第六章(一)
ショパン『革命』
目まぐるしく激しく動く指に、儚くも流れる激しい旋律に何かを変えようとしていた。
自分自身の戸惑いに答えを出す為か、それとも隠す為か、それとも誤魔化す為なのか。
司は光月家の自室の真っ白なピアノに向かっていた。
病院からこの家に連れて来られ、半ば命令されるようにシャワーを浴び、着替えると亮太郎の書斎へ足を運んだ。
『騎士は、厄介な能力の持ち主だったな』
開口一番、亮太郎は表情なく言うと、デスクに両肘を付いて手を組んだ。
『さっき、竹宮君から連絡を受けた。Y薬品工場で塩素が漏れ出したそうだ。幸い従業員も出勤前で殆んど居なかった為、怪我人は少ない。 が、これをあちこちでやられたら堪らん。 早急に騎士を封じなければならない。 どうやらヤツ等の狙いは化学兵器を作ってそれを売りさばくルートが欲しかったようだ。 昨日のお前への挑戦は単なる脅しでもなさそうだ。 が、今はどうやら実験的に能力を試しているという情報も入っている。・・・、 世界征服でもするつもりかな?』
そこで一旦言葉を切ると、葉巻を取り出して火をつけた。
独特の匂いが司の鼻に衝く。
『指令だ。 まず騎士の能力を封印する。それから三鷹繁幸の身柄拘束』
『 ・・・ 』
『期限は明日』
『明日・・・』
『彼等は明日出国する事になっている。それまでに何としても能力だけは封印せねばならない。テロでも起こされたらそれこそ取り返しのつかない事になる』
『それで三鷹は?』
『恐らく彼も一緒だろう。 彼は防衛庁の機密情報をも拝借したそうだ。内密にそれも処分せねばなるまい』
『わかった』
『司』
返事をしてくるりと向きを変え、そのまま出て行こうとする司を呼び止めた。
『須賀君は今日がヤマか。 気の毒だが雅君に任せるしかあるまい』
その言葉にハッと振り向いた司は、威圧的に自分を蔑むようなRの視線に目をそらせてしまった。
『解っているとは思うが、お前は光月司である前に、タランチュラだ。須賀君をあんな目に遭わせたのは騎士だという事を忘れるな。能力者狩りのお前にとっては格好の獲物だろう。醜い感情は持たない事だな、お前らしくない』
吐き捨てるように言うと、くるりと椅子を回して葉巻をふかした。
『 ・・・っ、Rの名の下に』
一度キュッと唇を噛み締めると、亮太郎の背に向かって軽く頭を下げて部屋を後にした。
******
解ってはいる。
何があろうと情に流されずに任務は確実に遂行しなければならない。
どんな事が起ころうとも失敗は許されない。
自分は普通の人間ではないのだから。
しかし・・・
ダンっ
突然、何かに急き立てられるように責められ、苛立ちを隠しきれずに両手をピアノに叩き付けた。
獲物に襲い掛からんと見据える冷たい琥珀色の瞳をギュっと閉じ、唇を噛み締めると拳を握り締めた。
そして次の瞬間、パッと目を見開くと、そのまま部屋を飛び出して行った。
何処かへ向かうその瞳は切ない程に何かを求めていた。
再び病院を訪れた司に雅は驚いたが、雅の付き添いの下、秀也に会う事を許された。
いくつもの管を体中につながれ、口元には酸素マスクを当てて眠る秀也にどうする事も出来ず、黙って傍らの椅子に腰掛けると、そっと秀也の手を握った。
いつも温かく感じていた大きな厚い手が、今は力なく冷んやりとしている。
「司、いいのか? 指令が出てるんだろ。 秀也の事は心配するな、俺に任せておけ」
自分を気遣う雅の言葉が今は無情に聴こえた。
「ユリアも心配している。騎士が動いたそうだな。 ・・・、 気持ちは解るが今は感情を捨てなければならない。 紀伊也も動けない今はお前がやるしかないだろ。 早くヤツを封印しなければ秀也の二の舞だぞ」
「解ってるよ」
両手で秀也の手を握り、自分の額にその手を押し当てた。
「解ってる。 オレは普通の人間じゃない。能力者だ。それもただの能力者じゃない。同じ能力者の狩りを楽しんでいるタランチュラだ。 指令は出された。後は狩るのみ。狙った獲物は逃さない、絶対にだ。 ・・・、 でも、今は、少し待って」
表情なく言うと、目を閉じた。
******
『お前らしくないって?』
『うん、もう見慣れたからいいけど、全員そう言うよ』
『そう? 俺は、らしくていいと思うけど』
帰りの車の中で、隣でハンドルを握る秀也を見つめた。
秀也と付き合い始めてから2ヶ月ほど経ったが、そのうち1ヶ月は留学していた為に会っていない。
東京の大学に通う秀也が静岡の高校に通う司を車で迎えに来るのは週末くらいしかない。
『じゃなきゃ、わざわざ司の制服姿見にここまで来ないって。 だって、新幹線の方が早いだろ』
『そうだけど。 ・・・、 もしかして、秀也ってロリコン?』
『ゲホっ、 バカな事言うなよ。 お前はいつも男みたいな格好ばっかしてるけど、制服は制服で結構似合ってんだぜ。 可愛いよ』
その笑った横顔が司は結構好きだった。
少し垂れた目が更に下がると、目尻に寄った皺に優しさを感じる。
こちらまで思わずはにかんでしまう。
『その、可愛い っていうのがひっかかんだよ。何か含んでてさ。 和矢なんて最初は何も言わなかったけど、あれは言わないじゃなくて、言えなかったとか言うし、晃一なんてサイアク。 スカートはいてても女に見えないとか、見ようによっちゃ何となくとか。とにかく、らしくないって、そればっか』
『アハハ・・、確かに晃一はそう言ってたな。 ナオも竜ちゃんもそう言ってたよ』
『だろ? ほぉら、10人が10人そう言うだろ?』
『10人が10人じゃないよ。10人いたら9人だよ。俺はそうは思わない』
『何で?』
『そりゃ最初司に会った時はホントに男だと思ったけど、女だって分かってからはそれ以外には見れなかったし。 事情があるにせよ、司は司だろ。 そのまんまでいいじゃん。 らしいよ。 ま、誣いて言うなら、女の子らしくかしこまられちゃうと、らしくないけど』
ちらっと横目で司を見ると、秀也は意地悪く笑った。
******
いつの日の会話だったのだろう。
まだ暑さの残る9月頃だっただろうか。
サーフィンで日焼けした秀也の横顔が、車に射し込む太陽の陽で眩しかった。
出逢った頃から特別視される事なく、司を受け止めてくれた。それに対して司も秀也の前では何の警戒心も抱かず、自分を作る事なく素直でいれた。
初めてだった。
こんなに居心地の良い場所を人の中で感じたのは。
もし、このまま秀也が目を覚まさずに、永遠の眠りについてしまったらどうなるのだろう。
再び闇の中に堕ちて行くのだろうか。
一度見てしまった光を遠くに求めながら、暗黒の世界に閉ざされてしまうのだろうか。
失いたくはない。
閉じていた目を開けると、司は秀也の手を離した。
「行って来るよ」
そう秀也に言うと立ち上がった。
「司」
「肺水腫、なりかかってる。 進行は何とか食い止めたけど・・・、時間が足りなかった。後は頼む」
秀也を見つめながら言うと、雅を見る事なくそのまま病院を後にした。