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第八章(一)


 ビルの灯りやネオンなど言った派手な灯りが一つもなく、上を見上げれば満天の星空が広がり、見渡せば星や月の灯りに照らされた砂の波間が辺りに広がっている。

そんな中で、大きな布で覆われたテントの中だけが文明の灯りに照らされていた。

そのテントだけが、静けさに包まれた冷たい夜の砂漠で妙に浮かれていた。

時折、下品な笑い声が響く。

傍につながれたらくだ達は足を折り曲げて座り、眠りにつこうとして、その笑い声に耳だけがピクリと動く。


一頭の無人のらくだが何処からともなく現れると、そのテントの傍で止まった。

足元には四つ足の動物が一匹、従うようについていた。

よく見れば、月灯りに映し出されたそのらくだの背に、何か黒曜石のような塊が光っている。

それがゆっくりと歩き出し、らくだの長い足に沿って下へと降りて行く。


不意にテントの垂れ幕が開き、一人の男が顔を出した。

月灯りのせいなのか、その青白い肌に氷のような青い瞳が妙に浮いて見えた。

「迷子のらくだか」

そう呟くとすぐに顔を引っ込めた。

「どうかしたのか?」

少し頬のこけた薄茶色の髪をした男が、くぼんだ目をギョロつかせた。

あれから数日しか経っていなかったが、紳士的な面影を全て失くしてしまったイルファンだった。

タランチュラに、能力の半分以上を封印されてしまったと気付いた時、底知れぬ恐怖を覚え、たった一晩で形相が変わってしまった。

自分が費やした十数年という時を一瞬にして砕いてしまったタランチュラの能力にすっかり怯えてしまったのだ。

あの時、サラエコフに助けられなければ、自分は完全に消失してしまっただろう。

「何でもありません。らくだが一頭迷い込んで来たようです」

というサラエコフの言葉を聞いて、イルファンはぐいっと浴びるように酒を呑んだ。

「イルファン、そう気落ちする事もあるまい。少し休めばまた元に戻る。心配するな。それに、サラエコフの能力も少しだが使えるようになって来ている」

イルファンの隣にふんぞり返って座っていた腹の突き出た中年の男が、ボトルを掴むとイルファンの盃に酒を足した。

イルファンは一瞬、ギョロっと横目で見ると軽く頷いた。



「皆殺しにしてやる」


残虐極まりない冷酷な琥珀色の瞳が彼等を見据えていた。

大木に囲まれた広大な敷地にある屋敷の一室でピアノの音色が響いていた。

ざわざわと木の葉達が揺れ始め、次第にそれが激しくなって来る。

空を見上げると黒い雲が立ち込め、今にも雨が降り出しそうだ。

その内、その暗雲の合間にフラッシュを焚いたような閃光が走った。。

遠くの方で雷の音が聴こえ始める。

部屋の灯りをつけず、窓から入って来る灰色に、部屋の中はまるで暗黒の世界へと続く入口のように不気味な空気を漂わせていた。

その中で奏でられているショパン「幻想即興曲」は、切なく儚いものとはまるで違っていて、息苦しく、今にも何かに押し潰されそうな圧迫感を醸し出している。 

それを奏でている司は、目を閉じて激しく指を動かしていた。

そして、部屋のソファでそれを紀伊也の表情のない冷めた瞳が黙って見つめていた。


 ポツポツ・・・ 窓に大粒の雨が叩き始め、あっという間に ザザーーっと視界を遮る程の豪雨になった。

次第に稲光も鮮烈に走り始め、雷の音も大きく響き渡る。

更にその旋律が暗黒の世界に導くように激しくなって行く。


 イルファンがふと手を後ろに伸ばした。

何か毛のようなものにそれが触れた。


 ん?


何気に視線をその手に持って行った時、一瞬にして石になってしまったかのように動く事が出来なくなってしまった。

自分の手がその黒い塊の足の一本に触れていた。

巨大な蜘蛛だった。

脚の太さはロープ程あろうか。しかし、何より驚いたのはその体の大きさだ。

大人の男が広げた手の大きさはあるだろう。

砂漠の中は未知数だ。

これ程大きな蜘蛛が存在してもおかしくはないだろう。

しかし、自分を見つめるように動かないその蜘蛛に、背中に冷たいものが流れる。

じわりと額からも汗が滲み出て来る。

「どうした?」

固まったように動かないイルファンに声を掛けた中年の男は、イルファンの視線の先に目をやると同時に盃を落として悲鳴を上げた。


「うわーーっっ!!」

「タランチュラだ」


瞬間、司は目を開くと口の端をニッと上げ、冷めた琥珀色の瞳に妖しい光を放った。

それに続くように紀伊也の瞳にも妖しい光が放たれた。


 イルファンが呟くようにその蜘蛛の名を口に出した瞬間、巨大な黒い塊がその手に牙を剥き、次の瞬間逃げ出そうとした中年男にも襲い掛かった。

あっという声さえも出す事が出来ず、二人はその場に崩れると、その動きを止めた。

一瞬の出来事に回りにいた護衛の男達は逃げる事も出来ず、その場に釘付けになってしまった。


ウーっという低い動物のうなり声に振り向くと、垂れ幕から一匹のジャッカルが赤い目を光らせてゆっくり入って来る。

まるで地獄の番犬のようだ。

巨大な黒い塊が中年男の腹の上を歩き出した時、一人が悲鳴を上げた。

瞬時にしてテント内はパニックになり、灯りが消えると暗闇と化した。

ほんの数分の出来事だった。


 冷たい夜の砂漠で、月灯りに映し出された大きなテントは、何の息遣いも聴こえずにひっそりとたたずんでいた。

その傍らにいた無人のらくだは何処かに消えていた。




 いつの間にか立ち込めていた雷雲も何処かへ消え、激しく降っていた雨も今は静かにしとしと音を立て始めていた。

激しかったピアノの旋律もそれに合わせるかのように、しっとりとした音色に変わっている。

曲が変わり、軽快に「英雄のポロネーズ」が始まると、紀伊也は腕を組んで目を閉じてそれを聴いていた。

曲が終わり、指を離すと司は窓の外に視線をやって、一つ大きな息を吐いた。

「秀也の快復も順調で良かったな」

その言葉に司は笑みを浮かべて頷いたが、すぐにその表情も消え失せた。

「あとは三鷹か」

そう呟くとピアノから立ち上がり、窓際に立って、雨に濡れた庭を見渡した。





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