2.光と煙
「ん?」
努は子どものように好奇心が旺盛なため、川の冷たい水に手を突っ込みそれを手に取ってみた。努は手の先が凍りつくかと思った。でも好奇心のほうが数億倍勝っていた。努は冷たい水から解放されたとき、その手にさっきの光るものを持っていた。その正体はランプだった。どこかのアラビアの物語に出てくるかもしれないランプだった。そのランプは以前はそこになかったに違いなかった。なぜならそこは努がよく覗き込む場所だったからだった。でも、努は「こんなところに誰がランプを捨てたんだ?」くらいにしか思わなかった。少し光っているのは気になっていたが、この夕暮れの光の関係だと納得し、再びそのランプを水の中に戻し、(正確に言えば投げ捨てて)再び散歩に戻り、あたりが暗くなったころに、空腹に襲われたので、家へと歩を進めた。
そのときだった。何か川のほうで大きく光るのが見え、そして煙がもくもくと立ちこめた。努はそれが気になった。そして、ふとあのランプのことを思い出した。だが、すぐに光も煙もなくなり、もとの静かな夜の始まりとなっていた。「何かの気のせいだ。ちょっとゲームをやりすぎたか・・・」と、いったんランプのことを忘れることにして、家へと向かった。
「あら、おかえり。晩御飯出来てるわよ。最近なんだか忙しいみたいだけど、休憩しながらがんばってね」
そういう風に母は努に励ましの言葉を送った。
「お兄ちゃん、なんかすごいね」
妹もそれに続いた。ニコニコとしていた。それでも努は動揺する様子もなければ、ちっとも悪びれる様子もなかった。心の中ではどう思っているのだろうか?
努は晩御飯をかきこんで2階の自分の部屋へと急いだ。なんのためか?それは、とにかく母や妹としゃべっているのが面倒だったからだった。それに、父親には会いたくなかったと言うこともあった。父親の仕事は普通のサラリーマンで、努のベンチャービジネスをいいようには思っていなかった。それには複雑な事情があった。父親は有名大学を卒業後、新しいことに挑戦している企業、いわゆるベンチャー企業に就職した。その当時のことは他に話そうとしなのでよくわからないが、入社に関しては相当の反対があったらしい。ただ、兄がすでにベンチャー企業を立ち上げていたことを理由に父は反対を押し切った。その兄も実は起業するときには反対を受けていたらしいのだが・・・。父が就職したベンチャー企業は急成長を遂げた。ありえないほど成長し、東証一部にも上場するくらいになった。だが、それは長くは続かなかった。その企業ができてから5年。そのとき父が就職してから2年のことだったのだが、脱税が発覚し株価が急落。その後、企業は窮地に追い込まれていった。自業自得と言えば自業自得なのだが・・・。父はその状況の中、立て直そうと努力したが、その努力も空しく、企業はつぶれた。父は路頭に迷った。幸い、まだ若かったため、他に就職口が見つかり、安定した給与を得た。以前よりはかなり少なかったが、安定していた。その安定が何よりも大切だと思った。そんな過去があるから努のベンチャービジネスが認められなかったのだった。あのときの辛さを努には味合わせたくないというせめてもの親心だったのだが、努にはそれが通じなかった。というより本当はベンチャービジネス以前の問題であったのだが・・・。そうかといって努はそれを改め、ちゃんとした仕事に就こうとはしなかった。それは何か理由があるのではと思うほどであった。
次の日、努はいったんは忘れたはずのランプのことがどうしても気になり、昨日のランプを見つけた場所へとやってきた。しかし、そこにあるのはきれいに流れる透明の冷たい水だけでランプはなかった。しかし、そのランプの落ちていたあたりに努のものではない足跡を見つけた。
「誰かが持っていったんだ」
努はそう思うことくらしかできず、その場を離れ家へと向かった。
この日の昼は特に何事もなく過ごした。
そして、その日の夕方のことであった。散歩コースをいつものものと変更して、近くの山のふもとを通るコースにした。ごくたまに、このコースでも散歩をしていたことからそこまでの非日常的ではなかったが、いつものコースが気に入っていたことを考えるとそこそこ非日常的なことであった。だが、それは努の気分が決めることであって、誰かがこのコースにしろと決めるわけではないから、日常的だの、非日常的だのといわれる筋合いはなかった。
