【#拡散希望!】
お題:SNS
【桜の木の下には『死体』が埋まっている】
そんな有名な言葉をネタにする為に、僕はこの場所へやってきた。
市内でも一番大きく、一番綺麗に咲く桜の木を一人で見上げて。
青い空の下でなだらかな地面を掘り進めると、鈍い音がシャベルと何かを触れ合わせた。
硬質の音は死体なんかじゃない。もしかしたら、お宝でも掘り当てたんじゃないだろうか?
ネタにする為だけに動いた結果がお金に早変わりするかも知れない。そう思うと、シャベルを動かすペースが格段に上がる。
そして――『それ』は現れた。
「嘘、だろ……!?」
淡い緑色の着物に、桜色の帯がぱっと視界に入り込む。散り落ちる桜の花びらが現実と幻覚の境を曖昧にしているようだったが――
『拾ってください』
――桜の木の下には、首から板を下げた『死体』が埋まっていた。
【#拡散希望!】
おお落ち着け自分。落ち着け僕。落ち着くんだ結城勇樹。
こんな平凡な高校生が突然死体と遭遇するわけが……。
『拾ってください』
チラッと視線を戻してみたけれど、そこにはやっぱり死体が埋まっていた。顔や手足はまだ埋まったままだけど、着ている着物から見て女の子だとは思う。
人間、混乱すると変に冷静になっちゃうんだな。
そんなことすら冷静に働く思考を余所に、身体の震えは止まってくれない。
救急車を呼ぶべきだろうか? いや、それよりも警察なのかな?
小刻みに揺れる右手に力を込め、胸ポケットに入れていたスマートフォンを取り出した。
文明の利器。現代人に欠かせない物。電話もメールも容易に発信する長方形の板を手にとって、僕は迷わずアプリを開いた。
救急車か、もしくは警察に電話する為に通話アプリを押し開く――はずが、僕の親指は自然と別のアプリを開いてしまう。
四角い白マスの中に鎮座する、羽を広げた青い鳥が存在を主張した。そこは、全世界に住まう人類が百四十字で言葉を発信するネット世界。
そう、その世界の名は――“ツブヤイッター”だ!
思考は混乱を通り越して身体も震えているというのに、僕の本能がそれを開けと言っている。
何故開くのか?
そう問う声が聞こえるが、僕は迷わずこう返そう。
ツイ廃だからだ、と!
……っと、なんだか熱くなってしまった。何かあれば直ぐに青い鳥を呼び出してしまうのは、ツブヤイッター廃人の悪い癖だな。
そう、冷静になれ結城勇樹十八歳。今年はいよいよ本格的に受験へ身を投じる一年になってしまうんだ。だからこそ、つい先日の誕生日にツイ禁を誓ったじゃないか……そう、ツブヤイッターを禁止するという、己自身の封印を!
今一度その宣言を思い出して、三度深呼吸を繰り返した。
「……よしっ」
再度スマフォと向き合って、青い鳥をしっかりと閉じる。そして僕は、今度こそ指を動かした。
【Y:桜の木の下で死体拾ったったwww】
染み込んだ習慣が直ぐに消えるわけが無い。
僕は自らの手で閉じた青い鳥を直ぐに呼び戻して、普段と変わりない調子で言葉を発信する。
やっぱり僕は、充分に混乱していたようだ。
###
落ち着いた、ハイ落ち着いた、落ち着いた。字余り無し。ついでに季語も無し。
ツブヤイッターに呟いた僕はようやく混乱から抜け出した。嘘だ、混乱を通り越して錯乱しそうまである。
だけれど、自分の呟いた画面を見つめて我に返ったのは確かだ。
文字を目で追いながら、この呟きを残したままにするのは如何なものかと考える。しかしツイ消しは有罪……っく!
