第一章(一)
「おおーっ、すっげーっ!」
ピィーっー
思わず興奮して口笛を吹くと、両手を大きく振って波打ち際まで駆けて行った。
「晃一ィっっ!」
声の限りを出して叫ぶと再び手を振った。その声が届いたのか、サーフボードの上から晃一は片手を上げて合図すると笑顔で返した。
鍛えられて引き締まった足腰でバランスを取りながらサーフボードを波に滑らせこちらへ向かって来る晃一は、「司っ」と、片手を上げると、持っていた缶を投げた。
梅雨明けの眩い太陽に反射して飛んでくる缶がまるで光の弾のようだ。
「うわっ、こぼれるっ」
反転した缶を見た時、咄嗟に走り出した司は砂を蹴って空高くジャンプし、右手を伸ばすと素早くそれをキャッチした。
危ねぇ・・
ほっと胸を撫で下ろしながら着地した瞬間、ビチャっと水しぶきを頭から浴びた。
見れば膝下まで捲り上げたジーンズはびしょ濡れで、その裸足の足はくるぶしまで海に浸っている。
「あーあっ、ぐしょぐしょだぁ」
しかし、一人ぼやいている司の後方では歓声に沸いている。少しムッとして振り返ると、スタッフが手を叩いたり振ったりして笑っていた。
「すっげぇ ジャンプだったな。バネでも入ってんのか?」
バシャバシャとサーフボードを小脇に抱えた晃一が海から上がって来た。
「あん?」
見ると、晃一が司の右手に握られた缶を指している。
「ああ、これ? もうちょっとでこぼれるとこだったんだぜ。考えて投げろよ」
ったく・・
「あっ・・ ソレ・・」
「 ・・・っ、べぇーっ、んだよっ これっ!?」
「だから言わんこっちゃない」
「って、言ってねぇじゃん」
「って、言おうとしたら飲むんだもん。 ばか」
晃一は呆れて、顔をしかめて唾を吐き出している司から缶を取上げると、その缶をひっくり返した。
缶の口から透明な液体が海へと落ちる。何ら違和感なくその液体は海の中へ溶け込んで行った。
「 ったくマジで入ってるとでも思ったのかよ。ホントばかだよなぁ、お前って。 天才とバカは紙一重だって言うけどよ。 ・・・、で、どうよ海の味は?」
「 ・・・、 マジィ」
缶から流れ出る海水に苦笑しながら上目遣いに気まずい視線を晃一に向けた。
「アホ」
冷めた視線で司に返した晃一は空缶を司に渡すと、肩を反転させ砂浜へと歩き出した。
「うわぁ、なぁんか海って気持ちいいなぁ。 解放されるみたいだ」
波打ち際から少し離れた砂浜まで歩いた所で立ち止まると、司は海の方へ向かって両手を大きく広げ、大きな深呼吸を一つした。その横で晃一はサーフボードを砂の上に置くと頭を左右に振って濡れた髪をかき上げた。
「はい」
ん?
目の前にタバコの箱を差し出され、司と目が合うとためらわず一本抜いた。
そして司も口でタバコを一本抜くと、白いシャツの胸ポケットに箱をしまい、ズボンのポケットからライターを出すと片手で覆いながら火をつけた。
カチっ ・・ カチっ ・・
何回か火をつけようとしていたが、風にあおられてなかなか火がつかない。
「晃一、手」
タバコを口に銜えたまま、上目遣いに晃一を見る。
「あ、悪ィ」
それまで何故か目の前でタバコを銜えながらライターをつけている司を遠くの方で見ている気がしていた。
慌てて両手を司の手に重ね、ライターを囲む。
カチっ
火がついた時、晃一は自分の顔を近づけてタバコの先に火をつけようとした。
すると、もう一本その火に向かって伸びて来る。
ふと視線をタバコから動かすと、その先に真っ直ぐに火を見つめている司の目を見つけた。
思ったより睫毛が長い。タバコを銜えている唇は薄くてその火で溶けてしまいそうだ。
不意に自分の目に司の薄茶褐色の柔らかい前髪が触れて目を閉じた。
次に目を開けた時、既にそこには司の目はなく、ライターの火に自分が銜えたタバコの先がついているだけだった。
ふぅーっ
晃一は顔を上げると司の手を離し、海に向かって煙を吐いた。
「何だかお前らが羨ましいよ」
ライターをポケットにしまいながら司はタバコを吸うと海に向かったまま言った。
ん?
思わず司を見つめた。薄茶色の髪の色が太陽に反射して綺麗な栗色になっている。風に揺れるとその一本一本が黄金色にも見える。
「どうした?」
黙ったままタバコを吸っている司の横顔が少し淋しそうに映った気がした。
遠くを見つめ、煙を吐きながら目を閉じると司は軽く首を横に振った。
「何でもない」
目を開けると砂に灰を落とす。
「なぁ、晃一はよくここに来んの?」
「まあね」
「秀也も?」
「え、ああ。 3人でよく来るかなぁ。結構な穴場なんだよココ。お前は? 秀也に連れて来てもらった事あんの?」
「 ・・・、 ないよ」
一瞬、間のあいた返事だった。二人は同時にタバコを吸うと、晃一は横目で司を見ながら煙を吐いた。細く長い煙が一本の糸のように真っ直ぐ司の薄い唇から海に向かって流れて行く。
「高校ん時さぁ」
海を見つめたまま司が口を開いた。
「一度、秀也がやってるとこ見たくて連れてってもらった事があったんだけど、オレさ、そん時日射病になっちゃって、それっきり」
「日射病?」
「うん、笑っちゃうだろ」
首を竦めて晃一を見ると、苦笑しながら再び海を見つめた。
「何だよ、それくらいで。また行けばいいじゃん。宏子もたまに来てるぜ」
「宏子も?」
「ああ。ほら、アイツらもスケジュール合わなくなっちゃったからさ、オフが重なった時とかナオが連れて来てるよ。お前も来れば?」
「もういいよ。それに今はオレだって忙しいし、オフだってスケジュール合わないし、それに・・・」
言いかけて黙るとタバコを口に当てた。
誘ってくれない・・・
独り言のように呟くと、思い切り吸ってゆっくり煙を吐き、砂の上に落ちていた缶を取ってタバコを中に落とした。
「なら、俺が連れてってやるからスケジュール合わせろ」
そう言って晃一は司の手首を掴んで自分の胸の前まで持って来ると、自分が吸っていたタバコをその缶の中に落とした。
少し驚いたような司の目と合った。
一瞬、その琥珀色の瞳の奥が透けて見えるような気がした。
何かそれ以上見てはいけないような気がして目を反らせようとした時、遠くから司を呼ぶ声に振り向いた。
「司さーんっ」
スタッフの宮内が片手を上げると、持っていた物を司目掛けて投げた。
司は慌てて持っていた空缶を晃一に押し付けると、それをキャッチした。
見れば、今自分達がCM撮影している炭酸飲料の缶だ。しかもよく冷えている。
宮内に笑顔で返すと、それを思い切り上下に振って、振り向き様に晃一の顔目掛けて缶のプルタブを引っ張った。
ブシュっ!
中から炭酸が弾け、太陽の光に反射しながら勢いよく飛び散る。
「うわっ」
晃一の悲鳴と司の笑い声が炭酸と共に弾けた。
砂の上を逃げ回る司と、それを追いかける晃一をスタッフは笑いながら見ていた。