プラスチックサワーの味
芸能界にはこんな噂があってね、
プラスチックサワーの味
ヘイ、ガール。ワタシと一緒にお茶しない? 少し遠くで奇抜な頭の看板娘が声をかける。特定の誰かに向けたセリフではない。トリップ気味の白黒させた瞳にこの世の穢れが現れる。いたるところにある薄型テレビのディスプレイには病的に白い肌と派手な装飾を施した髪を売り物にした流行りのアイドルが歌って踊っていた。
ここは違法孕んだ裏通り。警察すら尻尾巻いて逃げるほど暗く汚い通り道。奇天烈なものを売る店の看板がずらずらと並び、発信機盗聴器スタンガンなんて怪しい電子機器も手に入る街。
絶賛指名手配中の俺はフードを深くかぶり、ヒトの波に乗る。ある意味サーファー。流れに任せて歩くのは得意中の得意だった。
「ちょっと君」
強い力で肩を掴まれる。反射的に舌打ちがこぼれる。こんな場所で呼び止められるのは以外だった。
「もしかして真木野ちゃん?」
俺の肩を掴んだ男を凝視する。へんてこりんな鉢巻とダサいハッピを着た汚らしい小太りのおっさんは、フード下を覗き込みつつ俺の顔をなめる様に見定める。時々、俺は知らない名前で呼び止められる。しかしいつも知らない苗字と女の名前で呼ばれる事がほとんどだった。今回も例外ではない。本日三度目だった。
「は? 知りませんけど」
振り払って足蹴りをひとつくれてやった。ゴミ捨て場で拾ったくたくたになった鞄を持ち直す。いい加減にしてくれ、と毒ついた。俺は誰と間違われているのだろうか。できるだけ早足で男から離れる。大分離れたところで建物の隙間で形成された道に逃げ込んだ。
薄暗くじめじめとした裏路地にぼんやり街灯が光る。そろそろ夕闇。目の痛くなるようなネオンがギラギラ光りだす時間の始まりだった。
「なんなんだよまったく」
最悪だった。そもそも事の発端はなんだったんだろう。目が覚めたら真っ白い部屋で手足には施錠されていた。怖くなって脱出を図ったのはよかったが、その後はずっと不幸続き。警察や変な連中に追いかけられるわ、知らないヒトからは呼び止められるわで、たまったもんじゃない。
「知りたいかい? ミズオチさん」
怪しい声色。あたりを見回すと、いつのまにか近くのゴミ編みカゴの上に、ゴシックロリータ服に身を包んだヒトが座っていた。陶器の人形みたいな白い肌に、ナイロンのようにサラサラとした茶色い髪と瞳。あまり高くない身長に洋服がぴったりお似合いで、大きなドール人形という印象を受ける。さっきのテレビ画面に映っていたアイドルとよく似た顔をしていた。
「なぜ俺の名前を知っている。俺を捕まえに来たのか?」
脊髄反射の勢いで声を上げる。確信はどこにもないが、こいつならこたえてくれる気がしていた。
「ご都合主義な物語にも筋道は大切な事よ?」
彼女はクスクスと笑いながら荒唐無稽なセリフを並べる。俺はそういうサガなのか、わけのわからない事を言われるのが何よりも腹立たしく感じた。
「思わず迎えにきちゃったよ。どうして箱から逃げちゃったの?」
箱? 少し悩んだが思い当たるのがあの白い部屋だろうと推定した。
「さぁね、手足縛られてたら誰だって本能的に逃げたくなるさ」
肩を竦めて笑ってやったが、彼女の目線が高いため見下される。非常に不愉快な構図だった。
「本能ってなによ、新しい私ったらおっかし事言うね」
「新しい、わたし?」
「あら、知らなかった?」
お互いぽかんとした表情で見合った。状況が呑み込めない俺に対して、彼女は少し納得気に、そっか、知らなかったから逃げ出しちゃったんだね。バグって恐ろしい。こうやってがん細胞ができるのね。なんて、彼女はまたひとりごちた。会話にならない様子に、この女は電波か統失を疑った。
「地下街アイドル発祥の真木野 愛理ちゃんは今じゃトップアイドル。街のテレビにも映ってたでしょう? 彼女はすごくすごく忙しいから、クローンを作っちゃったの」
「そんなバカな話あるわけねぇだろ。頭イカれてるんじゃねぇのか」
信じられない話は蹴散らす勢いで否定する。クローンなんてB級のSF小説でも使い古されたて、蓼食う連中も食べ飽きたとほざくだろう。
「じゃあ質問を変えるね」
緑色の網掛けフェンスから足を外し、彼女が纏う重そうなレースがぶわりと空気を含む。フェンスのカシャンという音と、彼女が飛び降りて着地した質量のある音が路地に反響する。
にやりと微笑んだ作り物のような笑顔に寒気がした。人ではないものが人のように振舞うとき、ある錯覚をする。不気味の谷と呼ばれる効果が彼女に起っていた。
あれ、まってどうして俺はそう思う。そんな知識、俺は知らない。
「ミズオチさん。あなたは誰?」
俺は、誰? 俺は、水落 壱。白い部屋のネームプレートにそう書いてあった。きっと俺の名前だろう。それがどうした。
「俺は、俺だ」