散り始めた桜の木の下で、死体を目の前に苦悩する僕。誰も居なくて本当に良かったと安堵さえ生まれ始めた頃、スマフォから一気に通知が届いた。恐らくさっきの呟きに対しての反応だろう。
僕は何の迷いも無く、青い鳥を呼び出した。
【@Y:証拠うpはよ】
【@Y:ツイ禁失敗奴~~!】
【@Y:遂に幻覚を……】
【@Y:俺も死体拾ったwww(アニメ画像添付)】
僕は静かに笑ってフォロワーの反応を拡散したのち、そっとスマフォを胸ポケットに仕舞い込んだ。
そう、RTをするだけして放置する、ツイ廃の必殺技だ。
さて、それじゃあそろそろ現実を見よう。
ツブヤイッターのネタにする為にやってきたこの場所で、僕は本当に死体を発見してしまった。まだ警察にも救急車にも連絡はしていない。
それどころか、呟いてしまった真実をネタだと受け入れられてしまった。と言うより、僕はまだ拾ったわけじゃない。
「……どうしよう」
声に出したものの、反応する人は当然居ない。仕方なく一人で考えて、あれは本当に人間だったのかと思い至る。
もしかすると人形で、誰かが廃棄したのかも知れない。捨てたのだとすると『拾ってください』の文字は納得出来るし、そのまま埋まってしまっただけなのだろう。
そう考えるだけで、不思議とそれが真実だと思えた。だって、僕の前に死体があるなんて、御伽噺よりも信じがたい。
確信と安心が欲しくて、僕はもう一度桜の木の下へと視線を向けた。掘り進めた穴の中に居る死体、もとい人形の姿。しかし何故だろう。人形よりも、その首から下げられている木の板が気になって見つめてしまった。
そこで僕は、自然と書き換わる木の板を前にして確信する――
『そこにどなたかいらっしゃるのですか?』
――安心なんてものは、ここには無いのだと言うことを。
どれほどの時間が経ったのだろう。青かったはずの空が、気付けばオレンジ色に染まっていた。
穴の中を覗き込めば、木の板に書かれた文字が目に入る。
『いらっしゃらないのでしょうか……もしいらっしゃるのなら、お手数ですが頭と手足の土を払っては頂けませんか?』
おかしいな。どんどん文字が変わっている気がする。
いやでもまさかそんなはずは……ただの木の板が、そんな機械みたいなことをするはずが無いだろう。
フォロワーが言ったみたいに、俺は幻覚でも見てしまっているのだろうか? もしくは夢?
そうか夢か。夢ならこんな無茶苦茶な出来事にも理解が出来る。
フォロワーの辛辣な反応も、現実の僕が容易に想像出来るものだったし。
「夢……なんだ夢か、そうか!」
混乱も一転、夢だと解れば臆することは何も無い。折角の非現実を楽しまないでどうする? 目が覚めれば、この夢もツブヤイッターのネタに出来るしな。
そうと決まれば話は早い。救急車は呼ばず、警察を呼ぶのも論外だ。桜の木の下の穴を改めて見つめ、僕は言葉を投げかけた。
「今連れ出してやるから、ちょっと待っててくれ!」
木の板に浮かんだお礼の文字が目に入り、地面に放り投げていたシャベルをを手に取った。
ザクザクと掘っていけば、まずは右手がそっと姿をみせる。薄い肌は雪のように色白く、華奢で優雅な指が色気を感じさせる。左手も同じく、今度は両足を掘り出した。白い足袋と黒い下駄が姿を見せ、鼻緒は帯と同じ桜色だった。
これで大半は土から掘り起こすことが出来た。残るは頭部に積もるこの土のみ。
慎重にシャベルを進め、顔に触れない程度まで土をどける。そこから先は手を使って綺麗に払った。例え夢でも、女の子の顔に怪我をさせるのは良くないしね。
頭の輪郭をなぞり、髪に纏わりついていた土を取り除けばもうお仕舞い。両手と同じように色白の顔を覗き込めば、妙な達成感が込み上げてきた。
「これでどうだ」
