39話 再来 / 幸福で幸運な殺人日和
再来
パン屋でのマンイーター襲撃後、事務所に戻った俺たちは、ひとまず状況を整理していた。紫については月城に任せている。
「また、マンイーターが現れた……ゼダはしばらく私たちの世界には干渉してこないと考えていたけれど、そうもいかないのかしら」
現在、ゼダの一件に関わったもの達が事務所の方に集まっていた。
美玲は深刻な状況にあると考えているようで、大分険しい表情だ。
「それは無理じゃないか? 前と違ってアルトだって何か動きがあったら教えに来るはずだろ。それがないってことは少なくとも本人は動いてないと思う」
今回のマンイーター出現には、前回との大きな違いがある。
まず、黒幕の一部、主に実行犯であるゼダが割れていること。そして、ゼダを追うリエンド――アルトとの関係が存在することだ。
口外禁止の契約を結んだあと、アルトは帰り際に所長にこう言っていたらしい。
『ゼダについてですけどぉ、ひとまず、特務班と便利屋は協力関係ってことでぇ、何かあったら互いに情報共有よろしくお願いしますねぇ、先輩』
そのため、ゼダを最優先で追っているらしいアルトたちから何も連絡がないということは、ゼダ本人が今、何かをした訳では無いということだ。
「前のマンイーターがずっとその辺に隠れてたーなんてあるかな?」
シャスティはそう言いつつ、自分でもそれは無いと思っているらしく、自信なさげだ。
「前のは偶然が重なったっぽいからなぁ、ゼダが面白がって育ててたみたいにも考えられるかもしれないけど、そうしたら結局今回の件で隠れてたってのがおかしくなるし」
「そうね……レイジの言う通り、マンイーターが単体で隠れていたというのはありえないと思うわ」
俺も美玲も同じ考えだった。前にラーメン屋で現れたマンイーター……ゼダが言っていたことが本当なら、偶然出来た特異個体が廃墟などに隠れ、一ヶ月生き延びていたことになる。
「じゃあゼダの契約先とやらが保護してたってのはねぇか?」
陽樹が、パッと口にする。確かにゼダは契約による目的と自身の人形の材料集めという目的、二つをベルディオの悪魔式で達成しようとしていた。
ゼダは契約により相手の情報を出すことはできなかったが、そういう存在がいるということは大きな情報だ。もしかしたら、その契約先が何か動いているのかもしれない。
「なるほどねぇ、それはありえるなぁ」
ふと、後ろから間延びした声がする。
慌てて振り向くと、そこにはアルトと、拘束したマンイーターをリエンドへと持っていった所長がいた。
「アルトさん!?」
「げっ、アルト」
「また会えて嬉しいよぉ、シャスティちゃん」
相変わらずシャスティはアルトに敵意剥き出しだ。そんな様子を横目に所長が口を開いた。
「マンイーターを持っていくついでに、なんかいたからアルトも持ってきた。んで、話をしたところ、ゼダがこちらに現界している可能性どころか、人形で干渉している可能性もほとんどないそうだ」
「ボクたちもあの事件以降かーなーり働き詰めなんですよねぇ……その成果として分かることは、今ゼダは動いてないってこと、それだけです! 休みたい!」
ゼダによる干渉がないと考えると、やはり謎の契約先……その目的のための行動が始まったのだろうか。
「あとひとつ、今回のマンイーター出現だけどぉ、ボクが把握している限り」
「突如としてその場に現れたみたいだよ」
「だから気をつけてねぇ」
そのひと言は、張り詰めた空気を更に凍りつかせるには十分だった。
アルトによる情報――マンイーターは突如その場に現れた、ということは、外にいる限り、安全が保証できない可能性を意味していた。
しかし、それで一切外に出ずに過ごすべきかといえば、そうも言ってられない。
しばらく続いた平和に不穏な影が差している。俺の過ごす日常に這い寄るその影は、まだ得体もしれない。そんな状況でも、俺たちは日々を過ごすしかなかった。
幸福で幸運な殺人日和
「あー、仕事だるーい。先輩だけでやってくださいよー」
「何言ってんだ。ここで記憶処理しないと大変なことになるだろう。一般人に漏れたら大変な案件らしいし、しっかりやるぞ。お前はまだまだ新人なんだから、シャキッとしろ」
「はーい、まあ私の仕事はあまりないですけどね」
便利屋メンバーたちが所長とともに事務所へ向かった頃、マンイーターの現れたパン屋でマンイーターを目撃した人々は、ひとまず近くの交番へ保護されていた。
そこへ向かうのは警察のような風貌の男と、部下の女――リエンドの記憶処理班のうちの二人である。秘匿された記憶処理の力を用いて、大きな魔道犯罪が一般へと広く知れ渡ることを防ぐ重要な役職である。
彼ら以外による記憶処理は禁忌とされている上、処理班には戦闘能力も求められるため、数も限られている。
事前に連絡が行き届いていたため、警察に扮した二人はすんなりと中へと入っていく。
