すれ違うもの
狩野正男と狩野えまな、2人とも現在30歳だった。
3年前に結婚、つまり2人とも27歳の頃であった。
所謂、アラサー。その年になるとある話が浮上してくる。
それは子供の事に関してだった。
同世代の友人たちは子供を持つ人たちが自然と多くなっていた。
特に妻の友人たちの多くは結婚をし、子供を産んでいた。
その話は男女によって、大きく受け取り方が異なる。
子供についての夫婦の話し合いの最中、正男はまだ仕事を頑張りたい気持ちが強いと口にしていたが、
妻は子供を欲しがっていた。
二人の間に口論が多くなったのは、この話について、真剣に話始めた頃からだった。
正男の仕事を頑張りたいという理由は表向きな理由であり、本音は子供はうるさく、わがままだから好きではないという理由からだった。
しかし、妻はできれば早く子供を産みたいと思っていた。
普段の会話の中で、妻は子供の事について口には多く出さないが、正男は態度でその思いを見て取れていた。
だが、子作りをしていなかったわけではなかった。
いや、正男からすれば子作り目的の好意ではなかった。
正男は一般男性が持ちゆる性欲を持っていたからだ。
その営みに、子供欲しさの願望もなければ、時には形式的な行為に愛さえ持っているのかどうかは危ういところだった。
妻のえまなは薄々それに気が付いていた。
そして、次第に妻の方から営みを何度も断るようになり、行為をしていた期間で子供を授かる事はなかった。
何度か断られると、正男は求めなくなった。
正男はプライドが高かい人間だからだ。
「無能なくせにプライドだけは高いのね。」
その発言には、そういう経緯もあったのだ。
2人の愛はすれ違い、乾きだし、その表層にどこかひび割れが見えるようになっていた。
林と別れた後、正男はマンションに向かって最寄り駅から歩いていた。
眩しい太陽の日差しが空から降り注ぎ、道路沿いの草花を励ましているみたいな天候だった。
そして、土曜日となると、マンションの近所の公園から子供たちの声がよく聞こえてくる。
正男はその声を聞きながら、エントランスに入り、エレベーターに乗り込んだ。
そして、誰かが乗り込んでくる事なく、11階に辿り着き、エレベーターを出た。
鍵を開け自宅に戻ると、妻はまたどこかに行っていた。
妻がよく履いている靴がなかったからだ。
静寂が玄関まで漂っていた。
それを見て、正男は少し楽な気分になった。
いつからだろう?
休日になると、とちらかが家からいなくなる。
2人は磁石の同じ極であり、引っ付かず、反発するばかりだった。
正男はリビングに入り、カーテンレースがしてあるままの窓際に行き、窓を開けた。
とりあえず、新鮮な空気が欲しかったのだ。
そして、手を洗い、服を着替えた。
現在時刻は午後三時過ぎで、今から何を始めるには遅い時間だった。
正男はソファに座り、しばらくすると横になった。
そして、仕事の事について考え事をしていたら、いつのまにか寝てしまっていた。
起きたのは午後六時だった。
外の日は傾き、草花への応援は終わっていた。
正男は固まっていた体を起こした。
そして、頭の奥で鈍い痛みを再び感じた。
嫌な痛みだった。
部屋を見渡すと、どうやら妻はまだ帰宅していなかった。
正男は立ち上がり、洗面所に向かった。
洗面台で口をゆすぎ、タオルで濡れた口周りを拭いていた時に、玄関の扉が閉まる音が聞こえた。
妻が帰ってきたみたいだ。
正男は洗面所から出て、リビングに向かった。
妻はたくさんの買い物袋をテーブルの上に置いていた。
そして、買い物の割にはおしゃれな服装をしていた。
それは今まで見たことがない服だった。
正男は「どこに行ってたんだ、どこでその服買ったの。」なんて事は聞けずに、その様子を横目で見てから、ソファにまた座った。
妻は無言で、買った食材やらを冷蔵庫に手際よく仕舞っていた。
「今日の晩御飯は何にする予定?」と正男は聞いた。視線は先ほどつけたテレビの画面に向けていた。
「刺身よ。スーパーで安かったから。」と妻は刺身が入ったパックをテーブルの上に乗せた音がした。
「そうなんだ。」
昨日、寿司を食べて、今日は刺身なんだ。と正男は心の中で思い、又、今の体調ではそんなに生ものは食べたい気持ちが湧いて来なかった。
妻は食材を仕舞い終えると、洗面所に行き、自室に戻った。
