(3)年少の砦
冷え込んだ北の夜。
視界が遮られるほどの雪が静かに降る中、ザイナスは砦の中庭に騎士たちを呼び出していた。
行方不明の少年。
帰らぬ自分の娘。
日が落ちた頃に砦の外で鳴り響いた轟音は、姿を消した2人に何らかの関係があるのではないか。
珍しくザイナスの表情は強張っていた。
何も知らされずに集められた数十人の騎士たちは団長のただならぬ雰囲気に一同息を呑む。
「全員でエヴリンとベンの捜索にあたる。先ほどの"音"の正体が魔物であれば苦戦を強いられることは間違いない」
中庭に響くザイナスの声。
焦りは感じられず、冷静な対応を心がけているようだ。
そんな中、中庭へ向かって馬が一頭、ものすごいスピードで駆けてる。
乗っていたのは北門を監視していた騎士の1人だった。
「団長!!」
「どうした、何があった?」
騎士からあらかたの話を聞いたザイナスはすぐさま砦の北門の方へと向かった。
到着すると北門は松明で明るく照らし出される。
そこから正面に望む。
静けさと暗闇の雪原から一歩、また一歩、ギシギシと音を立てて砦に近づいてくる人影があった。
そこに向かってザイナスが走り出すと騎士たちが慌てて追いかける。
「団長!!危険です!!」
声を聞いて立ち止まったわけではない。
ザイナスは歩いてきた小さな人影を見て歩みを止めたのだ。
騎士たちも並び、歩いてきた人影を見る。
それは少女を担いだ黒髪の少年だった。
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早朝、ザイナスは書斎にいた。
ここで、ある人物を待っていた。
そこに木造のドアがノックされる。
「入れ」
「失礼します」
畏まって入ってきたのは金髪の少年だった。
この砦に3人いる若者の1人であるアッシュ・アンスアイゼンだ。
整えられた髪と手入れされた貴族服。
表情には少し緊張が見てとれる。
アッシュはゆっくりとザイナスの着く仕事机の前に歩みを進めた。
2人の間は数メートル、しっかりと感情が読み取れるほどの距離に向かい合う。
深く椅子に腰掛けるザイナスは氷のような鋭い瞳で一切瞬きせずにアッシュを見つめていた。
それから数十秒の沈黙があり、
「弁疏はあるか?」
ザイナスがそう言った。
それはつまり"言い訳"だ。
この言葉からわかることは、もうすでにザイナスは真実を把握しているということ。
「なぜ……彼が"ここ"にいて、私たちと共に生活を共にしているのかわかりません」
「……」
ザイナスは黙ってアッシュから発せられる言葉に耳を傾ける。
その鋭い眼光は老騎士ながら凄まじい圧を感じさせた。
恐怖心はあったが、さらにアッシュは続けて言った。
「平民が貴族と同じ待遇でいるのは違和感を覚えます。演習もそう……なぜ、私たちと同じ列に並ぶのか理解に苦しむ」
「それで?」
「彼はあくまでここの奴隷なのですから、私たちと共に剣や武を学ぶのはおかしいと思います」
「それは、"平民で奴隷であるベンが自分と同じ待遇ということが気に食わないから嘘を言って砦の外に呼び出し、彼を危険にさらした"ということか?」
ザイナスはアッシュから全く目を逸らすことなく言った。
「そ、それは……」
「今のは嘘だろ。君は彼に負けた腹いせでやった。違うか?」
「わ、私は……ただ……」
「どちらにせよ、君がやったことは卑劣極まりないことだということは理解できるか?」
「……はい」
アッシュは涙目になり俯く。
恐怖心と申し訳なさによってザイナスのことを視界に入れることができなくなってた。
ザイナスは続けて、
「負けを認められず、悔しいという気持ちはわからんでもない。さらに相手が平民で奴隷となれば屈辱的だろう。だからと言って、それが相手に嘘を言って陥れてもいい理由にはならない」
「……」
「相手を憎み、嫉妬し、不平不満を思う。それにとどまらず陥れようと行動にまで移す。こんなことを一度でもやってしまえば人間は癖になって繰り返しやってしまうんだよ。これを続けていれば、どんどん"心が貧しく"なっていくんだ」
「心が貧しくなる……?」
「そう。地位や名誉、大金を持っていても満足できず、それを常に貪り、仲間を信頼できなくなり、従者を軽んじるようになる。これらは自分へと返ってくるんだ。いつか必ずね」
それは貴族という存在の本質な気がした。
言葉にすると全員でないにしても、多くの貴族に当てはまる気がする。
「"物事を見て感情で動くほど愚かな行為はない、人間は常に理性的であるべきだ"……問題は感情的になった時に起こりやすいからね。これを肝に銘じるべきだな」
「はい……」
