秩序造物主(3)
サンドラ・ガンドッドは目を閉じて深呼吸した。
歩けるという事実が最初からわかっていて、ここまで何も言わずにいたと。
恐らく車椅子に乗っている自分を見て、さぞ滑稽に思ったであろう。
クロードという六大英雄と同じ名を持つ男は鋭い眼差しを向けながら口を開いた。
「だが、わからないことがある。ジェニスからカトレアはあなたの婚約者だと聞いたが、老人は息子の婚約者だと言っていた。彼の息子とは一体誰だったのか?」
「ああ、この屋敷の"庭師"さ。私も最初は知らなかった。カトレアは彼のことは誰にも話ていなかったようだから」
「いつ知ったんだ?」
「カトレアと付き合いはじめてから聞いたのさ。それで彼との婚約は破棄すると。遊びのつもりだったのに大事になって最初は困ったが、まぁどうせすぐこの町から離れるから放っておいたんだ」
「なるほど。それでカトレアを殺した理由は?」
「君と同じさ。私がサンドラ・ガンドッドではないと気づいた。侮れないものだね、女の勘ってやつは」
サンドラは笑みを含んで言った。
オールバックに整えられた髪を何度か撫でるとテーブルの上のティーカップに手を伸ばして一気に飲み干す。
「色んな町で同じようなことをしていた。そうやって旅をしていたんだけどね。こんな町でまさか足止めをくらうとは……だけど正直、すごく楽しくてね」
「楽しい?」
「ああ。この町の犯罪が無くなっていく様を見ていて、なぜかこの町が好きになっていった。この感覚はなんなのだろう?それをずっと考えながら生活していたが……結局は最後までわからなかったな」
そう言ってサンドラはゆっくりとティーカップをテーブルに置いた。
眉を顰めるサンドラにクロードは真剣な表情を崩さずに言った。
「それは"優越感"だよ」
「"優越感"?」
「あなたは今まで人から何かを奪って自分のために生きてきた。だが領主という立場になると今度は与える側になった。すると"人は何かを与えられると抵抗されずに支配できる"と無意識にわかったんだ」
「支配しているとは感じていないが」
「だから無意識と言っている。自分が町を徐々に綺麗にしていくと、巷の噂では"秩序造物主のおかげだ"と言われ始めた。今まで秩序を乱す側にいたのに、今度は人から感謝されるわけだから気分はいいだろう」
「確かにそうだな」
「それが優越感の正体なのさ。だが、あなたは"悪"に対して罪悪感を感じないようだ。"善"に優越感を感じるようになっても変わることがないというのは皮肉なものだ」
サンドラは思考を巡らせていた。
自分は正義とか悪者というものの認識はない。
世に言う騎士団は正義か?
いや、彼らも犯罪を犯す。
それは旅する中で様々見てきた。
だからって犯罪者は悪なのか?
いや彼らだって家族がいて、それらを大事に思ったり愛し守ったりもする。
"善"と"悪"の判断基準とは一体なんなのだろう。
「私は感情が欠落しているようだ。だが仲間のことは大事に思っているよ。今回の事件は私一人が起こしたもの。これで手打ちにしてもらいたい」
「そうはいかない。僕にはもうほぼ全容が見えている。昨日の地下での一件もそうだ」
「あれも私だよ」
「いや地下で僕と戦ったのはパメラだろう。そして手助けしたのはデュラン」
「なぜ、そう思う?」
「いつも君と一緒にいるはずのパメラの姿が無いのが証拠だ。僕の攻撃で負傷したと推測する」
「パメラが地下に行った理由はわかるのか?」
「老人の処理だろ。昨日、僕らが屋敷を訪れたことで老人からの情報漏洩と地下の鍵のことがバレるのを恐れたんだ。地下で"老人の遺体"を見た。目的は口封じと鍵の回収」
「……」
「あなたがカトレアを殺すために移動用に使った鍵はパメラに預けた。デュランは先に老人をどこかで見つけて殺してパメラと合流。その後、"時計塔の内部の扉以外"の場所から地下へと入る。デュランは奥の盗品が隠された部屋が気になったのか一人で向かった。そこにパメラと老人の遺体だけのところに僕が来て戦闘になる。戦闘音を聞いたデュランはすぐに戻って来てパメラを助けて地下を移動し、入ってきたところから出て鍵を閉める。だから今、二本目の鍵を持っているのはデュランだ。パメラも一緒にいるのだろ?」
