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起:昼の心霊、夏の理科

「……おかしいな」


 八月の午前、桂一は受信箱をスクロールしながら手を止めた。新着はどれも若い文体で、差出地域がそろっている。埼玉県・熊谷市。件名の多くに「昼だけ映らない」「数字が消える」が並び、本文には地名も温度も具体的だ。


――熊谷駅前の地名入り・温湿度つき時計、昼だけ数字が消えます。夜は普通。理由を知りたいです(◯◯中 写真部・連名)

――腕が溶けたみたいに写りました。数日後に擦り傷。偶然だと思うけど怖い(高1)

――小指だけ透けた写真が回って“昼限定の心霊”に。スマホだけで起きるのが気になります(OB・高2)


「同じ地域から連続。昼限定って文言がそろってる」


「このサイト、有名になってきたってこと?」

 相沢が嬉しそうにのぞき込む。


「半分はそう。残り半分は季節だよ。熊谷の夏はニュースで**『溶けるように熱い』**って言われる。撮る理由がある“場所と時期”が重なると、相談は一気に増える」


「撮る理由?」


「地名+温度+湿度の大きい表示。『今日の熊谷は37℃!』って記念に撮りたくなる。昼に撮る人が増えるから、そこで“映らない”に気づく。夜は写るから大人は“気のせい”で流す。夜に出歩けない子どものあいだで、“昼だけの心霊”として広がる」


 成瀬が無言で頷き、プリンターから**同意書(A4)と、出来上がった観測記録シート(A4)**を抜いた。

 クリップボードは三つ。予備のペンは多め。昼の猛暑は手早さが命だ。


「炎天下で子どもたちが心配だ。火消は早い方がいい」


 ――早速現場に出かけることにした。

     ◇


 正午前の熊谷駅前。白い広場の空気がむわっと盛り上がり、遠景のビルがとろけて見える。

 モニュメント時計には「KUMAGAYA」「36.9℃/48%」。

 表示の下で、◯◯中写真部の子たちが腕章をつけて待っていた。

 汗に濡れた前髪、冷えたペットボトル、期待で明るい目。


「水野さんですか?」

「ああ、そうだよ」

「今日はよろしくお願いします!」


 元気のいい声に暑さが吹き飛ぶ。


「メッセージありがとう。まずは紙から。安全と、言葉で残すのが先だからね」


 桂一はA4の束を配る。用紙の影が地面で揺らいだ。


―――――

観測記録シート(A4)項目

現場:__熊谷駅前広場__/天候:__猛暑・快晴__/時刻:__12:42__

端末:機種____/モード(写真/動画/ナイト/Pro)____

露出:1/__sec /ISO__/fps__

結果:見える/部分欠け/縞/見えない

備考:照度・距離・角度・他端末の結果

安全欄:許可の有無/直視せず/通行の妨げなし(チェック)

―――――


「じゃあ、いつもどおりまず撮って」


 カシャン。何台かの画面に写ったのは地名だけ。

 数字がごっそり消えている。

 別の機種では上半分だけ欠けた。隣の子のスマホには、細い横縞が流れた。


「やっぱり昼だけ消えるんだ!」


「夜は普通に写るのに」と部長。


「心霊じゃない。仕組みだ」


 桂一は一台を借りてスローモードに切り替えた。ファインダーに横縞が流れ、数字は一桁ずつ交代で光って見える。


「これがフリッカー。理由は二つ。PWM(パルス幅変調)っていうすごい速さの点滅で明るさを作ってること。それと、スマホがローリングシャッターで超高速に切り取って読むこと。

 二つのタイミングがズレると空振りして、**“写ってない”**になる」


「なるほど……」


 桂一は「それに、」と前置きして続ける。

「——水を注いだコップ越しに景色を見ると歪むよな? 今日みたいに地表が灼けると、空気の層がコップみたいになって光を曲げる。これが陽炎ヒートヘイズ

 屈折で輪郭が揺れたり溶けたり、**“腕だけ薄い”**みたいな写真が撮れる日がある」


「そうか! 原理を聞くと簡単かも」


 相沢が撮り方カードを配った。名刺サイズの小さな紙に、短い指示だけ。


―――――

撮り方カード(名刺)

・写真は1/30〜1/60秒(ナイト/Pro)

・動画30/60fps→静止画切り出し

・アンチフリッカー 50/60Hz

・ズーム控えめ/露出−0.3〜−1EV

・暑熱時は水分補給・長時間の直射回避

―――――


「この条件でもう一回。ナイトモードで1/30秒くらいに落として」


 同じ角度、同じ距離。さっき消えた「36.9」がふわりと戻った。横にいた別機種でも、露出−0.7EVで同じ結果。


「出た!」「戻った!」

 子どもたちと相沢の声が重なった。


「OK。昼=速い→欠け/遅い→見える。夜=見える。陽炎が強い日=輪郭ゆらぐ。この三つを紙に書こう」


 子どもたちが自分の字で記入する。語彙の欄に「縞/欠け/戻り/ゆらぎ」が増え、備考に「ズームすると速くなる」「動画→切り出しが楽」とメモが並ぶ。用紙の端には「暑いので交代」の印も。


