15神獣
三匹のハンギングスネークが一斉に飛びかかってくる。しかもその低い体勢を生かしての、防ぎにくい足元への攻撃だ。後ろに飛び退けば、容易く回避可能だが、そうすると後方で睨みを効かせるアーマースケルトンの魔法攻撃が炸裂するだろう。
レンは前に出た。噛み付こうとしている蛇の顎に自分から、片腕を突っ込んだ。ロックブレードが喉奥に、深々と突き刺さった。ハンギングスネークの絶叫をBGMに、コマのように素早く体を旋回させながら、続けざまにスリングから炸裂弾を発射する。レンの果敢な突撃によって、モンスターの群れの懐に入る形になっているため、四方向全てが敵である。爆発に次ぐ、爆発。次々と紅蓮の花が周囲に咲き誇る。それを視界に映しながら、レンは跳躍した。
爆風に背中を後押しされながら、レンはふわりと飛んだ。そして着地。ズブズブ沈み込むような不安定な足場から、比較的しっかりした足場への移動に成功する。
囲みを易易と打ち破ったレンに驚愕しているのか、モンスターの群れの反応は緩慢だった。二、三の目端の利くリビングデッドが疾風のごとく走るレンを捕捉したが、その時には、既に駆け出していたレンとの距離は、容易に埋められないほどになっていた。
追撃を諦めた群れは、元々のテリトリーへととぼとぼ帰還していった。
「そろそろ終わりか、この湿原も」
どうやら日没までに湿原を突破できそうだと、レンは安堵した。気配察知をうまく使って、遭遇戦を限りなく回避してきたが、それにも限度がある。元々一人で潜るように設計されたダンジョンではない。単独での交戦は、危険を通り越して無謀だった。
歩いていくうちに、だんだん地盤が硬くなってきたのが感じられる。踏み出した足が、沈み込むようなこともない。湿原も終わりに近づいている。湿原を抜ければ、目的地の火山まではあと一歩である。丁度いい木立を見つけたレンは、そこで野営することにした。
日が沈み、夜の帳が下りても、なかなか気温は下がらなかった。むしろ生暖かささえ感じるほどだ。湿度が高いせいか、汗で肌に張り付いた服がなかなか乾かない。放浪していた荒野とまるで違う気候に若干の不快感を覚えつつも、レンは休息の眠りについた。
早くに目覚めたレンは、日の昇る前に移動を始めた。黎明の移動は、寝起きでぼんやりした状態のモンスターも多く、比較的危険が少ない。思惑はうまくいき、嘘のようにサクサク残りの行程を消化し、火山に到着した。
湿原とは空気がまるで違う。カラカラに乾いた空気が喉ををひりつかせ、体力を奪う。湿原と同じく、神獣の座するダンジョンなだけあって、火山の攻略難度は非常に高い。この熱気も、スリップダメージを常時発生させるため、回復薬のたぐいが必須なのだ。高い敏捷で、攻撃を回避していくスタイルの中衛職にとっては、避けたいフィールドでもあった。
しかし、攻略が困難だからこそ、フェンリルが未だ討伐されていないということでもある。ヨルムンガンドは魔王軍が既に打倒し、神殿に君臨するヘルは、組合が目をつけている。レンが直接介入できるのは、残されたフェンリルしかいないのだ。
度重なるレベルアップの効果で、索敵範囲の広がったスキルの気配察知のレーダーに映る生命反応を調べる。一群当たり五、六体と数は多いが、湿原よりは少なめだ。その分一体一体が強力なのだろうが。
早速一群が近づいてきている。大回りをすれば、スルーすることもできそうだが、物資に限りがあり、スリップダメージの時間制限まである以上、時間を無駄にする事もできない。レンは進行方向に立ちふさがるその五体の群れに、自分から突っ込んでいった。
見えた。岩陰からヌッと姿を現したのは二足歩行の小型恐竜だった。二体、三体……。四体目が見えた瞬間、続けざまに氷結弾を放つ。先制攻撃は成功し、一体の恐竜は完全に凍りついてしまった。三体は軽傷といったところか。凍りついた仲間の周りを固めるように、残りの四体が円陣を組んでいる。受けに回っている。あれならば……。
