青い青春
うちの高校にはプールがある。青いプールだ。夏には涼しそうでいいけど、その他の季節に見ると寒気がしてしまう。でも紗栄子はまだ夏が来る前から水着を持って学校にやって来て、ひとりで泳いでいる。泳ぐのが好きなのか、それとも何かから逃げたがっているのか、あたしにはわからないけれど。
雨水が溜まったプールは池のように見えて、それでもプールはプールだ。微生物のプールだったとしても、紗栄子はそんなこと気にしていないように泳ぐ。あたしが両手で頬杖をつきながら、つまらなそうにそれをずっと見つめているのは、ただの付き合いだ。あたしには紗栄子しか友達がいなくて、紗栄子にはあたししか心を開ける人間がいないから。
「ねー」
泳ぐ紗栄子にあたしは話しかける。
「なんでうちの高校、水泳部がないのにプールがあるのかな?」
聞こえていないように彼女は泳ぐ。微生物のプールを生き生きと。そのクロールの動きはとても綺麗で、池の鯉よりも速くて逞しいけれど、あまりに寒そうで、あまりに痛々しくて、あたしはつい、スマホを見はじめてしまう。
「寒い」
やっと陸に上がってくると、紗栄子はあたしに抱きついてこようとした。
「あっためて。彩緒」
「きゃー! やめてよ! 制服がびしょ濡れになっちゃうでしょーがっ!」
「寒いねん。ちっとは親友のこと気遣えや」
「こんな涼しい日にあんな汚いプールで泳ぐのが悪いんでしょーが! いっつも思ってるけどやめればいいのに!」
「泳ぎたいねん。初夏だろうと、春だろうと、秋だろうと季節は関係あれへん」
「気がしれん」
紗栄子は笑った。
「なら、プールサイドで見とらんでもええのに」
勝ち誇ったように、笑った。
あたしは彼女のこの笑顔が好きなのだ。
まるでなんでもできる超人のように、自信たっぷりに笑う紗栄子を見ていると、自分までなんだか万能感を覚えてしまう。
伝染するもんだ。友達の自信って。
プールは金網で囲まれて、そもそも立入禁止になっている。誰も見ていないので、紗栄子はその場で水着を脱いだ。ぺたんと地面にコンニャクを置くような音と引き換えに、あたしがバスタオルを渡すと、みっともないガニマタにばしっ! とタオルで音を立てた。水泳帽も脱いで、長い髪を丁寧に拭く。その仕種が子供の頃に見た従姉妹のお姉さんを思い出させる。知らないあいだにあたしらもオトナになったもんだ。
「今日も学校帰り、どっか行くん?」
紗栄子に聞かれ、あたしは正直に嘘をつく。
「うん。バイト」
「えらいカネになるバイトやっとるみたいやけど、まさか援交とかしとらんやろな?」
「そんなのしてないよ」
「ま、アンタの自由やけど」
紗栄子は水着を入れたスーパーの白いビニール袋を肩にかけると、顔だけをこちらに残して、身体をむこうに向けた。
「なんか問題あったらいつでも言いな? あたしら親友どうしなんやから。いっくらでも助けるで」
「うん、ありがと」
手を振って、紗栄子が金網をよじ登り、出ていった。
何もプールに用事のないあたしは時間が来るまでそこにい続けた。
= = = =
青春ってことばがよくわからない。
その青って、どんな青?
