51話 激情と英国紳士
月城と深夜に会社に侵入することを決定してから、便利屋に帰ると美玲がいた。
「あら、おかえりなさい」
「ただまー! みれ!」
「ただいま……って、なんで美玲がいるんだ? 今日仕事あったっけ」
美玲はなにやら制服のままで事務所のパソコンとにらめっこしていた。スマホには慣れたようだが、まだパソコンは上手く扱えないらしく、ローマ字入力自体は出来るが人差し指でキーボードを叩く姿がたどたどしい。
「……ちょっとね、調べ物よ」
そう言うと美玲は素早くパソコンの電源を落とした。
「えー、めずらしー」
「ちょっと手伝ってる研究室の資料調査みたいなものよ」
美玲は月城を見て笑うと、今度は俺の目を覗き込む。
「……レイジ、あなた、大丈夫なんでしょうね」
「なにがだ?」
「なにがって……まぁいいわ。悩みがあるなら話しなさい」
美玲はそのまましばらく俺を見つめている。
「わかった」
俺がそう言うと、美玲はほんの少し息をつき、ゆっくりと瞬いた。表情の読めない顔の裏から、どこか俺の何かを見ているように思えた。
胸がズキズキと痛む。内側の燃え盛る炎と罪悪感が、外側から受けた優しさに悲鳴をあげている。
「じゃあ、私は家に帰るわ。夜更かししないで寝るのよ」
「えー、みれ、おかーさんみたーい!」
「ゆらは昔から夜更かししすぎなのよ」
月城が腕を大きく広げ美玲に抱きつくと、美玲はその様子に慣れているようで、一切よろけることなくそれを受け止めた。
「レイジ、あなたもよ」
月城が引っ付いた状態のまま、美玲は俺の方に振り向いた。
「へいへい、ビッグマム」
「……潰されたいのかしら」
「すいません」
軽く冗談を挟み、俺は夕飯を食べに食堂に向かった。
たぶん、これはいつも通りのはずだ。俺は普通にふるまえている。
今日のグラムさんのご飯はどこか味気なかった。
◆
深夜0時、暗い夜の中、至って普通のビルの非常口の傍に俺と月城は立っている。
月の光が俺たちを照らしている。
「準備いーい? レイちゃん」
「おう」
アルトの言っていた会社に潜入するため、俺たちはその会社のビルまでやってきていた。陽樹の寝付きが良かったおかげで、外に出るのは容易だった。
「んじゃ、ちょっくらごー」
「おい、裏から入るにしてもそんな無謀備に入るもんか? 俺は一応便利屋の魔道具を少し持ってきたけど……」
月城がなにか魔道を使う様子もなく非常口に手を掛けようとするのを静止する。
「あと、魔術にしても機械にしても何かあるだろ。まだ見てないだけで警備員だっているはずだし」
「あー、それは大丈夫だってー、警備員はなんとかなるし、魔術だったら、み……アタシの協力者が看破してるし、機械はそもそも使ってないらしいから」
知らんうちに手を回しているようだが、こんな短期間でどれだけのことを調べたんだ?……まぁ、今は都合がいいから後で問い詰めるとして、機械系統を使わない会社か……魔術はあるようだし、お金に余裕があるのか?
「ほら、だから行こ」
「……分かった」
月城は非常口のドアをピッキング……ではなく普通に壊した。
「お前マジで言ってんの」
「大丈夫だって、劣化してたみたいにしといたから」
「…………」
不安しかない。
◆
全くもって理解できない。不安でしかなかった会社内の調査が驚くほどスムーズだ。
いや、実際には警備員に見つかったりしたのだが、月城がなにか魔道を使って催眠し、俺たちの存在を知覚できないようにしたようだ。どんな系統なのだろうか。
俺はこいつの魔道に関する情報の一切を知らない。
便利屋に入り、出会った頃も『ひ・み・つ』などと言って教えてくれなかったのだ。
「なにか派手なことしたり、話しかけたら流石に気づかれるから、レイちゃんもしんちょーにね」
「わかった」
まぁ、どんな原理かは今はいい。資料でも何でも、なにかあれば久我について知らない情報が手に入るかもしれない。
たとえば、ターゲットの選び方とか、協力者とか……
その時耳が微かな音を拾った。
「月城、なにか聞こえる」
「うん、誰かいるね」
ひっそりと会社内を歩いていると、なにやら会話が聞こえる。
こんな時間に……?
