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承:昼の心霊は、手順の数だけ薄まる

 午後一時。

 熊谷駅前の広場は、相変わらず溶けるように熱かった。舗装の向こうで、ビルの輪郭がゆらりと揺れる。モニュメント時計は「KUMAGAYA/37.2℃ 46%」。その前で、◯◯中の写真部が日陰から日陰へ小刻みに移動しながら、さきほどの観測記録シートを増やしていた。


「いま1/1000秒で真っ白、1/500で数字が半分欠け。1/30秒に落とすと戻る。三人とも同じ結果です」


「アンチフリッカーを60Hzにしたら、縞が弱くなりました」


 部長が汗を拭きながらシートを差し出す。紙の端が汗で少し柔らかくなっているのが、今日の暑さを物語っていた。


「いいね。“昼は速い→欠け/遅い→見える”、“縞はアンチフリッカーで弱まる”。どちらも言葉で残った」


 桂一は子どもたちのスマホを順に借りて、画面のヒストグラムとExifを確認しながら頷いた。相沢は名刺サイズの撮り方カードを追加で配る。成瀬はL判プリントの余白に「端末差あり/P社は縞強め」とメモを足した。


「ところで」と部員の一人が顔を上げた。「指が消える写真、やっぱり陽炎ですか?」


「だいたいはね。昨日説明した屈折と同じようなもの。今日みたいに地面が灼けると、空気の層がそのコップの役割をする。光が曲がるから、輪郭が溶けたみたいに写る」


「そうなんですね。怖さがかなり減りました」


「もう一つ身近な例だと、扇風機の羽が止まって見えるときがあるだろ? あれもカメラの読み取りと動きのタイミングが合っただけ。点滅や走査とカメラのズレで、“在るもの”が“無い”ように見える」


「“在る/無い”は、タイミングの問題か」


 子どもたちは「タイミング」の文字を太く書いて、線で囲った。

「相手が大人ならスロットで説明するんだけどね。目押しのタイミングとか……」

 軽口を挟もうとしたその時、相沢からの視線で口ごもった。

「――ま、こっちの話さ」


 そのとき、駅前管理事務所の担当者が冷えたおしぼりを持って様子を見に来た。先ほど、相沢が挨拶に行って通行優先と短時間の撮影を約束してある。


「暑い中ご苦労さまです。掲示の草案、見せてもらえますか」


「ちょうど」と成瀬がA5のラフを取り出す。「撮り方と暑熱注意を上に、心霊ではなく仕組みだと短く」


―――――

広場掲示(A5)・草案

撮影で数字が欠けて見えることがあります(フリッカー)。

・カメラ設定「アンチフリッカー(50/60Hz)」

・動画(30/60fps)→静止画切り出し

・Pro:1/30〜1/60秒推奨

暑熱時は無理をせず、水分補給を。

―――――


「安全が先に書いてあるのが助かります。管理側としても、“昼の心霊”で滞留されるより、“昼の理科”で短く観察してもらえるほうが安心です」


「掲示許可の申請書式、いただけますか。こちらで記入して今日中に預けます」


「はい、こちらです」


 担当者がA4を渡す。桂一はその場で最低限の項目を埋め、投函予定を書き添えた。


―――――

掲示許可申請(A4)・駅前管理事務所

掲示物名:撮影時の注意(フリッカー/暑熱)

サイズ:A5/カラー

掲示期間:__月__日〜__月__日(混雑期は撤去)

設置場所:熊谷駅前広場 案内板・側面

管理責任者:__市施設課(連絡先)/提出:市影譚ラボ

―――――


「紙が整うと、場が整うね」

 相沢が笑って、子どもたちにも記入見本を見せる。

「通行優先/短時間って文言、太字にしてあるよ」


「ありがとうございます。じゃあ、もう一つやりましょう」


 桂一は観測記録シートの最後に**“共同実験”**の欄を足した。


―――――

共同実験・3パターン(現地で5分)

A:写真/自動(昼)→結果____

B:写真/1/30〜1/60(昼)→結果____

C:動画30/60fps(昼)→静止画切り出し→結果____

(備考:アンチフリッカー 50/60Hz/ズームなし/距離1.5m)

―――――


「A→B→Cの順で、同じ構図で撮る。Aで“欠け”、Bで“戻り”、Cで“安定”。この三段セットが撮れたら、言葉が揃う」


 子どもたちは三列になって手短に回し、シートを自分の字で埋めていく。

 「A:消え」「B:見え」「C:見え(動画から切り出し)」。

 縞の欄には「弱/無」、陽炎の欄に「揺らぎ強」。


「この三段、文化祭で展示していいですか?」


「もちろん。人物は写さない、撮影条件は書く、暑熱注意の紙も隣に置く。それで完全」


「よし、理科部にも声をかけます!」


 熱に浮かされたような勢いで、写真部が広がっていく。部長は部室のスケジュールを確認しながら、追加の観測会を段取りし始めた。


 その間に、桂一は駅前の時計の銘板を撮り、保守会社名と管理番号を控える。事務所に戻れば、是正提案を正式な文面で送るつもりだ。


「周波数を3kHz以上に上げられれば、縞はかなり薄くなるはず。走査の挙動も少し触れれば、**“一桁ずつ”**の抜けが減る」


「“一桁ずつ”?」

 部員が首をかしげる。


「8が欠けやすい、とかね。7セグの上下のセグメントが非対称に走査される機種だと、高速シャッターで**“8だけ妙に細い”**という現象が起きることがある。設計のクセの領域だ」


