第二章(六)
「 ・・・、 そういう事でいい? 」
マネージャーのチャーリーが何度か確認するように司の顔を覗き込んでは言うと、さっきから黙り込むように考えていた司は「うん、いいよ」と気のない返事を一つした。
「どうしたんだよ? 何か全然やる気なしって感じ」
とうとう堪え切れず、ナオが口に出した。
メンバー5人揃ったところで、司・秀也・晃一の様子が何かおかしい。互いに挨拶を交わすどころか、目も合わさずに、黙ったまま互いを避けているような雰囲気に包まれている。 晃一と秀也にどうしたのか訊いたところで、「何でもない」という返事が返って来るだけだ。 司に至ってはチャーリーと書類を見ながらずっと話をしているし、紀伊也には訊くだけ無駄だろうと思うと、ナオは、3人の動向が気になって仕方がなく、打ち合わせどころではなかった。
「じゃあ、とりあえず司行くよ」
手帳を閉じてチャーリーが立ち上がった。
「ああ」
再び気のない返事をすると司も立ち上がる。
「何処行くの?」
ようやく晃一が口を開いた。
「あのねぇ、聞いてなかったの? これから取材が一つ入ってんの。ホント今日みんなおかしいよ。それとも疲れてんの? だったら今日はもう休んでいいから」
チャーリーはとうとう呆れると溜息をついた。
「まったく ・・・ 頼むよ。 明日からしばらく休みないからね」
半分気の毒そうに晃一に視線を送るとチャーリーはドアを開け、司に外に出るよう促す。黙ってそれに従った司だったが、不意に顔を上げて振り返った。
「紀伊也、あれの続きだけやっといて」
思い出したように一言だけ言うと、そのまま出て行った。
ドアが閉じられた後、しばしの沈黙に包まれた。
段々に苛立って来たナオが何か言おうと息を吸った時、隣に座っていた紀伊也が突然立ち上がった。
「じゃ、俺 行くから」
え?
思わず紀伊也を見上げた。その視線に気が付いたのか、紀伊也はナオを見下ろすと
「アレンジの続き、やんなきゃならないから。 何かあったら電話してよ、司の部屋に居る」
そう言いながらちらっと、二人の前でさっきから黙ったままの晃一と秀也に視線を送ると、少し苦笑したようにナオに視線を戻した。
そして、ポンとナオの肩を叩いて「じゃ、また明日」と言って、出て行った。
ふぅっ 溜息に似たような息を一つ吐くと、ナオはテーブルの上のタバコに手を伸ばし、1本抜くと火をつけた。
一服吸ってゆっくり煙を吐く。
「で、司とやり合ったのか?」
少し呆れたような視線を二人に投げ付け、再びタバコを吸った。
ナオの問いかけに二人は目を合わせたが、すぐにそらせてしまった。
「晃一、何があったんだ?」
名指しされ、思わず目を丸くして驚いたフリをすると、自分で自分を指差した。秀也に向くと、秀也は苦笑している。
それに観念した晃一は、一つ息を吐いた。
「別にやり合った訳じゃない、 ・・ んだけどね ・・ 」
決まり悪そうに秀也に視線を送りながら答えた。
「で、やり合った訳じゃないんだけどね、の先は何だよ。 晃一くん、最後まで説明しなさい」
足を組み直し、椅子にふんぞり返ったナオに睨まれ、とうとう観念した晃一は昨日の出来事を全て話した。
役割は決まっていた。
司と秀也の間に何かあれば、司の事は紀伊也に任され、秀也の事は晃一に任され、最後の仲裁はナオがしていた。
が、今回は秀也と晃一の間にも小さな亀裂が走っていたが、それが最小限で済んでいたのが幸いしたようだ。
黙って最後まで話を聞いていたナオは、二本目のタバコに火をつけた。
「だいたい晃一が二人の事に首を突っ込むから話がややこしくなるんだ」
呆れたように叱り付けると、一服吸って、天井に向かって煙を吐いた。
「でも」
