プロローグ&第1話
ほぼSFです。
オメガバースが苦手な方はご自衛ください!
オメガバースの説明は各自お調べいただきますようお願いいたします。
【Prologue】
20××年、7月某日、その日はとても暑い日だった。ギラギラと照らす太陽にうんざりしながら、柳壱成は缶ビールが入ったコンビニ袋をぶら下げ自宅マンションに帰る。時刻は午後14時、1番暑い時間だ。そんな中、郵便配達員がポストに配達物を投函していた。暑い中ごくろーなこったと感心しながら横を通る。
「ごくろーさまです。」
「ありがとうございます!」
まだ20代だろうか、爽やか笑顔で応えぺこりと頭を下げる配達員。壱成の顔を見ると驚いたように目を丸めた。これでも一応、中堅バンドのベーシストなので夏には酷なマスクをしている。しかしそれも意味をなしていないようだ。彼の視線を感じつつ、壱成はエントランスに入ると自分の部屋のポストを確認した。402号室のポストには1通の封筒が入っていた。A4サイズの大きさの封筒の送り主には役所の文字。
「あ?役所?なんかしたっけ?」
思わず声に出してしまうほど驚いた壱成は、足早に部屋に戻った。いつもなら、買ってきたビールを一気に飲み干すのだが、今日は一旦お預けだ。ハサミで丁寧に開封すると、中には2枚の書類が入っていた。一通り目を通し、全てをグシャリと乱雑に握り締めゴミ箱へと投げ入れる。
「クソみたいな法律があるもんだな。誰が行くか。」
30年ほど前、二つの法律が制定された。一つが、『遺伝子情報管理法』。その名の通り、個々人の遺伝子情報も個人情報の一つとして国が管理するというものだ。そして二つ目が『人口減少対策法』。深刻な少子化からの人口減少への打開策としての一手だ。出産への様々な援助やマッチングアプリ運営会社への支援など様々あるが、中でも賛否が分かれているのは、政府が30歳以上のΩの運命の番を見つけ出すという点だ。管理されている遺伝子情報の中には第二の性も含まれており、出産適齢期の30歳を超えても番がいないΩには政府から通知が届く。国としては少子化に加え、アルファは性加害者及びオメガは性被害の危険があるとして、番を早期に作ることを推奨している。もしその番のαが18歳以下なら、18歳になるまで通知は届かない。すなわち、成人のαならすぐに通知が届くという厄介な法律だ。
壱成の元に届いた手紙は2枚。1枚目の紙には番の情報が書かれている。しかし、氏名などは個人情報なので黒塗りだ。そして2枚目には法律の内容及び、政府が勝手に顔合わせの日程と場所を決定した旨が書かれている。噂によると、この顔合わせ行かないと行政関係の制限があるらしい。そして運命の番は一度出会うと離れられないため、この様な一見理不尽な規則でも結果オーライというロジックだ。
そんな噂を思い出した壱成は"チッ"と舌打ちをする。自分のバンドに何か圧力がかかると困る。そう思い、グシャグシャになった書類を拾い上げた。丁寧に紙を開いたが、所々やぶれている。顔合わせの日程は2週間後、最寄りの役所の会議室ということがかろうじて読み取ることができた。ちょうどその日は丸一日オフだ。せっかくの休みにめんどくせぇと思うがバンドのためだ。行くだけ行けば何のペナルティもないはず。お役人とそのαに文句の一つでも言ってやろう。そんなことを思い、すっかりぬるくなったビールを手に取り、プシュっと缶を開けたのだった。
【第1話】
7月も残りわずかとなり、あと3日で8月がやってくる。そんなことを考えながら最寄りの役所へ急ぐ青年__幸村界。こんな日に限って、電車が遅れてしまい、炎天下の中走る羽目になり、もう今すぐにでも帰りたい気分だ。せっかくの休みなのになぜこんな気分になってまで役所に向かっているのか。その理由は2週間ほど前に来た役所からの通知だ。いきなり運命の番の存在を告げられ、今日役所に来いとの内容に憤りを感じた。αである自分は、いつかΩと番になるのだろうと思っていた。しかし、あまりにも一方的過ぎないだろうか。αやΩには好きな人と結ばれる権利もないのか、誰がそんな顔合わせに行くもんかと怒りながらも、同じくαの親友にどうするべきかと相談した。彼曰く、その呼び出しに応じなければ何かと不都合があるとのこと。そのときの絶望を思い出すだけで泣き出しそうになるが、ぐっと耐え足を早める。
