14.最後の願いと手紙
目が覚めると天井が見えた。ゆっくりとあたりを見渡すとそこは病院のようであった。腕には管が通され、普通に身動きが取れないような状態であった。
(俺は、あのあと・・・)
記憶がなかった。気絶する寸前の記憶が失われることは前回にもあったので、そのうちわかるだろうというくらいの簡単な気持ちでそのまま瞼を下ろし、眠りに落ちた。
深く・・・
深く・・・
次に目が覚めたとき、母親がベッドのそばの椅子に座って、誰が持ってきたのかわからないが、花瓶の花を眺めて、時々手入れをするしぐさを見せていた。努は、声を掛けようと思った。だが、その言葉が出てこない。一番身近な人であるのに、このときばかりは一番遠い存在に感じていた。実際の空間的な距離は数メートルもないだろう。心の中にある、深い深い溝はメジャーなどでは計れない。
結局、声を掛けられなかった努は、母の姿をただただ眺めていることしか出来なかった。そのときに、いろいろと思い出したことがあった。大金を差し出したときに「そんなもの、いらない」と言った母。努のことをすべてわかって、見守ってくれた母。決していやな顔一つ見せず、努に接してくれた母。嘘だとわかっていながら、その嘘にだまされていた母。本当にバカな母。かけがえのない、たった一人の母。そして、努の勝手に振り回された家族。
努の目からは大粒の涙が枕に向かって流れていた。
一滴、そして一滴
少しずつではあるが、その落ちていく間隔は段短と短くなり、滝のようになったのではないかと思われるくらいになったとき、母が努のほうを向いた。その瞬間、努は慌てて顔をそらした。この顔を見られたくはなかった。後で考えるとこんなことはどうだっていいことだったのだが・・・。
「気がついたのね?よかったぁ」
努は横になったまま、母に背を向けていた。
「それにしても、倒れたって言うから何事かと思ったわよ。心配させないでよね」
努の涙は止まらなかった。誰かが蛇口を壊したようだった。早く元栓を閉じなければ・・・。
「熱中症ってね。でもね、お医者さんは本当にひどい状態だと死に至ることもあるとかって言ってたわ。がんばるのもいいけど、ほどほどにね。あんたはいつもがんばりすぎるんだから」
(思い出した)
21歳のときの7月。大学の体育の授業中にはしゃぎすぎて水分補給も忘れてサッカーをしていたとき、脱水症状と熱中症のために俺は倒れたのだった。担架で運ばれ、念のために病院へと搬送された。格好悪いったらなかったと急に恥ずかしくもなった。
現在の自分のおかれている状況を完全に理解し、今までのことに筋が通ったのはこの3日後であった。これくらいのロスタイムは大きな問題にはならないのだが、えらく時間がかかったものだと思った。これで、例の最終計画を実行できる。
〜おじいさんへ〜
私は、槍本 努と申します。突然のお手紙失礼します。
私は、未来の世界でランプの存在を知り、心をランプに、いえ、己の欲望によって支配されました。単刀直入に申しますと、おじいさんが、今、厳重に封印しているランプはこれから6年後くらいに地上に舞い戻ってしまいます。ぜひ、今一度ランプの状態を確認し、これ以降も、封印を守ってください。私に協力できることなどほとんどないでしょうが、もし、何かのお役に立てるようなことがありましたら、喜んで協力させていただきます。
それでは失礼いたします。
〜槍本 努〜
あまり手紙を書いたことなどなかったので、これで失礼がないのかどうかはよくわからなかったが、内容が伝わればそれでいいと思った。無理に変な言葉を並べて飾るよりはよっぽど自分らしくていいではないか。
手紙を隣の老人の家へ届けに行った時にふと思った。老人は自分のことを覚えているだろうか?もちろん隣人であるから、誰であるかは知っているはず。だが、あのランプの惨劇の記憶が残っているかどうか。不思議と自分の記憶は残っている。しかし、どうやら母親の記憶は残っていないようだったし、老人もきっとそうだろう。それでもいい。きっとこの手紙が何かの役に立つんだ。根拠のないそんな自信が体中から沸いて出ていた。
努は、あれから6年前に戻り、あの老人へランプの封印の手紙を出すという最終的な目的を達成した。いや、これですべてが終わりではない。この後、訪れる父親の失業。これで大学を辞めてしまったのが人生においての間違いだった。ここから軌道修正してやり直していく。これが達成できて、本当にこの6年のバックが意味を成すのである。
確かに、人生をやりなおす、過去のことをなかったことにする。こんなことが許されることだとは思わない。それでも、今の自分、その他、人間にとって必要なことだと思ったから、そして、実際に必要であったから努は6年前に戻った。
二度とこの世に魔のランプが現れることはなかった。




