婚約破棄なんて認めない外伝『私達は何も知らない子供だから』
この作品は拙作『婚約破棄なんて認めない』(https://ncode.syosetu.com/n9590gl/)の外伝となっております。
未読の方はどうか前作からお読みいただけますようお願いいたします。
「お父様とお兄様方の処刑は終わりましたの?」
己の毒杯の運び手――すなわち処刑の立会人としてグリーヒルダ・ディルトレイム侯爵令嬢、既に将来は昇叙によって女公爵となることが決まったその人を指名した彼女は、飾り気のない白いドレス姿で微笑んだ。それが死に装束であると知らぬ者はいない。
「ええ、予定通りに……昨日の正午に」
「そう、ならば既にあの世とやらで待っていてくださることでしょう」
さらりと揺れた銀の髪はしばしの獄中生活で荒れてはいたが、最期の湯あみを許され身を整えたことでかつての輝きを彷彿とさせる艶をランプの光に照らし出されていた。思ったよりもずっと穏やかな様子にグリーヒルダは表情を変えぬまま内心では驚いていた。恨み言の一つくらいなら良い方で、毒杯の受け渡しの際に暴れることも考えられた。己の腕があれば彼女の抵抗くらいは止められると思ったからこそ躊躇なく引き受けたが、それでも予想外だった。
何よりも。
己の知る『フォーラ・エオスタ伯爵令嬢』とは繋がらない。その落ち着いた態度も、静かに微笑む表情も。確かに顔立ちからも、逃亡の機会などないこの牢獄からも、それが本人以外の何者でもないとわかっていても。
「ディルトレイム侯爵令嬢には、大変ご迷惑をお掛けいたしました」
「いえ、……その、」
「ふふ、勇猛果敢なるディルトレイム家のご令嬢がこのように言葉に詰まるところなど、殿下すら見たことがないかもしれませんね。冥途の土産に、良きものを拝見いたしました」
――それは、諦めなのだろうか。その穏やかさを形作るものは。
そう考えても納得はできる。元々グリーヒルダの婚約者たるフィオテリス元王太子の傍で不適切な言葉や態度があったにせよ、武よりも文が尊ばれがちなこの国で文門貴族の過激派が将来の王妃に推そうと考えるだけの教養と立ち振る舞いを身に着けていたのは、フォーラ・エオスタ伯爵令嬢の事実である。最期の時ですら、優雅な振る舞いを崩さないほどに。
けれど。
けれど、グリーヒルダは感じ取ってしまった。
「エオスタ伯爵令嬢……」
「なんでしょうか?」
ふわり、やや伸びた前髪を揺らして首を傾げるフォーラに、グリーヒルダは片膝を付いたまま問いかける。
「貴女はこの結果に、満足しておられるのではありませんか」
賭けのような問いだった。穏やかな態度を豹変させ、激高されてもおかしくないような。
事実、付き添いの騎士達がぎょっとしたような顔をする。
だが、フォーラはただふんわりと口元を緩めただけであった。
「勘が良いのね、貴女が社交の場にあまり出ないというのが残念だわ」
「……見抜くだけではやっていけそうにありませんので」
どちらにしても、見抜く側としても完敗だ。
なぜならこの最期の時に、ようやく気が付いたのだから。
「けれど……何故」
「ゲイズ王国の貴族として、王国とその民に仇為す者は許せませんから」
当然のことのように言って、フォーラは誇らしげに微笑んだ。
「父や、おじ達、おば達……祖父母にしてみればかつての敵国でも、私達にはもうゲイズ王国が祖国なのです。守るべきは、この国ですから」
私達、という彼女の言葉が示すものを、グリーヒルダは理解して、けれど信じられなかった。
彼女にとっては家を守ること、国を守ること、民を守ること――それらは一切の矛盾なく果たせる責務である。だから、この『結末』にたどり着くことを選んだ『彼女達』に、驚愕するしかなかったのだ。
「……今からでも」
「いいえ」
グリーヒルダの言いかけた言葉を遮り、強い口調でフォーラはきっぱりと拒絶の言葉を口にした。
「公にはしないでくださいませ。ただ……ここにいる者の胸の内に留め置きください。殿下への知らせも不要……いえ、むしろ殿下には決して悟らせないでくださいませ」
笑顔を消した真剣な表情でそう告げると、そっと寂しげに睫毛の影が頬へと落ちた。
「……優しい従兄殿には、酷ですもの。それに、私達が全て滅びるからこそ国の災いは避けられ、後世の規範にもなるでしょうから」
小さく微笑んだ表情に潜むのは恋慕なのか、肉親の情なのか、それはグリーヒルダには見抜けない。
けれど、彼女達――『エオスタ家の彼女達の世代』が自分達を滅ぼし、けれどその中にフィオテリスを巻き込まぬように動いた。それは事実だと、これまでのやり取りが語っていた。それをグリーヒルダは当事者でありながら、知ってしまったのだ。
