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第五章(四)


 病院へ向かうタクシーの中で、晃一とマネージャーのチャーリーは、ずっと黙ったままそれぞれ違う窓の外を見ていた。

 二人はナオに付き添って救急車に乗り込んだ。

酸素マスクの下で苦しそうに息をするナオにどうする事も出来ず、ただ励ます言葉しか掛けられずにいた。

『 ナオっ しっかりしろっ、大丈夫だからっ。 もうすぐ病院だぞ、頑張れっ 』

そんな言葉で良かったのか、ただ思いつくままに叫んでいただけだった。

それに対してナオは薄っすら目を開けて頷きながら二人を見ていた。

病院へ運ばれてからは、ICUでの治療を受け、応急処置が終わると生命への危険はない判断され、一息つくと、ガラス窓の向方で眠るナオを、ただ茫然と見ている事だけしか出来ずにいた。

別のスタッフが何人か来たところで、秀也の容態が思わしくない事を聞かされ、急いで病院を離れた。

「秀也、大丈夫かな」

タクシーに乗った時、チャーリーが言ったが、晃一には応える事が出来なかった。

 あの時、秀也の心臓に手を当てた時、自分の体が震えた。

司と目が合った時、疑ってしまった。

あれだけ何かに怯えたような司の目を見たのは初めてだった。

たとえ何かが起こっても、常に冷静で、時には嫌味な程それに対して冷たく的確に対処していく司に、ある種の恐怖さえも感じていた。

それ故、司の事ある毎の言動には信頼していたし、それが間違っている事など決してない、という断定まで出来た。

だが、その司の目に、半ば絶望という色を見てしまったのである。

あの時司は何も言わなかった。

泣きそうになる自分の唇を必死に押さえようとしていた。

何も出来そうもない司に、「やれっ」と言うしかなかった。

だがそれは、晃一自身にも命令するように言っていた事だった。


 光生会病院の通路を歩いていた時、一台のストレッチャーが横切った。

その後ろを見知った男が歩いている。

「宮っ」

チャーリーが大きな声を上げ、呼び止めると、スタッフの宮内がハッと振り返った。

「チャーリーっ、晃一さんっ」

疲れ切った中にも一時の安堵感があった。

「紀伊也か?」

晃一は過ぎて行くストレッチャーを見つめた。

「ええ、でも大事には至らないそうです。念の為今夜はこのままICUに入るそうです。ナオさんは?」

「大丈夫、命に別状はないって」

「秀也さんは?」

「よく分からないんだよ。危ないって聞いたから急いで来たんだけど」

「晃一さん?」

さっきから黙ったままの晃一に、宮内が心配そうに声を掛けた。

「 ・・・ ん? 大丈夫。 とりあえず宮は紀伊也を頼む」

「はい、分かりました」

宮内は軽く頭を下げると、遠ざかって行くストレッチャーを追いかけた。


 薄暗い通路に靴音だけが響いていた。

更に奥へ進み、角を曲がった所に数人のスタッフが立っていた。

晃一とチャーリーを見つけると軽く頭を下げて近づいて来る。

「秀也は?」

「それがまだ」

チャーリーの問いかけに一人が応えると一斉に奥の扉を見つめた。

「ずっとあのまま立ってるんですよ。 声も掛けられなくて」

扉の前には、背を向けてうな垂れるように、一人司が立っていた。

およそ病院には似つかわしくない派手なステージ用の衣装を身に着けたままだ。

ただ、ステージで見る後姿とは全く別人のような弱々しい背中に、晃一は思わず目を背けてしまった。


「司」


スタッフから離れ、司の背後に立つと、肩に手を置いた。


「晃一、オレ、何も出来なかった」


俯いたまま呟く司の肩が僅かに震えた。

視線を落とすと、拳を握り締めている。

「仕方ないだろ」

「仕方なくはない。 出来なかった・・・、 何も出来なかった。 オレ、秀也に何も出来なかった ・・・、 っく・・・ 」

振り絞るように言うと、キュッと唇を噛み締め、拳を目の前の扉に叩き付けた。


 何故あの時、気を送る事が出来なかったのだろう


秀也を見つけた時、何が何でも一番最初に秀也に気を送るべきだった。

それなのに、まず最初に紀伊也に送っていた。紀伊也とて能力者だ。自分の治癒力を使えばいい。それに免疫も少しはある筈だ。

放っておいても死にはしない。

しかし、秀也は普通の人間だ。

ホスゲンに対して免疫などない。場合によっては生命の危機さえ脅かすのだ。

しかし、あの時司には動く事が出来ずにいた。

秀也が倒れているのを見た時、何も判断が出来なかったと言ってもいい。

部屋の中央で誰が倒れているのかさえ解らなかった。

もしかしたら解っていたかもしれない。しかし、それを断定する事を何かがためらっていた。

倒れている秀也に近寄った時、自分の体ではない位に全身が震えていた。

普通の人間である秀也がホスゲン中毒になったと判断した時、どうしようもない位に冷静でいる事が出来なくなってしまったのだ。

自分自身を見失ってしまったと言ってもいい位、司は普通の人でしかなかった。


「司、信じよう。今は信じるしかない」

「何を信じるんだよ。秀也は普通の人間だ。このままじゃ死んじまうよ。 秀也が・・・ 」

「死なない。 秀也は死なないって、信じるしかないだろっ。 司、頼むからしっかりしてくれよっ」

晃一の言葉を素直に受け入れる事が出来ず、切ない程に苛立って来る。

「司っ」

やり切れない晃一の声に、司は顔を上げると瞬間、晃一の胸倉を掴んでいた。

二人の目が合った時、司はすぐに顔を伏せると、そのまま自分の拳に額を押し当てた。

その頭が除々に震えて来ると、掴み上げた拳が次第に強く握り締められて行った。

晃一は何も言えずに、ただ黙って震える司の頭を見ている事しか出来なかった。






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