居場所
あまりにも、懐かしい夢を見たような気がした。目覚めは少し悪い。
この『ノア』で目覚めてもうどれだけ経っただろうか。生活に不自由は感じていない。むしろ、不自由を感じないことに違和感を抱くくらいだ。
かつての俺、兵器としての俺、奴隷としての俺がどんな生活をしてきたか。あれもあれで自由がなかったといえばウソにはなるが、今とは格別な違いがある。
ジニアの愉快そうな笑みに起こされることもないし、ズーカイの蘊蓄話を延々と聞かされることもなければ、ザンカの生真面目な相談を受ける必要もない。
今置かれた状況をあいつらが知ったら、どう思うだろうか。
ジニアは相変わらず笑っているだろう。ズーカイは羨ましいと嫉妬して不機嫌になるか。ザンカならきっと小うるさい説教ばっかだな。
ああ、あいつらはもういない。何十億年も前に置いてきてしまった。
今の俺は今のことを考えなければならない。そもそも感傷に浸るようなガラでもないしな。
ウィンドウを開くと、その先には漆黒の闇をバックに、眩いほどの銀河の煌めきが室内に入り込んでくる。
この光景を目にするときは、かつてなら命を賭した覚悟を決めるときくらいのものだったが、今、この美しさを前に憂うものはあのときとは全く違うものだ。
正直なところ、一蓮托生という意味では変わるところはないのだが、自分の命を消耗品のように扱っていたあのときに比べたら、なんて大きなものだろう。
途方もなく気の長い話ではあるが、遠い未来を見据えることのできる今があることにある種感謝のようなものを感じている。
ガラでもないのだが満更でもない。
二十億年前の俺には、今の俺はどう映って見えるだろうか。羨望に思うだろうか。それとも侮蔑を感じるだろうか。
あんな兵器として奴隷として生きていた頃でも、俺には俺の居場所があった。仲間と共に戦う日々に身を置いてきて、それが誰かによって定められた規定事項だと分かっていても、確かな居場所をそこに感じていた。
ネクロダストから目覚めたとき、何十億という年月が俺の居場所を引き裂くような苦痛を感じていた。
不思議なものだ。
今では、この居場所がいとおしい。そう思えている。
ここが俺の居場所なんだ。
※ ※ ※
無機質な短い電子音が聞こえた。誰か来客らしい。
宙を仰ぐように手を振り、端末を操作してモニターを出力すると、そこには部屋の前に立つナモミの姿があった。
活動時間にしては早い。まだ就寝していてもおかしくはない時間帯だ。どうしたってこんな時間に訪れたのだろう。
考えるよりも本人に聞いた方が早い。玄関へと足を進める。扉のロックを解除すれば、そっぽ向いていたナモミがこちらに向き直る。
「寝てたかな。ごめんね」
しんなりとした様子で、顔を覗かせてきた。何か思い詰めていることは容易にうかがい知れる顔だ。
「別に。起きていたよ。それよりこんな時間にどうした?」
簡単な質問に間が空く。ナモミの視線が右から左、往復した辺りで深い呼吸音。
「まあ用があるなら入れよ」
言葉を呑み込ませる前に、部屋へと招く。やはり言葉を何処か喉奥に詰まらせていたのか、俯くように静かに首を傾け、ナモミは部屋に入ってきた。
俺の部屋はあまりカスタマイズができていない。人を招き入れるような予定も考えていなかったし、それに何よりレイアウトを考えるのも煩わしい。
よく眠れそうな寝具と、先ほどうとうと寝入っていた簡易なソファ。内側に位置する部屋だが、宇宙を眺められるウィンドウ。
あとは俺が昔飲んでいたものと同じボトル飲料の冷蔵されたボックスくらいのものだろうか。奇跡的にもデータがあったらしく味も上手く再現されていた。
こんな部屋に訪れたのはナモミくらいだ。そして今日で二回目になる。
前の時は、そう。メモリアルフィルムを観ていたときだった。
「ドリンク、いるか?」
ボトルを一本、差し出す。
「……うん」
そっとナモミが受け取る。少しクセの強い代物だが飲めないこともないだろう。
「で、どうしたんだ?」
ボトルに手をかけ、飲むか飲むまいかのところで訊ねる。タイミングを間違えてしまったか、そのまま凍結してしまったかのようにまた少しの間が空く。
「……、……ゼクには一杯感謝してるの。ここでのこともそう。『エデン』でのこともそう。一言で全部言い切れないくらい、本当に沢山。だから上手く言葉にできないんだけどさ」
少しずつ、少しずつ、紡いでいくように言葉を繋げていく。
「ほ、ほら、あたしって何の役にも立ってないじゃん? 口だけだし、知恵とか知識とかゼンゼン。……だから、だからさ。えーと、つまり……ああ、もう! 頭ン中ぐちゃぐちゃだよっ」
などといいながら、頭をぐしゃぐしゃに掻き回す。
「ま、まあ落ち着けよ。別に俺はナモミが役に立っていないなんて思ってないしな。ナモミにはナモミにしかできないことだってあるだろ」
「ぅー……、ぅー……」
まだ上手いこと整理がついていない様子だ。
ナモミはボトルに口を付け、くぴくぴと一息。
「今日は返事を聞きに来たの……」
顔を伏せて小さく呟く。
返事。その言葉には心当たりがある。それはナモミが最初にこの部屋に訪れたときの話のことだろう。あのときに言われた言葉に、まだ何も答えられていない。言葉だけでなら一言「ああ」とだけ言っただけに過ぎない。
「最初はさ、本っ当にワケ分からなくてさ、意味も分からず全部イヤーって感じだったよ。だって、何十億眠ってたなんていきなり言われても分からないもん。だからゼクのことも何だか分からなくて嫌いだった。すんごい嫌いだった」
「そ、そうか」
ストレートに嫌いだと言われるとそれはそれで辛いものだが。
「でもさ……、今はそうでもないの。心の中にぐちゃぐちゃしてたよく分からないもの、ゼクが少しずつ取り除いてくれたから。違うものでいっぱいになったの」
ナモミが、そっとこちらに身を寄せる。そして顔を上げる。ナモミの瞳が驚くほどキレイに見えた。思わず、懐まで来ていたナモミの体を両手で包んでしまう。
「……もう一度質問するからさ、今度は分かりやすい返事にしてよ」
俺の腕の中、頬も染まる潤んだ上目遣いで、掠れそうな言葉を紡ぐ。
「子供、つくろっか?」
すぅーっとナモミが目を閉じる。そして答えを待ち望むように吐息を飲む。
答えなどとうの前に決まっていたことだ。分かりやすい返事で答える。
ずいぶんとクセの強い、俺好みの口当たりだったことを、少しだけ後悔した。