お菓子の魔女
昔々、あるところに、二人の少女がおりました。
一人はお菓子が好きで、それを作るのがとても上手。もう一人はお菓子が好きで、体が弱く日の全部をベッドの上で過ごしました。
寝たきりの彼女の為に、少女は毎日様々なお菓子を作り、彼女はそれをとても美味しそうに食べました。
少女は、彼女の幸せそうな顔を見るのが大好きでした。
そんな二人が暮らすのは、町外れの森にある菓子売りの店。そこに住まう女性達の作った、たくさんの色や形、それから味と食感の、魔法のようなお菓子達を求めて、町からは毎日多くの人が訪れたものでした。
その中でも、少女の作るお菓子は大層人気がありまして、同居人の女性達は時々、少女に教えを請いました。具体的には、時計の長い針がきれいな円を描くくらいの間に、一回。ほんの、時々のことです。
少女はみんなとお菓子のことを、ああでもないこうでもないと話をするのも好きでした。
とりわけ、店で下から三番目に年少の女性とのお喋りが、少女はいっとう楽しみでした。年少と言っても、少女と九つは歳が離れておりましたが。
三番目のお菓子は少女の次に人気があり、表に並べば、女性達とお菓子の話をしている間に売り切れてしまうほど。
もちろん少女も、そんな三番目の少し大人な味わいのファンで、少女の方から教わりに行くこともあったものでした。こちらは本当に、時々のことでしたけれど。
そうして新たなお菓子を両手に、ぱたぱたと足音を鳴らしながら寝たきりの彼女を訪ねては、手作りのそれをまた振る舞いました。
三番目直伝の苦味や酸味に彼女が顔をきゅっとするのが、少女にはとても愛しかったので、そうした時はいつもくすくすと笑いました。彼女はぷりぷりと怒りました。その後はいつもの通り、二人でからからと笑いました。
ところで、少女には夢がありました。
それは、今まで誰も見たことのないような、とろけるように甘くて、惚れ惚れするほど美しく、見上げるくらいに大きなお菓子を作ること。そしてそれを、ベッドの上の彼女と一緒に食べることでした。
幼い少女は、窓から見える代わり映えしない風景と、寝床の上で見る部屋の景色しか知らない彼女のことが、心の底からかわいそうだったのです。
少女は暇を見つけては、彼女への贈り物の設計図をせっせとしたためました。考えが煮詰まると、三番目のところへ赴いて、お菓子について語り合いました。三番目を少女は姉のように慕っておりましたが、いつもお菓子を作っているところだけは頑として見せてくれなかったので、贈り物のことは秘密にしました。
ある日のことでした。
冬にしてもちょっとないくらいに寒い寒い朝で、この辺りでは十年に一度あるかどうかの雪の降った朝で。少女は、凍える空気と暖かな興奮に身を震わせながら、冷たい床に身体の熱を盗られてしまわないよう、そろりそろりと爪先立ちで、まだ眠っているであろう彼女の部屋を目指しました。
氷のような扉を摘んで、ゆっくり開けて中を覗くと、しかし彼女はもう目を覚ましていました。なんだか分厚く難しそうな本に、じっと視線を落として。
彼女とお菓子の他にはそれほど関心のない少女でしたが、一面の銀世界という特別な風景をそっちのけで、いつも寝たきりの彼女が読んでいる本。それが何なのかとても気になって、少女は問いかけました。
問いかけてしまいました。
彼女はまず驚いて少女を見、それから一度本を見、目をまんまるにしてもう一度少女を見ました。その顔のおかしさと言ったら。この日より大きく笑うことは生涯無いほど、少女は笑いました。彼女は笑いませんでした。
彼女は本のことを話したくないようで、何度も何度も誤魔化そうとしました。彼女が隠し事をしたのは初めてのことでしたから、少女はとても寂しくなりました。
そんな気持ちが顔に出ていたのでしょう。彼女はとうとう観念して、言いました。曰く、これは魔法についての本なのだ。と。
結局その時は、なんとしてでも口にしてなるものかという彼女の固い意思、言い換えれば目をぎゅっと閉じて両手で口を塞ぐ姿によって少女が絆されて、もとい阻まれてしまったので、それ以上を聞くことはありませんでした。
森の木の幹を隠してしまうような大雪が積もっていましたので、町からのお客もなく、行くあてのないお菓子達だけが綺麗に整列した店内。
少女と彼女の髪や肌と瞳、自分達と女性達の背丈に体重。それらのように色とりどりで大小様々なお菓子を眺めながら、少女は魔法について考えました。よくわかりませんでした。
わからなかったので聞いてみることにしました。ちょうど姿を見せた、三番目に。
三番目は。
魔法に触れたその日を境に、少女の生活は大きく変わりました。お菓子を作る時間が減って、お菓子を造る練習が始まりました。
少女の造ったお菓子を、寝台の上で彼女は美味しそうに食べました。けれども、その顔を見るのが、少女はあまり好きではありませんでした。
練習は訓練になり、修行で、苦行でした。少女には、魔法を扱うことの天稟が与えられていましたが、相応の力も理解する頭も持ってはいませんでした。
彼女の部屋を訪れる時間すらも減っていく中、それでもへろへろになりながら、指導役である三番目の言う通りに魔法を使って、何故か出来上がるお菓子。少女はただただ、不気味なものだけを感じるのでした。
