第一章(二)
1年前に彗星のように現れたロックバンド・ジュリエットの人気はデビューと同時にその頂点を極めた。ボーカルの光月司が以前から手掛けていた超人気バンドヴィールスが少し前に解散してしまい、その大方のファンがジュリエットに流れたというのもあったからだ。
類まれなる才能の持ち主の司が実は女性であるという事も興味を惹いた。何故ならその風貌、言葉遣い、態度等々、どこからどう見ても男にしか見えない所が興味の的だったのだ。
そのジュリエット結成は今から6年程前、司が15歳の時まで遡る。
バンドのメンバーでドラムの矢神晃一と出会ったのは、その1年前の14歳の時だった。当時ロンドンのスクールに通っていた司が一時帰国中に、10歳年上の兄・亮のプロデュースするライブに顔を出した時に、17歳だった晃一に声を掛けられたのが始まりだ。
その翌年はパリに在学していた為、バンド活動は頻繁に出来るものではなかったが、その夏休みに4人で結成し、一週間後の初ライブで既に観客を魅了してしまったのだ。その時はヴィールスの曲を何曲か披露したが、実はそれらは司自身が作った曲でもあった。
本格的に活動し始めたのは、日本の高校に通う事を許された時だ。が、活動してから間もなくの半年後、16歳の秋に兄の亮が事故死してしまった為、活動は一時休止。そして、翌年の夏にはメンバーの一条紀伊也が留学してしまう為に急遽新メンバー探しの為に再びライブに参加した時、現メンバーで恋人でもある須賀秀也に出会ったのだった。
司が高校を卒業後、2年間の留学から戻って来ると同時にメジャーデビューを果す事となった。
それが、ヴィールスの作曲者であった事、またそのボーカルだった恭介の後押しもあって、その人気は絶大のものとなった。
お陰で取材、撮影等々、そのスケジュールは毎日分刻みに動いていた。
*******
『えーーっ、海でーーっ!?』
このCMの話があった時、うんざりしてしまった。
『飲むだけだから』
『飲むだけならオレじゃなくたっていいだろ』
『だから、司じゃないとダメらしい』
マネージャーのチャーリーに言われて脹れたが、打ち合わせに黙って晃一を連れ出した。
訳も解らず言われるままに連いて行った晃一だったが、次の当然のように言い放った司のセリフに、思わず口に含んでいたコーヒーを思い切り吹き出してしまった。
『だから、晃一がサーフィンしながらそれを飲むんだろ』
それには、晃一だけでなく全員が息を飲む。
『だって、前に言ってじゃん。お前ら三人で波乗りながらビールの回し飲みしたって』
『ゲホっ ゲホっ・・ あれはだな ・・ 』
咽返りながらスタッフからティッシュを受け取り口を拭いた。
『晃一だけだったんだろ、サーフィンしながらビール飲んだの。 すっげ、かっこよかったって言ってたよ』
わざとらしく「サーフィン」と「かっこいい」を強調して言うと、周りのスタッフは目を丸くしながらざわついていた。
晃一が説明しようとした時には既に遅く、新しく企画が練り直されていた。
呆然とする晃一を横目に司は悠然と含み笑いしながらタバコを吸っていた。
『ちょっとムリだって、あれはだな・・』
『あ~ら晃一君、そんなに謙遜しなくたって。 それに、オレも見てみたいなぁ、晃一君のかっこいいとこ』
嫌味な程とびきりの笑顔で司に肩を叩かれ、晃一はチッと舌打ちした。
あれはただ単に、サーフボードにまたがって波に揺られながら飲んだまでだ。
その時、たまたま来た波に勢いで乗ると缶を片手にサーフィンをしてしまったのだ。たまたまとはいえ、その時一緒にいた秀也とナオは晃一を大絶賛していた。
******
「しっかし、お前もホントにやるとはな。 けど、マジ、すっげーかっこよかったよ」
散々砂の上を走り回り、いい加減疲れて息を切らしながら司は座り込むと、肩で息をしながら両手を膝につけてはぁはぁ言っている晃一を見上げた。
「ホントホント、本当は皆半信半疑だったんですよ。でも、すっげーかっこよかった」
スタッフの宮内も興奮しながら言うと、他のスタッフも感心したように頷いた。
「ばかやろ、当り前だ。 あれから散々練習したんだ。できなきゃかっこ悪いだろ」
チッと舌打ちすると、司と向き合うように砂の上に座り込んで皆を見上げた。
「もう終わり?」
晃一の質問に一瞬静まり返ったスタッフは、誰彼となく申し訳なさそうに顔を見合わせた。
「もしかして・・・」
「すみません、そのもしかして、なんです。 も一回お願いします」
「 ・ ・ ・ 」
思わず目の前の司と目が合った。
キャハハっ・・・
「マジかよーーっ!!」
司の笑い声と晃一の悲鳴が響く。
「司さんも、も一回お願いします」
「 ・ ・ ・ 」
思わず黙ってしまった司は再び晃一と目が合った。
