4.苦悩と決断
2、30分がたったであろうか?努は、ここに来ることだけに一生懸命になっていたために時計や携帯電話を家から持ち出してくるのを忘れてきていた。そして、部屋の中に時計はなかったのであった。
部屋の壁をじっと見つめているのに飽きてきた頃、老人が少し膨らんだ普通の封筒を持って現れた。
「2、3、質問をさせてください」
「ええ、構いませんよ」
努はさらりと答えた。
「お歳は?」
「27」
努は数字だけ答えた。
「職業は?」
と聞かれて、努は一瞬困った顔になった。ここで、本当のことを言う、つまり無職だと。そう答えるとどうなのか?この話が噂になって・・・というのは考えすぎであろうが、あまりいい印象をもたれないに違いない。ましてや、今となってはお化け屋敷と化しているが、昔はかなり立派だったらしいお屋敷に住んでいる老人に対して、無職ですなどと答えられるはずもない。そんな思考が努の頭の中を駆け巡った。
よくある話であるが、努の中で天使と悪魔が戦っていた。
努は、無職ではあるが、母親思いであり、決して罪に手を染めたりするわけではなかった。大学中退だって、大学が面倒になったとか、勉強が嫌になったとかではなかった。ただ、その理由を努は誰にも話そうとはしなかった。数少ない友達、家族にすら・・・。
「ちょっと訳あって今は・・・」
「無職ですか?」
今ごろではあったが、努は老人に敬語(丁寧語)で話をされていることに違和感を覚え始めた。
「単刀直入に言うと・・・」
「そうですか・・・」
老人は少しがっかりしたような様子で、下を向いた。しかし、その顔には何か決心したような、そんな感じであった。
そして、老人は、手元に持っていた封筒をそっと努に差し出し、しっかりとした口調で語り始めた。
「これをどうぞ」
努は受け取った瞬間、ずしりと重みを感じた。
「少ないですが、その中に50万入っています」
努は、その言葉を聞いて封筒から手を離した。当然のことながら50万の札束を含んだ封筒は重力により、床に向かって行った。そして、どさっという音と供に封筒から福沢諭吉が顔を覗かせた。
努は、メデューサの亡霊に直面したかのように石になった。冷たく、ピクリとも動かない様子で・・・。
老人は、その封筒を拾おうとはしなかったが、しばらくの無音の時間の後、口を開いた。その声はどこか震えていた。
「今回、あなたが目にしたこと、体験したこと、それをすべて忘れていただけませんか?」
「ど、ど、どういうことです?」
「これ以上はあなたにお話できません」
努は、普通ならこの50万の口止め料をもらってこのことを地下層処分にしただろう。しかし、努にはわかっていた。あのランプの有効利用法が。
「それは自分が無職だからと言うことですか?」
「そのことで気分を害されたのなら申し訳ありません。しかし・・・」
老人は言葉を詰まらせた。
目の前の50枚のユキチ。どこかにあるランプ。それのどちらを取るのか、という選択を努は頭の中で行っていた。
さっきの悪魔と天使の戦いで、天使が勝ってしまったことを多少後悔した。なぜなら、あのときに無職と言わなければ、ランプに関する情報が得られたに違いなかったからであった。
老人はおもむろに立ち上がり、ユキチの封筒を拾い上げ、努の前のソファに座りなおした。そして、何か思いにふけるように天井を見上げ、ぼそぼそとつぶやき始めた。何かに悩んでいる様子はひしひしと伝わった。
「私はもう歳だ・・・。この人は隣の槍本さんの息子さん・・・。彼の父親は、会社員・・・。真面目そうだ・・・。」
果たしてこれは努を目の前にして言うべきことだったのか・・・。
「それでは私から提案があります」
「何です?」
「あ、その前に質問を一つ」
「はい」
「もし、私がここで帰ってくださいといえばあなたはどうしますか?正直にお答えください」
そんなことはランプ関連のことに決まっていた。今度は頭の中で計算を始めた。
(ここで、ランプについて調べる、ランプを探しに行くと言えばどうだろうか?老人はユキチの封筒をよこして、やめろというだろうか。
