5話 新しい日常
「改めて、彼は稲垣陽樹。うちのメンバーの一人だ」
「おう、よろしくな!レイジ!」
「よろしく……」
激動の一日を越えたレイジの新生活の始まりというのは、何とも慌ただしく、息をつく間もないものになった。
昨日、全裸で登場した変質者は、呆然としたレイジを横目に『すまん!風呂に入ろうとしていたんだよな。もういいぜ!』と言い残し、そのまま二段ベッドの上を陣取り、そのまま眠りに落ちていった。
とりあえず風呂に入り、レイジも続いて横になってはみたものの、なんだか寝付けなかったため少し寝不足である。
「レイジ君は昨日よく眠れたかい?」
「あー、まぁ、はい」
「ならよかった」
適当に返事して、あくびが出そうになるのを必死に我慢した。疲れてたのに全然寝れなかった。
「おはようレイジ」
事務所の奥から美玲が二つコーヒーを持って歩いてきた。
「おはよう……」
「はいコーヒー」
コーヒーを渡される。特に何も言った記憶はないんだが、
「なんだかあまり眠れなかったようね。これ飲んで起きなさい。ミルクが必要なら、それは自分で取りに行って」
「おう……ありがとう。……なんでバレた? 結構俺眠いのとか、そういうの隠すの上手いと思うんだけど」
レイジは孤児院にいたころから、色々な表情、仕草を隠すことが得意だった。おやつをこっそり食べた時も、共犯者である他の子供達がすぐにバレて怒られるなか、レイジのみはバレなかった。
ただ、共犯者によってすぐにバラされてしまい余計怒られることも多かったのだが。
「そう? 見ればわかるでしょう?」
不思議そうに美玲が言う。無意識のうちに人の些細な変化などを感じ取れるのだろうか。こいつのスゴいポイントはまた更新された。
「おはよう美玲! 俺にもコーヒーくれよ!」
「自分でやりなさい。バカ」
「はぁ!? なんでだよ! いいじゃんか!」
昨日だけの印象で、美玲は結構あっさりと物を言うやつだとは思っていたが、陽樹に対しては特に語気が強い気がする。バカとか言ってるし。
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて。とりあえず私にもコーヒーを」
「所長。冗談は存在だけにしてください」
「存在から!?」
二人に厳しいようだ。何となく理由が分かる。多分普段からふざけているのだろう。俺にはまだ新人だから優しい。それは嬉しくもあるが、三人の時間との差を感じるようで、少し羨ましく思えた。
「まぁ、一旦それは置いといて、依頼も今のところないし、今日は昨日やっていた美玲に基礎を教わってもらう」
「今日は昨日の魔法訓練と、魔術の基本についてね」
魔術と魔法との差は、一般ではあまり知られていない。どちらも結果は同じようなものになるからだ。昨日依頼先へ向かう間に軽く説明されたが、魔法は先天的な才能、魔術は後天的な技術と言っていた。
「そして、魔法に関してはある程度感覚を掴んだら、陽樹との実践を行う。」
「今日できるかはお前の覚え次第らしいぜ!」
実践って何するんだ。それに、陽樹とやるってことは相手が必要な訓練なのか。とりあえずやるっきゃない。気を引き締めるために、コーヒーを一気に飲む……苦い。
昨日今日で何か変わる訳でもなく、攻撃魔法は少しも出なかった。
「まぁ今日はこんなものね。一旦魔術の座学をしてから、陽樹との実践に繋がる練習をしましょうか」
「わかった。てか、実践って何やるか知ってんの?」
「そうね、なんとなく想像はついてるわ。まぁやれば分かるわ。今は魔術についてね」
そう言うと、美玲は本を取りだした。
「これは魔道学校で使われてる魔術の教科書。あなた私と同い年よね?」
「あぁ、15だ。世間じゃ高校生か」
「もしかして、学校も行ってない?」