「すいませーん、警察ですー。すこーし事情をお聞かせくださーい」
中にいたパン屋の店員二人、そしてスーツの男を見ると、事情聴取という形で、それぞれの知ってしまった情報を精査する。
そして、三人全員の話を聞き終わると、記憶処理の準備を始めた。
「……じゃあ、すこーしじっとしててください。すぐ終わるんで」
「え、はい……」
店員二人は戸惑いつつも、素直に指示に従う。スーツの男も指示に従うが、不自然な程に笑顔が張り付いた顔に部下の女は違和感を覚える。
そして、部下の女は小さく上司にささやいた。
「先輩、ちょっとあの人変じゃないですか?」
「失礼だぞ……いいからやれ」
「……はーい」
部下の女が小さな棒状の魔道具を取りだし、魔力を注入し始める。魔道具が青く光り始めると、その影響で店員たちは軽い催眠状態に陥り、やがて眠った。処理班二人は事前にサングラスをかけたことで影響はない。
続いて上司の男が腕に刻印された術式を発動させる。複雑に絡まりあった術式はその模様が細かく、深く凝視しないと魔導文字と分からない程の密度だ。魔術ではあるが、魔法的な魔力操作も必要なこの術は、素人では到底扱えない。
術式が発動すると、腕の形を成した煙がその場に発生していく。男はそれを操ると、三人の頭をそれで覆い隠した。
そして、パン屋の店員から順に、記憶を操作していく。
「あー、やっぱり頭の中を覗くのはきついな」
「やっぱり、齟齬がないようにするのが面倒なんですか?」
「そうだな、お前もなこの先やることになるが、慣れるまでは自分の記憶もおかしくなるかもしれないから気をつけろよ」
「うわ、やりたくなーい……」
そう言いつつ、慣れた感覚を頼りに、パン屋の二人の記憶を操作し終わった男。最後にスーツの男の頭を覗いた時だった。
「……は? なんだこいつ……! 殺人? 何人やってんだ……!」
「先輩!?」
男は頭を覗いた瞬間、ふらふらと、その場にしゃがみこんでしまう。部下の女が驚くも、男は掌を向けて大丈夫だとサインを出す。
「こいつは、別の犯罪で逮捕すべきだな……今のうちに拘束もすませ――」
何が起きたのか、二人は理解できなかった。上司の男の口は言葉を紡ぎ終わる前に、その上下が離れ離れになったのだ。頭部が二つに分かれ、上の部分は地面へと転がった。
「……え、せ、先輩……?」
部下の女は放心し、その場にへたりこんでしまった。逃げようとすればまだ、ほんの少し、針の穴を通すほどの希望はあったかもしれないというのに。
「うーん、どうも頭がクラクラするな。どんな催眠術を使ったのか……いや、あの男の言っていた魔道とやらの力かな、お嬢さん? 僕は一般の魔道具程度しか触れたことがなくてね。ああ、まったく知識不足で申し訳ない」
頭にかかった煙を払うと、スーツの男はナイフを持ったまま、張り付いた笑顔で女に語りかける。
女は目の前の人間の場違いな態度に困惑を隠せない。
ガタガタと口を震わせ、何も喋ることはできなかった。
「それともうひとつ申し訳ないが、君には死んでもらう。さっきの男の命だけでも良かったんだが……僕の秘密を握られていては困るからね」
「…………あ、あの……誰にも言いません! ほ、本当です! だから殺さないで……」
女はやっとのことでか細い声を出した。
だが、その必死の懇願は目の前の人間に届くことは無い。
「すまない。死んでもらうと言っただろう? これは仕方ないんだ。僕の幸福のためにも死んでもらえないか」
「い、いや――」
スーツの男は、女の脳天にナイフを突き刺す。女はショックですぐに息絶えたようだ。体の反射反応だろうか、まだ少しピクピクと動いている。
「外で人を殺すと、服が汚れないようにするのが面倒だな……まあ仕方ない」
そう言う男のスーツは不思議な程に綺麗なままだ。
「だが、なんともまあ、今日は運がいいな。あの少年もあそこのパンを気に入ってくれたようで何よりだ。常連が増えるに越したことはないからね」
男は眠っている二人のパン屋を見つめて言った。
そして、すぐに防犯カメラを操作しに行き、そこで対峙した交番在中の警察官を殺害、カメラのデータを削除した後、また部屋へと戻ると、記憶処理班の腕の術式に触れぬままに魔力を流し込む。
「うーん……こうかな、直近の記憶を消すとなると、三人殺した分の幸福を忘れてしまうのが勿体ないが、致し方ない」
まさしく天才だろう。男は記憶処理の術式を初めて見て、発動させる。そして自分の記憶を消し去り、同時に女の魔道具も発動させ、自ら眠りについた。
後から発見されたのは記憶処理班二人と警官、計三人の死体だった。現場で眠っていたパン屋店員とスーツの男は犯人と疑われるも、リエンドの記憶処理班という精鋭の死や記憶処理の痕跡から、一般人には不可能と断定。すぐに疑いは晴れた。
リエンドに大きな衝撃をもたらしたというこの事件は、後に記憶処理班の人員追加に影響したという。




