余命一年
「契約?」
「そう、契約じゃ」
(契約……? 俺に何をさせようってんだ)
自分のことを死神と名乗る少女は、今からでも人生を変えられると言っていた。
そんなこと、出来るならとっくのとうにしている。それでもダメだったから、俺は今ここにいる。
「契約の内容はこうじゃ。今日から数えて一年間の間に、お主が生きる意味を見つけることが出来たなら、わしはお主のことを殺さないでおく。しかし、もし見つけられなかった時はその逆じゃ。わかるじゃろ? この鎌でお主のことを殺してやろう」
「……」
その話しを聞いた時、俺は正直うんざりしていた。
どうせなら、今すぐ殺してくれればいいのに……。
「……やれやれ、お主のことじゃ。どうせなら今すぐ殺してくれればいいのにとか思ってるんじゃろ?」
「なんだ、わかってんならさっさと殺してくれよ」
「ふむ、まぁそうするのは簡単じゃが、その前に一つはっきりとさせておきたいことがある。お主は本当にやり残したこと、もしくはこれからやりたいことは何一つとして無いんじゃな?」
「ああ、ねぇよ」
「…………そうか」
死神の少女は、一呼吸置いた後、静かにそう言った。
良かった。やっと俺のことを諦めてくれたようだ。
「わかったろ? だからさっさとその鎌で殺してく……」
そこまで言ったタイミングで、俺の目の前にカランと音を立てながら何かが転がって来た。
見ればそれは、包丁だった。
「さ、それで死ぬと良いぞ? 簡単じゃろ? あとはそれを腹に突き刺すか、手首や首を切るだけでお主はお望み通り死ねるのだからな」
安い挑発だと思った。
さっきは、コイツが急に現れたから首を吊ることに失敗しただけだ。
でも、次は失敗しない。
こうすれば俺が死ぬことを怖がって、考えを改めるとでも思っているんだろう。
「ああ、そうだな」
床に転がっている包丁を拾い、自分の首筋にあてがう。
あとはこれを思いっきり引けば、俺は死ぬ。
死ぬ。死ぬ。死ぬ。
「くっ……!」
再び、死の恐怖に襲われ、体がこれ以上動くことを拒む。
「どうした? 死にたいんじゃろう? そら、そこまで行ったなら、後はそれを引くだけじゃ」
「はっ…はっ…はっ……!!」
呼吸が荒い。上手く酸素を取り込めない。
苦しい! 苦しい! 苦しい!
「死神様から一つだけアドバイスをしてやろう。 自殺をする時は、スパッと死んだ方が良いぞ? 人間はその機能からして、死の淵に立ち続けることが出来るほど強い生き物ではない。 そうやって長引かせれば長引く程、余計に苦しい思いをする羽目になるぞ?」
「ゴチャゴチャうるせぇな!! 今すぐ死んでやっから、黙って見てろ!!!」
これ以上、コイツの思い通りになってたまるか!!
俺は、今日、死ぬんだ!!
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁ!!!!!」
「…………」
断末魔のような雄たけびに相反して、俺の手は、全く動いていなかった。
しんと静まり返った部屋に、ただ、嗚咽交じりの呼吸だけが聞こえる。
気が付けば、俺は泣いていた。
なぜ泣いているんだろう。わからない。
次から次へと流れ出てくる涙を止めることは出来そうになかった。
「ま、こうなるとは思っておった。どうせお主は、死ねんじゃろうと」
「ぐっ……うぅ……うっ! うるせぇっ、バカにすんじゃ、ねぇ……!」
「バカになどしておらんよ。 ただわしは確信しただけじゃ。やはりお主は、まだ死ぬべき人間ではないとな。それに、さっき言ったであろう? 生きたいという思いより、死にたいという思いが強くなった時、人は自分の命さえも絶つのだと。しかし今のお主はどうじゃ。まだ生きておる。それはつまり、まだお主には生きたいという思いが残っているという事ではないか?」
「……」
言い返してやりたいことはいくらでもあった。
俺がどれだけ生きることに絶望しているか、どれだけ死にたいと思っているか。
しかし、死ねなかった。
邪魔が入って失敗したわけではない。
何も俺の自殺を止める要因などなかった。
なのに俺は死ねなかった。
その現実が、何よりもショックだった。
あれだけ死にたがっていたのに、たった一度失敗しただけで、もう二度と死ぬことは出来なくなっていた。
その時、死神の少女がゆっくりと口を開き、優しい声音で俺に語り掛けてきた。
「歩よ。これからお主に大事なことを伝える。「死ぬ」ということは、どういうことだと思う?」
「……」
「それはの、全てが無に帰るということじゃ。今までお主が歩んできた道のり、努力してきた積み上げてきたもの、それら全てが無に帰るということなんじゃよ。もし、それでも死にたいというのなら、もうこれ以上生きるのが嫌になった時ではなく、これまでの自分が積み上げてきたもの全てを、捨てる覚悟が出来た時にするべきじゃ。「今」ではなく「過去」の自分を見ることじゃな。それを踏まえた上で、どうじゃ、歩よ。お主は、これまでの自分を無意味だと切り捨て、無かったことに出来るかの?」
「……そ、それは……っ」
今までの自分が積み上げてきた物。
まだ夢と希望に溢れ、毎日を駆け抜けていた学生時代。
あの時は、楽しかった。
自分が世界の中心にいるんだという錯覚が心地よかった。
友達と一緒に無意味なことをして時間を浪費することが、最高だった。
思い出は、濁流のように押し寄せ、次々と溢れてくる。
それが全部無かったことに……。
「……まぁ、今すぐ答えを出す必要はない。それも、この一年間で答えを出せば良だけじゃ。それで、さっきの契約の話しじゃが、どうする?」
「……」
死にたくないと思ってしまったのは、いや、そういう思いがまだ俺に残っていることに気付かされたのは事実だ。
だが未だに、生きたい理由も、人生の意味も、自分の存在の価値も見つかってはいない。
もし、本当にもし。
これからの一年間でそれらが見つかるというのなら……
「……わかったよ。その契約、乗ってやる」
「うむ! では今日から一年間、よろしく頼むぞ、歩よ。おーっと、そういえば大事なことを忘れておった、わしのことはそうじゃな~……『死神さん』とでも呼んでおくれ」
そうして、今日、八月十五日からの一年間。
俺と「死神さん」との、生きる意味を見出す日常が始まる。