「うわ、それ面白い。8が痩せるなんて、ちょっと怪談っぽい」


「怪談っぽい現象ほど、手順が効く。言い合うより、短く試して長く残す。それだけで噂が説明に変わる」


 そこへ、通りがかった小学生親子が立ち止まった。母親がスマホを掲げ、子どもがピースを作る。

 シャッター音。画面には地名だけ。


「やっぱり、写らないのね……」

「お手伝いしましょうか」と相沢。「1/30秒に落とすだけで戻る可能性が高いです」


 相沢は撮り方カードを渡し、母親のスマホをナイトモードへ。もう一度、同じ構図で撮る。数字はふわりと現れた。


「写った!」

「ありがとうございます!」

 小学生がハイタッチをねだり、相沢が笑って応じる。母親はカードの**“暑熱注意”**を読み上げ、「今日は早めに帰ります」と言った。


「記念は残せばいい。無理は残さない。それで十分」


 桂一は、管理事務所に掲示の申請を提出しに向かった。受付で書類を渡すと、担当者は日付印を押し、控えをクリップで留めた。


「設備保守の会社にも共有します。数字が写らないって苦情が何件か来ていましたから」


「こちらからも技術的提案を送ります。安全と説明が先、調整が後。順番だけ、お願いします」


「承知しました」


 戻ってくると、写真部の輪の中で理科の先生らしき人物が子どもたちに声をかけていた。「観察と記録ができてる。授業でも扱えるね」。

 先生に**保護者向けお知らせ(A4)**を手渡し、注意文の太字箇所を確認してもらう。先生は「暑さの文言が最初なのがいい」と頷いた。


「先生、文化祭では**“昼の心霊→昼の理科”の展示をやります!」

「いいね。噂のままでは怖がらせ**、理科にすると面白がれる。紙があると、面白がりのほうが勝つ」


 紙束が少しずつ厚くなる。在った撮影条件、在った露出値、在った笑顔。

 桂一は子どもたちの合間に、もう一枚の紙を出す。


―――――

設備向け 是正提案(A4・正式版)

現象:昼のスマホ撮影で数字が欠ける/消える/横縞が出る。

推定:PWM(数百Hz級)+桁走査 × ローリングシャッターの干渉。

推奨:PWM≥3kHz(推奨>5kHz)/走査周波数の引き上げ/デューティ比改善/DCホールド(桁間保持)検討。

暫定:案内掲示(A5)設置/撮影Tips配布/夜間は問題なしの明記。

添付:観測記録シート(匿名)/スローモード比較フレーム(時刻入り)。

―――――


「これ、市役所の代表メールにも送っておく。場所名は明記、個人は伏せる。“昼の心霊”の呼称はタイトルから外して“撮影時の注意”に寄せる」


「言葉も温度を持つからね」

 相沢が頷き、腕時計を見た。「そろそろ限界。氷嚢ないと頭痛が来る」


「じゃ、撤収。あと三枚撮って、日陰に退避」


 最後の三枚は、A→B→Cの三段セットを別機種で。シートの端に受領印を押し、子どもたちと拳を軽く合わせて解散した。


     ◇


 夕方、事務所。

 エアコンの風が紙の角をめくる。ホワイトボードには三行の要約。


 ——昼:速い→欠け/遅い→見える

 ——夜:見える

——陽炎:輪郭ゆらぐ


 相沢は写真の選別、成瀬は見出し案を三本出した。

「“写らない夏、写る手順”」「“昼だけの空振り”」「“熊谷・温湿時計の撮り方”」

 桂一は本文を書き始める。子どもたちの語彙を残し、噂の言い回しをやわらげ、安全の段落を先頭に持ってくる。

 書きながら、昼の会話を一文だけ正確に写す。


 『世の中の心霊写真の大半には、現象と結果がある。……でも、筆者は本物もあると考える。一部の本物だけが想像を掻き立てて空想を作る。当サイトの管理人も幽霊は肯定派である』


 文末に置いたその一文は、疑いと好奇心の両方を薄く支える杭みたいに見えた。

 フロアの照明が落ちて、窓の外に橙が伸びる。

 受信箱が青く光った。件名は**「掲示許可・受理」。

 続けて保守会社から「周波数の調整検討」の返信。最短で来週、設定変更の試験**ができるという。


「来週か」

「転、できそうだね」

「うん。“8が痩せる”のデータも揃えたい。桁走査の保持時間が短い機種なら、1/1000で細りが出る」


「実験リスト、紙に起こす」


―――――

追加観測メニュー(A4・転へ向けて)

1)桁別:1/500〜1/4000で“8”の形状差(近接・遠景)

2)周波数:アンチフリッカーAuto/50/60の差

3)端末差:主要機種5台(同一構図)

4)陽炎指数:地表温・風速メモ(簡易計測)

5)安全:滞留5分以内/水分補給/直射回避

―――――


「言い合いはしない。試す→残す。掲示と申請はもう通った。次の一枚を、静かに撮るだけ」


 相沢が椅子の背にもたれて、ふっと笑った。


「昼の心霊、手順の数だけ薄まっていくね」


「それでいい。薄まった怖さは学びになる。薄まらない怖さは——肯定して、耳を澄ませておく」


 どこかで雷の気配。

 プリンターが最後の一枚を吐き出した。紙の束は、朝より確実に重い。

 噂より重いものが、今日もまた、机の上に積み上がった。

 次は転。“8が痩せる”の理由と、周波数が変わった後の景色を見に行く。

 夏の理科は、まだ続く。

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