第六章(三の2)
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入国ゲートをくぐり、久しぶりに聞く周囲の日本語に、初めて懐かしさを覚えた。
大きなスーツケースを引きながら辺りを見渡すと、久しぶりに見る優しい笑顔を見つけて思わず微笑んだ。
「お帰り」
「ただいま」
互いに見詰め合ったまま笑顔で言ったが、照れたように司は秀也から目をそらせてしまった。
その瞬間にスーツケースを持っていた手に秀也の手が触れると、ドキッとして再び秀也を見たが、秀也もまた照れたように目をそらせたまま司の手からスーツケースを取ると、もう片方の手で司の肩に手を回した。
「よく帰って来たな」
「 ・・・。 当然でしょ。これから始まるんだから。オレ達の生活が」
「生活?」
歩き出そうとしたが、秀也は動きを止めると司の顔を覗き込んだ。
「ステージ!」
二人は同時に口に出すと、瞬間向き合って互いの右腕をぶつけ合った。
2年間の留学生活を終え、これから始まる新たな人生をようやく自分の足で踏み出す事が出来た時、改めて仲間というもの、又、親友というものを持ったという実感を得た気がした。
そして、自分は光月司という一人の人間として生きる事が出来るのだと、ある種の自立心をも持った。
今まで束縛していた何かから解放されるように、自分のステージへと立ったのだ。
秀也に再会した時、今までに味わった事のない底知れぬ安心感と懐かしさが込み上げた。
それは、兄・亮からも感じた事のないものだった。
デビューしてからは、予想通り特異な目で見られたが、一向に気にする事なく独自のスタイルを突き進んだ。
それは半ば強引とも言えたが、何かしら秀也にはよく相談していた。文句を言ったり、愚痴を言ったりと、隠さずに自分の気持ちを素直に言っていた。
秀也の方も特に妥協する訳でもなく、司の話はよく聞いて、言いたい事は隠さず何でも言っていた。
お互い遠慮もせず、男だとか女だとか意識せずに言い合っていた。
しかし、司の方も甘えたい時には素直に甘えていたし、秀也も自由気ままな司を愛しく包んでいた。
「ねえ、こうしてるとオレらしくない?」
とある晩、司の部屋のソファでグラスを傾けながら、隣に座る秀也の肩に頭を乗せると呟くように言った。
「何で?」
「・・・、何となく」
「司、お前さ、気負いすぎなんじゃないの? そりゃ世間じゃ、その辺の男より男っぽいとか、男に興味のないゲイだなんて言われてもお前はお前だろ。俺という存在が居るんだから、こうして甘えたって司は司だよ」
「 ・・・ 」
「何、しおらしくなってんの? 不安?」
「不安って?」
「不安そうな顔してるから」
秀也は司の顔を覗き込んだが、すぐに元に戻ると司の肩を抱き寄せた。
「いいじゃん別に。どれだって司だよ」
「どれだって?」
「そう。いつもみたいに男っぽくしてたって司だし、俺の前で甘えてるのだって司だし。 とにかくどんな時でも何してたって司は司で、司らしいよ」
「オレらしくない時って、あんの?」
「司らしくない時? う~ん、そうだな、 ・・・、 よく分かんないな。 今までそんな時ってあったかなぁ? 誣いて言うなら今の司かなぁ」
「え? 今のオレ?」
「自信、なさすぎ。 立ち止まって考えるのはいいけど、自分の事を卑下するなよ」
そう言って秀也は司の肩を更に強く抱いた。
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何度秀也に励まされただろう。
何も言わずに、傍に居てくれるだけでもどれだけ心強かっただろうか。
世界を灯していた火が消えかけ、全てが闇に閉ざされてしまう不安を感じるように、秀也を失う事の恐怖が、司を取巻いていた。