第一章(四)
サーフボードを抱えて海に向かう晃一に、司は声を掛けると右手を掲げた。互いの右腕をぶつけ合って笑みを返す。自分達のステージに上がる合図だ。
大きな波が来た。
片手に缶を持った両手をサーフボードについて、波のカーブと共に一気に立ち上がると、その曲線にそって滑り出す。
まるで、ステージの上でスティックの合図と共にドラムが弾け、それに合わせて秀也のギターが響くとナオのリズミカルな重低音のベースが鳴り、紀伊也の指がキーボードの上を滑るようだ。
前奏と共にステージのボルテージが上がる。
そして、その中央で司がマイクを持った右手をかざすように晃一は缶を掲げた。
司が歌い出すのと同時にそれを飲むように口に当てた。
ワァーーっと観客の歓声が上がる。同時にホール全体がジュリエットの音に呑まれて行く。
「司っ」
浜に向かって来る晃一が缶を投げると、それに向かって司は走り出し、缶が傾き落ちる前に空高くジャンプし、右手を思い切り伸ばしてそれを掴んだ。
朱色の太陽に反射し、缶がまるでマイクのように司の手の中に吸い込まれて行く。
バシャっと足首まで海の中に着地して、再び水しぶきを頭から浴びたが、キャッチした缶を晃一に向けて笑みを浮かべると、髪を左右に振って水しぶきを飛ばした。
サーフボードを砂に突き刺して立て掛けると、その隣で二人は両手を重ね合ってライターに火をつけた。
2本のタバコが1つの火に重なる。
ふと晃一は視線をずらした。
俯きかけた司の目が不意に眩しく見えた。思ったより長い睫毛が、傾きかけた陽の光のせいで神秘的な色を醸し出していた。
あの綺麗な琥珀色の瞳はどんな色になっているのだろう。
頭の中で想像したが、不意に司の柔らかい髪が目に触れて目を閉じた。
次に開けた時には、タバコの煙が目に沁みて顔を上げてしまった。
ふぅーっと、海に向かってゆっくりと煙を吐いた。
「カーットっ」
スタッフの声が聴こえた瞬間二人は顔を見合わせると、満面の笑みを浮かべながらタバコを持った互いの右腕をぶつけ合った。
白い歯がこぼれる。その先を見ると、今までに見た事のないような朱色がかったような、それでいて黄金色を思わせるようなその瞳の色を見た。
******
都心に向かう車の中は思い切り夕陽を浴びて、まとも目を開けている事が出来ない。黒いサングラスをかけた二人は珍しくほとんど会話もせず、晃一は、窓に手を付いたまま外を見ている司を横目に車を走らせていた。
「なぁ 晃一、どっかでメシ食って行こうぜ。腹へったよ」
不意に司がこちらを向いた。
「あー? いいけど。 秀也も誘えば? せっかくだし」
「いーよ、もう。 メンドくさい」
昼間の秀也と司の電話のやり取りを思い出して、気を遣って言ったつもりだったが、即座に断られ、些か呆れてしまった。
「あのなぁ。 ・・・ なぁ、お前ら何かあった?」
司から何かやり切れなさそうな気配を感じた。
「何もないよ。 ・・・ 、だったらお前から言ってよ」
素っ気無く言うと、再び窓の外に向いてしまった。
一つ溜息をつくと、晃一は車を止めて携帯電話を出した。アドレスを呼び出したが、何の興味も示そうともせず、黙ったまま外を見ている司に視線を送ると、そのまま電話を掛けずにバッグの中にしまった。
「じゃ、行くか。俺も腹へって死にそうだよ」
少しおどけたように言うと、再び車を走らせた。
「何、食う?」
「あー、あそこ」
「はぁ?! ファミレスかよ」
司の指した所に車を止めると、二人は中へ入った。
「よっぽど腹へってたのな。 秀也よりメシかよ」
食後のコーヒーを飲みながらタバコを吸うと、晃一は呆れたように目の前の司に視線を送る。