「結果的に何もなかったからとはいえ、不祥事を起こしたのは間違いはない。三日間、地下の牢屋で反省したまえ」
アッシュは涙が頬を伝った。
負けた少年だけでなく、友達のエヴリンまで危険にさらしたことに心が痛んだ。
この時、ようやく自分の犯した罪の重さを知った。
肩を落としてザイナスの部屋を出たアッシュと入れ替わりで1人の男性騎士が入ってきた。
向かい合った男性騎士の表情を見たザイナスは眉を顰める。
興奮?緊張?……なぜか上手く読み取れない。
「報告します!」
「魔物は逃げたか?」
昨日の"轟音"を聞いたザイナスは十中八九、魔物のものだろうと判断していた。
夜は危険なため、陽が上ってからすぐに騎士たちを北の方へ調査に行かせた。
「い、いえ……それが……倒されてました」
「ほう。どんな魔物だった?」
「"ブラック・ラーガル"です……」
「なんだと!?」
このザイナスの驚愕ぶりは、今までに見たこともないほどだった。
「ありえん……確か"アレ"はかなり高濃度の瘴気を纏っていたはずだ」
「ええ、ここの騎士たちの波動では太刀打ちできないと、なるべく北のヨルデアンの方へ誘導してたのですが……」
「ベンツォードの騎士を総動員しても倒せなかった魔物をどうやって倒したんだ?」
「わかりません……ただ、一つ気なることがありました」
「気になること?」
「ええ、魔物の胴体に"風穴"が開いてました。上手く言えませんが、一撃、巨大な拳で殴られたような……いや、そんなことあるはずないんですがね」
騎士は困惑した様子で語った。
ザイナス自身もブラック・ラーガルの姿を見たことがあるが、記憶違いでなければ10メートルは超えるほどの巨体の魔物である。
その胴体を貫通させるほどの穴を開けることなど可能なのであろうか?
「当事者に聞くしかあるまい」
ザイナスは思考しつつ、呟くように言った。
あまりにも凶悪でレベルも付けかねていたほどの魔物だ。
それをたった一撃で倒してしまうというのは信じ難い。
さらに、これをおこなったのが1人の少年などあり得ないことだった。
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牢屋は壁や鉄柵が凍るほどの寒さだった。
地下に降りると牢は正面に並んで3つ区切ってあり、その左端にアッシュがいた。
壁伝いにあるベッドに毛布にくるまって座っている。
あまりの寒さに身を震わせていた。
そこにコツコツと階段を降りてくる音が聞こえてきた。
「食事、持ってきたぞ」
四角いトレーに湯気が上がるスープと一切れのパンが置かれている。
トレーを持っていたのは自分が嘘を言って陥れてしまった少年だ。
アッシュは毛布に顔を埋めた。
今、一番会いたくない人物であった。
「どうしたんだよ」
キョトンとした表情で少年が言う。
対してアッシュは俯いたまま口を開いた。
「恨んでるんだろ?」
「……」
「そうなら、そうって言ってほしい」
「恨んでない」
少年の言葉に少しだけ顔を上げるアッシュ。
トレーを床に置く少年の表情は何か嬉しそうだ。
自分がここに閉じ込められたことを笑いたかったのか?
そんな嫌な感情がアッシュの心に広がる。
「アッシュのおかげでエヴリンと初めて話せたからな。嬉しかった」
「……え?」
「多分、昨日のことが無かったら、ずっと彼女と会話できなかったと思う」
「だけど、それは偶然……」
「偶然でも事実は変わらない。それに彼女の馬に乗せてもらった。なんか凄くドキドキしたんだ。俺はそれだけで満足さ」
アッシュは知らず知らずのうちに涙を流していた。
今回の一件はザイナスの言葉を借りれば"卑劣極まりない行為"であり、憎まれても文句は言えない。
だが鉄柵の先にいる少年は全てを前向きに捉えているようだ。
「まぁ、でもアッシュが来なかったのには傷ついたけど」
「すまない……何か償いをしなければな」
その言葉を聞いた少年はニヤリと笑った。
「それなら、俺がいいって言うまで"逆"にしよう」
「逆?」
「そう。逆転の発想さ。俺が……いや、"私"が貴族みたな言葉遣いと振る舞いをして、アッシュが平民っぽくする」
「あ、ああ……それぐらいなら私にも……いや、"俺"にもできるか」
「決まりだな。私がいいと言うまでだよ、"アッシュくん"」
満面の笑みを浮かべて少年は言った。
ここから2人は長い期間、このベンツォード砦で切磋琢磨し、気がつけば他の騎士を寄せ付けぬほどの実力を身につけていく。
そして数年すぎる頃、エヴリンは友人であるゼニア・スペルシオに会うために王都へ向かったまま行方不明になる。
この事件を発端として2人は"冒険者"と"王宮騎士"という全く別の道を歩むことになった。




