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第五章(三)


 バンっっ


思い切り楽屋の扉を開けて愕然となった。

一番最初に飛び込んで来たのは、不快な匂い。 そして、一番最初に目に入ったのは、部屋の中央で誰かがうつ伏せに倒れていた事だった。

視線を動かすと、ソファの下でナオが激しく咽せ返りながらうずくまっている。

反対側の壁では紀伊也が同じように足を投げ出して寄り掛かって、咽せ返りながらぐったりしていた。


「司っっ!?」


ドンっと、後ろから晃一に体当たりされ、一歩中に入った司は手で口と鼻を覆った。瞬間、後ろでも晃一が激しく咳き込んだ。

「ゲホっ ゲホっ ・・ っんだよこれっ!?」


 バタっ バタっ バタっ ・・・


数人のスタッフが入口付近に集まったが同じように咳き込み始めた。


「ホスゲンだっ 離れろっ!!」


しかし、司始め、そこに居た全員は急いで中に入ると倒れている三人に駆け寄り抱き抱えると引き摺るように外に運び出した。

テーブルの上には、ほどかれた赤いリボンと包装紙の上に黒い箱が、蓋を開けたまま置かれてある。

中には黒い塊が一つ入っていた。

それは、ビニル素材で作られたクモだった。

それを見た司の瞳には、殺気に渦巻く琥珀色が妖しく光っていた。

 

 司が扉を開けてから閉じられるまで5分と経っていない。

通路に運び出されたメンバー三人をスタッフが取り囲み、口々に名前を呼んで何か叫んでいる。

まるで、戦場にいるように騒然となった。

「司」

しばし茫然とそれを見ていた司の足元から声が聞こえ、ハッと我に返った。

「しっかりしろっ 紀伊也! 何があったっ!?」

司は紀伊也を抱き抱えるように壁に寄り掛からせた。

「秀也が・・・、持って来た箱を開けたんだ・・・ そしたら中から黒い塊が急に膨らんで、その内何か気体を吐き出した。 ・・・ ホスゲンだったんだ、 一瞬だった。 ごめん、もっと注意していれば・・・ ゲホっ ゲホっ ・・・ 」

