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結:昼の心霊は、学びの列へ

 翌週の土曜、朝の雲が薄くほどけた。

 熊谷駅前の案内板には、本設の掲示が一枚、すでに貼られている。角はきれいに揃い、透明のカバーが陽を受けて小さく光った。モニュメント時計は「KUMAGAYA/33.8℃ 57%」。表示の数字は、昼でもふつうに見えている。

 保守会社が日中プロファイルの周波数を上げた結果だ。昨日の最終試験で、1/1000秒でも欠けが目立たないことを確認済み。今日はその報告を持って、学校の文化祭へ向かう。


 校門をくぐると、体育館の手前の廊下に写真部の展示ブース。紙の匂い。子どもの笑い声。掲示パネルの前には、ぽつぽつと列がのびている。手作りの見出しには「昼だけ写らない、を試した」とある。


「来た!」

 部長が手を振る。部員たちは白い手袋でL判を並べ直し、通行をうながす矢印をマスキングテープで貼り足した。理科の先生は腕を組み、行列の流れを見ている。


「文化部の展示に、初めて人だかりができたよ」

 先生がぽつりと笑った。「いつもは運動部の実演に流れるのに、今日は**“三枚の比較”**に人が吸い寄せられてる」


 並んだ来場者が、子どもたちの説明にうなずく。

「A(自動)では数字が抜けました。B(1/30秒)で戻り、C(動画→切り出し)は安定。下の段は周波数の違いです。600Hzでは**“8が痩せ”、3kHz以上にすると改善**しました」


 パネルの横には、短いキャプションが添えられている。言い争いを誘う書き方ではない。見る→試す→書くの順番が、やわらかい字で並んでいる。


―――――

展示キャプション(A4・文化祭版)

1)同じ構図で3枚:自動/1/30秒/動画切り出し

2)表示側の設定(周波数)で写り方が変わる

3)暑い日の“揺らぎ”は空気の層(陽炎)による屈折

※人物は写しません。通路は空けます。

―――――


「勉強になった。スマホで撮るって、こういう仕組みがあるんだね」

「家でも試す。動画から切り出すの、やってみる」

「“写らない”が悪いカメラって意味じゃないの、初めて知った」

 来場者の声が、パネルの前で軽くはずむ。

 壁際のアンケートボードには、シールで貼れる短いメッセージ欄がつくられていた。


―――――

来場者ひとこと(A5・シール式)

□ やってみたい □ 子どもに教える □ 職場で共有

メモ:________________

―――――


 昼を少し回ると、人の流れはいったん落ち着き、先生が肩の力を抜いた。


「文化部で、こんなに説明を聞く列ができるのは珍しい。『理科に寄った怪談』の看板、効いたみたいだ」


「看板の勝利です。口で言い合う時間を減らして、試して書く——それが前に出てる」

 桂一がパネルの端を撫でる。「文字が並ぶと、勝手に歩いてくれる」


 廊下の端で、保護者が肩を寄せ、展示パネルの端から端まで目を追っていた。「うちの子が“昼の心霊”って言ってたやつ、こういう仕組みだったのね」「夏にまた見に行こう。朝にしようか、昼にしようか、条件を変えて」

 隣で小学生がカードを握っている。「動画から切るって書いてある。できるかな」「一緒にやってみよう」


 午後の中ごろ、市の観光・交流課の職員がブースを訪れた。薄いグレーの名札。名刺を差し出し、深く頭を下げる。


「駅前の案内掲示、おかげさまで来訪された方から**『撮れた』の報告が増えました。役場の窓口にも問い合わせがあったんですが、“写らないことがある理由”を示せるようになって、説明が短くなりました」

「よかった。“短く”**は現場の味方です」


「それと……来訪者数が先週より一割ほど増えています。『昼の理科を試しに来た』という声が多い。心霊スポットという言葉が、観察スポットに置き換わりつつあるのを感じます」


 交流課の職員は、簡易統計の紙を渡した。色ペンで書かれた折れ線が、昨日を小さく上回っている。


―――――

来訪メモ(A4・交流課)

先週比:+12%(駅前案内板付近)

理由自由記述:

・“撮り方カードを見て試しに”

・“子どもに説明したくて”

・“文化祭で見たので現場でも”