「本当は行く予定だったけど、家出てきちゃったからな……」
そうだ。生きるのに必死で忘れていたが、自分は本来学生のはずだった。
「悪いことを聞いたかしら」
「いや、いいよ。どの道学校は行く気無かったし」
当時の自分は、最初の数回で不登校になると考えていた。お金を出してくれる孤児院には悪いが、バイトをして金を入れようと中学三年の時点で決めていたのだ。
「そういや、今の次期は夏休みか」
「そうね、あと、不本意だけれど陽樹も同じ学校で夏休み中だから、こっちの仕事に専念しているわ」
「なるほど」
「話が逸れたわね。とりあえず魔術について」
魔術。魔法が才能によったものであるのに対して、魔術は学問的としての側面が大きいものだ。魔術は術式によって発動条件、発動効果を設定し、大気中の魔力をもとに発動するものだ。
魔法と違い、体を媒介に自分の魔力を導線として発動するのではなく、術式を媒介にしているため、発動条件を満たせば魔法適正の有無に関わらず発動できることが特徴だ。
発動条件自体は先日の依頼にあった侵入者撃退の術式のように、人がマニュアルで発動しなければいけない訳でもない。
「術式は魔力物質、つまり魔力を込めた何かで刻む必要があるわ。基本的には魔導文字で刻むのだけれど、魔法のようなイメージよりも、術式の正確さが重要ね」
「ただ、定型を無視して自分のイメージを用いて術式を創り出すような魔術師もいるわ。これはあまり覚えなくていいけど」
「美玲はできるのか?」
「できるにはできるけれど、出力が下がるしやらないわね。」
例外といわれる技もできるらしい。もしかしたら、すごいエリートなのかもしれない。
「教科書にあるこの魔導文字ってやっぱ覚えなきゃいけない?」
「魔術を扱ううえでのABC、アルファベットにあたるものだから、前提にはなるわね。あなた、漢字もひらがなもなしに日本語を話すの?」
見た感じ、アルファベットとは比にならない量の文字がありそうだ。暗記苦手なんだよな……俺は魔術に向いてないかも。
「数は少なくないけれど、どんな魔術の系統でも基本的に扱うのはこれらだけだから頑張りなさい。召喚魔術だとか、特異なものですら、これを踏襲することが多いわ」
「例外もあるけれど、今は基礎ね」
「うへー」
「そういえば、あなたは魔道学校に通うつもりはないの?」
突然そんなことを言われるが、魔道学校に通う、か。
「うーん、確かになー」
少し考えたことではある。魔道学校と言えば、主に魔法学校というイメージが強く、幼い頃に憧れる子供も多い。レイジもそんな気持ちが無くはない。
だが、問題が多い。今俺の身分を表すことが出来るのは孤児院だけだ。さらには、身元保証できる大人というのもいない。そして一番の理由は金がないことだ。
所長から聞いた給料は、正直そこらのバイトよりも割がいい。しかし、レイジはただのバイトではない。家賃やらなんやらが必要なのだ。そうなるととても学費を払える余裕はない。
「興味はあるけど、無理だな。書類とか通る環境じゃないし、金ないし」
「……あぁ、それなら何とかなるんじゃない? 行く気があるなら所長に話してみたら?」
一体どういうことだろう?『子供でもわかる魔術史』をサラッと終わらせると、美玲は詳しいことをこれ以上話してくれなかった。
事務所の外にある広場に出ると、美玲は机とロウソクを置いた。
「じゃあ魔法の感覚を掴む練習を軽くすませましょう。あなたなら多分できるから」
「うす」
「とりあえず水を出せる?」
「おう」
言われた通りに水を生み出す。昨日やったようにできた。手のひらから水が溢れる。下にいかないようにとどめるのが難しい。
「じゃあ次にその水の塊を手から離れた位置に固定して」
「お、おう」
手の近くでも結構精一杯なんだが!