「喋るなっ」

「司、ごめん ・・・、 ナオには ・・・、 ナオには気を送れたんだ。 けど、秀也には・・・、 間に合わなかった ・・・ ゲホっ ゲホっ ・・・ 」

悔しそうに唇を噛み締めた紀伊也は再び咳き込んだ。

紀伊也の話を聞いていた司は、突然思い出したかのように茫然となってしまった。

確か、扉を開けた時、部屋には三人居た。

ナオと紀伊也は確認出来たが、もう一人誰かがうつ伏せに倒れていた。

司はその誰かを探し求めるかのように、紀伊也から顔を上げると、数メートル先で、一人完全に横たわっている者をスタッフが取り囲んでいるのを見つけた。

スタッフが口々に彼の名を叫んでいる。


「秀也・・・?」

「司、俺に構うな」

その声に紀伊也を見ると、早く行けと言わんばかり急き立てている。

「司っ」

再び紀伊也の声に司はようやく気を送っていた右手を離すと、紀伊也から離れた。

司は、自分で自分自身が慌てたように急いで秀也の方へと走って行ったとは思えない程、自分の周りがヤケに静かでゆっくりと時が過ぎて行くように感じていた。


「秀也?」


自分の足元で倒れている秀也の名を、喉の奥から搾り出すように呼んだ。

その声にスタッフが上を見上げ、司に場所を空けた。


「秀也っっ!!」


膝まづいて叫んだ瞬間、その静けさが破れた。


「秀也っ しっかりしろっっ!!」


揺さぶったが、その目は閉じられたまま動かない。


「意識がないんだ。救急車はまだかっ!?」

誰かが叫んでいた。

司は秀也の名を呼びながら頬を叩き、口元に手をかざし、首筋に指を当て、左胸に耳を当てた。

「秀也っ しっかりしろっっ!!」

もう一度叫ぶと、秀也の体にまたがり、両手を胸に当てて何度か押すと体から離れ、頭を起こして秀也の鼻を摘み、自分の唇を秀也の唇に当て、息を吐いた。

二回程それを繰り返した時、晃一が秀也の体にまたがり、心臓マッサージを始めた。

 司が晃一の目と合った時、思わず泣き出しそうになる程、切ない息が喉の奥に詰まった。

「秀也・・・」

次に秀也の名を呼んだ時には叫ぶ事が出来なかった。

「司っ やれっ」

晃一の命令するような言葉に、司は従うように秀也に息を送り続けた。

ようやく救急車が到着した事が告げられると、一時の安堵感が全員を包んだ。

 が、それも束の間でしかなかった。

バタバタと狭い通路に、救急隊員が担架を持って現れると、物々しい雰囲気に包まれた。

次々とメンバーがそれに乗せられて運ばれて行くと、まるで突風が吹いた後のような惨事が音もなく包んでいる事に、誰もが気付かされていた。

本当に一瞬の出来事だった。

 残された者の誰もが、事の次第を把握出来ずにいた。

到着した警察官にも、誰も詳しい状況を説明する事が出来なかった。


「秀也っ しっかりしろっ! 秀也っっ!!」


サイレンの鳴り響く救急車の中で司は叫んでいた。

「光生会へ運べっ!!」

命令するように怒鳴った。

「でも、あそこは・・・」

「いいから 光生会へ行けっ」

無線のやり取りに苛立ち叫ぶと、ハッとしたように酸素マスクに覆われ、目を閉じた秀也の左胸に自分の右手を当てた。

「離れてっ」

その瞬間、隊員に制され、もう一人の隊員に押さえ込まれた。

「離せっ、 濃度の高いホスゲンだぞっ 早くしないとっ 」

早く気を送らないと肺水腫になって生命の危機にさらされてしまう。

紀伊也のように免疫がある訳ではない。ましてや普通の人間だ。

しかもライブの後で体力の消耗も激しい体だ。

司の治癒力を送り込めば何とか重体は避けられる。

「落ち着いて下さいっ」

「いい加減にして下さいっ、落ち着いてっ!!」

狭い車内で暴れ出そうとする司を必死で隊員は抑えていた。


 ドンっ


それ以上の抵抗が出来ず、司は車の内側に思い切り拳を叩き付けると唇を噛み締めた。

程なくして車が光生会病院の正面玄関につけられた。

バタバタっと扉が開かれ、医師や看護婦が取り囲む。

「オレじゃないっ 秀也を助けろっ」

担架を指し、皆に睨みつけるように叫んだ。

「司さん、落ち着いて下さい」

一人の看護士に宥められるように腕を掴まれたが、それを振り解いた。

「うるさいっ ボンを呼べっ」

苛立たし気に叫んで辺りを見渡し、目的の相手を捕らえると肩を並べて担架の後を追った。

「司、どういう事だ?」

「説明は後だ。 ホスゲンが巻かれた。普通の人間にはかなりの濃度だ。紀伊也もやられたが大事には至らない。 けど、秀也が・・ 」

そこまで言うと、唇を噛み締めた。

「でも、送ったんだろ?」

「 ・・・・、 送れなかった」

「え?」

「送れなかったんだ。 何も出来なかった」

「司?」

白衣を着た若い医師は、悔しそうに唇を噛み締めた司に少し戸惑ったような視線を送ると、肩を抱いた。

「とにかくやれるだけやってみるが・・・、 覚悟も必要だぞ」

そう言って、ポンポンと軽く叩くと、司から手を離し、扉の向方へ消えて行った。


 しばらく司は閉じられた扉を茫然と見つめていた。

「覚悟って ・・・ 何だよ。 何の覚悟だよ」

ポツリ呟くと同時に涙が溢れて来る。

「何の覚悟だよ、秀也。 秀也、教えてくれよ・・・、 何の覚悟すりゃいいんだよ。 教えろよっ 秀也っ。 秀也ぁっっ 」

最後には泣き叫んでいた。

誰も居ない扉の前で、司は一人立ち尽くしていた。





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