レンは全力で駆ける。さすがに四方から攻め寄られて、露骨に数の利を使われると、どうしようもなかったが、守りに入ったあの陣形ならば、対処法はある。上方に向かって、炸裂弾を撃ちこむ。狙いは正確だった。恐竜たちの上方にあった、大岩を支えていた瓦礫が爆発で吹き飛んだ。必然、岩は転がり落ちる。
恐竜たちが異変に気づいたときはもう遅かった。落下した巨岩に押しつぶされ、一瞬でHPを全損したモンスターは光の粒子になって、消えていった。
計五体のモンスターを瞬殺したレンだったが、その表情は浮かないものだった。確かに短時間で損害なくモンスターを撃滅できたのだが、想定していたよりも大きな音が発生していたのだ。耳の良いモンスターなら遠方からでも異変を察知しているだろう。一刻も早くここを離れなければならない。全力疾走をわずかにゆるめ、焦る気持ちを抑えつつ、継続可能な速さに変える。途中でバテてしまうよりかは、結果的にこちらのほうが早く遠くへ移動できる。
「ハッ、ハッ、ハッ」
登山道のような細く険しい路を駆け上がりつつ、時折道を逸れて、追いかけにくくする。15分はそれを続けただろうか。気配察知で安全を確かめたレンは、ようやく一息つくことができた。HPを確認して、回復薬を一口、口に含んだ。これで、蓄積されたスリップダメージが帳消しにされる。フェンリルの居場所は火山の噴出口付近だ。もうまもなく着く。
戦闘前に休息できるのは、ここが最後かもしれない、とレンは感じた。
突如、大地が揺れた。
何かが爆発したような鈍い音が響く。同時に獣の叫び声までもが届いてきた。遠くの空に火柱が吹き上がった。
考える前に体は動いていた。
近づくにつれて、徐々に戦闘音は大きくなってくる。何かと獣が戦っている。いや、ぼかしても仕方ない。何かとフェンリルが戦っている。
火山のモンスターたちは、山の主が暴れているのを敏感に察知して、その場所に近づかないように、こそこそと戦場を離れて移動していた。その丁度潮が引くような動きを、レーダーの俯瞰で眺めながら、レンはその放射状の中心点に向かって走った。
居た。
逃げまわる人影と、山のように巨大な狼。蟻と象のような体格差だ。あれがフェンリルなのか。鼻から噴き出した焔が、地表を舐めるように這いずった。それだけで、熱せられた地面が溶けて、溶岩のようになってしまっている。そうして地形が破壊されているせいで、逃げまわる人間の退路は少しづつ狭められていた。
カッと視界が赤くなるのを感じた。忌まわしい記憶が、蘇る。駄目だ。まだ、それはダメだ。
強く唇を噛み締める。苦い血の味が口の中にじわり、広がった。
フッと視界が元の色に戻った。波は過ぎた。もう自分は冷静だとわかる。
男はなすすべ無く、逃げ回っていた。そう、男だ。黒い外套を身に付けた短身痩躯の男。ずっとフェンリルの攻撃を避けつづけているのだとしたら、とんでもないスタミナと素早さである。けれど積み重なる疲労からか、それも限界に近づいているようで、回避がだんだん覚束なくなってきている。それでも見ている限りは、まだ一時間は耐えそうな気配を漂わせていた。
「助けは要るか」
叫ぶ。
「お、おう。頼む。一瞬でも隙を作ってくれればいい!」
こちらの存在に男が戸惑ったのは、一瞬で。必死な男は、すぐさま返事を返してくる。
レンはフェンリルによって作られた、溶岩の河を走り、飛び越えた。こちらを気にしていた男が驚愕する気配が感じられた。何しろ、レンはフェンリルの真正面に飛び出し、立ち塞がるようにして立っているのだ。援護射撃を期待していたとすれば、何をしているのか信じられなく思っても無理は無い。
「ここからはオレが受け持つ。その間に逃げ切れ。麓まではモンスターの数も少ない」
「は?あ、あんた知らないのか!?そいつはそこいらのモンスターじゃねえ!神獣っていう最強クラスのボスモンスターなんだぞ!?」
「知っている。燃えるよな」
問答を最後まで見ていられなくなったように、フェンリルはレンに向かって火を吐いた。いや、火というより鉱石を高温で熱してできたドロドロの液体のようなものを、吐瀉物のように撒き散らしている。