「何で?」
「さっきの、ジャンプして缶取ったとこ、あれ、やって下さい」
「 ・ ・ ・ 」
ギャハハっ
「えーーっ、何でぇーーっ!?」
今度は晃一の笑い声と司の悲鳴が響いた。
「それと、さっき二人でタバコに火をつけてたとこ、あれ、夕陽をバックにやりたいんで、それまでお願いします」
「 ・ ・ ・ 」
今度は二人共に黙ってしまった。
帰れない・・・
取材、撮影、収録、打ち合わせ、連日この繰り返しのスケジュールに追われていた。先月発売したアルバムの売り上げも当初の予定を大幅クリアし、掲載された雑誌の売り上げ部数もかなりあった。お陰であちこちから問い合わせが殺到し、来月から始まるライブのツアーに向けてメンバーもスタッフもその準備に追われ、休日を取る間がなかった。
それが、今日はこの撮影の為に他のメンバーはオフがもらえ、この二人も午前中の早い時間からの撮影の為、午後には解放される事になっていたのだが・・。
「まだ9時半だぜ」
晃一は傍に居たチャーリーの腕時計を見ると、うんざりと溜息をつくように言った。
***
「おーい、もっとテンション上げようぜ」
「上がるか、ばか」
あれから2時間程、晃一は再度チャレンジするが、今度はなかなか波が来ず、来てもなかなかいいカットが撮れない。そして、司の方はと言えば、晃一の投げる缶が余りにも高過ぎるか、距離が短いか長いかで、これもまた何回となくトライしているのだが良いカットが撮れず、いい加減疲れて来ていた。
また、直射日光をまともに浴びて二人共バテ気味だ。
とうとう砂の上に座り込んでしまうと、動く事が出来なくなってしまった。
「はぁはぁ、もうヤダ」
額から流れる汗を拭う気にもなれない。
司は肩で息をしながら晃一の両膝を叩いて足を伸ばすように促すと、その膝の上に頭を乗せて仰向けに寝転がった。
「あのなぁ」
「だって、髪に砂がかかる」
眩しそうに目を細めると片手で目を覆い、息を整えた。
「お前の髪って綺麗だな」
「ん?」
少し色白の細い腕の陰から琥珀色の瞳が覗いた。
「金髪みたいだな」
「染めてねぇぞ」
「わかってるよ」
すかさず応える司に晃一は苦笑した。
光に反射するとその光り加減で淡い栗色になったり、ブラウンになったり、黄金色になったりと不思議な色を醸し出す薄茶色の髪だ。よく何色に染めているのか訊かれるのだが、都度何もしていないと答えるが、誰にも信じてもらえず、司もいい加減呆れていた。その内返事もしなくなっていた。
晃一はそのまま両手を砂の上について海の方を眺め、司も息を整えながら目を閉じて波の音を聴いていた。
「休憩入りましょうか」
スタッフの一人が水の入ったボトルを二人に渡す。
「そうしてくれ」
そう言うと晃一は蓋を開け、少し飲むとそのまま自分の顔の上にその水を浴びせて、残った水を司の顔に落した。
「ふぃ~、気持ちィ」
太陽に反射して肌に落ちた滴が光る。
司は体を起こすと、ボトルの蓋を開け、少し飲んで晃一と同じように上を向いて顔に水を浴びせると、隣に座っていた晃一の胸目掛けてボトルを振った。
勢いよく水が弾ける。
思わず顔をしかめた晃一だったが、笑みを浮かべただけで、そのまま再びきらきら光る海を見つめた。
「ねぇ、晃一がサーフィン始めたのっていつ?」
「んー、中学ん時かぁ。 従兄の兄ちゃんがやっててさ、教えてもらった」
「へぇ~」
「今でもたまに一緒に行くかなぁ。もう30になるけど、まだまだ現役でさ、かっこいいんだよ。普段はフツーのサラリーマンなんだけどさぁ、波乗ると別人って感じで憧れちゃうよなぁ」
「へぇ、晃一でも憧れる人がいるんだ」
「そりゃ居るよ。 なんかさ、人生の先輩って感じがしてさ。俺なんかホラ、なんも考えずにやってるけど、あの人と話してると、ああ、色々考えてるんだぁって」
「ふーん」
「身近だから余計そう思うんかなぁ。 お前だって亮さんから ・・ あっ ごめんっ、今のナシっ」
言いかけて慌てて否定すると司の顔を不安そうに覗き込んだ。
「大丈夫だよ」
司は思わず苦笑してしまった。
亮の話はタブーだ。5年前に事故で亡くしてから司にとっての身近な存在がいなくなってしまった。生まれ持った特殊な能力の為にその存在を疎まれ、ただの道具としか扱われず、家族と離れ一人海外を転々として過ごした司を3人の兄の内、亮だけが司を心配し気遣っていた。
世話をしてくれる光月家の使用人はいても、誰をも頼る事が許されず、ある意味独りで生きて来た司にとって亮だけがどれだけ心強かっただろうか。その全てを委ねた時、ある意味「依存」してしまったのかもしれない。
亮なしでは生きてはいけなかった。
司が亮の死をどれだけ嘆き哀しんだ事か。そのせいか、少しでも思い出すような事があれば、持病の心臓発作を起こしていた。