ふてくされ
※別視点
「キャ、キャナの姉御。許諾書の手配ができたでござる」
「ようやったネフネフぅ。これでまた一歩前進やなぁ」
キャナは宙を寝そべりながら、ネフラの頭をさすさすと撫でる。そのついでと言わんばかりに、大きく広げた両腕でガバッと抱き締める。結構な体格の差はあるため、ネフラの頭部周辺は大きく覆われた。
呼吸気管は搭載されていないネフラのボディだったが、心なしか息苦しそうにもごもごとキャナの腕と胸の狭間でもがく。
「えっと、次は無酸素生命体と無機物生物のレポートでござったか?」
「せやなぁ。有機生命体及び哺乳類の項目の補足に入れておけばええやろなぁ」
ふわふわと寝ぼけたような口調をしつつ、口を開く度、呼吸をするように生物学にまつわる単語や成分と思わしき記号のようなソレが呪文のようにつらつらと漏れてくる。
周囲は、ある意味では散らかっている。
無数の情報が羅列されたディスプレイが部屋中を埋め尽くすかのように展開されており、はたから見たら何かのバリケードのようだ。
「ちょっとネフネフぅ、このレポート、ロック掛かっとるんやけど」
「あ、それは表示期間超過でござる。また申請しないと閲覧できないでござる」
「またか、煩わしい。こんなんばっかやな。そんな早く閉じることないやろ」
たまに素が出てるのか、ふわふわが抜ける瞬間もチラホラ。その度にテーブルに置かれた冷めたマグカップに波紋が起こる。
量からいって何度も飲まれて形跡はないものの、そのカップの周りに中身が散っている辺り、口をつけないまま大分放置されていたことがうかがい知れる。
「あ、キャ、キャナの姉御、鎮静スプレーを」
そういってネフラがボトルを差し出す。キャナは手も触れずソレを受けとると口元まで運び、ラッパ状に開いた口をあてがってシューっと噴射する。それと共に、カタカタと揺れようとしていたカップの震えが収まる。
「新しいのを淹れるでござる」
そういうとネフラは思い出したかのようにまだ大分残っているカップを手に取り、指先から中身を吸引。
いつの間にかモップのようにフサフサしていた手でキュッキュとカップを磨き上げ、モップだったような気がした手のノズルから温かな飲み物がカップへと注がれる。
そして、テーブルの上にこぼれた分を手のひらでなでるように掃除し、一瞬でピカピカになったテーブルへと湯気のたつカップが置かれる。
こんなやり取りももうかれこれどのくらい続いただろうか。
改めて紹介することもないと思われるが、部屋の中を宙に浮かんで資料と戯れている女の名前は自称キャナ。本名、リリー。超能力者である。
その傍ら、助手のように付き添い、あわてふためいている緑色の少女の名前はネフラ。名目上は彼女の保護、観察役を担っているロボット、つまりこの時代でいうところのマシーナリーである。
なんだってこの二人は、こんなにも慌ただしくも膨大な資料の海の中でひしめきあっているのか。
これも改めて言うまでもない話だが、現在キャナを含む人類、マシーナリーであるネフラを除いた人類は絶滅の危機に瀕している。
そのため、なんとか絶滅を食い止めるべく、人類の保護申請のための書類をまとめているところだった。何をするにも許可が下りないことには実行にまで及ばない。世知辛い世の中である。
今は暫定的に保護、観察役としてネフラを含む数体のマシーナリーが派遣されているが、それも無期限というわけにもいかず、面倒な処理が文字通り山のように積まれている。
粗方のものは通っているため、キャナの世代とその次の、もうひとつ次の世代くらいまでは保護が約束されているが、さらなる継続を望むとなると、申請の一つや二つではとても足りない。
百、千と投げても当たらないことさえもある。元より、絶滅危惧種の保護申請も駆け足で行われたようなもの。観察員が派遣された程度で制度も十分ではなかった。
何せ、人類の保護計画など現在、まともに機能した形になっていない条例だ。ルールさえもゼロから作っていくしかない。
それにしても、キャナの様子は気だるそうであり、ネフラの様子はおどおどとしている。
「ああもう面倒くさっ」
「ひぃっ!」
今度はテーブルごと震えてカップが宙を舞い、中身をそのまま床にぶちまける。
「ネフラぁ、はよせぇやぁ」
苛立った様子で前のめりになる。ふわふわを装う余裕もなさそうだ。傍目から見ても不機嫌さが溢れてくるように見えた。その証拠にテーブルも逆立ちして浮遊している。
あまり人前では見せない顔だ。おそらく他の生存している人類の誰も見たことのない顔だ。どうしてこうもピリピリしているのか。その理由はいくつかある。
まず大前提として、こんな煩わしい作業はキャナの好むものではないということが一つ。
元々キャナは生物学の博士。天才とも呼ばれた希代の才覚を持っている。故に、その才能を彼女を取り巻く環境に放っておかれることはなかった。
彼女の成した功績はそのまま彼女自身の苦痛の根源でもあった。自由なき研究を強要される日々。それを常日頃から疎ましく思っていた。人類のためという大義。それに縛られる耐えがたい苦痛に苛まれていた。
今もまた、人類の絶滅から逃れるためという大義のために彼女は動いている。責任という枷が今も彼女を縛り付けていた。
かつての彼女は人類をマシーナリーに対抗できる超能力者へと人為的な進化させることが研究目的だった。つまり、キャナにとってのマシーナリーとは切っても切れない忌むべき存在でもある。
マシーナリーと手を組んで人類を絶滅の危機から救おうなどとは、酷い因果もあったものだ。これもキャナがすこぶる機嫌が悪い理由の一つだろう。
何のために何をしているのか。考えれば考えるほどに自分というものが分からなくなってくる。
こんな作業も長丁場になっていて、なおのこと、疲労もあいまってイライラは最高潮にも達している。
ソレを傍らで見守るネフラも何を思っているのか。
人類を保護する立場として、本来はもっと手を差しのべるべきなのだが、どうにも萎縮してしまっている。
なんなら、こんなしち面倒くさい書類の作成など、ネフラが全部やってしまえばいいのだが、それも叶わない。