一仕事終えた額の汗を拭い取り、僕は彼女に問いかける。木の板は『お手数ですが……』と文字が変わっていた。
「どうしたの?」
『桜の木の横まで、私を連れて行っては頂けませんか?』
「うん、いいよ」
何の疑問も抱かず、夢の中のシナリオ通りに行動する。
思ったよりも軽かった彼女の身体を抱え上げ、僕のお腹辺りまで掘った穴から地上へ上げた。
制服に着いた土を払って、彼女を桜の木へと寄りかける。不思議なことに、彼女の着物は全く汚れていなかった。
一歩下がって、そんな彼女を呆然と見詰める。木の板の変化を待っていると、どういうわけか彼女自身が淡く光りだした。
オレンジ色の空を背に、彼女を包む光が桜の木へと移っていく。
木の幹から木の枝へ。木の枝から桜の花びらへ。次第にそれは、一つの存在のように同じ光に包まれた。
花びらを包む光が膨らんで、その光が幹を通して彼女の元へと伝っていく。次第に桜の木の光は彼女だけに纏われ、オレンジ色に映える白い光が彼女の中へと吸い込まれるように消えていった。
そして、次に変わったのは彼女自身。
ふわっと吹き込んだ風と共に、閉じられていた瞳が開かれた。
光を通さない真っ黒な瞳が爛々と輝く。同じく真っ黒な髪は、後ろで束ねて桜の簪を刺していた。
白い肌とは対照的なその色は、淡い緑色の着物と桜色の帯も可憐に映える。
不躾なほどガン見してしまった視線を逸らし、咳払いをして彼女と向き合うことにした。
文句など無いほど、可愛らしいその女の子に。
「えっと……初めまして?」
何だ僕。何言ってんだ僕は。夢ならもっと気の聞いたことでも言えばいいのに、視線を交わせばそれも難しかった。
そんな僕に彼女は微笑んで、綺麗な動作で姿勢を正す。今まで土の中に埋まっていたのが嘘のように、ごく自然に動き出した。
『私の名前は櫻小路桜子と申します。助けて頂いた貴方様には、感謝の言葉も尽きません』
正座をしたかと思えば、両手を膝の前に軽く置く。木の板は、更に手前へ。そして見ているこっちが惚れ惚れするほど優雅に、彼女は頭を地面へ下げた。
何がなんだか解らない。理解することを放棄した僕は、無言でスマフォを手に取った。
そして当然のように青い鳥を呼び出して――
【Y:〔速報〕死体の正体は可愛い女の子だった】
――直後、煩く鳴り響くスマフォを仕舞い込んだ。
あれ……夢だよな、これ?
###
所変わって、僕の家へとやってきた。これが夢なら覚めてくれ……いや、まだ覚めないで。可愛い女の子が家に来るシチュエーションなんてそう無いんだ。
相手が例え――死体だとしても。
「つまり、話をまとめるとこう言うことか?」
たった今聞いたばかりの話を思い出して、自分なりにまとめてみることにした。
彼女――櫻小路桜子さんが生きた時代は大正とのこと。十六歳だと言った桜子さんは、僕なんかよりも大人っぽい。
百年近く前を生きていたはずの彼女は、どうやらあの場所で想い人と待ち合わせをしていたらしい。だけど不幸にもその日は天候が悪く、軽かった雨が突然豪雨と化してしまう。持っていた傘は飛ばされて、どこからか木の板が飛んできた。
その時点で帰ればいいものの、桜子さんは帰らずに想い人を待ち続けた。雨は止まず、雷が轟いても動かない。そんな彼女を、その稲妻が襲い掛かった。
地面へ倒れ付した彼女の身体は動かない。打ち付ける雨は更に激しさを増し、そんな桜子さんを神様は見放した。
桜の木から数メートルしか離れていない崖に向かって、空から光が一閃する。その光は崖壁を崩し、桜の木の下まで雪崩れ込んだ。
そして、桜子さんは言うまでも無く……と、そんなところだろう。
思い返して言葉に詰まる。桜子さんは土砂に埋もれたまま死んでしまい、誰にも知られずそこに居た。