注意:長時間滞留は減少/熱中症救護ゼロ

―――――


「救護ゼロ、いちばん嬉しい数字です」

 相沢が胸を撫で下ろす。「暑さの注意文を先に出した甲斐がありました」


 写真部の子たちは、合間に役場コメントを読み、パネルの隅に小さく貼り出した。「駅前の来訪者増」「窓口説明が短く」「滞留時間の短縮」。

 部長が細いペンで加えた。「“怖い”を“おもしろい”に変える条件が見つかった」。


 夕方、ブースの列が再び伸びた。近所の高校の放送部が校内中継を流してくれたらしい。

 人の波の隙間から、理科の先生がこちらを見て親指を立てる。


「紙の段取りって、人を集めるんだね」

「見えるように置いた紙は、実演と同じくらい強い」

 桂一は、ブースの隅に立てかけた**“三枚セット”の台紙を見やった。写真の下に露出値**、周波数、一言メモ。眺めるだけでもわかる構成だ。


 校庭からは吹奏楽の音。体育館の裏では演劇の仕込み。廊下の熱はやわらぎ、文化祭の空気に混じった。

 展示の終わり際、部長が駆け戻ってくる。


「アンケート、貼りきれません! 『勉強になった』がいちばん多い。『家で試したい』『次の夏の自由研究に』もたくさん」

「いい流れだね。勉強って言葉が自分の言葉で出てくるの、強いよ」


 理科の先生が合流した。白いシャツの袖をまくり、額の汗を袖口で押さえる。


「お礼を。文化部の展示で、あれだけ人がとどまって読むのは、正直初めてです。『実験の順番が張ってあって、自分もできそうだ』という声が多かった。来年の理科の単元で、この三枚セットを使わせてほしい」

「もちろん。名前と条件が入ったA4の雛形、データでも紙でも渡します」


―――――

三枚セット(A4・配布雛形)

写真A:自動(露出値/機種)

写真B:1/30〜1/60(露出値/機種)

写真C:動画→静止画(fps/切り出し方法)

メモ:周波数/天候/時間帯/気温・湿度

※人物・車両の顔や番号は写さない

―――――


 撤収の時間、ブースのパネルからテープをそっと剥がす。角に折れはない。紙の面は、朝より少しだけ手垢がつき、どこか頼もしい顔になっていた。


 外に出ると、駅前の空は群青に変わりかけている。案内掲示の前に親子が一組。母親がカードを読み上げ、子どもがスマホを構える。

 シャッター音。地名も、数字も、くっきり。

 子どもが振り返って、照れくさそうに頭を下げた。


「ありがとう」


「どういたしまして」

 桂一は軽く片手を上げて返した。言葉はそれだけで足りた。伝わるべきことは、もう紙に書いてある。


 その夜。

 事務所の机に、文化祭の写真と役場の来訪メモを並べる。

 メールの受信音。件名は短い。

「展示、楽しかったです/勉強になりました(◯◯中・写真部)」。

 続いて、先生から「文化部の廊下に、人だまりができたのは初めて。三枚で比較、あの見せ方は授業でも使います」と来た。

 さらに、交流課から。「週末の駅前、来訪者が増加。滞留は短く、事故なし。掲示に『動画→切り出し』の文が効いています」。

 相沢はキーボードを叩き、まとめ記事の冒頭を書き換える。


「心霊スポットの列が、観察の列になった」。


 成瀬は図版の最後に文化祭の様子を一枚だけ入れた。笑っている背中ばかりで、顔はどこにもない。

 桂一はペンを取り、ホワイトボードの端に一行足す。


 ——写らないときは、やり方を足す。

 ――写ったら、言葉を足す。


 窓の外で、夏の風がゆっくり通った。

 数字は、昼でも夜でも、静かに切り替わる。

 “怖い”は消えたわけじゃない。ただ、手順の数だけ薄くなり、好奇心のほうへ体重をかけられるようになった。

 机の上には、A4の束。

 軽いようで、驚くほどどっしりしている。

 明日の後日談で、これを紙の順番に沿って並べ直すつもりだ。

 疑問を解決した夜は、よく眠れる。

 駅前の掲示は、明日も同じ場所で、短い助言を続けてくれる。

 そして、また誰かの「勉強になった」のひとことが、あのパネルの下に増えるだろう。

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