表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
極彩色の偏見  作者: 雨月夜
2/2

緋に墜ちる





オレは、空っぽの人間だ。





幼い頃から、人間の喜怒哀楽が理解出来なかった。


テキトーに周囲に合わせて、笑ったり泣いたり。

どれだけそれらしい行動をしてみても、自分の内側から感情が湧いてくることは殆ど無い。



多くの人の「感情の機微」とやらを眺めながら、いつも感心していたものだ。

何万、何億とありそうな、事実と感情の結びつきパターンを、多くの人は当たり前の様に表出している。



器用なもんだ、と、思う。


昔、「上手く生きられないの。」と嘆いた女が居た。

しかし、「嘆く」というさして意味のない行為を心の底から出来るだけでも、人間として上々なのではないだろうか?




オマケに、空腹も、眠気も、性欲も。

殆ど、感じたことがない。


食べ物があるから食べ、夜になったから眠り、女が「抱いて」と言うから抱く。

たったそれだけ。そこには、渇きもなければ、満たされた感覚もない。




特別優れた才能がある訳でも、飛び抜けて容姿が良い訳でもない。

若さと、時間と、ブリーチし過ぎてボロボロになった髪を持て余して。



どこにでもいる凡人だった。

でも、それ以上にもそれ以下にも成れないことを、知っていた。




オレにとっての世界は、常に灰色で。


その世界を眺めながら、酸素を二酸化炭素に変える為だけに息をしている。








いつも通りの夜。

いつも通りの、バイトの帰り道。



どこか生温い風が、頬を撫でる。


足元にあった小石を、蹴った。

蹴った小石が、側溝の隙間に落ちる。



友達との飲み会やお喋りさえも「ネット上」で済ませられる今、わざわざ夜中に出歩く人は少ない。



小石の、落ちる音。

履き古したスニーカーが奏でる、自分の足音。

夜風が揺らす、梢の音。


モノクロの世界の中で、自分だけが取り残されたような気持ちだった。







突然。

何処かから不穏な声が聞こえて、足を止める。



聞いた事の無い様な、切羽詰まった声。

言い争っているのだろうか?