約束したはずの想い人を待ち続けて、そして、今もその男を待っているのだと言った。
夢だと言うのに、胸が締め付けられてしょうがなかった。
『あの、お名前を伺っても宜しいでしょうか?』
沈み込んだ気持ちを遮るように、桜子さんがおずおずと木の板を僕へ向けた。
彼女曰く、喋ることは出来ないらしい。長い間一緒に眠っていた木の板が、何故だか言葉を浮き上がらせてくれるのだと言った。
彼女が動くことが出来るのも、桜が咲いている間だけ。桜の木の力を借り受けているらしい桜子さんは、申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめん、忘れてた……僕は結城勇樹。変な名前だろ?」
おどけるように言えば、桜子さんは左手で口元を覆った。揺れている肩が、無声映画のように視界で揺らぐ。
『ゆうきゆうき様、ですね。私の名前にも、“さくらこ”が二つあるんです。さくらこうじ さくらこ』
浮き上がった文字を指差す桜子さんは、お茶目に首を傾げた。続けてすっと真剣な表情を浮かべ、神妙な様子で板を僕に向ける。
『ゆうき様。重ね重ね申し訳ないのですが、お願いしたいことがあります』
つられて姿勢を正した僕に、板は言葉を書き換える。
『あのお方を……御門台帝様を、どうか探してはくれませんか?』
瞳を濡らして見上げる桜子さん。勿論協力はしてあげたい。だけど、彼女が生きていたのは百年も前のことだ。
大事な想い人――帝さんが生きているはずが無い。
「でも、手がかりが無いと……」
渋った僕に慌てたのか、危うく板を取り落とすところだった。
『帝様は、ゆうき様のように短い黒髪でした。お召し物は……立襟の洋シャツに、袴とお着物を。それに学生帽と下駄を身につけておりました』
桜子さんは、自らの思い出を慈しむように辿る。余程大切な人なんだろう。誰かを想って笑えることが、羨ましくも眩しかった。
「……解った、探してみるよ」
『!』
「だけど、それだけじゃ無理だよ」
『っ、私は、あのお方に、会い……』
表情が綻んだのも束の間、僕の言葉に落胆する。その様子に胸がちくりと痛むけれど、これだけはどうしようもない問題だ。
「だからさ、他に手がかりが無いか思い出して欲しいんだ」
出来るだけ優しくそう言えば、桜子さんは黙々と頭を捻る。元々喋りはしないけれど、そんな姿も可愛く可憐だった。
そして、パッと顔を上げた彼女は、羽織をはためかせて立ち上がる。
土に埋まっていた時には無かったそれは、身体の下敷きになっていて気付かなかった黒い羽織だ。その袖が肩口から伸びていたせいで、僕は木の板が首から下げられているんだと錯覚して。
驚くことに、彼女の姿は僕以外には見えないらしい。
当の桜子さんは羽織を脱ぎ去って、その背面を僕へと突き出した。
『こちらです! 帝様に頂いたこの羽織……この家紋が、あのお方のもののはず』
「菱形の枠と……桜の花?」
黒地の羽織の襟元に、黒と白で描かれたその紋章を見つけた。
不安そうに、だけど期待を込めた視線が僕を射抜く。この状況で彼女の頼みを断れる人間が居るのなら、是非ともお目にかかりたいものだ。
「……期待はしないでくれよ」
ぱあっと華やいだ桜子さんの表情が、歳相応に幼く見える。
これは意地でも何か見つけないと駄目そうだな……。
そろそろ夢だと思うのに無理がある気がしてきた僕は、一時間ぶりに青い鳥を呼び出した。
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僕と桜子さんが出会ってから二日が過ぎた。
色々調べてみたけれど、簡単に見つかれば苦労はしない。
つまり僕は、何の手がかりも見つけられずに居た。
