ねぇ、子供あと何人ほしい?
「あぶぶぶぶぅ……っ」
涎を垂らした赤ん坊がそしらぬ顔で体を捩じらせる。
「おぉ、よちよち。いい子でちゅねぇ~」
ナモミは手元のタオルでそっと口を拭い、そっと前髪をなでるように手を添える。意外と赤ちゃん言葉が似合うもんだ。こうして見れば母性が高い。様になっている。
「だあー、ああー」
「待ちなさい。まだ食事を完了しておりません。しっかりと補給するのです」
その後ろで哺乳瓶を片手に、ハイハイで床を逃げ回る赤ん坊と鬼ごっこをしているのはプニカだ。一体あれは何をやっているのだろう。
「うふふふ……ええ子やんなぁ……よう寝とる」
そんな一悶着を我関せずといった様子で赤ん坊を抱っこして寝かしつけているキャナもどうだろう。まさに母親の姿というべきか。
三者三様、育児を堪能し、はたまた苦戦し、全うしているようだ。
まったくもって、よくできたシミュレーションだ。
近い将来、これらの全てがおそらくは現実のものとなるのだろうが、客観的に見ることができると実感が沸いてくるというもの。
「ゼク、何ボーっと突っ立ってんのよ。アンタも家事を練習しなさいよ」
「ああ、悪い」
そう。あいにくと、この赤ん坊たちは本物ではない。いずれは生まれてくるであろう子供たちの育児訓練を目的としたレプリカだ。
とはいっても本物のように行動をするし、不機嫌にでもなれば泣く、楽しくなれば笑う。人形遊びとはグレードが違う。
俺の時代でもそれはそれは精巧なアンドロイドでこのようなことをやっていたような記憶はあるのだが、技術の進歩には驚かされてばかりだ。
至極当然のことだが、子作りを目的とするならば育児はつきもの。
そんな経緯もあり、必修すべき講習だということで、俺たちはこの育児用施設のベビールームに召集されていた。
ファンシーな内装をしており、まるで夢の中みたいな部屋だ。生活において必要最低限のものしかないと思っていたが、存外なんでもあるものだ。
性教育のときも思ったが、司令塔マザーノアもなかなか力が入っている。ここまで設備が整っていれば、育児という意識を高めるには十分すぎるくらいだろう。
一方で俺はというと、育児のカリキュラムではなく家事の方を受講しているところだ。何せ母親が三人もいる。その身の回りの世話だけでも仕事は山積みだ。
例えば炊事だ。料理プログラムのコード作成くらいなら多少なり経験も活かせるのだが、栄養バランス情報の索引の面倒さも然ることながら、端末アクセス権をあまり持たない身分としてはアナログ式に頼らざるを得ないところも多く難儀だ。
ナモミからしてみれば、料理一つにしても自分の腕で一から作るものだというが、炊事だけでそんなに手間を掛けてしまったら他の手は回らないんじゃないか?
炊事、洗濯、掃除、その他諸々を自分の手足だけで全部こなすだなんて狂気の沙汰だ。子供の世話だけは人の手でやるべきだ、という強い意向があったからこそ、このようにしてカリキュラムを進めているわけだ。
しかし、本当にかつての人類はここまで多忙な労働を、仕事の片手間にやっていたというのだろうか。
ご飯をあげたり、トイレの世話をしたり、オムツ交換、はたまた会話相手になったり、遊んであげたり、寝かしつけたり。
俺の方は専らそれらの手伝いをしているだけなのだが、さながら戦場に身を投じている心境だ。
ベビールーム内のこの散らかりようが将来的にまた現実のものとなると考えると、これはなかなか精神的にくるものがある。しかし一番重要な育児を全て母親に丸投げしている身としてはどんな文句が言えようか。
「あっぶぅ……」
不意に、俺の足元に赤ん坊がしがみついてくる。
こいつはちゃんと俺が父親であるという認識をしているのだろうか。
「ゼクラ様、その子を捕まえてください。まだ食事も済んでいません」
まだ追いかけっこしていたのか、プニカ。
そっとプニカの赤ん坊を抱き上げる。シミュレーションがよく作られているのか、何処かプニカの面影のある顔つきのような気がする。この無愛想な感じなどまさによく似ている。
こうやって抱っこしてみると物静かで、おとなしいもんだ。赤ん坊の扱い方を学んだ覚えもないし、もう少し暴れるものかと思ったのだが。
高い高い、とちょっと持ち上げてみる。思えば、俺は赤ん坊を抱き上げたことがなかったな。アンドロイドの教習すら未経験だ。
「きゃはっ、あー、あ、あ」
父親の気分ってこういうものなのだろうか。尊い笑顔だ。
「申し訳ありません、ゼクラ様」
「だーっ!」
プニカに赤ん坊を引き渡そうとする。が、突然不機嫌そうに暴れだす。プニカの腕の中を嫌がるようにもがいては母親を蹴り飛ばす。
一体どういう抱き方をしているんだ。
不器用というのか、何というのか、よろしくない持ち方だったことは確かだ。
うっかり赤ん坊を床に落っことしそうになるものだから、ひやひやのあまり、再び俺の腕の中へと転がるように受け止めた。
「あぅー……」
こっちの方が心地よさそうだ。なかなかのご機嫌の様子。
逆にプニカが不機嫌そうな顔を浮かべる。どっちが赤ん坊だ。
三人の中では一番育児がダメなんじゃなかろうか。
「どうして私だけ……」
ナモミの方を見ても暴れる様子もなく、穏やかな表情を浮かべて母親の胸の中で眠っている。キャナの方も大体同じだ。この上なく落ち着けるといった健やかなふわふわ夢心地ですやすやしているところだ。
あの二人にあってプニカにないものを考えると、ふと視線が降りるところがあるが、まあそれはそれとして、大して世話らしい世話もできていないはずの俺にもこれこのようにして大人しくしている辺り、不器用さ加減の問題と考えるべきか。
「今までこのプログラムを利用したことはなかったのか?」
当然の疑問を放り投げてみる。
いつだったか子供を生んだことも育てたこともないと言っていたプニカだが、このコロニーでの生活は長いはずだ。経験だけで言えば云百年だろう。
「ありましたが、てっきりこういう苦労を経験するものなのかと」
ごにょごにょ口調で言う。泳いだ目線の先にはナモミとキャナが母親の顔をしている。何百年という時を越え、今ようやく自分の過ちに気付いたようだ。
さすがに赤ん坊の適切なあやし方については知識以上のものを持ち合わせていないらしい。まさかの経験値ゼロだ。
あの完璧な育児っぷりを目の当たりにしてしまうと敗北感もまた一段とえげつないことだろう。