頭のおかしいヤツと一緒にいるとこっちまでやられそうになる。きっとそこらへんの店で脱法の葉っぱの煙を吸って頭がパーになってしまったんだろう。かわいそうに、こんな可愛い女もこうなってしまえば区分はメンヘラだろう。
「私は真木野 愛理。もちろん彼女の三番目のミラー肉体。個体名は水落 参だよ」
子供に諭すように言うから余計に腹が立った。だいたい証拠がない。馬鹿みたいな跳躍理論に付き合わされて、それを信じろという方が無理である。
「なにを根拠に、」
怒っていたせいであまり彼女の手元を見ていなかった。彼女の手にはごってごてのラインストーンを乗っけた四角い鏡の蓋が見えた。キラリと光を集めたその反射面には、彼女と瓜二つの顔。そして街頭のテレビ画面にも映っていたアイドルの顔が写っていたのだ。
「これでも信じられない?」
「嘘だろ」
鏡を締まった後、人差し指を立てて彼女は言葉を続ける。彼女が何か動作するたびにふりふりのレースが目障りだったけど、とにかく我慢した。
「整理するよ。あなたの本能に逃げたいという気持ちがありました。同時に、私も逃げたいという気持ちがあります。」
思い返せばなぜ逃げたいと思っていたのかわからなかった。本能だったし、なにより捕まったらまずいとおもった。その間はずっと手じかにあった服で顔を隠し、街から街へ路地から路地へ逃げるように移動していたから、あまり自分の容姿を確認したこともない。
「さて、私たちのオリジナルは過労を重ねてアイドルを続けていますが、彼女は逃げたいと思った事はあるでしょうか、それとも無いでしょうか」
「知るかそんなの」
やけっぱちで吐き捨てると、急にご機嫌を斜めにして彼女はぽつりとつぶやいた。
「もしも逃げたいなんて考えていなかったら私たちは生まれなかったかもしれないね」
それは、俺も同感。もしもこいつと同じ遺伝子と思考回路であったなら、遅かれ早かれ逃げ出していたに違いない。なんて、メンタルがクソほど弱いのはオリジナル由来でありたいという願いもあった。
「逃げたかったし、これからも逃げるんだろ? 逃げ続ける俺と留まるお前とをチェンジ、とかって考えているんじゃないか」
「さすが私。話が早いね」
あきれるほどに思考回路が読めるから、通り越して笑いすら起きる。あながち、こいつが自分と同一だと聞いてやっと納得できる。
「しょうがねぇヤツだぜ。俺ってやつは」
彼女は俺の唇にキスをした。自分と同じ顔の女にキスされるのはなんか不思議な気分だった。でもまぁ、悪い気はしない。目を閉じて彼女の背に手を伸ばそうとすると、不意に視界が暗転した。
「真木野 愛理さん二時間後に読み合わせですよ」
鼓膜に響くは年の取った監督になれずにくすぶっている年長ADの声。
「えっ、俺は一体、」
あたりを見回すと、狭い部屋に鏡の並んだ化粧台。上からは白い蛍光灯の光と、下からはオレンジ色の間接照明。活けた大量の花と、真木野 愛理宛ての菓子の差し入れが机に並んでいた。
「また例のお酒で役作りですか? まったく、旧来のヒロポンを思い出していい気がしないんですがね」
自分は椅子に力なく横たわっていた事を認識する。立つことは叶わず、半身を起こすだけで精一杯だった。
「あの、なんで俺、さっきまで」
「はいはい完璧な役作りどうもね、トップアイドルさん」
台本をそこらへんにぱたぱたと叩きながらADは退散してしまった。部屋を見渡すと自分の後ろでマネージャーがタブレット端末をいじっている。視線を向けるとマネージャーは口を開いた。
「ふむ。闇の組織から逃げる記憶喪失のオレオレ系女子って凝った難しい役だから、カスタマイズの精度は通し練習はさんでみないとわからないけど、まぁ今回も大丈夫そうね」
残機は物理じゃなくて精神的な話であったと理解する。オリジナルの彼女はこうやって様々な事から逃げていたんだろう。
「よろしくね、今回の真木野 愛理さん」
マネージャーはそれだけ言って席を立った。きっと監督と打ち合わせがあるのだろう。
化粧台の上にはグラスに注がれたプラスチック色のアルコールがてらりと光をそり返す。液体にはキラキラの半透明のプラスチックにコーティングされたナノマシンが泳いでいた。
これがなんであるか、俺はわかっている。それは真木野 愛理が知っているからだろう。
グラスを掴み液体すべてを煽り飲んだ。スゥッとするアルコールの揮発する感覚と、石油のようにな鉄苦い酸味を感じる。
そうして俺は、次は私として俺を探しに行った。
目が覚めるとゴテゴテのレースが装飾されたゴシックロリータ服を身に纏っていた。わかりやすい真木野 愛理のカタチをして、あわよくばオリジナル、私は俺を探しに行く。
舌に残ったプラスチック製の味を忘れないうちに。
了
メビウスリング SS城にも同じもの投稿してました。