常に部屋の隅で姿勢を正す桜子さんの表情は、昨日に比べてわずかに暗い。だけどそんなことを感じさせないように、僕へ向かって笑って見せた。
「ごめん」
『大丈夫です。むしろごめんなさい、私のせいでゆうき様を悩ませてしまいました』
しゅんとする彼女を見ていられず、僕の視線はスマフォへと移動した。青い鳥は相変わらず、色んな人たちの呟きを僕の下へと運んでくる。
「……運んでくる――もしかしてこれならいけるんじゃ」
不意に浮かんだ考えを反芻する。ツブヤイッターとは、色んな人間の呟きを流してくれる世界であり、色んな人間へと届けてくれるものでもある。
『ゆうき様……?』
「いける……いけるかもしれないよ、桜子さん!」
顔を上げると、不思議そうな桜子さんが僕を見詰めていた。解決策に近付けたかもしれない僕は何故だか嬉しくて、思わず口調も早くなる。
「ツブヤイッターで呟くんだ! タグもつけて、色んな人に探してもらう。そうすれば、もしかしてその人を知っている人が出てくるかもしれない!」
どうして今まで思いつかなかったんだろう。僕はツイ廃失格だ。
『つぶやいったーとは何でしょうか? それにたぐとやらも……』
「ツブヤイッターってのはつまり、色んな人と交流出来る世界のことなんだ! タグって言うのは……そう、色んな人に見てもらうためのきっかけになるんだよ!」
勿論タグをつけたからってそれが広まるわけではない。だけど、広がらない可能性には繋がらない。
少なくとも、現状よりは遥かにマシになるはずだ。
「絶対に見つけ出せるとは言えないけど、この方法でやってみないか?」
呼吸を落ち着かせた僕は、青い鳥を彼女に見せた。
目をまん丸とさせ、時間が止まっているように動かない。だが次の瞬間、呪いが解けるように動いた両手が口元を覆った。
木の板は倒れてしまって文字が見えないけれど、何度も頷く桜子さんが肯定していることは間違いない。
嬉しくなった僕は早速呟き画面を開いて、その文面を考えた。
「書くべきものは……帝さんの名前と家紋。あとは桜子さんのことだけど……」
そこまで言って、一つの問題に気が付いた。桜子さんは死体だ。分類的には幽霊にも属するだろう。
つまり生きている人間じゃない彼女を、どうやって言葉にするべきか?
真正面から本当のことを言ってしまえば、恐らくネタだと思われて流されてしまう。それは絶対にあってはならないことだから、あたり触りの無いものに変えることにした。
「桜子さんは……よし、僕のひいおばあちゃんと言うことにしよう」
僕のアカウント名――Yの後ろに、言葉を打ち込む。
【曾祖母の初恋の人を探しています。名前は「御門台 帝」さん。菱形の枠の中に桜の花がある家紋の方で、大正時代の男性のようです。曾祖母の名前は「桜子」と言います。思いがけない形で別れて以来会えておらず、最後に一目でも会いたいと言われました。ご協力お願いします。】
何度も読み返して、その文面を確認する。誤字は無いか、脱字は無いか。文章が少しおかしくなっても、必要なことは書けているか。
「仕上げに――#拡散希望、っと!」
文末に書き加えて、書いた全てを読み上げる。真剣に聞き入る桜子さんは懸命に頷いて、僕はいつもより緊張しながら送信した。
だけど、届く通知はごくわずか。心臓の音が煩くて、さっきまであんなに熱くなっていた思考が冷えていく。
そしてその音さえも、五分もしないうちに途絶えてしまった。
『ゆうき様っ。帝様は見つかるのでしょうかっ』
今にも飛び跳ねそうな桜子さんが視界に映り込む。
僕は申し訳なくなって、情けなくなって。そして、泣きたくなってきた。
「……ごめん、桜子さん」
ゆっくりと消える表情から目を逸らし、僕は見えないフリをした。