辛い日々の中で少女を支えたのは、彼女への贈り物のことでした。一年、二年と月日は過ぎて、設計図はおおよその完成を見ていましたけれど、この一大事を成すには材料も気力も、なにより時間が足りませんでした。
弱り切った少女は遂に、三番目へ贈り物について話すことに決めました。この頃には、女性達がどうしてお菓子作りを見せてくれなかったのか、少女にも分かっていましたし、それに意地を張っていられるほどの心のゆとりが、少女にはありませんでしたから。
三番目は贈り物の設計図をためつすがめつし、これまで少女が見た中で、一番の笑顔を浮かべました。その日から、指導は更に苛烈なものとなりましたので、少女はまるで、作れないなら造ればいいと言われているかのようでした。
魔法を使うとお菓子が出来る。そのこと以外にも、不思議なことがありました。
遠くの物が浮いたり、近くの物が消えたり、無かったものが現れたり。お菓子が出来上がる前に、そんなことが度々起こりましたから、ある時少女はなんだか怖くなって、途中で魔法を止めてしまいました。
このところ輪をかけて厳しさを増してきた三番目ですが、少女をぶったり、大きな声で威圧するようなことだけは決してしませんでした。
しかしこの時ばかりは焦った様子で、何事か分からない言葉を叫んだかと思うと、少女を力いっぱいに突き飛ばしたのでした。
床と天井がものすごい勢いで回ってすぐ後に、少女の瞳の裏側で大きな火花が爆ぜました。少し遠くでも、何かが爆ぜる音が聞こえた気がしましたけれど、それを考えるより先に、暗い闇へと少女は沈んでいきました。
少女の開けた瞳に最初に写ったのは、薄い微笑みを浮かべる彼女の顔でした。目の前いっぱいに広がった愛しさは少しずつぼやけて、暖かな色に染まって、そして真っ暗になりました。代わりに少女は、やわらかな感触に包まれました。ふわふわのお菓子みたいで、一緒にかすかな甘い匂いも。
温もりの中で、少女はさめざめと涙を流し続けて、その間彼女は何を言うでもなく、時々頬を擦り寄せたりしていました。
涙が止まっても、少女がしばらくの間そうしていたのは、なにもその心地よさに揺蕩っていたかったというだけではありませんでした。少女は窯の中の熾火みたいになっていましたから、目の前の彼女にそれを知られているのだとしても、見られたくはなかったのでした。
彼女がゆっくりと、優しく言葉を紡ぎました。少女がこの部屋に居る理由のこと、三番目が少女を突き飛ばした理由のこと。それから、ここに住まう女性達のことや魔法のこと。そして、彼女が魔法を隠したがった訳も。
少女にとって、最後の訳以外はあまり関心がありませんでした。なので彼女が、こうなることが分かっていたからだと弱々しく告げた時、少女はとても満ち足りた気持ちがしました。彼女のことをもっと知りたいと思いました。彼女の願いを叶えたいと願いました。それは、少し前に彼女が語ったことでもありましたから、彼女は困ったように微笑みました。
それからの数週間は、少女の生涯で最も幸福な時間でした。三番目の指導ですらもう苦ではありませんでしたし、魔法の扱いはそれまでが冗談だったかのように上手くなりました。
そうすると、少女と彼女と三番目、三人の時間ができました。三人で力を合わせて魔法を練習する必要がありましたから、それはそれは楽しいものでした。少女にとっては意外でしたが、寝たきりの彼女と三番目の仲が良かったということを知りもしました。
贈り物の設計図は、彼女達の願いを叶える魔法でした。
寝る時には、彼女のベッドに入り沢山話をしましたし、話以外のことも沢山しました。また彼女にお菓子を作る時間ができましたから、美味しそうに食べる彼女が少女は、大好きでした。
初めに、大好きな彼女の願いを、少女は叶えてあげました。魔法を使う刹那、にっこりと笑んだ彼女の力が大きく跳ね回って、その少し後、少女の中に彼女の膨大な力が入ってきました。
目の前には、ひと抱えもあるお菓子が現れていました。
ベッドには、寝たきりの彼女は、いませんでした。
二番目に、三番目の願いを叶えてあげました。これまでのことを謝る三番目に、少女は今までのお礼の言葉を伝えました。笑われてしまいました。
目の前のお菓子は、ふた抱えほどになっていました。
少女は一人で、贈り物を造ることができるようになりましたから、他の女性達の願いを叶えてあげました。みんな笑っていましたし、少女も笑いました。笑おうとしました。駄目でした。
別の世界に生まれ変わることが、彼女達の願いでした。大好きな彼女の願いも、姉のように慕った三番目の願いも、他の女性達の願いも叶いました。少女の願いも、もちろん叶いました。夢は叶いませんでしたけれど。
彼女のいたベッドの前には、今まで誰も見たことのないような、とろけるように甘くて、惚れ惚れするほど美しく、見上げるくらいに大きなお菓子がありました。
少女は、笑いました。
町外れの森には、昔々菓子を売る店だったという一軒の屋敷がありまして、そこには今もお菓子が大好きな、魔法使いの女が一人で住んでおりました。人を菓子にして食べてしまうというその女は、いつの頃からかこう呼ばれているのでした。
お菓子の魔女、と。