「当り前だ。ここで食わねぇと秀也に会う前に死んじまうよ」
ふぅと天井に向かって煙を吐きつけると続けた。
「家帰って着替えたら飲み直そうぜ」
「あん? いーけど。 秀也も誘うの?」
「そうだな。せっかくだから誘うか。 ま、あいつの都合次第だな」
「何で?」
「何でって、あいつだって忙しいんだ。ホラ、秀也ってオレと違って友達多いからさ。いろいろ誘いがあんだよ。それに今日はせっかくのオフだ」
「そりゃそうだけど、せっかくのオフならお前ら二人で会えばいいだろ」
「はは、そりゃ出来ればそうしたいけど、そうもいかないだろ。それにオレ達、仕事だって毎日顔合わせてんだぜ。たまには他のヤツと付き合いたいだろが」
「司はそれでいーのかよ」
「オレは別に構わないよ。それにオレだって一人になりたい時はあるんだ」
「 ・・・ 」
「一人は慣れてるからいーんだよ。今までずっと一人で居たからさ。一人の方が居心地がいい時があんだよ。お前には解らないかもしれないけど」
半分苦笑しながら言うと、最後にはすーっと表情が消えて行った。
どこか遠くを見るようにタバコを吸い、ゆっくり煙を吐いた司が切なく感じた。
******
シャワーを浴びて着替えて出て来た司は、タンクトップにスウェットのパンツといった普段からは決して想像のつかないラフな格好だ。
白いタオルで髪を拭くと、頭を左右に振って髪を手櫛で梳かす。タオルをソファの端に放り投げると、ワインセラーからシャンパンを1本出してグラスを二つテーブルに置いた。
「晃一も飲む?」
ビールの缶を口に当てながら頷くと、司は二つのグラスにシャンパンを注いだ。
ボトルをテーブルの上に置くと、グラスを手に取った司は立ったままそれを一口飲んで、ホッとしたように息を吐いた。
「はぁ、やっぱりシャワーの後はこれに限るな」
「お前ってよく解んねぇな。ま、いーけど。 で、秀也は?」
「あ? おー、そうか。電話してみっか」
思い出すように言うと、グラスのシャンパンを一気に飲み干し、電話へ向かう。
そんな司を横目に晃一は、秀也の存在も薄くなったもんだと苦笑してグラスに手を伸ばした。
ふと視線を移すと、サイドボードの上の亮の写真に目が止まった。
今にも話しかけて来そうな亮から目をそらし、受話器を耳に当てる司に視線を戻す。
突然不意打ちを喰らったように耳から受話器を離した司が、一瞬ムッとしたように見えた。が、すぐに呆れたように受話器を元に戻すと、「ずいぶん楽しそうだね」と、嫌味っぽく言った。
「 ・・・、 悪いけど、秀也に代わってくれないかな」
幾分冷めたような言い方をすると、晃一から背を向けて窓の方を向いた。
「 ・・・、 いいよもう。大した用事じゃないから気にしないで。また今度でいいから、 ・・・、 いいって、 ・・・ うん、じゃね」
背中越しに溜息をついているのが分かる。少し俯き加減に受話器を電話に戻すと、髪をかき上げながらこちらへ戻って来た。
「何だって?」
おおよその内容は検討がついたが、思わず訊いてしまった。
「大学ん時の連れと飲んでるんだってさ。すっげ楽しそうだったよ」
何事もなかったように作ったような笑顔で答える司の向方に亮が見えた。
「お前、それでいいの?」
「え?」
空いたグラスにシャンパンを注ごうと、ボトルを持ち上げた手が止まる。
「お前さぁ、何遠慮してんの? 会いたいなら会いたいって言えばいいじゃん。何でそういうとこ引いちゃうワケ? らしくねぇな」
最後には吐き捨てるように言うと、晃一はグラスをぐいっと傾けて一気に飲み干した。そして傍にあったタバコの箱を無造作に取上げて、中から一本抜くと火をつけて一気に煙を吐き出した。