###
翌日、まだアラームも鳴っていないのに目が覚めた。巡らせた視線は桜子さんへと留まり、死体でも眠るのかと現実から逃避した。
スマフォを見ても、情報が届く気配は微塵も無い。拡散される様子すらもう無くなっていて、僕の口からは深いため息が零れ落ちた。
桜子さんが起きないように、荷物を持って部屋を出る。廊下で制服に着替えて、適当に朝食を取った。
手持ち無沙汰になってしまったこの時間を、桜子さんと過ごすには今は辛い。仕方なく学校へ向かうことにして、まだ寒さの残る外へと踏み出した。
授業が終わって放課後になった。僕の学校生活は何も変わりなく、スマフォも変わりない。
自然と出てしまったため息に気付かないフリをして帰路に着く。
その途中で、あの桜の木が遠くに見えた。平地よりも高いところにある桜の木は、少し離れたこの場所からでも良く見える。
「……桜、だいぶ散ったな」
心が落ち込んでいるせいか、全てが感傷的に感じてしまう。
重い足を引きずるようにして、どうにか足を動かした。
帰り着いて、部屋へと戻る。そっと扉を覗き込めば、桜子さんは朝と変わらぬ場所に居た。
何一つ変わらぬ彼女は瞳を閉じ、姿勢を正して座っている。
『おかえりなさい、ゆうき様』
微動だにせず、木の板が彼女の言葉を浮き上がらせた。僕はといえば、相変わらず反応を示さないスマフォを握り締め、歯が軋むほど噛み締める。
「……ただいま、桜子さん」
何とか絞り出した声は弱弱しく、僕の力の無さを痛感させた。
だってそうじゃないか。いけると思って、桜子さんに期待をさせておいて。それなのにこの有り様だ。
どうしていけると思ったんだろう。
どうしてやれると思ったんだろう。
己の自意識が滑稽で、無力な自分が酷く惨めで。
僕は握り締めたスマフォをベッドへ向けて投げつけた。
ボフンッと虚しく響く音に耳を塞ぎたくなる。だけど塞いだところで何になる? 現実逃避にすらならないじゃないか。
『わがままを言ってしまい、申し訳ありません。私のことはもうお気になさらず』
ふと、書き換わった文字が目に留まった。呆然と見つめた僕の口からは、脳を通さない言葉が零れ落ちる。
「なんで……」
木の板から文字は消え、言葉が浮かぶ様子は無い。桜子さんはただそっと、眉尻を下げて微笑んだ。
何故だろう。僕はそんな彼女を見るのが耐えられなかった。
「っ、何で! どうしてそんなことを言うんだよっ!」
理不尽なのは解ってる。馬鹿なことを言っているのだってちゃんと解ってる。
「会いたいんだろ!? ずっと待ってたんだろ!?」
目の奥が熱い。喉の奥が焼けているように思える。僕は一体、何を言っているんだろう。
そう思うものの、溢れ出る言葉は止まらない。浮かび上がる端から言葉を口にして、僕は叫ぶように言い続けた。
だけどそんなこの口も、たったの一言で容易く止まる。
『桜の花が散ってしまえば、私は動けなくなるでしょう』
儚く見えた彼女の姿は、何処か遠い場所へ居るような錯覚を覚えさせた。
『ですから、私をもう一度埋めてください。また春になって、誰かが見つけてくれるまで私は待ちます』
やめてくれ。そんな風に笑わないでくれ。僕の無力さを突きつけないでくれ。
食いしばった歯が悲鳴を上げた。僕はそれに構うことも無く、言葉を紡げない口をぐっと閉じる。
何も出来ない自分が悔しい。
彼女の助けになれない自分がもどかしい。
だけど僕にはもう、何も出来なかった。
ピコンッ。
重苦しい沈黙の中、突然軽い音が響いた。なんてことは無い、この音はツブヤイッターからの通知だろう。きっと誰かが、僕に声でもかけたんだ。
動けずに立ち尽くす僕は、それを意識の外へと追いやった。ツイ廃の僕がツブヤイッターを放置するなんて、苦い笑いが込み上げてくる。