なんとか間に合ったと安心するのも束の間、指定された会議室へと案内された界は目の前の光景に唖然とした。誰もいないのだ。指定の時間まであと5分。我ながらギリギリになり申し訳ないと思っていたのが馬鹿らしい。界を案内した職員も少し戸惑った様子で"と、とりあえずお待ちください"とどこかへ行ってしまった。無機質な部屋に1人ぽつんと待ちぼうけだ。並べられた椅子の1つに腰掛け今の状況を整理する。運命の番との顔合わせということは、生涯の伴侶と出会うということ。この2週間、法律の内容や第二の性について勉強し直し、それなりの覚悟を持って今日を迎えた。すぐに番になるなどは考えていないが、やはり『運命の番』となるとその人と共に過ごすことがαとしての責任であり幸せなことだと思う。それはΩでも同じことではないだろうか。いや、違うのか?この暑さの中、真面目に白シャツにスラック、革靴で来た俺は馬鹿なのか?不安でしかない界はおもむろにスマホの画面を見る。こんな時は推しを見て落ち着こう、待ち受けの推しは今日もかっこいい。思わずにやけてしまったとき、"コンコン"と音がした。
「はぁい。」
さっとスマホを閉じ、ドアの方を見る。
「失礼します、少子化対策課の鈴木です。」
申し訳無さそうにドアを開け入ってきたのは、40代くらいの男性だった。一応、立ち上がり挨拶をする界を見ると急いで座るように促した。そんな気を使わなくていいのにと申し訳なくなる。
「幸村さん、本日はあのような急なご連絡にも関わらずお越しくださりありがとうございます。」
「いえ、法律で決まってることですから……」
この人も気の毒だな、政府がやってることを謝らなくちゃいけないのだからと思う。それを察したのか再び申し訳無さそうに頭を下げた。
「あの……先方がまだ来られていないようでして……今しばらくお待ちくださいますようお願いいたします。」
「はぁ……わかりました。」
時計を見ると所定の時刻から10分も過ぎていた。思わずため息をつく界。その時だった、"バン!"と乱暴に開くドア、入って来たのは白いTシャツに黒スキニー、黒マスクの男だった。
「すみません!寝坊しました!」
まるで、授業に遅刻した学生の様に入って来た彼は、待っていた2人に向かって頭を下げた。思わず笑ってしまいそうになる界。そんな彼を他所に鈴木は淡々と話を進めた。
「そ、そうでしたか。えー、柳壱成さんでお間違いないですか?」
「はい、身分証いります?」
「いえ、その存じ上げておりますので大丈夫です。」
「存じ上げてる?どこかでお会いしました?」
「いえ……あの……」
「あ、もしかしてファンの方?」
「……はい。」
申し訳無さそうに頷く鈴木。そんな彼に手を差し出し握手をする男。全く会話に入れない界は、その自分の"運命の番"らしい人を見る。外見的には自分と同じくらいか少し上、切れ長の目に薄い唇、ツンと高い鼻。顔はだいぶ整っているが、気が強いことは一目瞭然だ。肩まで伸びた黒髪で、一連の会話からしてバンドマンとかだろう。少し前までは、"運命の番"に出逢えば、Ωのヒートを誘発しα共々大変なことになると聞いていた。近年の医学の進歩によりそれはなくなった。一応、抑制剤を飲んで来たが、こんなにも呆気ない出逢いに少しがっかりする界だった。
「柳さん、こちらが幸村界さんです。幸村さん、お待たせいたしました。こちらが柳壱成さんです。」
ようやくお互いの名前が分かったところでぺこりと頭を下げ合う。しかし壱成の表情は険しく、全く歩み寄ろうとする雰囲気ではない。
「ファンの前で言うのは気が引けるけどよ……俺はお前と番なんかにはならなねぇ。俺はあんな法律やαなんかの言いなりにはならない。」
