虚影
墓地に降っていた黒い雪は止み、視界が開ける。
巨大な剣の墓を背に雪の上を滑るようにして這う"虚影の黒蛇"の全長はおよそ20メートル。
体格は大人が腕をいっぱいに広げても足りないくらいの大きさだ。
黒蛇のなんらかの能力によってヴァンの体は動けず、隣に立ったローラは思考していた。
"恐らく何かの条件で人を動けなくする"
ということはすぐわかる。
しかし、その条件が全くわからない。
どうすることもできず、立ち尽くすだけのローラに黒蛇は突進して払い除ける。
そのまま動けずにいたヴァンの体に巻き付くと、とぐろを巻いていき徐々に締め上げていった。
「が……はぁ……」
メリメリと嫌な音が鳴る。
黒蛇の圧倒的な力による締め付けによってヴァンは全く動けず。
さらに向けられた赤い眼光は凄まじい殺気を放っていた。
数メートル吹き飛ばされたローラは雪の上を転がるが、すぐに膝を着き立ち上がる。
「あたしだって、やる時はやるのよ!!」
叫びと共に左腰に差した月の剣グロウ・ゼルを引き抜く。
それは"美しい白銀の細剣"だ。
この動きに反応するが如くローラの青い髪は発光し始め、瞳も"深蒼"へと変わる。
「"青龍極海"」
ローラを中心として凄まじいスピードで水流が渦巻く。
それはだんだんと大きくなり巨大な"水の蒼龍"に変化し、大地を揺るがすほどの咆哮と共に虚影の黒蛇へと向かう。
"蒼水龍"はヴァンに巻き付いた虚影の黒蛇の喉元へ一直線に突撃して噛み付く。
痛みがあるのか、悶え苦しむ黒蛇の頭は暗雲が覆う天を見た。
黒蛇の"赤い眼"がヴァンから離れた瞬間、何らかの呪いが解かれたように動けるようになった。
「あの赤眼が元凶か!」
黒蛇の締め付けは一気に緩んだ。
ヴァンはすぐさま黒蛇の体を蹴って上空へ、さらに蹴って後方へと飛び引いた。
柔らかい雪の上に着地し、腰のポーチを探る。
数個の波動石を取り出すと右手に握った。
未だローラの"蒼水龍"は黒蛇の喉元に噛みついていた。
苦しみ暴れる黒蛇を凄まじい力で押さえつけている。
さらにローラは追い討ちをかけた。
「青龍極海……"荒波"!!」
"蒼水龍"の形が崩れて変化していく。
黒蛇を中心として地面に渦潮が起こり始め、一気に天を貫くほどの竜巻が起こった。
高速回転する竜巻は次第にスピードを緩めて停止する。
言わば水の柱というべきか、それは完全に黒蛇を"水の牢獄"に閉じ込めていた。
この状況を見たヴァンはニヤリと笑い、左拳を力強く握って持った漆黒の中杖を腰に構える。
「なかなかやるじゃないか。大口たたくだけある」
「あ、当たり前よ!!あたしはね、これでも大冒険者のローラ様なのよ!!」
そう背後で叫ぶローラ。
人数こそ2人だけだが、このパーティならどんな魔物が来ようとも対応できるだろうとヴァンは思う。
「そうだな。だが、いいところは俺がもらう」
ヴァンは右手に持っていたいくつかの波動石を宙へ投げた。
そして瞬時に波動数値を無数に重ねる。
すると雪を一瞬で溶かすほどの熱波がヴァンから広がった。
「これで焼き切る……"獄炎連弾"!!」
ハイスピードで繰り返される左ジャブ。
何度も打ち出される拳は、それぞれ宙に舞った波動石を捉えて飛ばす。
もちろん向かう先は"水の牢獄"の中で苦しみ悶える黒蛇だ。
波動石は十数個といったところか。
全てが黒蛇に着弾して個々が大爆発を起こす。
みるみる爆炎に包み込まれる"水の牢獄"はヴァンの炎によって蒸発していった。
この光景に息を呑むローラ。
もはや唖然とするしかない。
「な、なんなのよ……あれ」
爆発が収まると黒蛇は力なく地面に倒れ込んだ。
ヴァンの熱波によって墓地周辺の積もった雪はほとんど溶かされていた。
「マジか……これで焼き切れないのか」
「でも、さすがにもう起きてこないでしょ」
「……」
数メートル先で倒れる巨体は動かない。
これで終わった……終わってくれとヴァンとローラは心の中で思う。
黒蛇はドロドロとした液体になり、地面に溶けて消えていった。
……が、瞬間、このオルディオの墓地一帯に響き渡る声があった。
「まさか、ここまでやるとは」
それは女性の声だった。
凛々しく、それであって透き通るようなの声。
声の後、ふぐに暴風が吹き荒れて黒雪が降る。
2人が目を開けていられないほどの風だ。
かろうじて墓地中央に聳り立つ巨大な剣形の墓の前に人影が見えた。
人影はゆっくりと歩みを進め、2人に近づいていた。
「久しぶりの来訪者ね。何年か前に来た男の騎士も"ハヌム"と"夜刀"を倒して、私と戦ったけど弱すぎて話にならなかったわ」
風が弱まり視界が開けた。
ヴァンとローラは声の主である女性を見た。
美しい銀色の短い髪の若い女性。
白いワイシャツに黒のネクタイ。
その上にスクールジャケットを羽織る。
下は太もも丈のスカート、ブラウンのブーツを身につけていた。
左手に持っているのは鞘に収められたショートソードのようだ。
何よりも気になるのは全身に走るように描かれた無数の龍のタトゥー。
それは首筋を超えて頬、こめかみにまで伸びていた。
あまりにもこの場所には不釣り合いな格好で2人は眉を顰める。
最初に問うたのはヴァンだ。
「闘気が見えないな。あんた何者だ?」
「"虚影"……なんて呼ばれてるわね。でもそれは正しくはない。虚影とはあの二体の魔物のことだから」
「じゃあ、あんたの名前は?なぜここにいる?」
「私は"竜血の聖騎士・オルディオ"。死にたくても死ねなくてここにいる。あなた方は私を殺せるかしら?」
そう言ってオルディオと名乗った女性は"右手の甲"を表にして掲げる。
黒い雪が舞う中、彼女の色白の肌を這うように描かれた龍のタトゥーは黄金の光を放ち、墓地一帯を覆うほど巨大で透明な円形状のフィールドを作り出した。