「でもじゃない。 とにかくその問題は司と秀也の問題だ。まず二人で話し合うしかないだろ。 そうだろ、秀也」
「まぁ、ね」
ナオに睨まれるように言われては納得せざるを得ない。
それに、確かにナオの言うとおりなのだ。 司の様子を伺いながら一人で悩んで考えても何の解決の糸口も掴めない。 思い切って司に今の自分の気持ちを伝えなければ何も始まらない。
解ってはいたが、当の司に逃げられるようにかわされれば、こちらとしても捕らえようがない。それに、秀也も逃げるように誤魔化していたのだ。
「ナオ、 ・・・ どうしたらいいと思う?」
とうとう助けを求めるかのように呟いた秀也にナオは一つ溜息をついた。
「相当悩んじゃってるワケか。 って事は、俺達にとっても死活問題って事だよな」
上目遣いに頷いた秀也に、ナオと晃一は目を合わせると溜息をついた。
「とにかく、まず司を捕まえてお前から話すしかないだろな」
そう言うとナオはタバコを灰皿に押し付けた。
ようやく解放された司は少し苛立って玄関のドアを勢いよく閉めた。
ったく
舌打ちしながら髪をかき上げると居間のドアを開けた。
「ああ、お帰り」
ソファでギターを抱えていた紀伊也は顔を上げると声を掛けたが、余りにムッとしている司に呆気に取られると、その次に何を言おうとしていたかも忘れ、司を目で追った。
司は、紀伊也にはちらっと視線を送っただけで、何も言わずそのまま台所へ行き、水を一杯飲んだ。少し落ち着いたのか、ふぅーっと一息吐くとそのまま蛇口を捻って手を洗った。
「悪かったな」
言いながら居間へ戻ると、ソファに腰掛けてポケットからタバコを出して火をつけ、天井に向かって煙を吐いた。
「どう?」
「ああ、こっちはまあまあ。 後は司が少しやればOKかな」
「 ・ ・ ・ 」
その後に続く紀伊也のセリフを待ったが、続かない。ふと見れば、少し呆れたようで、それでいて少し心配そうにこちらを見たまま黙っている。
ん?
「司、大丈夫?」
「え?」
タバコを吸おうと口先まで持って行きかけた手が止まってしまった。
「今日、ちょっと変だったから。 ナオも言ってたけど、やる気なしって感じで。 疲れてんの?」
勘ぐられるように言われて、思わず目をそらせてしまった。しかし、紀伊也の言わんとしている事はすぐ分かる。
すぐに返事が出来ず止まっていた手を再び動かし、タバコを吸うと自分の足元に向かって煙を吐いた。
「 ・・・ かも」
最後の煙を吐きながら呟くように答えた。
「少し休んだらどう?」
「そうしたいけど、そういう訳にも行かないだろ」
首を横に振ると、疲れたように溜息をついた。
出来るならそうしたい。
この多忙な現実から目をそらせ、何処かへ消えてしまいたい。 ほんの僅かな時間でもいいから何も考えずに静かな場所で過ごしたい。
しかし、それは到底叶うものではなかった。
「秀也と、海でも行って来れば?」
「え?」
「ドライブでもして来れば?」
意表を突かれた紀伊也の言葉に顔を上げると、ギターを抱えたままじっとこちらを見つめている。
「少しは落ち着くんじゃないの?」
「そんな時間・・・」
「それ位の時間なら作ろうと思えば作れる。 ・・・ それとも何か気になる事でもあるのか?」
「 ・・・ いや、別に何も」
少し間を置いて答えると、思わず苦笑しながら俯いてタバコを吸った。
そして顔を上げると、ソファの背に体を倒しながら天井に向かってゆっくり煙を吐いた。
それを見ていた紀伊也は少しホッとしたような笑みを浮かべると、抱えていたギターを下ろし、ソファに立て掛けた。
「じゃあ、俺 帰るよ」
立ち上がった紀伊也に黙って視線を送ると、目が合った。
思わず照れたように苦笑すると、軽く手を上げた。それに対して紀伊也は安心したように笑みを返して、黙って部屋を出て行った。