声の主は、男と女が1人ずつ。

男の方はよく判らないが、女の声は若い。



痴情の縺れ、と片付けるには、少々荒っぽすぎる声だ。



内容は聞き取れないが、普段の生活ではとても耳にしない様な、不穏な音。

バイト先で聞くクレームの怒鳴り声も、別れ話中の女の金切り声も。

この音に比べればただの雑音だとさえ、思える。

まるで命の危機でも迫っているかの様な、必死の声という音。




バタバタと、2人分の足音もする。

どうやら走りながら言い争っているらしい。







不謹慎かもしれない。


でも、正直に言って。

胸が、高鳴るのを感じた。




其処にあるのは、非日常だ。



ストーカーか、通り魔か、はたまた別の何かか。

判らないが、明らかに尋常じゃない。犯罪の香さえする。



とにかく、普段の日常ではお目にかかれない様な何かが、繰り広げられている予感がした。






灰色の世界に、飽き飽きしていた。


何処かの誰かが、刺激をくれるのを、待っていた。







止めた方が良いという本能の忠告を無視して。


自分の足は、声の方向に向かう。



多分、近くの公園の方。

入り組んだ路地の先にある公園は、昼間でも人気が少ない。

夜ならなおの事、誰もいないだろう。





見てみたい、という好奇心と。

ヒーローに成れるかもしれない、という願望と。



危険というのは、常に刺激的で。

犯罪の香りは、危険なスパイスだ。

もし女性が襲われているなら、助ければヒーローになれるかもしれない。



あり得ないと分っていても期待してしまう自分は、確かに凡人で。

そんなくだらない事を欲していた自分に、少しだけ自嘲して。





でも、それで良かった。



怖いとは、思わなかった。

生まれてこの方、恐怖等という鮮烈な色彩には、出会ったことがない。



ただ、求めていた「刺激」に出会える気がして、走った。






これが、間違いなく。

オレが開いた、非日常の扉だった。











公園に着くと。

予想通りに、2人分の人影が見えた。



腰を抜かしたらしい人影が、地面を這いながら逃げようと足掻く。

そこから5mくらい離れた所に、もう1人の影が、仁王立ちしていた。



きっと、女性が襲われているのだろう。

事情はともかくとして。とりあえず、女性を庇わなくては。



そう考えながら走っていた自分の予想は、見事に裏切られることになる。







暗かったはずの世界を、急に、月明かりが照らし出す。


今日はどうやら、満月だったらしい。

明るくなった視界に移るのは、予想外の光景だった。







「ひぃっ。や、止めてくれ、助けてくれ。」



腰を抜かしたまま後退りしているのは、50代くらいの男性。




その前に仁王立ちしているのは、若い女性だった。



後ろ姿だけでも判るスタイルの良さと、公園の外灯に照らされた艶やかな金髪。


それが黒のトレンチコートの背中を流れながら、月明かりを弾く。

金髪なんて珍しくもないのに、初めて見た様な気にさえなる。



自分の痛み切った銀髪を思い出して、場違いながらも、つい見惚れていた。






そして、その女性は、刀を持っていた。



まるで、当然の様に。

まるで、自分の一部であるかの様に。



しかし、その刀は。


やけに「現実味」がなかった。


周囲の景色から、浮いて見える。

解像度の違う写真を無理矢理合成した様な、不自然さ。





あれは「何」だろうか?




