第4話【ボクの友人、その2】
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【10月8日(金)】
さて、1週間がついに終わった。
いつもより早く感じたのは、きっと旅行のお陰だろう。
待ち遠しい、なんて思うこと、いつ振りなんだろうか。案外……うん、悪くない。
時刻は17時45分、壊れた腕時計は相変わらず30分ほどズレているけど、それでも僕は左手首に時計をつけている。時計本来の役割は担ってないけども、僕はこの時計に一種の依存してしまっている。
ほら、よくある『これは体の一部だ』ってやつ。まさにこの時計がそうだ。
だから、時間の確認は携帯を使っている。
「うん、これなら全然間に合う」
夏の時期とは違って既に薄暗い紺色の空に包まれているその片隅に、少し残るオレンジ色の夕陽が、広大な空のキャンバスに絶妙なグラデーションを描き、色付かせる。
そんな景色でさえ僕は目にも留まらず、一足先に職場を出て、早足で向かった先は洋服店だ。
恥ずかしながら、僕は出掛けるための服はあまり持っていない。平日は主にスーツだし、土日は家に籠もってるしで、あまり出掛けることがない。だからこうして買いに行っているのだが……。
「ここが……真人が言っていたお店か?」
六本木から少し離れた通りに、小洒落た綺麗なお店がいくつか並んでいる。その中にある『ZTQ』というお店が真人のお気に入りだという。
「お…おぉぉ……」
思わず言葉にならない声が漏れてしまう。
高級感溢れるガラス張りの建物に、全身スタイルの良いマネキンがポーズを決めて立っている。『お洒落』という言葉がとても似合うお店だ。
そんな僕を通りすがる人は不審な目で見ていた。そりゃあそうだ、走ってきて汗だくのスーツ姿の男が「お…おぉ」なんて声を漏らしていれば、今の世間では不審と思われてしまうだろう。
あぁ、事前に調べて行けば良かった……じゃなきゃこんな所行くことは無かったのに。
だけど……今更帰るっていうのもな…。
「あー……もう、入ってやるよ!」
ガラス張りで出来ている少し重たい扉を開くと、いらっしゃいませ、と同い年位の店員さんがレジから声を上げる。
僕はその店員から逃げるように、奥の棚まで早歩きで向かった。
きっと店員さんに話しかけられてオススメとかされたら、全部購入してしまうだろう。
店員さんから見えない所まで到着して呼吸を整える。
「さて、何を買おう……」
洋服に興味が無い僕は、当たり前に今時のトレンドの服とか知らない。雑誌だって見ないし、そういったテレビも見ていない。
「はぁ……真人も来れたら良かったのに」
真人に連絡したのだが、仕事でトラブルが発生したらしく、手が離せないという。せめてと言って、この洋服店を紹介してくれたのだが、店内も店員さんもキラキラして、僕にはハードルが高かった。
「もう、どうしよう」
隣にはスタイル、そして肉付きが良いマネキンが僕を貶すような態度でポーズを決めて立っている。
馬鹿にしやがって……マネキン風情が。
ジッとマネキンを眺めると、僕の脳に一線の光が走った。
……そうか!マネキンの服を一式買えばいいのか。
「そうと決まれば、さっさと服を探してレジへ!」
よしっ、とガッツポーズを決めて動き出そうとした所で、後ろから肩を二回ポンポンと叩かれた。
咄嗟のことで、警戒もせずに叩かれた方へ振り返ってみると、突然視界が暗くなる。
「うわっ」
「あははははは!」
僕の顔は何者かに服を被せられ、被せた犯人は楽しそうな笑い声を上げていた。
「なっ……誰だ!」
被せられた服を、掴んで剥がすと目の前に金色の髪の女性が立っていた。細かく言うと、金色でサラサラなロングヘアに、それがよく似合う少し幼い顔立ち。それだけでも、僕は一目見て犯人が誰だかすぐに分かった。
「さ、佐伯さん?」
「せーいかーい!そら君、何してるの?あ、服買いに来てるのか!あははは!」
この人は佐伯 香奈江。
高校生の同級生であり、三年間同じクラスだった。
高校の卒業式に金髪に染めてくるほど、明るくお茶目な女の子で、暗かった僕とは正反対だった。
「そら殿、お久し振りじゃありませんか」
「どうして武士風?」
「あらあら、そらちゃん!大きくなってぇ!」
「どうして近所の世話好きのおばさん風?」
「あははは、相変わらず早いツッコミだね!」
楽しそうに笑う佐伯さんは、僕の知っている佐伯さんだった。何も変わらない、あの頃のままだ。
高校の頃クラスが三年間同じな事もあって佐伯さんと縁が無かったわけでは無い。こうして、くだらない会話を何回かやり取りしたのを思い出す。
「なになに?服買うのに迷ってるの?………って、そら君……まさかマネキンの服を一式買おうとしてるのでは?」
「……だって、よく分からないだもん」
「マネキンの服はね、あくまで参考サンプルなの!マネキンの服を買えば確実!!という人が多くてね、似合う人もいれば似合わない人もいるわけで、同じ服を買っても、このマネキンと同じようになるとは限らないのだ!」
そう言い切った佐伯さんに、僕は開いた口が塞がらない。
そんな……じゃあ僕はどうやって服を選べば?こんなの、知識の無い人が美味しいジャガ芋を探し出すのと同じ難易度だよ。
そんな僕は遠い目をしてマネキン眺めていると、佐伯さんがフフフと不敵な笑みを浮かべていた。
「ふふふ、そら君。なんのために店員さんがいるんだね?ただレジをしているだけの人だと思わないでね!私が選んであげる!」
「え?……って、ちょっと!」
そう言った佐伯さんは、僕の手を引っ張って試着室へと入る。店内は閉店間際だからか、お客さんは僕だけ……そして店員さんも佐伯さん以外見ていない。
そんな二人っきりの店の、そのまた狭い空間で、密着し合う身体に僕のドキドキは止まらない。
「さ、ささ佐伯さん?」
僕と身長の近い佐伯さんは、僕の左耳のすぐ近くに顔を寄せる。「はぁ…」という息づかいが聞こえ、僕の呼吸は若干荒くなる。
すると、佐伯さんは僕のワイシャツを掴み、ズボンから出して、モゾモゾとお腹の所から胸に向かって手を入れてくる。
少し暖かく、赤ちゃん肌のような柔らかく小さな手が、僕の皮膚をなぞるようにして焦らしてくる。
佐伯さんは僕の耳に唇を近付けて、暖かい吐息を耳で感じながら、甘くて優しい声で呟く。
「覚悟してね、そらくん」
あぁ、だから僕はお洒落な店は苦手なんだ。