抜き打ちで、氷結弾をそのマグマの塊に合わせる。超高温と低温が衝突し、爆発が生じた。
「ぶわッ!!」
レンの後ろのほうで、男がむせ込んだ声が聞こえた。気にせずにレンは前に出た。
爆発の周囲を大きく迂回して、フェンリルとの距離を詰める。爆風吹きすさぶ中、獣の吠え声が届いた。同時に跳躍する。一瞬前まで自分がいた場所に、巨大な爪が刺さっていた。これはチャンスだ。攻撃のために突き出された左前脚にロックブレードを突き立てる。切っ先が剛毛で守られた耐火の皮膚に触れた瞬間、武器性能が低すぎて弾かれるかとヒヤリとしたが、幸運にも刃は、皮膚を破り、肉に食い込んだ。ダメージは期待していない。けれど、これで体勢を固定する取っ手ができた。
ロックブレードの柄を両手で握り、全力で空中の姿勢を制御した。両椀の力だけで全身を動かす。斜めに傾いだフェンリルの前脚の上で、曲芸のような真似をやってのけたレンは、さらなる上方へと駆け上がる。その先には巨獣の鼻面が見える。チラチラと赤い炎が鼻孔から見え隠れしている。
撃ち込んだ。炸裂。あのヨルムンガンドも脆弱な眼に魔法を打ち込まれて、大打撃を受けていた。ならば、この巨体を誇る狼にだって、適切な部位を狙えばダメージは与えられる。その考えは間違っていなかった。鼻の中の炎と接触し、炸裂弾が爆裂した。いくら強力な体表を持っていても、内部からの破壊は想定されていない。
鼻腔内で爆発した激痛に、フェンリルはその巨体を身悶えする。それに巻き込まれる前に、レンは宙返りしながら跳び返り、地面に着地していた。
全身のバネを使って衝撃を和らげるが、限度がある。足から脳まで突き抜けるような痛みとともに、HPが大きく減少する。けれど0になるほどではない。
回復薬の瓶の蓋をあけるのももどかしく、瓶を割りながら中身を浴びるように飲む。グンとHPゲージが増加する。低級な回復薬だが、削られた分の体力回復には事足りた。
フェンリルが怯んでいる隙に、再び速攻をかけなければ、勝機は薄い。既に保護した男のことなど忘れていたレンは、ただ勝利を求め、無心でフェンリルに突撃した。
すごいものを見ている。それが偽りのない感想だった。
運が悪かった。火山で何体かアーダーレプトルを狩って素材を入手して、換金するだけのつもりだったのだ。アイバルクの町からはもう組合は無くなったが、更に北に位置するソーマという都市では、組合もまだ活動を続けている。闇市もそこならば開かれているはずなのだ。
そんな目論見は、始まりからいきなりケチが付いた。麓の方でモンスターを探していたが、見つかるのは火山虫ばかりで、目当てのモンスターは一向に見つからない。仕方なく奥地に分け入り、獲物を探しているうちに、この有り様だ。
大狼。ベータ版の時は十人以上で構成される大規模パーティーで、なんどもリタイアしながらもなんとか撃破した強敵。命が懸かっているこの世界では、絶対に出会いたくないモンスターの一体だった。神獣と言う名は伊達ではない。倒した後の報奨が甚大だと知っていても、挑むのにはどうしても腰が引ける相手なのだ。
そんな相手を前にして、彼は――
戦っている。
まず、戦うことさえ無理だと判断するような巨体を相手に立ち回っている。しかも、若干押し気味ですらある。速さには慣れているはずの、自分の目を以ってさえ、追い切れないような速さで飛び回り、チクチクと短剣を突き立てながら、サーカスの空中ブランコのように、右へ左へと動き回っている。野伏の推奨武器のスリングを、銃器のように自在に扱って、射撃で着実にダメージを蓄積させている。
その堅実さと、時に巨狼の口の中に入らんばかりにまで、接近しナイフで攻撃を仕掛ける大胆さが、ひどくアンバランスなものに思える。その危うい均衡は芸術的ですらあった。
蝶のように舞い蜂のように刺す。
フェンリルの大ぶりの攻撃は、尽く当たらない。のみならず、その攻撃のために突き出した脚を、足場として利用されている始末だ。彼は完全に神獣を翻弄している。
