また、彼は先駆者である
神の異名の論理付け。
神は言われるだろうか?
「人の子よ。私は神であり、神はこうあるべきである。
すなわち、真実にて潔白、美にして創世者、神にして主でありながら、子孫に第三世界の主を持つ者。」
神は言われるだろう。
「私は静寂である。私が言わない事で、真実は隠される。見よ、これこそ、真実なる神ではないか。私が言わない事で、疚しさがない事を人々は知るだろう。全知全能ゆえに。見よ、これこそ、潔白なる神ではないか。
私が言わない事で、その口から出る不善美な言葉を防げるではないか。見よ、これこそ、神の善美ではないか。
私が言う事で、それは成る。見よ、これこそ、創世者なる神ではないか。
私が言う事で、神の神が示されるではないか。見よ、これこそ、神たる者である。私が言う事で、主たる神が示されるではないか。見よ、これこそ、主なる神である。」
神は愛善美たる方であられ、私達は主をこそ、ほめたたえるのだ。それは何故か?
その理由は主イエス・キリストに重きを置くから。
また、彼は先駆者である。
彼は道でもあるから。道に従い、歩む為には、教えが必要に成ろう。
次に出す教えを起点にするが良い。
それは唐突であって、順序立てたものではない。
神は静寂にして、饒舌である。