「魔力を手の延長として考えるといいわ」
手の延長……水はまだ放出されていない為、レイジとリンクした状態にある。その繋ぎとなっているのは魔力である。魔力の線がレイジの手と水の塊をつなぎ止めている。
イメージしながら少しづつ水を離していく。魔力という線を切らないように、手と水を繋げる……すると15cmほど離れたところにとどめることが出来た。
「できた、ぞ……!」
「やっぱり筋がいいわね。この感覚は攻撃魔法に繋がるところもあるから、これも練習していきましょう。一旦やめていいわよ。」
「ふぅ……集中したー」
なれない感覚に全神経を張り詰めた感じだ。めっちゃ疲れた。
「じゃあ空中操作の基礎もできたし、陽樹との実践訓練の時間ね。陽樹が来るまで、日陰で休んでなさい。私は用事があるから、今日は家に帰るわ。それじゃ」
「わかった。じゃあな」
このあとも訓練があるし、言われたとおりとりあえず休もう。
少しすると、陽樹と所長がやってきた。
「うわー、今日あちーな。中じゃだめなのかよー? かつきー?」
「中だともしものときに危ないだろう?」
もしもがある訓練と聞き少し怖くなる。
「まぁ、そうは言っても心配することは無い。不安要素は君というよりは陽樹の方だしね」
所長は陽樹の方を向いて肩をすくめる。
「どこが不安なんだよ!」
陽樹は不満そうで、所長の方を向いて講義するかのように腕を広げた。
「水を空中にとどめることに関する訓練って、一体何をするんですか?」
「よし、じゃあ説明しよう」
「題して、炎VS水! フィフティーバランス! だ!」
所長のネーミングセンスはさておき、炎と水、半分、バランス……そして美玲が持ってきたロウソクからおおよその事を理解した。
「かつきー……なんか名前ダサくね?」
「なんで!? 分かりやすい良いネーミングでしょ! 魔力のバランスを均等に保つって点から考え……」
「レイジ! 俺がロウソクに火をつけ続けるから、それをギリギリ消さない程度の水を保つんだ!」
「……なるほど?」
なんとなく察していても、いざ言われるとよくわからないな。
「話を聞いてくれない……! まぁ、レイジ君、魔力を含んだ現象には魔力を含んだ現象、つまり魔法には魔法が対抗出来ることは聞いたね」
「はい、魔法で起こした現象は完全に変換しただけだと魔法とか、魔力には干渉できない。ですよね」
「そう。魔力はそのまま現象化すると、物質に溶け込むが、魔法は我々が変換する以上、その溶け込む過程というのが無くなってしまうからね」
魔法も魔術も、魔力から火や水に変換することができる。しかし、完全に変換されると魔力の特性が消え去り、魔力を帯びたものへの効果が無くなってしまうのだ。
魔力を帯びた現象には魔力を帯びた現象のみ干渉できる。そのため、発動した際に魔力の特性を残すために、魔力をそのまま残すことが必要になる場面があるのだ。
魔力から十割水に変換したもの、つまり純粋な水では、魔力を少しでも含んだままの火を消すことは不可能である。
「この実践で重要なのは陽樹が出した魔力の割合に合わせて、水の中の魔力の割合を操作することだ。本来もっと時間を経てからやることなんだが、君は覚えがいいと美玲のお墨付きでね。とりあえずやってみようってことだ」
美玲に期待されている。あんな凄いやつに期待されるなんて、嬉しいけど俺に本当にできるだろうか。いや、その凄いやつの言うことを信じないでどうする。成功のイメージを浮かべよう。
「じゃあやるか! いくぜ!」
ロウソクに火が点く。見た目だけでは判断がつかないが、魔力を感じる。魔力は……なんとなく一割程度込められている気がする。自分も水の中に魔力を残すイメージでロウソクの火に水を被せる。
「ッ! 火がまるでびくともしない!」
「魔力が全然こもってねえな。なんかこう、グワーッ! て感じでやるんだよ」
陽樹の説明はまるで分からない。
「そうだねー……あぁ、水に魔力という絵の具を垂らす感じって言ったら分かりやすいかな」
所長が言う。絵の具。水全体にぶわっと広がり混ざり合う。そんなイメージ。
所長の言うようにすると、火の勢いがだいぶ弱まった。
「おお! そうそう! やるな!」
「できたみたいだね」
「火に込められた魔力がどんくらいかは、ちょっとずつ調整してやっと分かるくらいなんですけど」
あの火のどれくらいの割合が、魔力であるのか。まだそれをすぐに知覚はできない。
「まぁ、これも慣れさ。やってるうちに感覚が染み付いていくよ」
そんなこんなで、魔力の割合が少しずつ増える火と、それに対等な(消えないためにちょっと少ない)量の魔力を込めた水を保つ練習は、魔力三割程度を含むところまでできるようになった。
「美玲も言っていたと思うけど、これは攻撃魔法の方にも繋がるから、定期的に陽樹と練習するといいよ」
「分かりました。じゃあ、改めてよろしく陽樹」
「うし! 俺の基礎練にもなるから何時でもウェルカム! だぜ!」