壱成はキッと界を睨む。言いたいことは分かる。しかしあまりにも理不尽すぎないだろうか。待ちぼうけを喰らった上にそんな鋭い視線で睨まれ、初対面の相手に"お前"呼ばわりされる筋合いは自分にはないはずだ。そう思い、界は生まれて初めて人を睨んだ。
「あの!言いたいことは分かります!あの法律には僕だって納得してません!でも、僕のこと何も知らないのにそんな言い方はないんじゃないですか?僕だって、学生みたいな理由で遅刻する人と番なんてなりませんよ。でも、あなたのこと全く知らないのに拒絶するなんてしません!」
ふと我に帰り、二人を見る。目を丸くしているのは鈴木だけ。壱成は変わらず鋭い視線を向けている。お互い絶対譲らないという雰囲気を察したのか表情を変えないままの壱成が口を開く。
「……遅刻したのは悪かった。」
少しの沈黙が流れる。予想外の言葉にポカンとする二人。その沈黙を破ったのは意外にも鈴木だった。
「あの……確かに、幸村さんのおっしゃる通り、お互いのことを全く知らないと思うので、今日のところは連絡先だけ交換するとかどうでしょうか?」
役所としては、番になってくれたら御の字だが、この2人はどちらも譲らないだろう。しかし、"運命の番"であることには変わりない、でも早く帰りたい。このジレンマのループを本人たちに丸投げしたいというのが本音だ。どうやら鈴木は仕事ができるようだ。
「……僕はいいですけど……」
ちらりと相手の様子を伺う界、全く変わらない表情にごくりと唾を飲み込んだ。
「……まあ、仕方ねぇ。」
意外と話が分かる人のようで安心した界は、スマホを差し出した。画面には連絡先が表示されており、壱成はそれを登録した。
「幸村……界って言うのか。珍しい字だな。」
そう言って小さく微笑む壱成、界はこれまでの表情とのあまりのギャップに驚いた。悪い人ではなさそうだ。"ピコン"とスマホが鳴る、早速メッセージが来ている。
「えっと……柳壱成さんですね。その、さっきはすみませんでした……。」
「お、おう。こちらこそ。」
気まずい雰囲気の中、ただ1人、鈴木だけは微笑んでいたのだった。
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顔合わせから2週間。界は、推しのコンサートの後の余韻に浸っていた。数年前から韓国の男性アイドルグループ『Tiger』に夢中な界にとって今日は幸せな1日だった。思わずにやけそうになりながら時計を見ると、針は21時を指している。帰りの電車内は最初こそファンで溢れていたが、皆大きな駅で降りていった。ようやく座れた、界の最寄りまであと3駅だが、はしゃぎ過ぎて足が限界だ。今日1番盛り上がった曲を聴こうとヘッドフォンを手に取ったとき、"あっ"と言う声が聞こえた。ふと、視線を上げる。見覚えある顔の黒マスク、柳壱成だ。
「あっ……ど、どうも。」
「ど、どうも。」
界の前しか空いておらず、気まずそうに立っている壱成は楽器らしきものを背負っていた。あれから連絡は取っていないが、彼の名前で検索をかけ、壱成がベーシストだと知っている界はすっと席を立った。
「重そうなので、よかったら。」
「え……ありがと。」
界と入れ替わるように座った壱成。ちょうどその時、電車が止まった。窓の外を見ても駅のホームではない、どうやら他の電車との間隔調整のようだ。急停車だったので、目の前の吊り革を掴む界。ベースに足が当たらないかちらっと下を向く。その時、壱成とパチリと目が合った。
「……この間は悪かったな。あの後、他の奴らにこっ酷く怒られたわ。」
マスクを少しずらし、小声でポツポツと言葉を紡ぐ壱成。
「いえ……他の奴ら?あ、メンバーさん?」
壱成に釣られて小さな声で話す。
「そう。連絡して謝れって言われて、今日こそ連絡しようって思ってたんだ。」
「そうだったんですね。俺も失礼な態度だったんで……すみません。」
謝ったところで動き出した電車。2人が会話をする機会を作ってくれたようだ。動き出したことにほっとした界に壱成はくすりと笑う。
「幸村くんさ、この後時間ある?」
続く