「おいおい、まじかよ……」
ベータ版では、あまりの範囲の広さに、発動したら最低一人は死亡確定、とまで言われたマグマブレスすら、彼は捌いている。
紙一重だ。紙一重で彼は上回っている。彼が神獣に対して持っているアドバンテージはそう多くはない。けれど、その立ち回り。それだけは紙一重で上回り続けている。神業とでもいうべき、その先読み。
体がゾクゾクと痺れた。寒気ではあるまい。
ソディアックは、右手に持った短剣に目を落とした。ベータ時代は血に塗れた両手だった。PKという行為が単純に面白かった。殺された相手のくやしがる表情を想像するだけで、腹を抱えて笑えたし、それが一般的にモラルに反する行動だと認識されていることも、スリルを上乗せしてくれた。そうして殺し続け、気づけばPKギルドに所属し、より効率を求めていた。ネットの世界には自らの悪名が轟き、その活躍もとい殺人の記録が克明に残っていた。善行を百重ねても、ここまで名を広めることは出来ないだろう。だからこそ自分はPKに快感すら感じていたのだ。
それがどうだ。現実の死はひどく重かった。この世界に閉じ込められたことを知った時、幸運にもゾディアックはまだ誰も殺してはいなかった。ベータ版と同じように、PKを楽しもうと考えていたゾディアックはこのゲームに現実の命が懸かっているかもしれないことを聞くと、剣が持てなくなった。そして、自分の腕が命を奪うという重さに耐えられないほど、細く脆いのだと自覚してしまった。
それからは隠忍自重の日々だった。PKを繰り返してきた分、他の誰よりもPKの手口には詳しい。だからPK対策も入念で的を得たものだった。暗殺者のパッシブスキル気配途絶が大いに役だってくれた。お陰でどのプレイヤーに見つかることもなく、王都での潜伏生活を続けられた。そのままの日々が続けば、あるいは自分は暗がりに澱む屑のような生を変えようとも思わなかったのかもしれない。
しかし魔王が生まれ、王都を支配したことで、王都を追い出されることになってしまった。
ある意味安定した生活から抜けださざるを得なくなったことで、ゾディアックは決心を迫られた。そのままこの世界で骸を晒すのか、それとも剣を握り、再び争いの世界に身を投じるのか。
迷った末に、ゾディアックが選んだ道は闘争の世界だった。人を刺す決意など未だに無い。だからモンスターを相手の狩り専門だった。引きこもっていたため、レベルは低かったが、幸いベータ時代の経験と知識があれば、低いレベルは大したハンデではなかった。
”勇者互助組合”も発足し、開催される闇市で素材を売ることで、なんとか生計を立てていけそうだと展望を描いた矢先の、この致命的出目だ。
フェンリルの放った火焔の熱波がここまで届いてきた。慌てて脆弱な眼を腕で庇いながら、後ろに下がる。彼はどうなった?まさか死んでは居ないよな。
遙か頭上に飛び上がる人影が一つ、フェンリルの真上から雨のように弾丸を浴びせている。何故か重力に逆らうように、ふわふわとゆっくり落下しながら、攻撃を続けていた。
ふと気になって、フェンリルの体力を確認する。……まだ九割以上を残していた。彼はそれに気づいていないのか、それとも気にしていないのか、ひたすらに神獣に立ち向かっていた。いつの間にか、自分の頬に乾いた涙の跡が出来ていたことを、ゾディアックは最後まで気づかなかった。
まだ生きている。いや本当に生きているのか、そもそも自分は今、目覚めているのか。夢を見ているのではないか。
紅蓮が目の前に迫る。体は勝手に動き、それを躱そうとしている。ほんの少し、針の先ほどでも体重移動を失敗すれば、間違いなく踏み切れないであろうタイミングで、レンは跳躍していた。
赤が体側を通り過ぎ、消えた。目の前の光景はスローモーションのようにゆっくり横に流れていく。そこに一瞬写ったフェンリルに氷結弾が炸裂した。いつ自分が撃ったのかもわからなかった。
