」
「そういえば、その返事が未だだったな。いい加減に期限が切れたと思っていたが、まだ待っていてくれたのか」
「……」
「断る。オレには全てのプレイヤーを殺すなんて大それた真似できやしないよ。小市民だからな。せめて少しでも、死人は少なくしたい。ワガママかもしれないが、オレの前でもう誰も死んでほしくない。これが偽らざる本心だ」
「そう、それならそれでいいわ」
「亜貴……」
茫洋と突っ立っていた亜貴の気配が急速に濃厚になり、圧力さえ感じられるようになる。
「かかってきなさい。私の計画を放っておいてもいいの?」
レンはその質問に鉛玉で答えた。発射された炸裂弾。咄嗟に両腕で魔王は顔をかばったが、そのお陰で死角ができる。レンはその隙に距離を詰める。地を這うように疾走し、少しでも発見を困難にする。懐まで潜り込んだ。意外にも、魔王からの反撃はなく、レンは握りしめた短剣を振りかぶった。その瞬間だった。
視界の端で、銀閃が煌めいた。
飛来した一本の刀がレンの首を横から貫いた。
のみならず、飛んできた勢いのまま、レンの体は持ち上げられ、吹き飛ばされ、樹の幹に磔にされていた。
声が出ない。喉は完全に潰され、HPゲージは瀕死の状態。衝撃で体を動かすことも出来なかった。蝶の標本のように、木に縫い付けられたレン。
そしてその下手人が姿を現した。
「レンさん、ごめんなさい……」
魔王軍兵士たちの間から、姿を現したのはあまりにも意外な人物だった。
何故、何故お前が。
短くない間、レンと苦難を共にしてきたはずのヤマメが暗く沈んだ表情で、呟いた。
「本当に、ごめんなさい」