第三部 ■達磨■
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朝。
みぞれに変わる雨がしとしと降って、身体の柔軟さと体温を鈍くさせてた。
人魚のミイラがあるという寺に向かった。
住職と連絡はとれないまま。寺の玄関はしまっていた。
裏にまわると庭には、剪定の行き届いた小菊や椿。その後ろには、すぐ山肌があった。どこからか引いた、庭を横断するように通る、用水路は、温泉なのか、湯気がたっている。
ここまで登るのにあった石積みの階段も、濡れた枯れ葉がありはするが、管理者のいる小綺麗さだった。
開いている境内の扉をみつけた。
他は閉まっているので微かな光だけ、境内の中に入りこんでいる。暗い塊にしか確認できない本尊の仏像は、薄闇で足元をみつめていた。
足元には、転がっている。
四脚を切り取られた住職の死体だった。
寒さのおかげで、腐ってはいないが、死臭は、線香の臭いとあいまってそこらに。
「…達磨だ」
蝋燭を燈すと、仏像と達磨の頬と瞼には光が移りこんで、この世のものではない血色がいびつな生気にとれた。
「そうだよ代々、ここの住職は女がなるんだ」
四脚のない尼の身体は、なにもまとっていなかった。
乳も腹も痩せて皮だけがたれている。
生白い頭と老いた皮、その塊は、溶けかたまった蝋のようだった。
皮の水分は脂がかたまったように薄く艶がない。
頭はもとより、眉、睫毛からはじまり体毛はすべて無かった。
色素の薄いアルビノの、無毛症。
ただ、胴体には、大人のももくらいはあろうかという太さの紐で、締められたような跡が、赤黒く這いまわっていた。
「絞殺の上に手足を切断…でも…おかしいです。この犯行現場…
切断されているのに血がまったくたれていないです」
死体の身体のまわりにはまったく血痕は落ちていなかった。
「そう、この尼さん
緊縛好きの雌奴隷だったってことだよ」
白い塊を足で蹴りとばしてやった。
空気の抜けたボールのような音をたて、重たげにごろごろと達磨の身体は転がった。
俯せになると止まった。
「起きなさい」
「コラ!哲郎さんっ!なんてことするの!」
しゃがんで、死体を観察していたボインちゃんに、足をひっぱたかれた。
「達磨だからころがったらおきる」
「…え」
静寂の中、一メートルくらいころがった尼の死体は動かなかった。
「…うそつき!」
「あれ?」
ぬっとり垂れた皮は、死語硬直をおこしていて、重力に柔軟ではなかった。蹴られた場所や、床とすれたところは、皮が赤黒く剥がれた。
「おかしいなあ…
起きるかとおもったんだけど」
半びらきの、瞼と顎が木のうろのよう。からっぽでいて、中は柔らかく無防備で。無造作に捨てられた死体の口は、開かれてなにも拒まない、迎えるまま、やましくて明るみにでられないようなものが、ひと時の隠れ家にする。
「…尼だからかな?」
「どういうことですか?」死体は無防備だ。
なにかが入る器としてはもってこい。
「魑魅魍魎や怨念に入られてるかと思ったけど、腐っても尼さんだから、神聖ではいりにくいのかも」
とむらいを受けないで忘れられたら、手厚く葬られる遺体を、恨めしく思うだろう。みな、涙をながして、新鮮な花、線香、食べ物や酒で囲むから。
ひととき、その遺体の隣に眠って、へそや口の中に隠れこんで、自分ごとのように、とむらいいにあやかろうという気になる。
腕時計をみた。
「…まだ昼前だね。
もうすこし待ってみようか」
現場検証はこう。
死体は手足を切り取られている。傷口は鋭利な刃物で切り取られたすっぱり切れた跡ではなく、かといってノコギリで引かれた跡ともちがう。
狼や熊に、大きな獣に噛み引きちぎられたような跡。
しかし、この板の間の境内は動物に荒らされたような散乱はなく、きれいなもので、おかしな事に、血痕ひとつ落ちてない。
そして最後に気になるのは、この尼の身体の白さ。真っ白だ。血抜きされたように。
人間が死ぬと、遺体のまわりは慌ただしい。親族やら身内の生きた者が慌ただしいのはもちろん。この最後の晩餐にあやかろうと、怨霊が集まり、先祖の霊も迎えにくる。蟻が砂糖に群がるように観客が集まり世俗の者以外も慌ただしい。
そして、彼らは、遊ぶ。
空になったばかりの、まだ生きているかのような扱いを受ける死体に、入れ代わり入り込み、死者のふりをして自分の慰めにする。先祖すら入り込む。
死体の顔をみているといい。動きはしない。
ただ、曾祖父の顔、祖母の顔、従兄弟の…ころころ変わり違う人のようにみえてくる。
だから、葬儀がはじまるまで、夜通し、遺体はひとりにはさせない。誰かが付き添い、明かりを燈しておく。通夜の間、生前のはなしをする。話せば話すほど、言葉をかければかけれほど、遺体は守られる。
誰の身体かをはっきりとさせるのだ。
話しが反れたが、尼を蹴り飛ばした理由はこれだ。
この何日か遺体はほかられている、悪戯な霊に遊ばれているはずだと踏んだのだ。
死体の具合も、血を抜かれたり、四脚ちぎられていたり、明らかにおかしい。
まだ、体の中にその悪戯な霊がはいっているなら、蹴り飛ばせばなにかしらでてくる。
運がよければ、なぜこうなったかも知っているかもしれない。
ただ、時間がはやかった。日は高い。
「夜まで待つんですか?」
「うん」
縄を絞めたような内出血の跡は、首から乳に、股を通し背中まであった。手足ももぎ取り、さらになにを縛り上げようというのか。
尼の身体を縛り、なお足らず、形のない、尼の思考、記憶…ありかをさがし這い回った跡。血の中にすら、それをみて、すべて吸い取ったのだろう。
猟奇的な執着の先は、悶える縄跡に、死体は逃げ惑う尼の痛覚の残留物だ。
尼の身体は、老いて皺がれているが、艶のある滑らかなきめこまかな肌だ。この身体は、日に焼かれない、内もものような白さと恥じらいがあって、無毛の様がまたなまめかしかった。
コートをぬいで、尼の遺体に被せた。
「みてたらこっちも遊びたくなるね」
「?」
狐や栗鼠の尻尾のようなツインテールを両房ともつかんで、顔をこちらにひきよせた。
そうさせないのは、ボインちゃんが死んだら笑わなくなって、違う次のを必要とするから。
誰かが、そいつを監禁するまで永遠につづく。
頬に噛み付こうとシャーって口あけたら、拳だいにもつれたチェーンネックレスの塊で撲られた。