無我夢中とはこういうことを言うのだと、ぼんやりと感じていた。
ヨルムンガンドの眷属たちと戦っていた時のように、時間はゆっくりと流れ、自分が何をしているのかもよくわからない。そんな状態が続いている。
戦いが始まってどれほどの時間が経過したのか。おおよそは分かる。携帯していた回復薬の残量から逆算すればいいのだ。スリップダメージの回復に使っている回復薬の消耗速度は、存外遅かった。今の時点で十時間ほどだろうか。残量は残り20個ほど。一個あたり30分は持つことを考えれば、自ずと導かれる結論だ。
目の前に壁が迫ってくる。その壁――フェンリルの剛毛を踏みしめ、蹴り上げながら駆け上がった。ロックブレードを左右交互に走らせて、薄く皮膚を引き裂いていく。まさに薄皮一枚分のダメージしか与えられていないようだが、それでも継続は力だった。ドット単位の斬撃を繰り返し、蓄積したことで、既にフェンリルは満身創痍だった。ロックブレードとそれを握る右手には、バケツに手を突っ込んだように、多量の返り血が付着していた。
レンが切り裂いたその傷口から突然、間欠泉のように火柱が吹き上がった。肌がちりついていた。それだけで危険を察知したレンは、その未来を予測し、綺麗に火柱を回避した。
走る。走る。
躱して、躱して。
レンにはもう感覚は殆ど残っていなかった。緊張とプレッシャーで摩耗した神経は完全に凍りつき、麻痺してしまっている。けれど、自ずと体は動く。無意識に近い反応だけで、レンは戦っていた。
「ここまで来れば、もう気力の勝負だろう、なあ」
独言を聞くものは誰もいない。声を出した当の本人でさえ、もう声を認識することはできていない。
すべての火炎弾を回避しているといっても、撃ち込まれた量が尋常ではない。既にフェンリルの周囲は気温が無視できないほど上昇しており、その近くで戦うレンの身にも異常が訪れていた。
一番に支障をきたしたのは、呼吸器だった。吸い込んだ空気に火の粉でも混ざっていたのか、肺が焼けるように痛む。まるで体の中に太陽を埋め込んだように、内部から熱が生み出されている。内側から焼かれ、気管はぼろぼろに爛れてしまっていると容易に想像できた。
次は眼。眼球が乾燥した高温な外気に晒され続けた結果、徐々に視界が暗くなってきた。気づいて以降は、瞼を閉じたままにすることで、ダメージを抑えているが、それは自主的に五感の一つを捨てる行為に他ならなかった。第六感のような、肌で感じるヒリつきでそれを騙し騙し動いているが、遠からず破綻は見えていた。
ぐらりと、体が傾いだ。踏み込んだ脚。それがおかしな方向に曲がってしまっている。本来足に関節は膝しか無いはずなのに、何故か二箇所で足が折れ曲がっていた。レンはそれを不思議な思いで見つめていた。痛みは、ない。だから闘志は全く挫けてはいないのだが、物理的に動けない。片足を失った状態で、今までの機動を維持することは不可能だった。
フェンリルの鼻息が吹きかかる。高温の熱波とも言うべきそれは、直撃すればただでは済まない。氷結弾の最後の在庫を盛大にぶちまけて、周囲の気温を冷やしながら、爆風の反動で大きく距離をとった。
――後が無くなった。そう思ったのは、レンだけでなく、相対するフェンリルも同じ事だった。好機とばかりに、切り札のマグマブレスを吹き付ける。
当たれば死。
頼みの綱の氷結弾は打ち止めだった。どうにもならない、そう思った瞬間、不思議と活路が薄っすらと見えた。思考する暇もなく、レンは動いた。
風に乗る。それしか無かった。一応既に一度成功はしているが、この場面で行うには博打であるのも確かだった。この場に充満した高温の空気。それが生み出す上昇気流を受けて、落下速度を弱める。絵空事に聞こえるが、それもスキルの助けを借りれば不可能ではない。高空に飛び上がり、雨あられと射撃を降らせるレンジャーのスキルである。つまり、上に行く事自体はたやすい。問題はうまく気流を捉えられるかどうか、と言うことだけだった。