ピコンッ、ピコンッ。
……何だろう、さっきからスマフォが鳴り続けている。誰かが暇で絡んできているのだろうか。
何度も、何度も音が響く。いつまで経っても止まない通知に苛立ちすら感じて、投げ捨てたスマフォを荒く手に取った。
「…………なん、で」
開いた画面に目を奪われる。零れた言葉はあの時と変わらないのに、そこに籠もった感情は全く違う。
困惑に侵されて桜子さんに目をやると、彼女は不思議そうに僕を見ていた。
『どうかしましたか?』
浮かぶ文字に、僕は言葉を返せない。今起きていることが現実かどうかの区別か付かず、もしかすると都合のいい夢を見ているのかもしれない。
だって……だってそうだろう。
僕のスマフォを揺らす通知は全部――【#拡散希望】をつけたあの呟きに対してなのだから。
拡散された通知が引っ切り無しに届く。それどころか、見ず知らずの人からのメッセージまで届いてくる。
【@Y:拡散しました!】
【@Y:見つかると良いですね】
【@Y:微力ながら助太刀しますっ】
十に満たなかった拡散数が二十、三十と増えていき、百を越えた辺りからは通知の音が途絶えてしまった。音が途絶えただけで、拡散は依然続いている。
自分の頬を抓ってみると痛みが走った。
つまりこれは夢じゃない――紛うことなき現実だ。
「さっ、桜子さん!」
直接の手がかりが見つかったわけじゃない。だけど、これで僕はまだ諦めないで済む。
その事実が嬉しくて画面を桜子さんに見せた。
だけど状況を掴めないのか彼女は首を傾げ、興奮を隠せない僕はまくし立てるように言った。
「桜子さんのことが一気に拡散されて……うわっ、もう四百を超えたぞ!」
彼女の瞳が、ゆっくりと開かれていく。
「まだ解らないけど……でも、帝さんが見つかる可能性はまだ残ってる!」
心臓が痛いくらいに速く打つ。これほど高揚を感じたのはいつ以来だろう。
「だからもう少し……もう少しだけで良いんだ! 君が諦めないでくれ……っ!」
零れ落ちそうなほど見開かれた桜子さんの瞳から、大粒の雫が零れ落ちた。
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僕らは今、あの桜の木の下に来ている。そのほとんどを散らせてしまった桜の花は、闇夜の中で月の光を独占した。
そんな場所で、僕らに相対する人間が居る。
「君が結城勇気くん、だね」
「わざわざありがとうございます」
彼の名前は清水清志。僕が拡散した呟きを読んで、ダイレクトメッセージを送ってくれた青年だ。
大学生だという彼がどうしてここに居るのか。その答えは、清水さんが持ってきた品にある。
「御門台帝は俺の曾祖伯父――曾祖母のお兄さんに当たる人なんだ」
穏やかにそう言って、内ポケットから取り出したのは一枚の写真だ。モノクロで印刷された紙は古く、時代を感じさせる。
「この人が御門台帝。どう? 合っているかな?」
僕は横目で桜子さんに確認する。彼女はしきりに頷いて写真と清水さんを交互に見つめた。
彼女に代わって返事をすれば、清水さんは安心したように息を吐く。
「良かった。曾祖母に聞いた話がこんな風に役に立つなんて」
人好きのする笑みを浮かべる彼から連絡があったのは、つい一時間ほど前のこと。
邂逅の瞬間はたったの一文――
【桜子さんの苗字は、櫻小路さんですか?】
――息を呑んだ。目を見張った。スマフォを握る手に力が籠もった。
僕は直ぐに返事をして、清水さんが近隣に住んでいることを知るが早いが、急かすように約束を取り付けた。
そんな僕に呆れるでもなく、彼はこうして来てくれた。それだけで、僕は泣きそうなほど嬉しかった。
