秉燭夜遊
何万光年もの先から降り注ぐ星々の瞬きが、明かりを落とした部屋をぼんやりと照らす。所詮は、ただのディスプレイ越しに観測されたものに過ぎない。
極めて近い位置にある恒星であれば、電灯なんかよりもずっと明るく、眩い。それは少しの間だけ滞在した惑星でも経験したことだ。
かつての人類は、ほんの一億四千九百六十キロ程度離れた位置にあった恒星を太陽と呼び、毎日のようにその光の下を暮らしていたらしい。
今、俺の目に映るこの光は、あまりにも淡く、ソレとは異なる。何せ、目の前にいるその顔も明瞭には照らしてはくれないのだから。
吐息が荒い。疲弊しているのだろうか。それとも、興奮しているだけなのか。口数は皆無と言っていいほど少なくなった。抵抗なんて、最初からない。
暗闇を払わない星々に苦言を投げたいところだ。とはいえ、あの光もとっくに過ぎ去ったもの。過去のものに過ぎない。何年か、あるいは何十年か前の光が降り注いでいるだけ。その先を観測しようとしても、そこにその星はもうない。
その星の存命を知りたくば、途方もなく高度な望遠技術を用いるよりも、宙の果てまで渡航していく方がずっと早く、そして効率的だ。
残照を眺め、見えもしない、そこにはもうあるかも分からない星々を恨めしく思うよりも、俺はこの夜を、ただただ長く、長く、費やしていくべきだろう。
熱を帯びた吐息。色を帯びた声。その震えは苦痛ではないのなら何なのか。
俺はそれを、愛おしく思っているつもりだ。儚い、そんな感情を抱いている。
俺は、俺の背に何を負っているんだ。あまりにも大きく、重いものがそこにあるように思えて、そいつに押されて目の前のものを全て壊してしまいそうで、俺は俺自身を制御できているのか、途轍もなく不安を覚える。
「そーいう顔、やめていうたやん……なぁ?」
キャナの手が俺の顔まで伸びる。正面合わせになるも、その表情はあまりよくは見えていない。キャナの方からでは俺は一体どんな顔に見えているのやら。
息も絶え絶え、とでもいえばいいのか、体力の消耗した荒い息づかいを整えるように、ふぅと長い溜め息をつく。
誰もいないはずの背後から何かに押される。不意を突かれて、そのままベッド、元よりキャナの上へ、余計にのし掛かる形になる。
キャナの腕が俺の肩の後ろへ。両足も胴をとらえるように絡んでくる。なんともはや無茶な体勢だ。強く、強く、身体が密着する。
こんな状態だというのに、やはり俺の中の心配ときたら、キャナの身体を押しつぶして壊してしまうんじゃないかということばかりだ。
触れたら割れるほどの酷く脆いものを前にしているかのようで、その気持ちに対してどうしようもなく罪悪感のようなものが沸いてくる。
「悪いな、キャナ」
一体俺は何に対して今、謝ったのだろう。
「ヤ」
小動物か何かの鳴き声みたいなものに続けて、キャナが唇を重ねてくる。まるで俺の言葉を取り消させるように。
「今だけはリリーって呼んで」
淡い暗がりの中、キャナの表情をこの間近で認識できた。潤んだ瞳、漏れる吐息、色々な気持ちに揺さぶられる儚そうなその感情が伝わる。
「それは、お前の本当の名前か?」
「ぶすい。こーいうときは黙ってきいたってや」
そしてまた唇を向こうから重ねてくる。
俺も散々知らないフリをしていたわけだが、どうやらコードを読み取る限り、キャナという名前は偽名らしかった。それ自体は以前から気には掛かっていた。
どうして隠すようなことをするのか、本人に聞く気にもなれなかった。わざわざそんな秘密を暴くことも酷く乱暴な気がしていたから。
とはいえ、幾分かの資料を漁っていたら見つかってしまったわけだが。
本当の名前は、リリー・カーソン。生物学の権威とも呼ばれていた経歴を持つ。研究していた主な分野は進化論。そんな果てしない過去から研究し尽くされて淘汰されてしまったような錆び付いた分野だ。
俺の時代で言ってしまえば、シングルナンバーよりも生物の進化に携わっているものはいなかったんじゃないのか。
何故何十億と経っているはずのこの現代で未だその進化の研究が掘り起こされているのか。これも勝手に調べさせてもらった。
多分、本人を前にしてそんなことを打ち明けたら寿命よりも早く殺されかねない。
何故進化論がまた掘り起こされたのか。それはキャナ自身が超能力者であるように、その答えは単純明快で、人類を人類のまま更なる進化を遂げさせる、何ともはや無謀とも聞こえるようなそんな目的があったようだ。
ある意味では、俺との境遇に似ていなくもない。
ただし、俺の場合は戦争のための量産型兵器としての品種改良という意味合いが強いが、キャナの場合は人類が機械民族へ対抗するための進化なのだとか。
しかし、俺の知る資料の中にはそれ以上の答えはない。
そもそも研究資料の大部分は例の件の影響によってか殆ど損壊しており、知り得ることのできた資料の大半はエメラたちによって補完されたものばかりだ。
そこから先の情報は、もはやその当事者であるキャナ本人しか知らないことになるのだろう。
キャナは……いや、リリーはずっと何を抱え込んできたんだ?
あのふわふわな笑顔はそんな後ろ暗い自分をかき消したかったからなのか?
人には言うくせに、自分も大層な事情を背負い込んでいるんじゃないか。
何もない、過去なんてなかったかのように、全て忘れてしまいたかったのか。コードなんて忘れたなんてウソもついて、自分の本当の名前すら隠して。
「なあ、リリー」
「なに?」
「俺は確かにアホな男だろう。それでもこれまで自分がしてきた、そんなアホなことを少しでも帳消しにしたくて、人類の未来というものを真剣に考えるようにしてきたつもりだ」
「……それで?」
「この宇宙に残せるものを残すことができたら、満足だと思ってしまっていた。だから自然と、この命に未練が剥がれて、冷たい仮面を被っていたのかもしれない」
もう自分がこの世を去っていくことを自覚してしまっていたから、こうは考えもしなかったんだ。
「お前のことを、もう少し知りたい。そう思っちゃいけないか?」