飛び上がって、溶岩の吐息を回避する。しかしこのまま重力にしたがって落下すれば、その身は煮えたぎる溶岩の中に落下してしまうだろう。頬を撫でる生暖かい風が強くなった瞬間、外套をバサリと広げた。浮く。浮いてやる。
最高到達点に達すれば、後は落ちていくだけ。だというのに、レンの体はふわふわと宙に浮いたままだった。成功した。限界まで重さを減らすため、武器を投げ捨て、傷ついた足を切り落とし、軽量化したのが功を奏した。
今レンは丸腰である。けれど、絶好のポジション取りをしていた。フェンリルの真上。脳天の上方に浮かんでいる。アイテムストレージから武器を取り出した。短剣。ロックブレードよりも遙かに高威力の上位武器である。ロックブレードは、軽量化のために捨ててしまった。そんなものはつまらない感傷だとでもいうように、切り捨てた。
その短剣を掴む。握り締める。そして真下に刃先を向けて、レンは彗星のように一直線に落下した。ぐんぐん眼下の景色が近づいてくる。目標のフェンリルの頭も一緒に近づいていくる。貫いた。あの、何度切りつけても破れなかった硬い毛で覆われた装甲を貫いている。
――部位欠損。その文字が頭に浮かんだ。そして、支えを失ったかのように巨獣は崩れ落ちた。
同時に、自分の意識が混濁していくのを感じた。麻痺していた痛みがぶり返し、じわじわと忍び寄ってくる。限界が近かった。レンは光の粒子に包まれていた。あれだけの巨体が死亡、光転しているのだからそれも当然だった。溺れてしまいそうな光の中で、レンは大の字に横たわり、そのまま意識の綱を手放した。
目が覚めた。天井があることに先ず驚いた。野宿生活が長かったせいで、幻覚でも見ているのか。周囲を見渡すと、どこともしれない一室のベッドに自分が横たわっていることを知った。布団は沈み込みそうになるほど、柔らかい。しばらくその心地よい感覚を味わう。再び睡魔に負けそうになったが、気配察知レーダーに反応を見つけて、飛び起きた。自分の持ち物は近くには見当たらない。アイテムストレージをざっと見ても、台風でも過ぎ去ったのか、と思えるくらい、消費アイテムは激減し、武器の多くは破損ないし紛失していた。
「あ、兄貴!目が覚めたんですか!?」
ガチャリと扉を開いて入室した見知らぬ男性が、レンを見て素っ頓狂な声を上げた。どうやら敵意はないようだと、レンはこっそり隠し持っていた蝋燭立を元の場所に戻した。
「お前は誰だ?それにどうしてオレはこんなところに……」
声を出すと、自分の喉がカラカラに乾いていることに気づいた。お陰でしゃがれたような声しか出ず、少し恥ずかしい思いをする。
「覚えてないんですか……?俺はゾディアックって者ですが、兄貴に救われた恩を返そうと、失神した兄貴を安全な場所までお運びしました。ここは火山の西にあるソーマの街の郊外の隠れ家です」
火山。言われて思い出す。ああ、そうだ。オレはあの神獣と戦ったのだ、と。
「そうか、わかった。すまないが、水をいっぱいもらえないか」
「あ、ああ!気が付きませんで、本当にすいません。すぐお持ちします」
骸骨のように不気味な面貌のアバターだったが、中の人はそうでもないらしく、ユーモラスな動作で飛び上がり、すっ飛ぶような勢いで部屋を出ていった。
ドッと疲れを感じ、寝かされていたベッドにレンは座り込んだ。そうだ、自分はフェンリルを倒したのだ。ならばアイテムストレージのこの消耗にも納得がいく。戦闘のさなかに整理する余裕はないだろうから、こんなに食い荒らされたように、配置がめちゃくちゃになっているのだ。手持ち無沙汰を慰めるため、ストレージの整理整頓を行なっていると、先ほど出ていった骸骨のような男、ゾディアックがコップを乗せた盆を捧げ持つようにして部屋に戻ってきた。
「本当に水しかありませんでした!申し訳ありませんが、これで我慢してください」
「ありがとう。いただく」
一杯の水は、全身に染み渡るようだった。凝り固まった疲れが解れ、溶けていくような錯覚を感じた。
ようやく人心地のついたレンは、ゾディアックにもう少し話を聞いて見ることにした。