「――だから魔法至上主義者ってのは厄介なんだよ! 思想を隠してやがったんだあの社員! その因果でうちの会社のやつが死んだんだぞ!」
「そもそも、古代魔術なんかに関わるからこうなるんだ! あの偏屈なじいさんも、魔法至上主義者もうちには関係なく済めたはずだったろう!」
「そうは言うが、あなたのほうが転移魔術を独占できればなんて言ったんでしょう! ことが大きくなった発端はあなただ!」
「内田家の事件はあのおじいさんとあの魔法至上主義者の目的だったようだが、手段に使われたのは転移魔術、この会社が疑われるのも時間の問題だ! 責任を取るとすればあなたなんですよ!」
どうやら二人の男が言い争っているようだ。
……断片的だが、少しずつ、点がつながっていく。また怒りが抑えられなくなってくる。
「あの女から古代魔術の話を持ち掛けてきたんだ! あの教師が! くそ! 内田家の資料なんかにつられなきゃ!」
「……ひとまず、古代魔術に関する資料はすべて燃やしましたし、あとの問題はリエンドのみです。何とか乗り切りましょう」
「ちぃっ、しかたない。残業なんかしおって、そのせいでこんな時間まで会社に残ることになったわ!」
「まぁまぁ、一般社員なんですし、仕方ありませんよ」
なんだこいつら。なんなんだ。魔法至上主義者?偏屈なじいさん?会社の利益のための古代魔術研究?それをリークした女教師?
どれもこれも意味不明だが、先輩が死んだことよりも自分たちの保身のことしか考えていないのか?
人が死んだことの原因に自分たちの行動があったと理解しているんだよな?
会話に出てきた人間全員、何を考えている?
「……そんな存在、必要なのか?」
「レイちゃん?」
消さなきゃ、この世に必要ない存在は無に帰すべきだ。
「ちょ、ちょっと、レイちゃんなにしてんの」
「はなせ」
腕をつかまれた。俺が声の主のほうへと粛清に向かうのを全力で止めにかかっている。
邪魔するな。何をしようが俺は止まる気はない。いらないものはいらないだろう。
理由はわからないが、今ならあの魔法も使えると確信できる。あの男どもを消し去れるんだ。
俺が月城の手を振り払い、足を踏み出した時だった。
「――全く、レディの手を強引に振り払うとはいただけないな。少年」
「!?」
あたりにふわりと風が吹く。そして不思議なほどに静まった空間に、場違いな軽い空気が漂う。それと同時に月城が固まった。呼吸はしているが、意識を感じられない。
さらに、突如目の前に男が現れた。きれいに磨かれた革靴にパリッとした青いスーツ、七三分けの髪の上にはこれまた青いシルクハットがよくなじんでいる。
俺が声を出すよりも先に、男は白い手袋をはめたその手で俺の口をふさいだ。鋭く、しかしどこか暖かさを感じる目が俺を見つめている。
「ひとまず、周囲の人間の思考能力は封印した。少年が今感じている疑問について話してもいいが、それは少年が今から行おうとしている不当な殺人をやめる気になってからだ」
なんだこいつは、どこから出てきた?敵?
ひとまずこの男の要求をのむしかない。俺がゆっくりと首を縦に振ると、男は柔らかな笑みを浮かべ、口から手を放してくれた。
「よろしい。感情も落ち着いたようだ」
「……あれ、本当だ」
気づかなかった。さっきまではあんなにも、先ほどの声の主を殺そうと思っていたのに、気持ちが凪いでいる。
「では、時間も惜しいだろうし、手短に話そうか」
男はわざとらしく、帽子を被り直し、背筋を伸ばす。
そしてまっすぐとこちらに手を伸ばし、やや顔を傾けこちらの顔を覗き込んできた。
「――少年、自分と契約しようじゃないか」