散歩も折り返しの山のふもとに差し掛かったときだった。登山口のほうになぜだろうか、ふと目をやった。そこは、きれいに整備された木の階段があり、それを包み込むようにきれいに整った木、草花が生い茂っていて、登山者には、これから登山をするのかとすがすがしい気分にさせるような場所であった。努はその光景が久しぶりで、どこか懐かしい気がしたため、その木の階段の地面から数段上ったところに腰をおろし、静かに山の音を聞こうとした。そのとき、なにやら右のほうで光るものが見えた。努はもしやと思った。昨日のランプのことが脳裏を急激な速さで駆け巡ったのである。案の定、草を掻き分けて見つけたのはおそらく昨日、川で拾ったランプであった。努は2回も同じランプを見つけたことから、このランプと何らかの縁があるとしか思えなかった。そして、それを散歩の土産として自宅へ持ち帰ることとした。
自宅へ帰るといつものように母の暖かい言葉と晩御飯が待っていた。いつものように努は目の前の食事をさっと終えると、部屋に戻り土産のランプとじっくりとにらめっこすることにした。どこか古びていて、汚れていたり、傷がついていたりはするのだが、まばゆい光を放っていて、きれいであった。ランプはこすったり、磨いたりするとなにか起こるのが物語りの世界における常識である。努はそんなことはあるまいとは思いながらも、手元にあったハンカチで磨いてみた。すると不思議なことに昨日、川のそばで見たのと同じであろう煙が部屋中に立ちこめた。その煙の色は昨日は薄暗く灰色だと思っていたが、黄色みのかかった白の煙だった。
「なんだこれは。変なおもちゃを拾ってきたもんだ・・・」
煙が少しおさまると、机の上に現れたのは高さ40センチくらいの小さな生き物、小人とでもいうべき生き物だった。努は何の心構えもなかったので、開いた口がふさがらなかった。そしてお決まりのようにほっぺたをつねってみたりもした。痛かった。
「こんなことで夢かどうかがわかるものか・・・」
そして、気を取り直してこの小人を観察した。青のチョッキにだぶだぶの紺のズボン、長靴のような赤い靴を履いていて、頭には緑の三角帽子がちょこんと乗っかっていた。その小人は努に向かって一礼をしてお決まりの文句を言った。
「私めをお呼びでしょうか?」
なんと口を利いたのであった。
「何のいたずらだ?」
小人は少し困ったような顔をしながら答えた。
「いたずらなのはそちらではありませんか?用事もないのに・・・」
「俺はランプを磨いた、って言うのか?」
「ええ。そうです」
「じゃあ用事ってたとえばどんなものなんだ?」
努は気づいたときにはすでにその小人と会話を成立させていた。まず、いろいろな状況が飲み込めない混乱状態に陥っていたことは言うまでもないだろう。だが、人間、混乱状況に陥るとその状況に順応してしまうのであろう・・・。そして、しばらく間を置いて、小人は努の質問に答え始めた。
「あなた様は、このランプを磨きなさった。そして私めがここに参上しました。そしたらあなたはひとつお願い事をおっしゃれるのです」
「嘘だろう」
「私めは嘘は申しません。決して」
「それじゃあその お願い事 ってのはなんでもいいのか?」
「いくらか応えられないものはございますが、基本的にはなんでも構いません」
「何でもいいんだな?」
「ええ」
「本当に何でもいいんだな?」
「ええ」
「何でも、何でも、何でもいいんだな」
「ええ、かしこまりました」
なぜか小人は何度もしつこく尋ねる努の言葉を聞き、そう言い、消えた。そして、努はおそらく空になったであろうランプとただ、そこにいるだけであった。
「なんだやっぱり夢か」
小人が目の前から消えたのは夢から覚めたためであると考えていた。そして、そのランプを明日どこに捨てておこうかと考えをめぐらせていたとき、さっきの煙が少しだけ立ち込めてさっきの小人が現れた。
「お待たせいたしました」
そう言って、再び煙が部屋いっぱいに立ち込め、ランプへとその煙が吸い寄せられていった。全部の煙がランプに吸い寄せられたかと思うと、そのランプは一筋の光と化して少しだけ開けていた窓の隙間から飛び出していった。努はその光を追いかけるかのように窓から身を乗り出したが、その光は西の方角へと消えていった。そのときに、夜であたりは暗かったのであるが、すぐ家の下に誰かいるのがわかった。だが、それほど不思議なことではないのでそれは無視して、さっき起きたことを頭の中で整理しようとしていた。そして、部屋のほうに向き直ると机の上に皿に乗った白い塊があった。