第二章(六の2)
閉じられたドアを見ながら司はタバコを灰皿に押し付けると、テーブルの上にあった譜面を手に取り、それをじっくり考えるように見ていたが、やがて立て掛けてあったギターに手を伸ばし、足を組んでそれを抱えると目を閉じて奏で始めた。
30分程弾いていたが、同じところで指が止まる。
突然、苛立ったようにガンっと弦を叩くと、ギターを投げ付けるようにソファに置いた。
チッと舌打ちすると、タバコに手を伸ばした。
カチっ と乱暴に火をつけて、ソファの背に投げ出すようにもたれると、天井に向かって勢いよく煙を吐いた。
そして、首を横に動かした時、ふとサイドボードの上の電話に目が止まった。
再びタバコを吸ったが、その視線は電話から外す事が出来ない。
不意に先程の紀伊也の言葉が頭をかすめると、無意識に立ち上がって吸い寄せられるように電話の前に立っていた。
そして、タバコを口に銜えると、受話器を外してボタンを押した。
煙を吐きながら受話器を耳に押し当て、コールを聞いていた。
「もしもし」
「 ・・・ 」
突然の秀也の声に思わず驚いて息を呑んでしまった。
「もしもし、 ・・・ 司?」
しばしの沈黙の後、秀也に確かめるように名前を呼ばれ、ハッと我に返った。無意識のうちに秀也に電話をかけていたのだ。いや、もしかしたら意識していたのかもしれない。だが、今の司は秀也の声を聞いただけで心臓が止まる程驚いてしまっていた。
「あ、・・・ うん」
ようやくそれだけ返事をすると、半分位までに短くなったタバコを吸った。
「どうした?」
ふぅー と受話器を避けてゆっくり煙を吐くと一息ついた。
「司?」
秀也の温かい声が耳の奥に響く。
それがピンと張り詰めていた糸を緩めたのか、次の言葉を用意していなかったせいなのか、声が出せずにいた。
「司? ・・・ どうした?」
もう一度、秀也の心配そうに自分を気遣う声が耳に届いた。
思わず俯くと、手にしていたタバコを電話の傍にあった灰皿に押し付けた。
その手が微かに震えた。
「司?」
「秀也 ・・・ 来て」
呟くようにそれだけ言うのが精一杯だった。
そのまま受話器を戻し、秀也が来るまでの30分がどれだけ長い時間に感じただろうか。
サイドボードに寄りかかって抱えた膝に頭を埋めて座っていた司の前に秀也が現れた時、思わずそのまま倒れ込むように秀也に抱きついていた。
「司、大丈夫か?」
秀也は司の柔らかい髪を優しく撫でながらその華奢な体を抱き寄せた。
まるで昨日の出来事がなかったかのように、二人はしばらく黙ったまま抱き合っていた。
「秀也、ごめん。 急に呼び出したりして」
不意に我に返ったように言うと、ゆっくり体を離した。が、秀也の顔をまともに見る事が出来ずに俯いたまま座り込んでいた。
「いいよ、いつもの事だ。 気にするな。 それより本当に大丈夫か? 疲れてるんだろ、少し休めよ」
疲れ切ったように俯いている司を立ち上がらせるとソファへ促す。
そして、サイドボードからブランデーの入ったボトルとグラスを二つ出して、テーブルに置いた。
秀也は司の隣に腰掛けてブランデーを各々のグラスに半分まで注ぐと、一つを司に渡した。
「飲めよ。 少しは落ち着くだろ」
グラスを受け取った司は、何も言わずにそのまま自分の頭を秀也の肩に置いた。
秀也は少し苦笑すると、グラスに口を付けながらもう片方の手で司の肩を抱き寄せ、そのまま司の顔を覗き込むように顔を近づけると、その薄い唇に自分の唇を重ねた。
ゴクンと司の喉が鳴ると秀也は唇を離し、笑みを浮かべて肩に回していた手を離してテーブルにあった司のタバコとライターを手に取った。
そして火をつけ一服吸うと、煙を吐きながらそれを司の唇に銜えさせた。
「相当、来ちゃってるワケだ」
タバコを口に銜えたまま煙を吐く司に思わず苦笑してしまった。
「お前のせいだ」
銜えたタバコを外し、秀也に向けて言うと睨んだ。
「はいはい」
秀也は軽くあしらいながら司のタバコを指から抜き取ると、それを自分も一服吸って煙を吐きながら灰皿に灰を落とした。
そして、そのタバコを司の指に戻すと、グラスに口を付け、ブランデーを一口飲んだ。
「でもあれは」
「晃一が誤解したんだろ?」
秀也が言いかけたのを遮って司は素っ気無く言うと、自分のグラスに口をつけて、ぐいっと一口飲んだ。
「正解」
秀也は言うと、グラスをテーブルに置いてポケットから自分のタバコとライターを出して一服吸った。
そして、煙を吐くと、司に顔を向け真剣な目をして
「俺、本当に何もしてないからな」
と言った。
「わかってるよ、それくらい」
ちらっと秀也を見て吐き捨てるように返し、タバコを吸うとソファに背を倒した。そして、天井に向かって煙を吐くと、呆れたような眼差しを秀也に向けた。
「でもあれだな、晃一に誤解させるようなヘマでもしたんじゃないの?」
意地悪く言うと、再びタバコを吸って煙を吐きながら灰皿に灰を落とす。
「何もしてないよ」
棘のある言い方に思わず秀也を見ると、少しムッとしている。
「お前だよ」
秀也は言いながら灰皿に灰を落とし、近づいた司の額に自分の額をぶつけた。
「え?」
「喧嘩の原因」
秀也は再びソファの背にもたれてタバコを吸うと、煙を天井に向かって吐いた後、司を睨むように見つめた。
「聞いたよ。 あの撮影の日、ホテルに行ったんだって? ま、それは別にいいとしても、お前が寂しそうにしているから何とかしろって、責められた」
そう言って灰皿にタバコを押し付けて火を消すと、グラスを再び手にする。
「晃一のヤツ、司の事になるとやけに敏感でさ。 司を泣かせたら承知しないって言うんだ。 お前、晃一と何かあった?」
勘ぐられるような秀也から視線をそらしてタバコを吸うと、煙を吐きながら「別に何でもないよ」とだけ答えると、ブランデーを飲んだ。
ふと自分の視線の先に亮が見えた。
『秀也に亮さんを重ねるだろうって』
あの時の晃一の言葉が脳裏をかすめる。
「秀也が他の女に手を出すから晃一が怒ったんだろ」
それを打ち消すかのように、自分にとってはどうでもいい事を口に出していた。
「 ったく、だぁからぁ 俺は」
「わかってるって。 何もしてねぇんだろ? 同じ事何回も言わなくてもオレは秀也を信じるって」
くどいと言わんばかりに秀也を見つめながら言った。
「司」
「ん?」
「もし、俺が本当に浮気したら?」
「 ・・・ 」
「どうする?」
急に真剣に言われ、司は黙ったまま秀也を見つめた。
「秀也を信じる」
「何で?」
「秀也が好きだから」
そう言った瞬間、二人は唇を重ねていた。
第二章・終