そして、しばらくしてから部屋着で出てきて、エプロンをして台所に立った。
世間の夫婦の間では、どういう会話がされるのだろうか?と妻の後ろ姿を見ながら、正男は思った。
昔を振り返ってみたが、正男の両親がどういう会話をしていたのかは、何故か思い出せなかった。
テレビの中から笑いのツボがよく分からない笑い声が部屋を満たしていた。
妻は味噌汁か何かを作っているようだった。
野菜を刻む音が今度は部屋を満たしていった。
正男はここのままじっとしておれず、近所のコンビニに行くことにした。
部屋に戻り、薄手のパーカーと財布を手に取り、
「ちょっとコンビニにいってくる。」と妻に言った。
「いってらっしゃい。」と小さな声で、妻は視線は送って来ないまま言った。
公園から子供たちの声はもう聞こえなかった。
正男はゆっくりとした足取りで歩き、コンビニに到着した。
だが、買いたいものは特になかった為、適当におつまみを買ってみた。
滞在時間は10分もなく、正男はコンビニを出た。
空はさらに暗くなっていた。
歩いていたら、頭の痛みはもう引いていた。
妻と、このギクシャクとした関係がいつまで続くのだろう?と思いながら歩き、その足は自然と人がいなくなった公園に向かっていた。
公園に入ると、砂場には誰かが忘れたシャベルがあった。
そして、座ろうとしたベンチにはハンカチがあった。
夜前の公園はどこ不気味だった。
正男はベンチに座り、コンビニの袋からスナック菓子を手に取った。
ヘルシー、カロリーオフとパッケージにでかでかと書いてあるお菓子だった。
それを開けて、一つまんで食べてみた。
「美味い。」だけど、果たしてこれを再び買うのか?と聞かれたら、「はい。」と言えるか分からなかった。
正男は無言でそのスナック菓子を半分まで食べてから、コンビニのビニール袋に戻した。
そして、この前と同じ時間帯だろうか、遠くの方からコツコツと足音が聞こえ、聞こえてくる方向を見ると、あのマスク姿の男がマンション方へと歩いて来るのが分かった。
マスク姿の男はいつも最寄り駅から反対の方面からマンションへと戻っていた。
なぜだろう?
謎が多そうなマスク姿の男を、正男は公園の木に隠れるようにしてじっと見ていた。
マスク姿の男は誰かに見られているとは知らずに、スタスタとマンションの中へと入っていった。
そして、またしばらくしてから、正男もマンションに戻っていった。
正男が帰宅した時、妻はまだ台所で料理を作っていた。
そして、テーブルには2人用の食器が用意されていた。
正男は「ただいま。」も言わず、リビングに入ると、
「もう食べれるよ。」と妻言い、タイミングよく出来上がった料理を皿に盛りつけた。
晩御飯はスーパーで買った刺身とあんかけ豆腐、スナップ豆のじゃこと梅和えとあら汁だった。
正男はコンビニの袋をソファに置いて、沈黙を恐れてテレビを付けてから、小さな食卓に着いた。
毎週の土日の晩御飯、2人はよく同じ部屋にいたとしても、向かい合って食べる事は随分久しぶりに思えた。お互い好きな時間に食べているし、被ったとしても正男は時間をずらして食べるか、ソファの前のロウテーブルで食べていたからだ。
だが、今日は自然に、向かい合って食べる事になった。
正男は心の中で、この状況に懐かしさを感じていた。
そして、妻も2人の間に何も隔たりがないような感じで、反対側の椅子に座った。
妻は「いただきます。」と小声で言い、早速食べ始めた。
正男はお腹が空いてなかったが、形式上、少しだけ箸でついばみ口へと運んだ。
食事中、話題になる話は特になかった。
「刺身、美味いね。」と妻が言うと、
「だね。」と正男が返すぐらいだった。
そのまま15分ぐらいが過ぎた。
先に妻が食べ終わり、席を立った。
正男は箸を置き、妻の後ろ姿を見た。
スラッとした後ろ姿だった。
妻は確かに美人であった。
しかし、近すぎると見落とすものがあったし、見慣れていると、気づけないものもあった。
正男は皿洗う妻の姿を見てから、また箸を手に持ち、残っていたあんかけ豆腐を箸で二つに割った。
正男はベッドで横になっていた。
最近はずっと風呂から上がると、すぐに寝室に戻っていた。
このままの夫婦生活がいつまで続くのだろうか?とまた考えていた。今日何度目なのだろうか?