「鋭いな……まさかそこまで……」
「"二本目の鍵がある"とするなら少し考えればすぐに辿り着くさ」
「しかし、鍵を持っていたのはボケた執事じゃなく"猫"とはまた面白いな。たった一匹の猫のせいで私たちが窮地に立たされるとは」
「そうだね。"猫のスージー"がいなければ計画は僕たちにバレなかったろう。あの夜、老人とスージーが会っていればカトレアの遺体は地下に運ばれていたわけだからね」
「うむ……この計画は最初こそデュランも嫌がったが、最近では満更でもない様子だった。さっき君が言っていた"優越感"とやらを彼も感じていたのだろうね。でも、まだ鉄臭くて血生臭い戦闘に未練があるようで、やめろと言っても深夜に武具屋に出入りしていたようだ。どうしても人や魔物を殺してしまうと何かに取り憑かれてしまうんだろうね」
「君も取り憑かれているんじゃないか?」
「否定はしない。私も何か邪悪なものに取り憑かれているから、こんなことをしているのかもしれない。それこそ今まで殺してきた者の"幽霊"なのかもね」
サンドラは不気味に笑みをこぼした。
そこに"誰からも好かれる領主"という印象は全く感じられない。
いるのは人殺しの元冒険者。
もう名前などない。
この男もただの"幽霊"なのだ。
「ジェニスにはこの件を話したのかい?」
「いや」
「だろうね。もし彼女が聞いたら、この町の騎士団総出で屋敷に来るはずだ」
「どうするつもりだ?」
「君や仲間を消すしかあるまい。私にはまだやることがある」
「僕と戦うと?僕の仲間の話だと、あなたからは"強さ"を感じないとのことだった。パメラよりも弱いと見ているが」
「それは"闘気"の話か?」
クロードは眉を顰めた。
"闘気"という単語を知っているということは、それに関係していなければならない。
人伝てで聞いていたとしても通常は目にも見えないものであるから信じるに値しないものだろう。
「"闘気"なんて抑えようと思えば、いくらでもできるさ」
「見えるのか?」
「いや、ごく僅かに感じれるだけだ。言っておくがパメラを従わせているのは彼女より私の方が強いからだ」
サンドラの言っていることは事実だろう。
"闘気"の存在に触れることがでるとなれば、相当な手練れで間違いない。
何せ六大英雄の戦闘狂と言われたゾルア・ガウスですら見えず、感じることさえできなかったのだから。
「君は不思議だな。闘気を全く感じない」
「だろうね」
「どういうことだ?」
「僕は"死神"だからね」
サンドラの表情は固まった。
聞き覚えのある言葉だったからだ。
「あなたはこの町が自分の力で変わり、それこそ無意識にでも支配していると勘違いしているようだ。だが僕からすれば庭にある小枝に登って王様を気取っている小虫程度でしかない」
「何が言いたい……?」
「この世界の秩序造物主は僕だということだ」
その瞬間、広い部屋は悍ましいほどの邪悪な闇に包まれた。
窓から差し込んでいた朝日は一瞬にして暗く染まる。
サンドラはただ言葉を失って息を呑んだ。
この男は"善"として語り継がれる英雄というものでは決してない。
むしろ、その気配は世界で"悪"として存在する魔物に近いもの……
サンドラの頭をよぎったのは数ヶ月ほど前に起こったロスト・ヴェローの事件だ。
S級冒険者になった"フレイム・ビースト"というパーティが仲間割れを起こして町ごと壊滅した事件。
北にいる冒険者なら誰でも知っている事件である。
その中で行方不明になった首謀者の男が言っていた言葉だった。
"死神が英雄の中に紛れ込んでいた……そいつが裏切り者なんだ"
聞いた時は意味がわからなかった。
だが目の前にいる男の気配を察するに、恐らく"ロスト・ヴェロー事件"とは無関係ではないだろうとサンドラは思った。