ランプのことをすっきり忘れて、そんな金ももらわずに帰ると言えばどうだろうか?はいそうですか、と帰してくれるだろうか。
しかし、それのどっちも求めていない。ランプのことが知りたいのだ)
「ランプを探しに行きます。おそらくはこの地球上のどこかにあるのでしょう?日本にあることだって考えられますし」
努は、別に後半部分は言う必要はなかったのではないかと後になって思った。
それを聞いた老人は、すっと立ち上がって、努の横辺りに座った。正座で。そして、そのまま頭を下げた。
努は正直、焦った。いや、誰でもこのシチュエーションに遭遇すると焦るであろうと考えることによって努は冷静さを保ち、老人に対して、やめるように言った。まだ何も言っていないにもかかわらず。
しかし、努の制止もむなしく、老人は今までの優しい声はどこに言ったのかと思うくらいおびえたような声で、そして、強くなにかを求めるような声、大きな声で話し始めた。
「どうか、ランプを見つけ出し、私のところまで持ってきてはいただけないでしょうか?ただとは申しません。それも今回のような金額で片付けようなんぞこれっぽちも考えておりません。老い先短い私でありますが、ここで最後の一生のお願いといやらを使わせていただけないでしょうか?」
努は急いで、老人の前に正座し、老人に頭を上げるように言った。
「それでは、このじじいの一生の願いを聞いてくださるのですか?」
「今度はこちらから2、3、質問をさせていただけますか?」
「問題ありません」
「ランプを見つけてここに持ってくるということはランプの場所を教えていただけると言うことですね?」
「それは、この話を受けていただいたときにお話します。もちろん、ランプについてのことも多少は・・・」
「そのランプを見つけてここに持ってくるまでに自分はそのランプを何度か使って願いを叶えてもいいのですか?」
「それはやめてください。その代わりとして100万、いや、200万差し上げます。それでも少ないならばもっと・・・。どうせじじいに使い道はありませんから」
「あなたはそのランプを使ってどうなさるおつもりです?」
「それもこの話をお受けいただいてからです」
「しばらく考えさせてください」
「わかりました。それではコーヒーを持ってきましょう」
そう言って老人は立ち上がり、努にソファを勧めた。努は一礼し、ソファに腰掛けた。
(ランプのことについて知るためにはじいさんとこの契約をしなければならない。しかし、その契約をすることによって俺はランプに願いを唱えることが出来ない。ランプのことを知らなければランプがどこにあるかなどわからない。散歩コースにうまく落ちているとも限らないわけであるし・・・)
老人は、コーヒーを持って現れた。女性は遠くから「持っていくのに・・・」と言っているが、老人は「悪いが席を外しておいて欲しいんだ」と申し訳なさそうに言った。
ドアがきしんで老人が入ってきたところで、努はコーヒーがのったトレイを受け取り、テーブルの上に置いた。そして、老人がソファに座るのを待ってからソファに腰掛けた。
しばらく二人はコーヒーをのどに流すのに専念していた。努はもちろんのことであろうが、老人とて、そのコーヒーの味どころか、熱さもわからなかったであろう。
(このじいさんはこの歳になって人生最大の決断をしたのであろうか・・・。相当悩んでいる様子であったし・・・)
そして努は一大決心をした。
「わかりました。その話、条件付で受けましょう」
「条件というのは?」
老人が心配そうに尋ねた。
「その、報酬はいただけません」
「それじゃあ何が欲しいのですか?」
「なにも・・・。ですが、ランプを探すのに必要な費用はご支援願えますか?」
「もちろんですとも」
老人はうれしそうだった。一生の願いがかなった今、死んでもいいくらいだと思っているかのようにうれしそうだった。いや、ここで死んではランプを受け取れない・・・。
二人は安堵の表情でコーヒーの続きを飲んだ。そして、老人は孫娘にコーヒーポットにたっぷりコーヒーを入れてくるように頼んだ。