妻は昔の妻とは違っていた。明らかに冷めたい態度を取るようになっていた。
しかし、変わってしまったのは勿論、妻だけではなかった。
正男は色んな事を考え出すと、また鈍い頭の痛みが戻ってきそうだった。
すると、窓の外では、車のクラクションが勢いよく鳴り始めた。
静寂をつんざくような音だった。
ただ事ではないような鳴り方だった。
なかなか鳴りやまない音に、きっと誰もが眉間にしわを寄せ、迷惑しているだろうと思った。
だが、今の正男にとっては、それが気を紛らわしてくれる心地良さに感じていた。
いざこざはどこにでもあるのだ。
そして、そっと目を閉じた。
正男は朝7時30分に目覚めた。
日曜日だが、今日も平日と同じ時間に自然と起きた。
ベッドから抜け出し、頭を掻きながら、寝室を出て、洗面所に向かった。
そこで一通り、朝のルーティーンを済ませるとリビングに向かった。
だが、正男はすぐに気がついた。
テーブルの上に何か紙があったのだ。
正男はテーブルに向かい、その紙を手に持ち、書いてある文字を読み始めた。
「今日は出かけてきます。ご飯は冷蔵庫の中にあります。」
と見覚えのある妻の字が書いてあり、正男はその紙を持ったまま歩き、妻の部屋の扉の前に立った。
そして、数秒立ち止まってから、扉をノックしてみた。
二回軽く叩いてから、今度は三回叩いた。
部屋から声は何も聞こえなかった。
今度は試しに「おい。」と言ってから、また一回扉を叩いた。
応答はなかった。
正男はドアノブを握り、ゆっくりと扉を開けてみた。
当たり前なのだが、そこに妻の姿はなかった。
そして、久しぶりに覗いた部屋の様子は他の部屋とはテイストが違い、正男はこの部屋だけ別世界のように感じた。
明るい柄カーテン、北欧風のインテリア、壁にかかっているシンプルな抽象画。
妻はこういうテイストが好きだったと改めて思い出したのだ。
正男はしばらく部屋の様子、細部を眺めていた。
何かを点検するかのように見ていた。
だが、中に入る事はしなかった。
よくわからない状況を少しだけ理解すると、扉を閉め、リビングのテーブルまで戻った。
そして、手紙をまたテーブルの上に置きなおし、今度は冷蔵庫の中を見た。
そこには三つの皿にラップがしてある状態で料理してある物が入っていた。
正男は冷蔵庫を閉めてから、考えながら歩き、ソファに座った。
妻はいつ出ていったのだろう?
深夜なのだろうか?
そして、どこに行ったのだろうか?
正男はじっとしておれず、今度は玄関の方へと向かった。
ただ、朝のウォーキングではないか?という疑問を解消する為にだ。
だが、ウォーキングシューズはちゃんとあった。
そして、妻がよく履いているお気に入りの靴もそこにあった。
それと妻の眼鏡も靴箱の上にあった。
「眼鏡、忘れてるじゃん。」と小さな声で独り言を言った。
正男は眼鏡をせずに外を歩く妻の顔を思い浮かべた。
見慣れているはずなのに、そこには懐かしい顔があった。
そう思うのは、
思い浮かべる妻の顔が笑顔だったからかもしれない。
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ありがとうございました(^ ^)