「そういえば、どこかで見た顔だな。もしかしてだが、火山で襲われていたやつか?」
「そ、そうです!兄貴!御恩は一生忘れません」
深々と頭を下げるゾディアック。
「オレに弟がいた事など無いが」
「それは……。誠に勝手ながら、自主的にそう呼ばさせてもらっています。俺なりの尊敬の表れですが、お気に召されなければ、変えましょうか……?」
「そうか。呼び方など何でもいいが、出来れば仰々しいのは勘弁願いたい」
「了解です。兄貴!」
おどろおどろしい顔を思い切り歪めるゾディアック。それが笑顔なのだと気づくのに、レンは数秒を要した。
「ま、まあ。それでいいか」
「兄貴はもしかして、組合の幹部様か、なにかでしょうか?もしかして、ギルドマスターのマラークさんと知り合いだったり……?」
「いや、流れだ。どこの組織にも所属はしていない。そうでなきゃ、単身で神獣に挑むなんて馬鹿はやれないからな」
「で、ではやはり、最初からあのフェンリルを打倒する気で火山へ……?」
「勝てるとは思っていなかったがな」
そう本当に、勝てるとは思っていなかった。なんとなく、本当になんとなくで此処まで来てしまったのだ。けれど、勝ってしまった。勝ちたくなかったわけではない。勝った後のことを考えていなかったわけでもない。それでも、この勝利はなんだか夢のようにふわふわしていて現実感を伴わなかった。
「ギ、ギルドカードを拝見してもよろしいでしょうか……?」
緊張した面持ちで、ゾディアックが切り出した。名刺のように付き出した自身のギルドカードも添えている。
名前:ゾディアック
職業:アサシン
位階:27
パッシブスキル:気配途絶
生命反応を極限まで薄め、五感から自らの存在を消し去る能力。
レンジャーの気配察知以外では、その影を捉えることさえ出来ない。
推奨武器:短剣
思ったよりレベルは低い。けれどそれは目安のようなもので、間違っても、相手を侮っていい事とイコールにはならなかった。
ギルドカードというのは、個人情報の塊である。レベルはともかく、職業が他人に知られてしまうのは、無視できないデメリットだといえる。仲間のことを知るための、正確な情報を求めているのならともかく、相性関係の重要な職業を、見知らぬ他人に晒してしまうのは、無用心だと言われても仕方がない。
しかしレンは投げ出すように、ギルドカードを見せてやった。
「レンの兄貴……そう呼ばせてもらいます」
キラキラした眼を向けられる。命を助けたとはいえ、ここまで純粋な尊敬を得られるとは、レンも夢想だにしていなかった。もしかすると、中の人はまだ年端もいかない子供なのかもしれない、と自分を無理やり納得させる。
「自己紹介も済んだところで、改めて礼を言う。恥ずかしい話だが、戦いに集中しすぎていてな。余力を残すことも出来なかった。ゾディアックに助けられていなければ、野垂れ死にしていたかもしれん」
「いえ!命を助けられたのですから!当然のお返しです!」
「そうか。なら達者でな。オレは少しやりたいことがある。宿を貸してもらったことは重ねて感謝するよ」
「あ、兄貴。そのやりたいこと……俺も付いて行っていいですかね?足手まといにはなりませんし、仮にそうなったらなったで、いつでも切り捨てて構いませんので」
「切り捨てるって……。無茶を言うな」
「お願いします!」
やりたいこと、と言っても当面は神獣の撃破が目標である。幸いにしてフェンリルはフリーだったが、ヨルムンガンドは魔王軍が。ヘルには組合が唾をつけている。それに手を出せば、両組織とは敵対関係になってしまう。まあ、魔王軍の方は全プレイヤーの抹殺を謳っている以上、元から相容れない存在なのだが。
組織の揉め事に他人を巻き込むのは、レンとしても避けたいところだった。なにより、自分の肩は四人の命でもう一杯だった。これ以上背負い込むことはできそうにない。
「悪いな」
一言いい残し、呆然とするゾディアックを残してレンはその隠れ家を後にした。