上手く、表現出来ない。


でも、それが当然の様であるが故に、あまりに異様だった。








悲鳴を上げるなり、逃げるなりすべきだ。



だって、明らかにおかしい。

何故、刀なんて持っているのだ。


これは、殺人現場かもしれない。

目撃者は、消される可能性が高い。




でも、魅入られたように、全身が動かなかった。




妙に、美しいのだ。


その女性も、持っている刀も。


灰色以外の、色彩を求めていた。

それが、コレなのだろうか。






胸が高鳴る。

冷や汗が噴き出る。



あまりに非現実的過ぎて、頭がイカれてしまったのだろうか。










「お、俺に何の恨みがあるって言うんだ!?」



腰を抜かしたままの、男が叫ぶ。



どこにでもいる様なサラリーマン風の男。

どこか、バイト先の店長に似ている気がした。


顔面蒼白で、スーツも乱れ切って。

それでもなお、必死に叫んでいる。



「そもそも、お前は誰だ?こんなことされる覚えはないぞ!!」

「ふざけるな!なめやがって!!」



窮鼠猫を嚙む、と言ったところなのだろうか。



必死の命乞いが、いつの間にか攻撃的な口調に変わっている。

次から次へと色々喚いてはいるが、聞き取れない。

それ位に、意味のない叫び。



男の声は、死の恐怖に慄いている事を除いて、どこでも聞ける様なモノだ。


いつも通り。

金太郎飴みたいな、凡人の声。






どこにでもいる様な、ありふれた男と。

どこを探してもいない様な、非現実的な女と。



それが、あまりに神々しい光景に見えて。



美しい宗教画に、魅入られたみたい。

固唾をのんで、見守っていた。










「五月蠅い男ねぇ。」



初めて、女の声を聞く。



高いと言えばいいのか、低いと言えばいいのか。

判断力の落ちた頭では、どうにも思考が及ばない。


ただ冷たくて、それでいて妙に愉し気な、声。




聞いた事の無い声だ。


人間の声なんて、誰でも同じだと思っていたのに。


鈴の音の様な、楽の音の様な。

声と言うよりは「音色」に近い。




「あたしは貴方に恨みはないわ。ここにいるのは、お金を貰ったから。」



そう言いながら、女は、一歩一歩と間合いを詰めていく。


黒いエナメルのピンヒールの音が、公園の舗装を叩いて、響く。

男が喚く声が、どんどん大きくなっていく。



「『こんなことをされる覚え』については、自分の胸とやらにでも聞いてちょうだい。」



女が、刀を握り直した。



刀紋が、月光を弾いて。

妖しく、そして美しく輝く。




「あ、因みに。あたしの名前は凛火よ。」






刹那。

ぶわりと、強い風が吹く。



凛火と名乗った女性の髪が煽られて、輝く。


そして、そのまま。

まるで、先程から気が付いていたかの様に、こちらを見た。




その瞳は。

炎の様に、赤かった。








金の髪も、赤の眼も。

今時、さして珍しくもない。



カラーリングとカラコンと。

一昔前は「派手」と言われたであろうソレも、今ではただのお洒落の一環だ。


誰でもやっているし、特別綺麗だと思ったこともなかった。



だから、魅入られる理由なんて、無い筈なのに。






髪も、眼も。


今まで見たどんなものより、美しい。


特に、瞳の赤は、本当に炎みたいだった。

触れれば火傷しそうな、それでいて全部を浄化してくれそうな、あか。






あか。赤。紅。緋。





そんな、炎の赤が。

まるで、風に煽られたかの様に煌めいて。


紅色に染まった唇が、まるで三日月の様に弧を描く。





そして、その女性は。

改めて男に向き合い、刀を振り翳した。




「それじゃ、地獄で会いましょう。」









一切の躊躇いなく、刀が振り下ろされる。





悲鳴も、出なかった。


ただただ。

まるで、神の舞でも見ているかの様に。


呆然としたまま、見惚れていた。





「あ…。」



自分の喉が、久しぶりに鳴る。



血しぶきが上がるかと、思った。

しかし何故か、全く上がらない。



それどころか、女が持っていたはずの刀は消え、斬り付けられたはずの男は意識を失っているだけ。

悲鳴すらも聞こえなかった。






どういう事だろうか?


そんな当然の疑問も、オーバーヒートした頭では、全く処理出来ない。





張りつめていた空気が、緩む。

夜風の冷たさを、久しぶりに思い出す。








我に返った頭が、唐突に「逃げろ。」と告げた。



当たり前だ。


自分は今、明らかに、見てはいけないものを見た。

判らないことだらけではあるが、兎にも角にも逃げなければ。



目撃者は、消される。

そもそもあの女性は、こちらの存在には気が付いている。



この世界に飽き飽きして。

生きていても死んでいても良いと思っていた筈なのに。

いざとなると、生存本能が全力で死を恐怖する。





今すぐにでも、走り出すべきなのに。


それでも。

緋色に魅入られた身体は、動かなかった。









「さてさて。」




妙に間の抜けた高い声が、夜の公園に響く。



やっぱり、鈴の鳴るような声だ。

綺麗だけれど、どこか人間味がない。



「初めましてだね。」



再び女が、こちらを振り返る。

先程真っ赤に見えた瞳は、いつの間にか落ち着いたレッドブラウンになっていた。



「さっきも言った通り、私の名前は凛火。神喰凛火。」



そう言って、女は笑う。

笑った顔が、妙に艶めかしく、似合っている。



よく見るととても整った顔は、笑うとさらに美しかった。




女が、一歩一歩、近づいてくる。

ピンヒールの音が響くのを聞きながら、よくその靴で走っていたなぁなんて、場違いなことを思った。



「のぞき見は、感心しないわよ。」



敵意や殺意は、感じない。

でも、全く意図が読めない。



いつの間にか、自分の真ん前まで来ていた女が、小首を傾げる。

一瞬、何かに驚いたような顔をして、立ち止まった。






でもそれは、一瞬の事。



突然、身体を寄せてきて。

先程、刀を振り翳していた手を首に回してきた。





妙に色っぽくて。

それでいてどこか、神々しい。


そのまま自分の唇に寄せられた紅い唇からも、何故か目が離せなかった。




「貴方は、だあれ?」



キスする寸前、紅い唇が、嗤う様に囁く。






求めていた色彩が、目の前にあった。



でも、それは。

明らかに、此方の世界のモノではなかった。











緋に墜ちる

(恋に墜ちるのにも似た)



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