第八章(二)
自分の犯した罪にどんな罰が、いや、制裁が下されるのだろう。
その事を考えると、それを待つより自ら消滅してその恐怖から逃れてしまいたい。いっその事、舌を噛み切ってしまおうか。そう思い、自分の舌に歯を当てようとするが、顎に力が入らずにいた。
今はただ、タランチュラの牙から逃れたいだけだった。
しかし、扉が開かれ、自分の父親と光月亮太郎の姿を見た時、それも諦めてしまった。
その背後に自分を見据える冷たい琥珀色の瞳を見つけてしまったからだ。
光月家の地下室に軟禁されていた三鷹繁幸は、がっくりうなだれて、黒い革張りのソファに崩れるように座った。
「繁幸」
苦渋に満ちた父親の表情に何か察したが、それを考えるのも嫌になる。
「解ってるよ、父さん。 もういいよ。 俺が馬鹿だったんだ」
誰に視線を向ける訳でもなく、顔をそらせたまま言うと、目を閉じて息を吐いた。
「アメリカに行け」
「え?」
意外な言葉に思わず顔を上げた。
「もう一度、最初からやり直して来い」
「どういう事?」
「君のした事の全てをなかった事にした。かなりの難題だったが仕方がない。国家の安全に関わるからな。しかし、これ限りだ。次はないものと思え」
亮太郎が三鷹に代わって言うと、三鷹は頷いた。
「繁幸、Rがチャンスを与えてくれたのだ。 一度足を踏み入れてしまったこの道は、引き返す事は出来ない。それはお前にも解っている筈だ。アメリカに行って、もう一度最初から全てを学んで来い。そして、Rに忠誠を誓いなさい」
「でも・・・」
「断る事は出来ない。それがお前の生きる道だ」
「 ・・・ はい」
考えるまでもない。
これが制裁だったのだ。
しかし、本当に自分への罰はないのだろうか。生きる事を許された挙句、その道まで与えてもらった。
あとはその使命を果せばいい。
繁幸は安堵の息を吐きかけた。
「命拾いしたな」
冷たく刺すような声にハッと顔を上げると、二人の後方に控えていた司が入って来た。
それに続いてもう一人、同じように冷めた瞳をした男が入って来る。
「一条君?」
何故ここに紀伊也がいるのか解らない。
繁幸は驚いたまま紀伊也を見つめた。
「一度裏切った者が二度と裏切らないとは限らない。私が事実信用しているのはタランチュラだけだ。この二人の目が常にある事を忘れるな」
表情なく亮太郎は、司と紀伊也を顎でしゃくった。
「殺戮のトライアングル、お前も聞いた事があるだろう」
「あるけど、それは数年前に・・・」
「そうだな。 ハヤブサと言われた男、あいつはオレが封印した。 だが、トライアングルにはもう一つ必要だ。 死に掛けた獲物を喰らうハイエナ、そう言われている男がいる。それが・・・ 」
司はそう言いながら一歩後ろにいる紀伊也に視線を向けると、すぐに嘲笑するかのような眼差しを繁幸に送った。
「まさか・・」
ごくんと生つばを呑み込むと一瞬司を見たが、その目を見たとたん、すぐに紀伊也に視線を戻す。
「紀伊也だ」
「一条君が・・・」
表情一つ変えず何も言わない紀伊也に底知れぬ恐怖を抱いた。
無口でおとなしく、時にはその存在すら忘れてしまう程だった紀伊也の本来の姿は、冷酷に牙を剥く能力者タランチュラに絶対服従を誓う冷徹な能力者だったのだ。
「Rはお前にチャンスを与えたが、オレはお前がした事を許しはしない。が、Rの指令は絶対だ。だから手出しはしないが、常にオレ達の目がある事を忘れるな。もし、お前が背いた時には命はないと思え」
捕らえた獲物を目の前にして逃さなければならないタランチュラのその瞳には凄まじい殺気がみなぎっている。
「三鷹君、君は完全に司を怒らせてしまったんだ。その報いは受けなくてはならない。 俺はタランチュラについて行くだけだ」
紀伊也が冷たく言い放つと、司はそれ以上何も言わず、背を向けると紀伊也と共に出て行った。
ここにもまた、自ら犯した罪への報いとして、新たなしがらみに纏わりつかれた者がいた。