晃一の思わぬセリフに呆気に取られた司だったが、気を取り直したように空いた二つのグラスにシャンパンを注いだ。
シュワーっと、炭酸が細長いグラスに弾け、細かい泡が何本ものガラスの糸のようにグラスの底から立ち上る。
「どうしたの、晃一?」
ボトルを置くと、グラスを手にしたまま晃一の隣に腰掛け、顔を覗き込んだ。
「何かあった? ・・・ 秀也と」
少し不安になって訊く。
デビューして1年、一気にステージの階段を駆け上がり、それに対して追いついて行けてないメンバーの気持ちは解っているつもりだった。
毎日、焦ったように時が過ぎ、今自分が何処にいるのかさえ見失ってしまいそうだった。あの嫌味な程に冷静沈着な紀伊也でさえも、めげたようにぼやいていたくらいだ。
それに、司自身、この縛られた時から逃げ出したいと思ったくらいだ。しかし、自分の我がままで他の4人の人生を引っ張るように振り回してしまった事に、今更どうする事も出来ない。
一度背負ってしまったものは、そう簡単に下ろす事は出来ないのだ。
「晃一?」
「俺さ、このまま悶々としてるもイヤだから言うけど、お前さ、こっち(日本)に戻って来てから何だか変だよ。そりゃ、デビューして思い切り生活の環境変わって忙しすぎて周りが見えない事くらい解るけど、俺達に変な気遣ってねぇか? 前はもっとすっげぇ我がままで言いたい事勝手言いやがってたのに、最近変だよ。何か気ィ遣われてる感じがしてさ、水臭いっていうか、な~んか気もち悪いっていうか・・ 」
「 ・・・ 」
思いがけない言葉に晃一の顔を覗き込んだまま動く事も出来ず、そのまま見つめてしまった。
「秀也にだってそうだ。お前と秀也がどういう付き合いしてんのか知らないし、俺には関係ねぇし、第一そんな事どうだっていい。けど、何だかお前ヘンだよ。向方(留学先)で何かあった? 」
「え・・・?」
不意を付かれたような晃一の言葉だった。
自分の態度にこれまで気にした事はなかった。特に意識した事もない。ただ自然に振舞っていたつもりだっただけに、突然そんな事を言われてどう返していいか分からない。
「秀也が浮気した事にまだ怒ってんの?」
「 ・・・ 」
今度は晃一に覗き込まれるように目が合った。が、そらす事も出来ずにそのまま晃一の目を見つめたままだ。
「司?」
フっ・・・
思わず目をそらして、顔を背けると笑ってしまった。そして、グラスを口につけると半分程まで飲んだ。
グラスを置いてタバコに手を伸ばし、一本抜いて火をつけると、ふぅーっと真っ直ぐ煙を吐いた。
「別に怒っちゃいないよ。あの時、秀也に他の女と付き合ってもいいと言ったのはこのオレだ。そっちが本気になったら別れてもいいと言ったんだ」
「え?」
「自信、なかったからオレ。向方でどうしてもやりたい事があったから、きっとそっちに集中しちゃって秀也の事なんか忘れちゃうだろうって。それに、あいつが本当はもっと女の子らしい子が好きなんだって事も解ってたから、考えるにはいい機会だと思ったんだ」
そしてタバコを吸うと、天井に向かってゆっくり煙を吐いた。
「それに、秀也も考えたいって言ったから」
そう言って晃一に視線を送ると、フッと微笑んだ。
「このままバンド続けて行くか、就職するか。 あいつ、すっげぇ悩んでた。 オレが留学すればバンドの活動もなくなる。2年もブランクが出来るんだ。考えるにはいい機会だろ。だからついでに言ったんだ。オレとの付き合いも考えろって。 だから別に怒っちゃいないし、あれは浮気でも何でもない。普通の恋愛だよ。オレには関係ない」
最後には素っ気無く言うと、再び前を向いてタバコを吸うと天井に向かってゆっくり煙を吐いた。