「覚悟の上です。お兄様方も、お姉様も、妹も、いとこ達、はとこ達も」
つまりは、この世代の全員が――ということなのだろう。
「毒は、根元から断たなければ広がってゆきますもの」
エオスタ家を、己の家を、毒と断じたのは。
「私達はもう、この国の家庭教師から教育を受けております。文門派ではあっても、国への忠義は確かな先生方から。ですから――逆賊となり果てたエオスタ家を、放ってはおけなかったのです。私達にもっと、家に対する愛着……いえ、しがらみがあれば違ったのかもしれませんけれど」
そう言って、フォーラは軽く目を伏せたまま微笑んだ。
「私達は、まだ守りたいものを何も知らない子供だから……貴族としての義務感と正義感だけで、こうして逆賊の名を背負ったまま国に殉じることができるのです。きっと人としては愚かでしかないこの結末も、私達は、貴族ですから……どうか、この国の礎になりますように」
それは懺悔にも、祈りにも聞こえて――おそらくは、その両方で。
覚悟はしているのだろう、けれど、それでも僅かに震える手が、そっと漆黒の液体の入った小さな金のゴブレットを手に取り、そして視線を上げた。
身体は卓へと向けたまま、けれど顔は真っ直ぐにグリーヒルダを見てふわと微笑む。愛しいものを、……守りたいものを見つめる柔らかな瞳で。
「殿下を……フィオテリス様を、よろしくお願いします、ディルトレイム侯爵令嬢グリーヒルダ様」
すっ、とグリーヒルダは椅子から立ち上がり、騎士の礼を取る。剣を取る右の握り拳を胸に当て、左膝の上に手を置いて片膝を付く、剣を捧げた主君以外に対しての最敬礼。一度頭を垂れて正式な礼の一動作を流れるように終えてから、はっきりと顔を上げて、そして真っ直ぐにフォーラの目を見つめ返して頷いた。
「承りましょう、エオスタ伯爵令嬢フォーラ様。貴女と、共に散るエオスタ家ご子息ご令嬢の皆様に、ディルトレイムの侯爵位、グリーヒルダの名を以って。必ずその守りを受け継ぎましょう」
「……はい」
瞳の端にちらりと揺らめいたものを、フォーラは顔を戻して隠した。グリーヒルダもそれ以上彼女を追うことなく、再び頭を垂れた。
「これで……安心して、死ねますわ。エオスタ家の全てをフィオテリス様に背負わせてしまうこと、どうしてもあの方には生きてほしいと思っても申し訳なくもありましたけど……」
震える声に混じる嗚咽に気付かぬふりをして、けれどその心に刻むようにグリーヒルダは面を伏せたまま頷く。
「貴女がフィオテリス様の騎士で、奥方ならば安心です。本当に……貴女で良かった、グリーヒルダ様」
応える間もなく、こくり、こくり、と液体を喉から胃へと落とす音、そしてかん、と石の床と金杯のぶつかる音が響き――椅子に腰掛けたまま事切れたエオスタ伯爵令嬢フォーラの唇は、薄っすらと微笑んでいるかのようで。
おそらくは王太子をたぶらかし国を傾けた悪女、と後の世まで語られるであろう少女の死に顔は、あまりにも安らかだった。
本来なら罪人には執り行われるはずもない、非公式の葬儀――ただ死者の冥福を祈るだけの簡素なそれで、共に出席したフィオテリスにグリーヒルダは何も言わなかった。
けれど、棺に眠るフォーラを見つめたフィオテリスは、そうか、と小さく呟いた。世間の噂よりずっと聡い彼は、何か感づいたのかもしれない。
けれど彼はグリーヒルダに何も尋ねることはなく、またグリーヒルダもフォーラと約した通り何も語らなかった。
死者は浄めの炎によって棺ごと肉体を焼かれ、その灰を埋葬するのが習わしである。家名を残すことを禁じられたエオスタ家の令嬢であるフォーラは、無銘の墓石の元に罪人や身元不明の者、無宿者と同じように埋められることになっている。
それを見送ることまでは許されていない。ただ最後の対面と冥福の祈りを密やかな形でならば執り行っても構わない、と黙認されたに過ぎない。ゆえに浄めの炎が灯されるより前に、2人は小さな礼拝堂を辞した。
エスコートというよりは、ただの恋人同士のように手が触れ合い、指が絡み――強くしっかりと繋いだまま、フィオテリスとグリーヒルダは歩き出す。
「強くならなきゃな」
「ああ」
ぽつりと零したフィオテリスの呟きに、同じ前を見据えたままグリーヒルダはただ一言応える。
空は晴れていた。フォーラの最期の涙に反して、けれどフィオテリスやグリーヒルダと同年代のエオスタ家の子供達がおそらく望んだであろう、フィオテリスの明るい未来を象徴するような突き抜けた青。
歴史書には決して遺らぬ想いを受け継いだ2人は、その未来を己達の手で切り開くと宣言するかのように、背を伸ばし振り返ることなく歩き続けた――。