青にも色々ある。
目に鮮やかなコバルトブルーとか、色の褪せきった古い塀の青いペンキの色とか。
少なくともあたしのいるこの場所には色なんか特にはなくて、春ってわけでもないような気がする。
それでも青い春は売れる。
正直な嘘さえつけば、罪悪感を抱くこともなく。
「こんにちはー」
あたしがお店に入っていくと、伊香川のおじさんはいつものように、迷惑そうな表情で歓迎してくれた。
「おう。アオちゃん、らっしゃい。商品持って来てくれたのかい?」
「うん。今日は3枚」
おおきな紙バッグの中からビニール袋に包んだモノを取り出すと、おじさんはまた迷惑そうな顔でうなずいた。そして中身をプロの目で丁寧に鑑定すると、興味なさそうにレジからお金を出す。
「なかなかオッサンどもの好みがわかって来たようだな。そう、こういう、シミのついた純白がいいんだそうだ」
ビニールの中身は3枚とも真っ白なぱんつで、股のところに黄色っぽい茶色のシミがついている。納豆をこすりつけて一日置いたシミだけど、これを女子高生のシミつき下着としておじさんは手際よく売り捌いてくれるのだ。
最初はネットオークションで自分で売っていたものだが、嫉妬する女はいくらでもいるもので、すぐに通報されてアカウントを停止されてしまった。
昔から知り合いの伊香川のおじさんがいてくれてよかった。
何も言わずに九千円を渡してくれる。
自分でネットで売れば1枚最高二万円で売れたことがあるので、儲けは少ないが、おじさんに任せれば安心、安全だ。
おじさんはあたしのことを子供として、あるいは商品としてしか見ていないから、とにかく危険がないのだ。顔は知らないけど同い年の娘がいて、べつの高校に通っている。だからあたしを性的な目で見たりはしない。
「カネ受け取ったらサッサと帰れ」
あたしのほうを見ずに、小声で言う。
「俺はPTAの役員やってんだぞ。おまえみたいな未成年がこんなとこにいるのは許さん。早く帰れ。早く、早く。シッ、シッ」
「ありがとう、おじさん」
「あっ、ちょっと待て。今度、新作のセーラー服が入荷するんだ。それ来たらよ、それ着たおまえの写真を新しく撮りたい」
「あっ、りょーかい。かわいく撮ってね?」
レジスペースの中に隠れながら、お店の目立つところに貼ってある自分の写真を仰ぎ見る。いつ見てもかわいい。オモチャみたいなライトブルーのセーラー服を着て、カメラに向かって右手でピースサインを決め、左手で超ミニスカートをめくり、白いぱんつを見せている。口までしか写っていないけど、心から楽しく笑ってるのがみんなにも伝わるような写真だ。
あたしはお金を財布にしまうと、レジスペースの後ろにある小さな裏口から外へ出た。
派手なピンク色の看板に装飾のいっぱいついた『伊香川書店』の裏に出ると、停めてある車の後ろを通って、学校から直帰する女子高生を装って、大通りを歩きだした。
= = = =
家に帰ると食卓でお父さんとお母さんと笑顔で今日あったことを報告し合う。あたしは英語の垣内先生がしてみんなが笑ったその話をした。内容はよくは覚えてなかったけど、大筋は覚えてた。細かいところはテキトーに創作して話すと、お父さんもお母さんも平和な家庭に笑い声を響かせた。
部屋に戻るとインスタをチェック。昨日投稿したダンス動画にたくさんのコメントがついていた。
青春だねー
かわいい
純粋って感じでいいなー
あんまりコメが多すぎて、個別に返信はしなかったけど、一括で『みんな、ありがとー』と返信しておいた。本心からの返信だ。顔は嬉しくてニッコニコしてる。調子に乗って芸能界デビューとか考えた。
それが終わると使用済みぱんつ作りをはじめた。買ったばかりの純白のぱんつに納豆をこすりつけるだけ。それだけで、あとは一日待つだけで、使用済みぱんつの出来上がりだ。
嘘はついてない。あたしはほんとうに17歳の女子高生で、このぱんつはほんとうに自分のおカネで買ったもので、この納豆もほんとうに自分のおカネで買ったのだ。
嘘があるとすればあたしはそれを一度も穿いてないことだけど、おじさんは『女子高生のシミつきぱんつ』として売っている。なんのシミかなんて、書いてはないのだ。
1枚300円で買ったぱんつに、1パック28円の納豆が、1枚三千円になる。もう、既におカネはいっぱい貯まってる。
紗栄子とディズニーランドに行くんだ。
一泊二日で、二人で同じ部屋で寝るんだ。二人きりで、色んな話をしたり、色んなところを触り合ったり、色んなキスをするんだ。
でも紗栄子のおカネがなかなか貯まらない。夏休みまでもうすぐなのに。紗栄子のぶんまであたしが出すわけにもいかないし──
紗栄子にもこのバイト、教えてみようかな。
いや、だめだ。なんでかわからないけど、なんか怖い。何かが壊れそう。
せっかく紗栄子から伝染してるこの自信が、壊れてしまいそう。
紗栄子、早くおカネ貯めてくれないかな──
一緒に楽しい夜を過ごしたいな──
その時、初めてわかるのかな。青春の青が、どんな色なのか──