「帝には、生涯をとして想った相手が居たらしい。だから結婚もせず、死ぬまでその相手に愛を誓った……そう聞いてるよ」
静かに紡がれる言葉は、桜子さんを釘付けにする。
「何でも、想い人は帝との約束を境に行方が解らなくなったらしくてね。待ち合わせ場所は丁度この桜の木の下で、帝さんは急に向かえなくなってしまった」
彼女はハッとするように息を呑んで。
「よりにも寄って、その日は嵐が来てしまった。連絡手段が乏しかった当時の帝に伝えるすべは無い。だけど酷い天気だ。想い人は帰ったものだと考えていた」
彼女は辛そうに顔を歪め。
「だけど、結果的には違ったらしい。彼女はここへ向かったまま帰ってこず、土砂の中からも見つけ出せなかった」
彼女は苦しそうに俯いた。
「それで、帝さんは……」
聞きたくない。だけど、聞かなければならない。口の利けない桜子さんに代わって。
「俺が生まれる前にはもう、ね」
残念そうに目を逸らした彼は、表情を変えて続ける。
「だから今頃はきっと、天国で会えてるんじゃないかな」
屈託なく笑う清水さんの言葉に同意するかのように、一陣の風が吹き抜けた。
草木がなびき、木の枝が音を立て、桜の花びらがふわりと舞う。
ハッとして振り返れば、桜子さんはまだそこに居た。
だけど、常とは決して違う。最初に目を開いたあの時のように、彼女の身体が光に包まれていた。
淡く光る身体が、彼女の存在を薄めていく。
僕は清水さんが居ることも忘れて桜子さんに近寄ると、先手を打つように木の板を向けられた。
『ありがとうございます、ゆうき様』
彼女の表情は穏やかだった。悲しげで、だけど嬉しそうでもあって。僕は何だが胸が締め付けられる。
『ゆうき様のおかげで、私はやっと向かえます』
何処へとは言わず、光が花弁のように解れていく。
『きよし様にも心からの謝辞を。貴方様は帝様に良く似ております』
散るように薄れていく彼女に向けて僕は叫んだ。
「絶対……絶対に見つけ出してくれよ!」
ずっと会いたかったあの人を。ずっと待っていたあの人を。
『あなた様に会えて、本当に良かった』
その言葉を最期に、桜子さんはこの世界から姿を消した。
###
桜子さんが消えて、桜の木の下には僕と清水さんの二人だけとなった。不審な僕の行動を咎めるでもなく、桜の木を見上げた彼につられて僕も見る。
そこに在るのは、ほとんどを散らせた桜の花が咲いているはずなのに。二人揃って、感嘆の息が零れ落ちた。
「綺麗ですね、この桜」
「夢でも見ている気分だ」
枝全体を覆うように、桜の花が咲き誇っていた。淡いピンク色の花弁は、月の光を存分に輝かせてそこに在る。
さっきまでの散りかけが嘘のように、桜の木は己を主張した。
「桜子さんが言ってました。清水さんと帝さんが似てるって」
ふと、彼女の言葉を口にした。彼にとっては意味の解らない言葉だろう。だけど、伝えてほしいと頼まれたから。
「ありがとうございます」
桜子さんから。そして僕からも、心から湧き出る感謝の念。
それでも清水さんは、人の良い笑みを浮かべてくれた。
からんっ。
時間ももう遅い。感傷に浸ってないで帰ろうとした瞬間、足元にある木の板の上に何かが転がってきた。
拾い上げてみるとそれは桜の簪で、桜子さんがつけていた物に間違いない。
さしずめお礼の品――置き土産と言ったところだろう。
「……ふはっ」
込み上げてくる未知の感情を振り切って、僕は笑った。
桜の簪を胸ポケットに仕舞い込み、代わりにスマフォを取り出した。
いつものように青い鳥を呼び出して、いつものように指を動かす。
【Y:桜の木の下には、『死体』が埋まっている】
自分の心の中にしかないルビが可笑しくて、僕は声を上げて笑う。
頬を伝う熱い雫が、夢から覚めたのだと言うことを教えてくれた。
Fin.