北の生贄たち
ローラ・スペルシオとヴァン・ガラードが王都を出てから1ヶ月が経とうとしていた。
イース・ガルダンを過ぎ、無人になった北の砦へ。
ロスト・ヴェローを通らなかったのはヴァンがお尋ね者として認知されているからだそうだ。
ヴァンが言うにはヨルデアンの森林地帯を越えて北の山脈に入る前に小さな町があるとのことだ。
名をバルディ・アーナ。
ここは地図にも載っておらず、認知している人間が少ないらしい。
確かにローラも聞いたことがない町だった。
閉鎖的な町であるが、この場所を通らなければ
北の山脈の入り口へと行くことができない。
2人は長旅の末、ようやく最北端の町に到着したのだった。
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雪は降っていないが、晴れ間の一切見えない曇り空。
建物独特の暗めのグレーと雪のホワイトを合わせた、少しどんよりとした雰囲気の街並みだ。
バルディ・アーナはレンガ造りの家屋が30軒ほどで町と言うには小さい気がした。
全て波動の力で自給自足しているようで、他の町からの支援というのはほぼ無いと言っていい。
覚悟はしていたが宿などあるわけがない。
ローラの体力は限界だった。
食べて寝て休める場所が欲しい。
「このまま山の中に入ったら倒れて死んじゃうわよ……」
少しだけ雪の積もる中央広場。
円形で何も無く、人の姿すら見えない場所にローラはいた。
吹く風を凌ぐために家屋のできるだけ近くいるが、寄りかかることはしない。
なにせ壁が冷た過ぎて凍えそうになるからだ。
ローラは相変わらずホットパンツだが、寒さ対策で黒いタイツを履く。
カーキ色の厚手のマント、腰には月の剣グロウ・ゼルを装備している。
ヴァンは情報収集で聞き込みだ。
あわよくば誰か泊めてくれる住民がいたら……
いや、あまり期待したら最悪の場合には絶望してしまう。
そんな思考をしていると人気のない広場に足音が響く。
町の間から抜けてくる男女が見えた。
「ん?ヴァンと……誰だあれ」
2人は並んで歩いていた。
男性はヴァンで間違いない。
もう1人は若い女性に見える。
「まさか……兄弟揃って……」
ローラの顔が引き攣った。
ガラード兄弟とは一体どうなっているのか?
弟のガイもそうだが、兄も女性にモテるということなのだろうか?
「おう、待たせたな」
こちらに気づいたようでヴァンが笑みを浮かべて手を振る。
隣を歩くのはロングワンピースの上に防寒具、ブラウンの髪を三つ編みにした、そばかすが印象的な若い女性だった。
年齢はローラより年上、20代前半ほどだろうか。
女性は緊張の面持ちでローラに会釈する。
ローラは恐る恐る質問した。
「そ、その人は?」
「ああ、こちらはライラさん。近くに住んでるんだってさ。泊めてくれるって」
「はぁ?」
正直言ってありえない。
若い女性が見ず知らずの男性を家に招いて一泊させるなんて非常識すぎる。
いや、だがもし家族で住んでいるならまだ……
「ご両親がどちらも亡くなっていて、今は一人で暮らしているらしい」
なんの躊躇いもなくヴァンは説明するが、ローラには理解できなかった。
これは"何か"あると考えるのが自然だ。
「普通、誰だかわからない人間をタダで泊めるなんてありえないでしょ!何か裏があるんじゃないでしょうね?!」
ここまでの旅の経験で培われた"疑う心"というやつだ。
同時に人間の考えというのはとても残酷であるとも思える。
ローラは睨むようにライラの方を見る。
オドオドとして目を泳がせるところをみるとやはり何かあるのだろう。
「誰がタダって言ったんだよ。ちゃんと条件付きだ」
「やっぱり」
「詳しい話は彼女の家で聞こう。腹減ったぜ」
このヴァンの言葉に半ば呆れつつ、2人はライラの家に案内された。
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ライラの家はやはりレンガ造りの二階建て。
元々は家族が4人いたようで、そのぶん部屋も多くある。
驚くことに、まさか食事や風呂まで用意してくれるとは思いもよらなかった。
