第六章(三)
事件から三日程経った今も秀也は昏睡状態のままだった。
紀伊也とナオの回復は順調で、あの時同時に中毒になったとは思えない程で、翌朝には紀伊也は退院出来る事になっていた。
「しくじるなんてお前らしくないな」
紀伊也のベッドの傍らに座っていた時、背後から雅に声を掛けられた。
「しくじった? ・・・、逃がしたのか?」
ベッドの上で起き上がっていた紀伊也が、少し俯いている司に驚いたような視線を送る。
「言い訳はしたくはないんだが、もう一人居た。 ヤツの方が強力だった。 何だったんだあれ?」
司は軽く首を横に振った。
一瞬の出来事だったが、今でもあの時の痛みは覚えている。
しかし、失敗したのは邪魔が入っただけだったのだろうか。あと一歩のところだった。イルファンの足を捕らえた時、とどめを刺しておく事は出来た筈だ。
何が自分を迷わせたのだろうか、あれからずっと考えていた。
「司、三鷹は?」
「捕らえた。今はうちに居るよ」
「何か話は聞けた?」
「いや、会ってないから」
操るように連れ帰った三鷹は、R配下監視の下、光月家の地下室で、放心状態のまま沙汰のあるまで待たされている。言い換えれば軟禁されていた。
「司、秀也は?」
その問いかけには黙って首を横に振った。
それ以上司に訊く事が出来ず、紀伊也は雅に視線を移した。
「らしくないんだよ。 秀也に気を送れなかったらしい」
少し戸惑ったようでそれでいて少し怒ったような口調で雅は答えると、溜息をついた。
「送れなかった? ・・・って、何で?!」
「致命傷だったんだ。今は何とか持ってはいるが、まだ予断は許されない状態だよ」
「司?」
何かを堪えるかのように俯いたまま膝の上で拳を握り締めている司に、紀伊也は微かに息を呑んだ。
司の脳波に微妙な乱れを感じたのだ。
「司、大丈夫か?」
肩に手を掛けながら司の顔を覗き込んだ。
「ごめん」
司はそれだけ言うとすっと立ち上がり、誰とも目を合わせずに病室を出た。
残された二人はただ黙って顔を見合わせるしかなかった。
思わずドキっとして立ち止まると、目の前に立った人物を凝視してしまった。
大きく見開いた琥珀色の瞳は何も語らずに、ただ目の前の晃一を見ているだけだった。
「紀伊也、明日退院だって?」
「あ、ああ」
少し間の開いた返事だった。
「司、大丈夫か?」
「あ、うん」
少しホッとしたように一息つきながらこくりと頷いた。
「ナオは?」
顔を上げると、少し疲れたような晃一と目が合った。
「今、会って来た。 だいぶ落ち着いてた。話も少し出来たし」
「そっか」
「 ・・・ 」
二人共にその後の言葉が続かない。
互いに顔をそらせてしまった。
もう一人の仲間の名前が言えないのだ。
「そう言えば」
同時に二人は口に出すと、再び目が合った。
「何?」
司が先に言った。そしてすぐに目をそらせた。
「あ、ああ。 そう言えば、お前も検査した方がいいって、先生に言われて」
「検査?」
「うん。 一応、中毒症状出てたらマズイから。俺も他のヤツ等も皆検査受けて、とりあえず異常は見られなかったけど、司まだだろ? した方がいいよ」
「オレ? オレは必要ないよ、そんなもん」
「でも・・・ 」
「・・・、わかった。気が向いたらしとく」
素っ気無く返事をすると歩き出した。
それに連られて晃一も後に続いたが、司はふと立ち止まると、「紀伊也に会いに来たんだろ?」と、振り向いて晃一を見上げた。
「あ、そっか」
思い出したように返事をした晃一に、司は幾分苦笑すると、「じゃあな」と、そのまま歩き出した。
『らしくない』、『司らしくない』、『何やってんだ?』
誰も彼も、自分自身さえからもそんな言葉ばかりが聴こえて来る。
『しっかりしてくれよ』
晃一の言葉が何故か重く圧し掛かる。
自分自身、今までに感じた事のない圧迫感に苛立ちを覚えていた。
しかし、それを跳ね返すだけの気力が全くない。
このまま押し潰されてしまうのではないかという位の重圧を感じていた。が、それは何かをしなくてはならないという使命感とかいうよりも、むしろ、何かが欠けている為に何も出来ず、その何かを必死になって探しているという一種の喪失感にも似ていた。
「秀也、頼むから目を覚ましてくれよ。 秀也がいないとオレ ・・・・ 」
その先の言葉をぐっと呑み込むと、無菌シートに覆われたベッドに横たわる秀也を見つめ、部屋の隅のソファに崩れるように座った。