潜伏者 (2)
それからすぐ、エメラちゃんと合流したあたしたちは、楽しかったマーケットを後にし、ゲートへと向かった。本当、ここに来たときの緊張は何処へ行ったのか、この名残惜しさは一体なんなのだろう。
時間にして、半日ちょっとくらいになるのだろうか。
たったそれだけの滞在期間でトラウマとも言うべき前回の訪問のいざこざがウソのように上書きされたかのよう。
ここは『エデン』ではない、別の場所なんだ。あたしのちっぽけな脳みそはそう誤認している、あるいはそう思い込みたがっているのかもしれない。
「皆様、お待ちしておりました」
「待っていたであります! エメラ、そっちの護衛は大丈夫だったでありますか?」
待ち合わせ場所に立っていたのはプニーとジェダちゃんを含む護衛たちだった。開口一番にこちらの心配を伺う辺り、向こうの方は何事もなかったようだ。
「そりゃあもちろん! 完璧だったに決まってるッス!」
誇らしげにエメラちゃんが答える。
「キャナたちの方はまだ来ていないのか?」
「ええ。先ほど聞いた限りではもうすぐ近くまで来ているとのことでしたが……」
この街の雑踏に紛れ込んでいないか、ちょっと見回してみると、割とすぐに見つかった。ほんの数十メートルくらい先だろうか、丁度いいタイミングでこちらに向かっているお姉様たちの姿があった。
相変わらずの地に足がついているんだかいないんだか分からないふわふわウォークと、いつものふわふわ笑顔でのご登場だ。そしてその後ろにはやはりあたしたちやプニーたちと同じく護衛の方々がついてきていた。
ただ、不思議なことに、お姉様の直ぐそばにぴったりとくっついていたネフラちゃんの様子がちょっとおかしかった。なんとも複雑そうな顔をしている。あれではまるで怯えているかのよう。
「やぁ、みんなおまたせぇ。ちょっと遅れてもうたかな」
ふわふわ笑顔で答える。
「お疲れさまッス。ネフラ、そっちは大丈夫だったんスか?」
「えっ、あ、あの、その……」
「別に問題なかったよな、ネフネフ?」
「はひっ!? そ、その通りでござる。誠その通り。姉御の言う通り、こちらは異常なしでござる」
お姉様はいつも通りの笑顔だし、何ともないように見えたのだが、ネフラのこのビビりようが不自然きわまりない。
そっとゴーグルごしに覗いてみる。
すると、お姉様の感情がそれはそれはよく見えた。これは怒りの感情だろうか。かなりの高い数値だ。
一見するとゴーグルが故障してしまっているみたいに思える。
何せ、お姉様の表情からは怒っている様子なんて見てとれない。怒りの気迫のようなものでさえ、微塵も感じられない。
もし、ゴーグルがなかったら分からなかったことだろう。
いつもいつも何を考えているのかよく分からないお姉様の心すらこうやって筒抜けになって見えてしまうのか。
やっぱりこのゴーグルは使わない方がいいような気がしてきた。
「ナモナモ~、なんやめっさかわいいやぁん」
「はひゃぁん!?」
ふわふわとお姉様がこちらに向かって飛び込んでくる。とともに、まだ何も触れていない身体のあちこちが一斉に刺激されるような感覚に襲われる。
「どないしたんこれ?」
「マーケットに寄ったついでに、ちょっと……ぁひぃん!?」
問答無用に、執拗な連続攻撃に責め立てられる。
「ネフラ、本当に何もなかったんスか?」
「な、何もなかったでござる。ほっ、本当でござるよ」
お姉様に比べるとネフラちゃんの感情豊かなこと。それではまるで何がありましたといっているようなものじゃないか。
「ネフネフゥ?」
「ひぃっ!」
お姉様のふわふわ笑顔で圧迫する。まるでヘビに睨まれたカエルのように、ネフラちゃんが硬直する。下手したら失禁しているんじゃないかというくらいのビビりっぷりだ。ちょっと会わないうちに何があったんだこの二人。
「キャナ、本当に何もなかったのか?」
さすがのゼクも、ネフラちゃんの異様な状態を察したっぽい。
お姉様のことはともかくとして、ネフラちゃんのこの様子を見れば、あたしでもゴーグル無しで何かがあったって分かる。
「んにゅ……、ぁー……ちょっとなぁー……、話が通じなかったっちゅうかぁ……」
もごもごと要領を得ない感じだ。あまり期待した結果にはならなかったという感じだろうか。
「姉御は悪くないでござる。姉御は必死に頑張ったのでござる。んひっ!?」
「ネフネフ、ちょっと……」
あ、今、ゴーグルなしでも気迫がちょっと漏れてるのが分かった気がする。
心配になったのか、エメラちゃんが端末で何かにアクセスを掛ける。タブレットが表示され、そこでの経過のようなものを閲覧していた。
「ぁー……、ゾイサ博士と対談したんスか。人間嫌い側の筆頭じゃないッスか」
「本当は出席する予定ではなかったのでござる。急遽、乱入するような形でゾイサ博士も参加することになって……」
何が起きたのかは想像できないが、とんでもない化学反応が起こったらしい。
そういえば、ネフラちゃんもだが、他の護衛の人たちも妙にくたびれているようなそんな感じがする。
まるで台風に直撃でもしたんじゃないかってくらいの疲弊感がヒシヒシと。
よほどのことがあったんじゃないのかな、これは。
「姉御は何も悪くないのでござる。拙者たちももう少しフォローできれば……」
「ふふん、ネフネフたちも別に悪くないんよ」
「あひっ!?」
電流でも走ったのか、というくらいの過剰な反応。
いや、本当にコレ、何があったんだ。
ともあれ、笑顔の絶えない和やかな対談ではなかったことだけは確かだ。あのお姉様のポーカーフェイスが崩れるような、ちょっとヤバい出来事があったんだ。
ネフラちゃんを含む、護衛のみんながお姉様に怯えている辺り、現場では相当な台風が吹き荒れていたのかもしれない。
多分、触れない方がいい類いだと思う。
「……どうやらそっちの方は良好じゃなかったみたいだな」
「ごめんなぁ……うちももうちょっと役に立ちたかったんやけど……」
精一杯のふわふわ苦笑い。
端から見たら「失敗しちゃった、てへぺろ」みたいなもんだ。
だけど、その取り繕った笑顔の裏には物凄いものが蓋をされているんだろうなと思うと、あたしはそれ以上、踏み込める気がしなかった。