ローラは久しぶりの風呂を堪能してから食卓に着く。
四角い木作りの小さなテーブルに4つある椅子。
ヴァンとローラは隣同士、正面に向かい合うようにしてライラが座った。
テーブルの真ん中には蝋燭が一本だけあり、灯る小さな火だけが食卓を照らす。
食事は質素でありながらも肉や野菜が揃っており十分に腹ごしらえができそうだった。
ある程度、食事が進むとライラの口から今回の件の本題が語られた。
「北の山を一つ越えたところに古城があるようです。ずっと空中に浮かんでいたのですが、なぜか最近になって落ちてきたんです」
「なによそれ。"浮いてた"って、いつからなの?」
「わかりません……ずっと昔のようです。私の祖母は、そのまた祖母に聞いたと」
ローラは言葉を失った。
そうなると恐らく100年以上は昔ということだ。
「そして、この古城に行くには必ず通らなければならない場所があります」
「通らないといけない場所って、どんな場所なの?」
「"オルディオの墓地"という場所です」
暗く打ち沈んだようなライラの声と"墓地"という単語に息を呑むローラ。
気がつくと食事をする手が止まっていた。
「オルディオの墓地には凄く強い魔物がいるんです。元々はブラック・ラーガルという魔物の住処だったようですが、その魔物が逃げて南下するほどでした」
「ブラック・ラーガルって聞いたことあるな。確か騎士団がレベルをつけかねたほど強いと聞いたことがある」
食事を口に含んだままヴァンが言った。
「その通りです。十年ほど前に第三騎士団が討伐したのですが、騎士の方々は長い間この魔物を倒せずにいたんです。なので魔物の南下を恐れて北へ誘導していたのです」
「それで、その墓地にいる魔物ってどんなやつなんだ?」
「誰も見たことはありません。オルディオの墓地に入って戻ってきた人間はいませんから」
「なるほど」
「ただ町の住民たちは、この魔物のことを"虚影"とだけ呼んでます」
「それで、そいつを討伐してほしいって話なんだな?」
「そうです」
緊張感のかけらもないヴァンに呆れた様子のローラ。
レベルをつけかねるほど強い魔物が逃げ出すほどの魔物とは一体どれぼなのだろうか?
「まぁ、その道しかないのなら倒して行ったらいい」
「そう簡単にいくかしら?」
「心配するな。俺はこれでも天才みたいだからな」
「そんなこと自分で言わないでしょ」
このやり取りにはライラも笑みを浮かべた。
こうして2人は久しぶりのまともな食事と寝床を堪能するのだった。
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空気が凍りつく早朝。
珍しく雲から少しだけ日差しが漏れて、美しい自然のカーテンのようだった。
町の北の出口でローラとヴァンはライラに別れを告げる。
「それじゃ行ってくる。また帰る時にここに寄らせてもらうよ」
「はい。お気をつけて」
そう言ってライラは2人に手を振った。
応えるようにしてローラとヴァンも歩きながら手を振り返した。
2人の姿が見えなくなるとライラの周りに町の住民たちが集まり始める。
彼らの視線は北の山脈に入っていったローラとヴァンに向けられていた。
年老いた男性がライラに近づき言った。
「よくやった。これで今年は誰も死ななくて済む」
「は、はい……」
「あの二人には悪いことをしたが致し方あるまい」
「ですが、もしかしたら……」
「淡い期待はせぬことだ。"虚影"は誰にも倒せない。世界最強と言われる王宮騎士団の第一騎士団長ですらも無理だったんだ」
これは数十年も前の話らしい。
ライラは以前に母からこのことは聞いていた。
たった1人でオルディオの墓地に入った第一騎士団長アデルバートは瀕死の重症を負って帰ってきた。
あそこから帰ってきたのは長い歴史の中でも彼1人だけだそうだ。
だが、なぜか彼は魔物の姿形の話をしなかった。
それでもライラは期待したかった。
あの魔物をこのまま野放しにしておけば町から"生贄"を出し続けなければならない。
自分の父と母、そして姉の無念を晴らす者が彼らであって欲しいとライラは願った。