「これ、心霊写真って呼ばれてるものと同じですか?」

 部員の一人が恐る恐る聞いた。


「世の中の心霊写真の大半には、現象と結果がある。フリッカー、屈折、露出、ブラー……説明がつく。

 でも——俺は本物もあると思う。大半って言ったろ? ごく一部の本物だけが、人の想像を掻き立てて空想を育てる。俺は幽霊、肯定派だよ」


「肯定派なんだ」

「うん。あるを前提に、見えるまでを手順にする——それが俺のやり方」


 桂一はベンチの影に腰を下ろし、業者向けの是正提案を叩く。背中に熱が貼り付く。紙だけが涼しい。


―――――

是正提案(A4・業者向け)

現象:昼のスマホ撮影で表示が欠ける/消える/横縞が流れる。

推定:PWM(数百Hz級)+多桁走査 × ローリングシャッターの干渉。

推奨:PWM≥3kHz(望ましくは>5kHz)/走査周波数の引き上げ/デューティ比改善/DCホールド検討。

暫定:掲示で撮影Tips案内(1/30–1/60s・動画→静止画)/夜間は問題なし。

添付:観測記録シート写し/スローモードのフレーム抜粋。

―――――


「この記事、熊谷駅前って明記していいですか?」と部長。

「OK。公共の場所の事実を安全と配慮の文脈で書くなら問題ない。個人の顔やナンバーは写さない、だけ守って」


「はい。学校にも説明配るなら、どう書けば」


「こんな感じで短く。暑熱を先に」


―――――

保護者向けお知らせ(A4・学校配布可)

・現象は表示の制御(PWM/走査)と撮影方式ローリングシャッターの組合せで生じるもので、心霊ではありません。

・夏季の見学は熱中症対策を行い、長時間の直射・路上滞留を避けてください。

・夜間は現れにくいため、日中の観察学習として安全に行います。

―――――


 相沢はさらに、通りがかりの撮影者向けに掲示の草案を作る。場所が“記念撮影スポット”になっている以上、ここに撮り方を置くことには意味がある。


―――――

広場掲示(A5)

撮影で数字が欠けて見えることがあります(フリッカー)。

・カメラ設定「アンチフリッカー(50/60Hz)」

・動画(30/60fps)→静止画切り出し

・Pro:1/30〜1/60秒推奨

暑熱時は無理をせず、水分補給を。

―――――


 用紙は風を孕んで、すぐに収まった。広場の熱は容赦ない。遠くの舗装が揺らめき、時計の数字がわずかにぶれる。子どもたちは交代で日陰に入り、記録を続ける。


「昼は速い→消える/遅い→見える、夜は見える、陽炎が強い日は輪郭が溶ける。——書けた?」


「書けました!」


「よし。今日はここまで。事務所で記事にまとめる。観測シートの写真は匿名加工して使わせてもらう。場所名は明記、人物は映さない」


 部長が手を上げた。「最後に一つ。心霊って、結局どう思いますか」


「さっき言ったとおり。大半は現象と結果が説明できる。けど、一部の本物はある。本物だけが想像を動かして、空想を作る。俺は肯定してるよ。……だからこそ、説明できるものは説明して、怖さの形を紙にしておく」


「紙に、する……」


「言い合う時間より、短く試して、長く残す。通行は優先、撮影は手早く。それで十分、次の人に渡せる」


 子どもたちが頷く。A4の束がそれぞれの手に移り、クリップの金属が太陽を反射した。

 最後に桂一は、管理カウンターに寄って掲示案と是正提案の控えを渡す。担当者は「安全の文言が先なのが助かります」と受け取り、日付印を押した。


     ◇


 夕方、事務所。エアコンの風が紙に当たり、角だけがゆっくりめくれた。ホワイトボードには三行。


 ——昼=速い→消え/遅い→見える

 ——夜=見える

 ——陽炎=輪郭ゆらぐ


 相沢が写真の並びを組み、成瀬が見出しを打つ。「昼の心霊、夏の理科」。

 桂一は最後の段落に、短い一文を置いた。


 水を注いだコップ越しに景色が歪むように、世界はときどき歪む。歪みの理由を言葉にして紙へ置けば、怖さは少しだけ形になる。


 送信。受信箱が静かに青く光る。画面の端に、子どもたちの名前が順に流れた。

 外はまだ暑い。けれど、紙の上の数字ははっきりしている。在ったことは在ったと書ける。写らないことも、理由つきで書ける。


 あとは、設備側の返事を待つだけだ。PWMの周波数が上がれば、次の夏には“映らない”が少し減る。減らせなかったぶんは——撮り方と掲示と紙で受け止める。


 今日、ここまで。

 明日、記事は「熊谷駅前」として公開される。地名+温度+湿度の記念は、そのまま理科の入り口になる。

 そして、心のどこかでは——一部の本物に向けて、耳を澄ませておく。

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