特別知的生物保護に関する特例法の施行とその議案 (2)
※別視点
護衛に囲まれたキャナ率いる一向は、ようやくしてそこへとたどり着いた。
その建造物は、一見すると巨大なマユのようだった。今にもその大きな円形のてっぺんが裂けて、中から度肝を抜くような蛾が羽化してくるんじゃないかというくらい。
それまで『エデン』を通過していった中で見てきたビル群から少々離れたこの場所に建つソレは、何とも異質な雰囲気を醸し出す。
これがデザインセンスによるものなのか、利便性や効率を考慮した設計なのかは設計士しか知るよしもないが、ともあれ、一行はその建物の中へと足を踏み入れていくのだった。
※ ※ ※
「なるほど、よくまとめられた研究資料だ。これほどの見解を持ち合わせていることに感服です。私は貴女をヒューマンという色眼鏡で見ていました。いやはや、なるほど。大変失礼いたしました、リリー博士」
すり鉢状の広い会議室の中、まるで水槽のようにいくつもの浮遊するお椀のような席に腰を下ろした男が言う。感銘を受けたようで、その表情は見た目通り、赤にも青にも点滅していた。
手元に表示した複数のディスプレイには、専門家あるいはその手のデータベースへのアクセス権限を持つ者でもなければ内容の理解には難航するであろう論文が、まるでプログラムコードのように羅列していた。
「ありがとうございます」
珍しく地に足を付けたキャナが手足を揃え、頭を垂れる。
「私もね、ヒューマンを見くびっていたわけではないのです。むしろ、同じ目の高さで接するべきだとも思っていました。しかし、貴女ほどの研究者がヒューマンであることに驚きを隠せません」
男はこの研究施設の施設長を務めている。生物学において『エデン』では右に出るものはいない、とまでされている。そのような説明を事前に受けていた。
「これを持ってこられてしまっては、我々としても、はいはい、と突き返すわけにも行くまい。環境保全を含め、今後将来、ヒューマンという種の繁栄を改めて考え直さないとなりませんね」
思いの外、男は大絶賛だ。高揚しているといってもいい。これはキャナにとっても好都合な流れではあった。この会議室内は静かにざわめき、称賛の言葉がそこかしこから洩れてくるようだった。
今、この宇宙において人類は絶滅の危機に瀕している。その問題を重く抱え込んでいるのは何も人類だけに限った話ではなかった。
少なくとも、ここ、生物研究所ではヒューマンを保護するにあたり、どのような法案の改正が必要となるのか手をこまねいていたところだった。そこで、キャナの提示する議案だ。船頭の迷う船に舵を取らせるには十分な内容だった。
「どうやら上手くまとまりそうでござるな、姉御」
キャナの傍らに立つネフラがホッと安堵する。つい今し方まで、どうなってしまうのかハラハラしていたところだった。
このまま話が可決に向かって進むのであればそれは大きな進捗だ。キャナを含む『ノア』に住む人類にとって好転となる。
「あ、ちょっと、今ここは会議中で――」
「いいからそこをどけ。貴様に何の権限がある」
ふと会議室の一画から光が漏れる。どうやら何者かが入室してきたらしい。それも何やら慌ただしい様相で、ざわめきに不穏な言葉が混ざる。それまでの注目は人類代表としていたキャナだったが、すぐさま注目は闖入者に奪われた。
「いかがなさいましたゾイサ博士。今日は出席の予定ではなかったと思いますが」
「いかが? いかがと言ったか? 私はこんな会議なぞ開く必要もないと言っておいたはずだ。だが、どうしたことだ。我が研究所に土足でヒューマン風情が立っているなどとは。これこそいかがなのではないか?」
それはもはや喧噪だった。玉水に汚泥が放り込まれたかのよう。
「ヒューマン愛好家としての道楽は結構だが、戯れ言も過ぎれば品格を問われる。このような乞食の言い分を鵜呑みにしようなどとはいかがなものか」
「まあまあ、ゾイサ博士。落ち着きなさい。この場の議長は私です。部外者である貴女の勝手な物言いを受け入れるわけには」
「ならば、申請しよう。今から私が議長だ。その権限は私にはある」
そう言い、手前の席を半ば奪うようにし、会議室の中央まで移動すると、その場の議長を示すであろうランプを点灯させた。強引という言葉でも足らないほどの強行だが、事はあまりにもあっという間だった。
周囲も、どういうわけか非難の声一つあげはしない。それもそのはず。その男は、ゾイサ博士は生物学の権威、『エデン』の枠には収まらない男だ。
立場だけでいえば施設長よりも上。『エデン』全土のあらゆる研究施設は彼の庭と変わらない。
「たった今、目を通させてもらった。荒唐無稽もいいところだ。やれ金よこせ、物よこせと横暴な乞食の催促ではないか」
「いえ、議長。これは正当な議案に基づいてですね」
「ヒューマン贔屓もここまでくると重症だ。一度オーバーホールを勧める。ここにいる出席者もだな」
反論の声は多くはない。しないのではなく、できないのが正しいか。
「正当とはいかなることか? 知的生物の保護法はいくらでもある。必要とあれば施設も開設すればよかろう。だが、これは違う。特例法に改訂を求める議案だ。それも、ヒューマンからの提示と来た。正当? 正当とは?」
「議長、貴方はこの議案に不服と申されるのですか? 貴方は今も絶滅危惧種の保護については第一人者のはずでしょう。ベテルギウスウナギの養殖法と施設移転にも可決いただいたばかりではないですか」
「勝手に論点をすり替えるな。これは必要ではないと言っているのだ。品格を重んじろ。ヒューマンの言うままになどとは愚の骨頂」
「あのな? さっきから黙ってれば人を置きもんみたいに――」
「せいぜい飼育してやろうとわざわざこちら側が譲歩してることも分からんのか? 知能指数の低い下等生物め」
「はぁっ――!?」
この数秒後、この会議室の中を、椅子やテーブルが台風のように飛び交うことになり、あえなくして会議は中断。ただ、中断が決行されるまでの小一時間、人類とマシーナリーの二人による激しい討論が続いたという。
後に、この会議室に出席していた満身創痍の傍聴人は語る。
「あの二人を二度と会わせてはいけない」
と。