第三章(一)
何だ、この感覚・・・
不意に目眩がしたように体がぐらっと横に揺れ、片手をテーブルの角に置いたまま膝が床についてしまった。
Rから受けた指令を遂行しようと、自室のテーブルに都内の地図を広げて彼等の動きを透視していた司は、突然襲われた奇妙な感覚に不安を覚えた。
感づかれたのだろうか
一瞬そう思ったが、透視している事を気付く程の能力の持ち主は存在しない筈だ。
それともヤツの結界が強力なのだろうか。 それならばその結界を破るまでだ。
気を取り直して立ち上がると、2,3回頭を振った。
先程の目眩はなさそうだ。
再び地図の上に右手をかざすと目を閉じた。
あれ?
何処かで見た事のある人影に思わず目を開けた。
それ以上視たくないという感覚を一瞬覚え、戸惑ってしまったのだ。
***
『この取引を手引きしているのは日本人だ。そいつを突き止めろ』
『日本人って、親父じゃないの?』
思わず突っ込んでしまったが、即座に呆れた顔をされて、舌を出してしまった。
『騎士の歓迎を受けたのだろう。 向方がお前を使って来たんだ。こちらとしても受けるしかあるまい。 但し、気になる事がある』
書斎の椅子にもたれ、一息吐いた亮太郎の目は異様な程冷たい。
が、それにも増して、目の前に立つ司の目は更に冷たく突き刺すように鋭い。
『オレの事を光月司として、扱ったという事か』
『そういう事だ』
『チっ、誰か裏切ったのか』
吐き捨てるように言うと、憎悪にも似た光を瞳に放った。
『お前の事を知っているのはごく僅かだ。 それもお前の能力で全て支配されている筈だ。 突き止めるのは容易いが ・・・ 』
『相手が騎士なら面倒だな』
Rが一息ついたので司が続いた。 が、その司も一息ついてしまった。
騎士と呼ばれる能力者。 彼の存在は知っていたが、何者かよく分からない。どんな能力を使って来るのか検討も付かなかった。
『まずはヤツらの動きを追ってくれ』
『騎士はどうする?』
『こちらで調べて改めて指令する』
『チっ、早く始末したいものだな』
そういう司は、表の顔とは全くの別人と言っていい程、冷酷で残虐な眼差しをしていた。
***
まさか・・・
しかし、そうであって欲しくない。
そう思った瞬間、車のキーを掴むと急いで部屋を後にした。
都内のとあるホテルの駐車場に入った。
駐車してある車を注意深く見ながらゆっくり車を走らせ、目的の車を見つけると確信したようにその車が見える位置に駐車してエンジンを切った。
しばらくして、濃紺のスーツを着たビジネスマンと思われる男が、銀色のアタッシュケースを手に、駐車場に入った来た。
カツン カツン
革靴の音が冷ややかに響く。
そして、濃紺のBMWの前で止まると、ズボンのポケットから車の鍵を出した。
「久しぶりだな」
突然、何の気配もなく声を掛けられ、声の方に振り向いた。
その瞬間、心臓が止まりそうな程驚いて、挿し掛けていた鍵を落としてしまった。
「タラ・・・、あ、司・・・」
咄嗟に言い直し、動揺を隠そうと落ちた鍵を拾って、気付かれないように息を吐いた。
そして立ち上がると、懐かしそうに笑みを浮かべ、鍵をポケットにしまうとその手を差し出した。
「久しぶり。 元気そうだね」
「お前も元気そうで安心したよ。 でも、いつ日本に? オレはてっきりまだ、ロシアにいるのかと思ったよ。 帰って来たなら言ってくれればいいのに」
手を握り返しながらサングラスの奥から笑みを返す。
「あ、ああ、ついこの前にね。 でも驚いたな、こんな所で会うなんて」
手を離すとポケットに手を入れ、車の鍵を握り締めた。
その手は少し汗ばんでいた。
「オレの方が驚きだぜ。 しかもどっかのサラリーマンみたいな普通の格好なんかして、何してんだよ」
少し呆れたような物言いの司にホッとすると苦笑した。
「一応これでもビジネスマンだよ、君と違って。 今日は取引先の方とビジネスの話があってね、ここへ来たんだ」
「極東か?」
まだ言いかけていたのを遮って司は呟くようで、それでいて挑発するように言った。
瞬間、鍵を握り締めた手に力が入る。
が、気を取り直したように、「君は?」と、言いかけた言葉を続けた。
「ああ、オレはここの宿泊客に用があってね。 いろいろ付き合いが大変なんだよ、こっちの世界は」
何事もなかったようにさらりと答えると司は首をすくめた。
「そう、よく分からないな、君の世界は。 じゃ、僕は行くよ。これから帰ってまとめなきゃ」
そう言うと、ポケットから手を出して鍵を車に差し込んだ。
「あ、今度君のCDを聞かせてもらうよ。妹達が相変わらず君のファンでね。部屋には特大のポスターも貼ってあるんだ」
笑いながら言うと、車のドアを開けた。
「ありがとう。 妹さん達によろしく」
司は一歩下がって言ったが、男が車に乗り込んでドアに手を伸ばした所で、再び一歩戻ると、そのドアに手を掛けた。
そして、シートに座った男の顔をほんの一瞬だけ、無表情な眼差しで覗き込んだ。
「三鷹、今度はパーティーに顔を出せよ。 お前目当てで来るご婦人方が、沢山いるんだからな」
そう笑って言うと、司が車のドアを閉めた。
そして、エンジンを掛け、片手を軽く上げてハンドルを握り直した三鷹を一歩下がって見送るように見つめた。
だがその司の目には笑みはなかった。
ゆっくりと走り去って行く車をじっと目で追い、完全に視界から消えると一つ溜息をついた。
「 ったく、面倒かけやがって」
吐き捨てるように呟くと、ホテルの入口に背を向け、自分の車へと戻って行った。